少し時間が空いてしまったが、「羊たちの沈黙」を読み終えた後、「ハンニバル」「ハンニバル・ライジング」を立て続けに再読した。特に「ハンニバル」についてはいろいろ考えたこともあったのでブログに書こうと思いつつ、仕事がバタバタしていたこともあって後回しにし、気楽な話題を優先させていた。が、やはり書こうと思ったことを書かずにいると落ち着かない。
ハンニバルの話の前に、「善」と「悪」について書いてみたい。
私たちは生まれてからずっと、「これはよいこと」「これは悪いこと」と教えられ続けている。ある時は「道徳」という名の元に、ある時は「一般常識」という名の元に教えられ、時には水戸黄門の印籠のように掲げられる。私自身、半世紀以上生きてきたということもあり、それなりに身の中にしみ込んだものはあるし、社会生活を穏便に送るためのコツとして利用していることも多々あると思う。
しかし、そういった現実的な観点を離れて考えてみると、果たして本当に「よいこと」、本当に「悪いこと」というものはあるのだろうか。「本当に」という言葉は「絶対的に」「普遍的に」といった意味で使っていると理解していただいてかまわないのだが。
長い間、折りに触れてこの件について考えているのだが、今のところ達している結論は、「そんなものはない」のではないか、というものである。「
絶対的な存在」「普遍的な存在」がそうであるように、「善悪」についても、必ず限定される・・・つまり「(・・・にとっては)善である」「(・・・にとっては)悪である」としか言えないのではないか、ということだ。
その「・・・」の数が多ければ多いほど、「善」も「悪」も「絶対的」「普遍的」に近づくが、近づきはしても完全に一致することはないのではないか、ということだ。世の中多数決原理が基本であるからにして。
今日のタイトルの「善悪の彼岸」はニーチェの著書のタイトルから借りてきたもの。本は読んでいないが、「キリスト教の諸前提を盲目的に受け入れてきたことを非難している」本(「 」内はWikiによる)として、恐れ多くも借りてしまった次第である。キリスト教的倫理観は多数決原理の代表だと思っている、という理由もあるし、私にとってハンニバル・レクターという怪物は「善悪の彼岸」にいるということもある。
何故、「ハンニバル」のことを書く前に善悪の話をしたかというと、先日「羊たちの沈黙」について書いた時、ハンニバル・レクター博士のことを「究極の悪人」と書いてしまったことへの反省があるからだ。
分かりやすく書こうとするがために、安易に言葉を選んでしまうというのはやはりよくない。「究極の悪人」という言葉の前には、「常識的には」「一般的には」「道徳的には」といった限定が必要であったと思っている。
レクター博士が数々の殺人を実行し、人の肉を食らったことは法治社会の道徳から言っても、キリスト教的倫理観から言っても間違いなく「悪」であろう。人肉を食って快感を覚えるという博士の嗜好は、幼いころ妹であるミーシャが敗残兵に食われたという経験からくるトラウマを起因とする嗜好だとも捉えられるが、そう捉えて安心してしまうのも安易であるように思う。
博士は類い稀に見る美食家でもあったわけで、その味覚も凡庸な味覚に比べたらはるかに鋭かったに違いない。凡庸な味覚を持つ人が決して口にしないものの中に「うまみ」を発見することもできただろうし、一度その「うまみ」を経験してしまったらその呪縛から逃れられなかったのかもしれないと考えらえる(人肉が「うまい」かどうかは、凡庸な味覚の持ち主であるゆえわからない)。
とにかく自分の嗜好に正直だったとはいえるのではないかと思うが、普通「善」と考えらえがちな「正直」もまた場合によっては「悪」として非難されるといういい例だろう。
今回「ハンニバル」を読んで強く印象に残ったのは、以下の部分だ。
自分の切なる祈りが一部しか聞き届けられなかったこのとき以来、ハンニバル・レクターが神の意図について思いを凝らすことは絶えてなかった。例外があるとすれば、神による殺戮に比べれば自分のなす殺戮など何程のものでもない、と思い知ったときくらいだろう。
巻末の解説にも、「この本の随所に鏤められた果敢なキリスト教文明批判」が指摘されており、上記部分が引用されている。この批判はまぎれもなく著者であるトマス・ハリスのものであろうし、そんな作家が書いた本だからこそこんなに面白いのだろう、と妙に納得してしまった。
余談になるが、「ハンニバル」シリーズはみな映画化されており「ライジング」以外は見ている。原作と映画を比べれば、圧倒的に原作の方が面白いというのが一般的だと思うが、このシリーズに関しては、映画もなかなか見ごたえがあり面白かった。惜しむらくは、「ハンニバル」の結末が原作と映画で大きく違っていること。個人的には原作の終わり方の方が圧倒的に面白いと思っている。
*似たようなことを前にも書いたような・・・
*「考えたこと」「思ったこと」はあまり変らないということね。
*とくに「いい大人」になってからは。
*同じようなことを繰り返していることに意味があると思っていただければ。
*それにしても、こんな時間にこんな内容をこんなに長く!
*実は昨日早く寝てしまい、午前1時に目が醒めてしまったのでした。
*眠れそうもないので、7時まで仕事を。
*それでも眠れそうにないので、一気に書いてみたのでした。
*さて、そろそろ寝ようかな、それともこのまま起きていようかな。