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日々の内側
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おでん!
10-1031

台風上陸か!と思われた昨日、夕方より地元「へちま」でおでんパーティ(でんパ!)を開いた。


以前、偶然地元在住だとわかった料理上手のHさんが自宅で燻製パーティ(くんパ!)を開いてくれて大盛り上がりし、その勢いで次はでんパ!だと相成った次第。


雨足が強い中、年齢職業様々な女性たち6人(私を含む)で家人作のおでん、かぼちゃサラダ、ブロッコリーのサラダ、「へちま」が用意してくれた3種盛り(白和えなど)、白身魚のカルパチョを思い思いに楽しみ、最後にはなんとポルチーニのパスタが登場。こじんまりとした集まりではあったが、楽しいひとときを過すことができた。


家人のおでんは薄味仕立てで、透明感のある汁が特徴。具材は、大根、たまご、つみれ、ジャガイモ(今回は皮付)、ちくわ、はんぺん、各種練り物、そして出汁をとった昆布で、おとなしめの日本酒によく合う。いわゆる出し汁がしみ込んだ関東風おでんも嫌いではないが、年齢的なこともあってか今は家人風薄味おでんが私は好きだ。


家人がおでんを供するのは今回がはじめてではない。もう何年も前になるが、某商店街の某ビル2階にあるショットバーMで地元ネット仲間が集い、おでん、牡蠣鍋、水炊き、揚げ句の果てにはカレーをわいわい楽しんだ。今は亡きTさんももちろん参加していて、鍋奉行ぶりを遺憾なく発揮していたことがなつかしい。


おでんは漢字で書くと「御田」で語源は「田楽」であるそうな。「田楽」というと味噌田楽をまず思い浮かべるが、焼き田楽のほかに煮込み田楽があり、女房ことばで田楽の「でん」に接頭語「お」をつけたのが「おでん」だとWikiでは解説されている。


これからますます寒くなって、おでんがおいしい季節になってくる。もう一度くらい食べたいと思うが、さて家人の気分はいかに?


*強風と雨の中、お越しくださったみなさま、ありがとうございました。

*翌日(今日)がハーフマラソンだったHさん、今ごろ走っているだろうなぁ・・・

*また何かやりたいですなぁ。今度は何パ?(^.^;)

| - | 10:57 | comments(9) | - |
水門
10-1030

「ちょっと面白い水門がある」と家人がいうので、先週の晴れた日、自転車に乗り行ってみた。川崎河港水門という、なにやらデコラティブな水門だ。


この水門は、大正時代末期に計画された大運河計画に基づき昭和3年に建設された。多摩川の堤防から運河を引き、開墾で生じる土砂で周囲を埋め立てて工場や住宅を建設するという計画だったという。


背景には第一次世界大戦後の好景気があり、内務省土木建築技師・金森誠之(しげゆき)が設計した水門は大正15年11月に着工、1年半後の昭和3年3月に完成。2つの塔とそれをつなぐ梁、塔に設けられた飾り窓、そして何よりそれぞれの塔の上に設置されたキャベツのような!彫刻が印象的だ。


今はもう見ることができないが、塔の側面にはエジプト様式の船がレリーフ状に描かれていたといい、これらの装飾は建築家の久留某の手になるものだったようだ。金森は手記に「土木屋の手には出来ない芸術的な」仕上がりになったと記しているという。


家人が撮ってきた写真を見てまず気になった2つの彫刻は、実際見ても何を表しているのかわからなかった。何やら葉らしきものがあるということと、小さく丸いボコボコした部分は葡萄の房のようだ、星のかたちに見えるのはもしかしたら果物の「ヘタ」の部分かもしれないということくらいしか思い浮かばなかったが、水門に果物の装飾というのも妙だなと思った。


帰宅して調べてみると、漠然とした印象はほぼ当たっていたといっていいと思う。この彫刻は梨、葡萄、桃をデザインしたもので、梨の銘柄として有名な長十郎は、水門からほど近い出来野という土地で生まれたものであり、葡萄の栽培も行われていたとのことだ。桃は・・・わからない(^.^;)


話は戻って運河の計画であるが、当時運河に関する規制がかなりアバウトなものだったらしく、予定地に住宅や工場が続々と建設されてしまい、第二次世界大戦に突入。戦時体制のもと、当時の社会状況に合わないということで昭和18年に廃止されてしまった。


水門から約220m作られただけの運河も埋め立てられ、現在は80mほどが船だまりとして残されているに過ぎない。まさに幻の運河計画だったというわけだ。


しかし、水門は現在も千葉方面からの砂利の陸揚げ施設として利用されているというから、まだかろうじて現役という立場を保っている。土手をぐるりと回って川の方から見ると、背後の工場群を堂々と背負うような姿には威厳があり、建設当時の意気込みが感じられた。


川崎河港水門は、国登録有形文化財に指定されている。大規模な建造物ではないが、こういった歴史の証人的な建造物は現役を退いても大切に保存してもらいたい。私たちも、観光名所にはならない小さな歴史の証人が身近にいるということを忘れてはいけないと思った次第である。


*以上は川崎市教育委員会の指定文化財紹介サイトを参考にした。

| - | 07:49 | comments(2) | - |
ロミー・シュナイダーを偲ぶ
10-1029
・・・都内某所の茶室で見かけた秋の室礼・・・

映画や女優の話が出たので、一番好きな女優は誰かをあらためて考えてみた。

私の映画の選び方はストーリーや雰囲気重視なので、「この映画のこの役をやった誰それ」が好きということはあっても、俳優そのものを無条件で好きになることはあまりない。同じ俳優でも、とてもいいと思うこともあれば、「うーん、ちょっとねー」ということもあり、誰に対しても熱烈なファンにはなりにくい。


そういうことなので一番好きな女優についても条件付きにはなると思うが、結論としては「ルートヴィヒ」と「サン・スーシの女」のロミー・シュナイダーが一番好き、ということになりそうだ。


「ルードヴィヒ」の中での役柄は、あのエリザベート后妃だ。美貌を謳われ、自由を愛し、それゆえ皇后という窮屈な暮らしを厭い、旅から旅へ。そして旅先で暗殺された「悲劇の王妃」として、今なお人気が高い。数々の伝記が編まれ、映画やミュージカルになっているのでご存知の方も多いと思う。


ロミー・シュナイダーはデビュー間もない1955年から57年にかけて、「プリンセス・シシー」三部作に主演している(「シシー」はエリザベートの愛称)。私は未見なのだが、たぶん誰が見てもはまり役だったのだろう。まだ10代の新進女優は当時「シシー」と呼ばれアイドル的な人気を得たとのことだ。


若い頃演じたシシーがエリザベートの華やかさの象徴であるなら、それから17年後の1972年に作られた「ルートヴィヒ」でのそれは悲しさの象徴なのかもしれない。気高く美しく、内面に激しい切なさを秘めた王妃はまさにロミー・シュナイダーのための役だと思わせるほどだった。


外見だけでなく、私はあの低い声がとても好きで、謎めいた微笑みとともにもらす含み笑いや、ヘレンキームゼ城の鏡の回廊であきれ果てたとでも言うかのように大声で笑ったあの声がなんともいい。


「サン・スーシの女」では、主人公が子どもの頃世話になり、ひそかに敬慕していた女性と主人公の妻の二役をやっていて、ナチスに翻弄された女性の悲劇を見事に演じている。あの役もロミーにしかできないのではないかと思われるのだが・・・


43年という短い生涯は波乱に富み、中でも14歳の息子を亡くすという経験が彼女をとことん打ちのめしたのではないかと思う。睡眠薬の過剰摂取による心臓麻痺という死因は、限りなく自殺に近い。


エリザベートもその晩年に息子であるルドルフ皇太子が自殺するという悲劇を経験し、死ぬまで喪服を脱ぐことはなかったという。なんだか不思議な偶然だが、ロミー・シュナイダーとエリザベート后妃は妙な絆で結ばれていたような気がしてならない。


ところで、このようなことを考えていたら「サン・スーシの女」がたまらなく見たくなったのだが、DVDは出ていないようだ。VHSも探せばレンタルでありそうだが、上質な映画だと思うのでぜひDVD化してほしい。


*ちなみに男優では、「ラストタンゴ・イン・パリ」のマーロン・ブランドがいい。

*毎年収穫しに出かけるアオツヅラフジ、今年の出来はよくない。

*実の数が極端に少なく、まだ青く色づいていないものばかり。

*猛暑の影響か・・・それとも途中で刈り取られたか・・・

*なにせ街道沿いの植え込みの中なのでねぇ。

*明日は天気が悪そう。とくに夕方から。おでんパーティがあるのに!

| - | 14:24 | comments(0) | - |
紅葉より黄葉
10-1028

数日前からぐっと気温が低くなってきたが、今年の紅葉はいつくらいになるのだろう。北海道や東北の紅葉は、すでに終わりかけているかもしれないが、こちらではまだ微かに色づきはじめた木がある、といった程度だ。


毎年紅葉の時期になると、新聞をはじめとする各メディアやネット上のブログなどで見事に鮮やかな紅葉風景を目にする。燃えるようなモミジやナナカマドの紅葉は、北国ならではのものだろう。常緑樹をまじえた緑、黄色、緋色、褐色が混在する風景は、まさに「錦繍」の趣である。


色づく葉はどれを見ても自然の不思議な営みを感じるが、好みという点からいうと、私は鮮やかな緋色の紅葉よりも、やわらかな黄葉、とくに葉が薄い樹種の黄葉が好きである。この傾向は年々強くなってきており、今ではあまりに鮮やかなモミジの紅葉などを見ると、目が痛くなるような気がして落ち着かない。


また、一様に同じ色に染まるものよりも、微妙な色が混じりあう方が好みに合っていて、どの木の秋の姿が好きかと問われたら、迷うことなく「桜」と答えるだろう。


桜の葉も赤くなるが、モミジのような赤ではなく、どこか透明感のある淡い赤だと思う。微かに黄色を含む葉、紫色を帯びる葉、黄色のグラデーション・・・桜の葉はひとつとして同じ色に染まらない。そこがなんともいいと思う。


息子がまだ小さかったころ、当時住んでいたマンションの南側の桜並木を一緒に歩いた。歩きながら、落ちている桜の葉の中からきれいな葉を選んで拾った。


冷たく澄んだ空気が流れる中、誰もいない遊歩道で過したあの時間が今となってはとてもなつかしい。時折落ちてくる葉の音が聞こえるくらい静かな、静かな時間だった。


*写真の葉は・・・桂かな?(自信なし)

猫ブログ、忘れたころに更新(昨日)

| - | 14:41 | comments(2) | - |
CRY FOR ME〜CRY ME A RIVER
10-1027

映画「愛の嵐」の記事で山口百恵に同じタイトルの歌があったと書いた。はてどういう歌だったかと思い、久しぶりにi-Tuneに入れてあるベストアルバム(「百恵復活」)で確かめていたら、聴いていたはずなのに全く覚えがない英文タイトルの曲があるのに気付いた。「CRY FOR ME」である。


さっそく聴いてみる。ああ、これは聴いたことがある・・・でも、こんなにいい曲だったとは!確かに、曲の好みは年齢などによって変わる。私の場合その変化は大きい方なのかもしれない。が、聴けば聴くほどこの曲は「好み」で左右されるような曲ではなく、一度聴いたら好きになりそのままずっと好きでいるような曲だった。


私の耳はどうなっているんだ!目については「節穴」という言葉があるが、耳については何というんだ?・・・などと横道に逸れそうになり軌道修正。


歌詞もいいし曲想もいい。ちょっとシャンソンのような雰囲気があり、歌唱力が問われる曲でもある。作詞は「横須賀恵」となっているが、聞いた事があるようなないような。ペンネームだろうが、いかにも作詞家のペンネームっぽいなぁと思いしばらくそのままにしておいた。


この原稿を書くため念のため調べてみたらば!なんと「横須賀恵」とは山口百恵の作詞家としてのペンネームだった。百恵ちゃんファンなら常識なのだろうが、特にファンというほどでもない私にとってはちょっとした驚きだった。やはり彼女はタダモノではない。


そう思いつつ「CRY FOR ME」を聴いていたら、よくある連想が働いて「CRY ME A RIVER」を思いだした。多くの歌手に唄われているスタンダードナンバーだが、大昔私が惚れたのはジュリー・ロンドンが歌っているものでLP版は持っていたと思う。


この曲を知ったきっかけは、確かFM放送で「CRY ME A RIVERの聴き較べ」という番組をやっておりカセットテープに(どれくらい昔か想像がつくというものだ)録音したことだったと思う。いろいろな歌手、演奏家による同じ曲の聴き較べというのはけっこう面白い。もしかしたらまだどこかにそのテープがあるかもしれないが、もはやテープレコーダーがないので探すのを諦め、とりあえず検索。


ジュリー・ロンドンの声は記憶にあるものよりハスキーだったが、やはりいい。私が当時よく聴いたのは「Julie is her name」というアルバムに入っているモノクロ録音のものだが、YouTubeにはかなり大人っぽい雰囲気で歌うジュリーの動画があった。こちらもモノクロなのでかなり古いと思われる。


去っていく恋人の手紙を読みつつ「移り行くもの 止められないのよ」と乾いた諦観で今を見つめる「CRY FOR ME」と、かつて自分に冷たくした男の懇願に対して「川の流れのような涙を流すがいいわ」と冷たく突き放す「CRY ME A RIVER」。連想によって結ばれた2つの曲がこれほど対照的な歌詞だというのもまた、面白い。

| - | 08:20 | comments(2) | - |
ALL ABOUT MY MOTHER
10-1026

もう先月のことになってしまうが、久しぶりに会ったKさんの仕事上のパートナーであるSさん(私の知りあいにはSさんが多い!)に、「これはいいですっ!!」と勧められた映画「オール・アバウト・マイ・マザー」をやっと観ることができた。


ペドロ・アルモドバルというスペインの監督の作品で、調べて見ると面白そうな作品を世に出しているのだが、私はその1つも観たことがなかった。これは迂闊だった!と心底思ったのは、今回観た作品がとてもよかったから。


例によってストーリーは詳しく書かないが、主人公であるマヌエラという女性が非常に魅力的。女性的というよりも母性的な大らかさは、ひたすら優しく、しなやかだ。文句なく好きなタイプの女性である。


女手ひとつで育てあげ心の通う親子として幸せな日々を過していたというのに、息子は突然死んでしまう。


悲しみの中、父親のことが知りたいと言っていた息子を思い、マヌエラは意を決してかつて住んでいたバルセロナへ向かう。


そこで彼女は息子の死の原因ともなった大女優、旧知のオカマ(ゲイというよりこの方が役柄にはふさわしい)、若く美しいシスター、その母親などとかかわりあい、かつで夫であった男(いまや完全に女装のゲイ)に再会する。


先ほど「母性的」と書いたが、これは決して「肝っ玉かあさん」的なということではない。どのような人間であってもその存在を認め、腹立たしことがあっても見放さず、恨みがあっても復讐せず、受け入れ、助け、ともに泣きともに笑う。そんな大らかさだと思っていただければと思う。


同じ監督の「talk to her」もなかなか面白そうだ。近々借りてこようと思っている。

| - | 08:37 | comments(11) | - |
水野博司さんの急須
10-1025

ヴェロニカさんの湯飲みで美味しいお茶を飲みたい・・・湯飲みにお似合いの急須が欲しい・・・ということで、昔から注目していた水野博司さんの急須を取り寄せた。


専門雑誌だったか器を扱うサイトだったか忘れてしまったが、出会いは器に興味をもちはじめたころ。出会いといっても手に取ったわけではないが、急須だけを作る作家として水野さんの名前はずっと覚えておおり、本気で(!)急須を求めるなら水野さんのものを、と思っていたのだった。


写真の器は、「梨皮急須筋引丸」という名前で、轆轤引きした跡をそのまま残したデザインがポイント。丸く端正なフォルムではあるが、様々な工夫がなされているという。


たとえば、注ぎ口。何気ない角度のように見えるが、水切れがよくて注いだ後もお茶が尻の方に回らない。持ち手は注ぎ口との角度を90度より内側に設けられており、手に持った時茶の切れがいい角度にしてある。


内側の茶濾し部分も、すべて水野さんがひとつひとつ丁寧に穴をあけているそうで、茶葉がつまることがなく、いつでも気持ちよく注ぎ口から茶が出てくる。


最初に驚いたのが、持った時の軽さだ。拍子抜けするほど軽い。茶を入れてはじめて重みを実感できるというのが実感で、片手でも楽々注げる。これも使い勝手を追求した結果なのだろう。


ざらっとした土味、手びねりの微妙にゆがんだ形が魅力的なヴェロニカさんの湯飲み。すべらかな感触の端正な急須。一見異色の組み合わせだが、並べて見るとけっこうお似合いである。今年の冬は、お茶三昧になりそうだ。

| - | 11:52 | comments(3) | - |
リアルファーを買わないという選択
10-1024

19日の新聞に、「毛皮(リアルファー)を買わないという選択」というNPOアニマルライツセンターの意見広告が掲載されていた。


ここでいう「毛皮」とは、主にキツネ、タヌキ、ミンク、ウサギなど私たちが所謂「毛皮」として認識しているものだけでなく犬や猫も含まれているようだ。ということは、キツネやウサギの毛皮だと思って身につけているものが、犬や猫の毛皮だという可能性は多いにありうるということだろう。


広告には、毛皮用に繁殖されている動物たちが、「春に繁殖させ、半年間狭い檻で成長させ、冬毛に変ると殺し、毛皮をはぎ取る」という運命の元にあることが述べられており、まず毛皮の需要を減らす(あるいは、なくす)ための意識改革を求めている。


アニマルライツセンターのサイトでは「毛皮は動物の死体」というショッキングなメッセージとともに、人間がもてはやしている毛皮がどのように作られるのかを紹介しており、毛皮を買うならこれを読んでからにしてほしいが・・・


今日24日、毛皮反対デモ行進が行われたようだが、反響はどのようなものだったのだろうか。フォローする必要があると思っている。


この時期、街に出てショーウインドーを眺めれば、「リアルファー」という耳障りのいい言葉とともに、様々な衣料品がディスプレイされている。コートとなると値段も張るが、帽子やバッグ、ブーツなどのポイント、果ては携帯のストラップに至るまで毛皮は様々に利用され、もてはやされているように見える。


生きているキツネやウサギを見て「キャー!かわいい!」という女性たちが、それら「リアルファー」グッズを何の抵抗もなく、否喜んで身に付けている心理が私にはよくわからない。


EUでは、中国から犬や猫の毛皮の輸入禁止、アザラシの毛皮取引禁止など様々な規制が広がっているということだが、日本では残念ながらそういった意識はまだまだ薄いようだ。


昔、ファッションの小道具として使われた煙草は、今や自分をも他人をも不健康にする悪の元凶のように考えられるようになった。が、自分に直接害を及ぼさない毛皮についてはどうだろう。このアニマルライツセンターの啓蒙活動がどのように推移していくかに注目したい。

| - | 20:41 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・路地猫<7>
10-1023

「路地猫」というタイトルなので路地感を感じさせる引き気味の写真を選んでみたが、最終回くらいはアップを。野良くんらしいのに、ふくふくとしたスタイルがいい。「路地猫」シリーズは、来月につづく・・・
| - | 06:45 | comments(6) | - |
PHOTO WEEK・・・路地猫<6>
10-1022

駐車場のどん詰まり。近くには地域猫に対する理解を求める小さなポスター。当時はこれだけいたのに、今は影ひとつない。
| - | 07:26 | comments(2) | - |
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