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日々の内側
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北の楽園<2>戸惑いと喜びと
10-0630

前日たっぷり楽園を楽しんだが、まだ足りないとばかりに早朝の楽園に急いだ。4時に起き手早く身支度、楽園に着いたのは4時半。

前夜かなり雨が降っていたようだったので心配だったが、宿を出た時には止んでいた。楽園に着いてからも、時折思い出したように降るだけでおおむね曇り。歩くにも写真を撮るにも絶好の天気といえるだろう。

雨に濡れた薔薇はことのほか美しい。一重の花は夕暮れ時にやわらかく花びらをすぼめ、まだ目覚めていないようだ。そんな様子を見ることができて嬉しい反面、静かに寝ていた薔薇を起こしてしまいそうで微かな戸惑いが・・・

そんな私の気持ちにはお構いなしに、薔薇たちは少しずつ花を開き、「ああ、今日もいい日だわね」とでも言っているかのように思い思いに咲いていた。擬人化するのは、やはりよくない(^.^;)

日付が変わる少し前に自宅に到着。ざっと片づけをして床に入ったが、疲れているはずなのになかなか寝つけない。目を閉じると、次から次へと楽園の風景が、薔薇の表情が目の前に浮かんでくる。楽園で戸惑い、帰ってきてからも戸惑う私がいた・・・つづく。

*諸般の事情により、具体的な場所に関して等の質問にはお答えできかねますので、
 申し訳ありませんがあらかじめご了承ください。
| - | 23:58 | comments(0) | - |
北の楽園<1>不安と期待と
10-0629

前日21:30発の夜行バスで北に向かい、朝7時前に到着。朝食をとり、またバスに揺られて3時間。漸く到着したところは、想像以上に美しい場所だった。

今回ご一緒の方々は私にとってはみなさん初対面の方。人見知りしがちな(本当ですよ!)私としては不安も多かった。またバスに10時間以上乗ったこともなく、これまたちょっと不安。

が、到着してみればすべて杞憂にすぎないことは明白だった。いよいよ、楽園の空気にどっぷりつかる時間がはじまるのだ・・・つづく。

*今日から3日間は同じタイトルで書きます。
*諸般の事情により、具体的な場所に関して等の質問にはお答えできかねますので、
 申し訳ありませんがあらかじめご了承ください。
| - | 22:01 | comments(0) | - |
ツバメ翔ぶ
10-0628.jpg

最寄り駅のバスターミナル周辺では今、ツバメが盛んに往来している。去年落ちた巣を目撃してショックだったが、今年は別のところ数ヶ所に巣を作り、そろそろ巣立ちの時季を迎えて親子ともに忙しそうだ。


ツバメほど町に暮らす人たちに愛されている鳥はいないのではないだろうか。巣をかければ、周囲の人が気づかってカラス避けをほどこしたり、できるだけ親鳥の神経に触らないよう細心の注意を払ったりしている。雛の声がすれば、人々は微かな微笑みを浮かべて頭上を見上げ、黄色い口を大きくあけて餌をねだる姿を見て癒される。


ネット上にも、この時季になるとツバメの巣と雛たちの写真が多数アップされる。自分のベランダに巣を作られたらちょっと困るなぁと思いつつ、見守る人のあたたかい視線に共感しつつ、次の更新を楽しみにしたりする。


ツバメは昔から人々に愛されてきたようだ。「常世の国(普遍の理想郷)からの使者」だと言われ、巣をかけた家は縁起がよいとされたという。


すらりとした容姿、伸びやかで自在な飛び方、人の暮らしと寄り添うように巣作りや育児をすること・・・どう見ても嫌われる要素がない。ほかの鳥が少し気の毒になるほど、ツバメは人々に愛されている。


ユーミンではないが、あの飛び方を見ていると羨望さえ感じる。様々な物事に縛られ、動きが鈍くなり、鬱々と下を向くことが多い時、目の前を軽やかに飛び交うツバメは眩しい。あのように自由に、あのように軽やかになりたいという思いが憧れにも似た気持ちを起こさせるのだろう。


蒸し暑く不快な日々が続いているが、生存競争を生き抜きながら雛は成長し、秋の渡りを目指している。無事南の国に渡れることを、来年また会えることを祈りつつ、この季節を歩いて行こう。


*今晩から水曜日まで小旅行に出かける。

*帰宅後遡って写真をアップするかもしれないが、とりあえず29〜30日は休み。

*天気はまあ、仕方ないですね。楽しんできます。

| - | 10:25 | comments(3) | - |
うたかた
10-0627.jpg

3年前に亡くなったTさんのブログは、前年の秋の「無事帰国しました」という記事で凍ったように止まっている。止まったまま、未だに存在している。


思い出したように時々のぞいているが、自分が何のために、すでにこの世にいない人のブログをのぞくのだろうと思うことがないわけではない。何かを求めて、というわけではないのは確かだが、正直なところ自分でもよく理由がわからないでいる。Tさんを忘れていない自分を確かめたいだけなのだろうか。


思えば、Tさんのブログのように、すでにこの世にいない人のブログは数知れずそのままになっているのだろう。


インターネットという茫洋たる世界の中に浮かんだうたかたは、いともたやすく弾けてしまうこともあれば、つかみ所がないほど茫洋としているために誰も管理できず、いささか長過ぎる墓碑銘のように残っていることもあるのだ。


ネットの住人になって、つまり、インターネットという媒体を利用し何らかの情報を何らかの形で発信するようになって10年の年月が流れた。


この世界で出会う人も、ある意味ではうたかたである。うたかたのままにしておきたくない人とは、できるだけ会うようにしているが限界はやはりあり、会いたいと思ってもなかなか会えない人もいれば、会いたいと思う前に消えてしまう人もいる。


消えたといっても、私が見える範囲から消えただけで、どこかでまた別の泡になって浮かんでいることもあるだろう。完全にネット界から身を引く人もいるだろうが、そうでない人の方が多いような気がしている。何の裏付けもないけれど。


ハンドルネームを変え、とりあげる話題を変え、付き合う人たちを変え・・・そうやって新しいうたかたが方々で生まれている・・・ような気がしている。


私もまた、無数ともいえるうたかたのひとつだ。10年という年月が長いのか短いのかは別にして、それだけの時間を同じ場所で、同じ形で浮かび続けてきた。どうせはじけるのなら、もう二度と浮かぶことがないうたかたでありたという思いは10年前と変わらない。


*本家(today)のリンクページを手直し&更新。

*新しく加えさせていただいたサイトの方々、今後ともよろしくお願いします。

| - | 19:15 | comments(2) | - |
花は易く葉は難かりき
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狭いベランダいっぱいに薔薇を育てて5年になるが、特別な理由をのぞいて薔薇を室内に飾ったことはない。


もともと切り花としての薔薇にはあまり興味がなかった。野趣がある花・・・というよりも草や木が好きなのでそれとは正反対の位置にいるような、花屋の冷蔵ケースでみな同じように整った顔をしている薔薇は私には無縁の花だという気持ちは今でも、ある。


特別な理由というのは、何というほどのこともない。早めに剪定してまだきれいに咲いているので捨てるのが惜しかった時とか、どうしても写真を撮ることができなかった花を記録したくて仕方なく適当な器に活けて写真を撮った時とか、まあ、そんなものである。


そんなだから、薔薇を描こうと思ったことは一度もない。まあ、絵を描くということをしなくなって久しいが、高校時代は美術部員だったし(非常に不真面目な部員だったが)、20代のころまではたまーにスケッチなどはしていた。が、その後はほとんど描いていない。


しかし絵を見るのは好きだし、時々描きたいと思うことはある。昔のように油絵は描きたいと思わないが、ささっとスケッチして淡彩で・・・くらいはやってみたいと思うこともある。風景でもいいし、そこいらで摘んできた野草でもいい。身近な素材を俳画のように描けたらいいだろうなぁ・・・などと。一応まだ少しは絵心というヤツが残っているのかもしれない。


が、薔薇は描こうと思ったことは全く無い。そもそも、あの花びらが何枚あるかわからない花を描く対象として見ただけで難しそうで腰が引ける。複雑に重なった花びらと微妙な陰影とあの質感。これを描くのは並大抵の能力ではできないような気もするし。葉はまあ、奇数羽状複葉だとわかる程度に描けばまあいいだろうけど・・・と思っていたら示唆に富んだ俳句に出会ってしまった。


薔薇を画く花は易く葉は難かりき 子規


これは単に、子規が自分で薔薇を画いてみて、そう思ったのをさらりと詠んだだけだろうか?いやいや、そうではあるまい。そうかもしれないが、それだけではあるまい。簡単そうに見える物事、単純に思える物事ほど本当は難しいのだぞよ、と言われたような気がするのは私だけだろうか。

| - | 17:45 | comments(2) | - |
クリスティーネ
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「伊豆」と題されたその写真には、浜辺に立つ一人の外国人女性が写っている。穏やかな海の波打ち際、撮影者の方を向いて微笑むその女性は黒い半袖のセーター、明るいブルーの膝までのフレアースカートを着ている。黒いタイツの足下は濡れることを気にせず歩ける長靴だ。首には細目のシルバー色のネックレスと、機種はわからないがいいデザインのカメラを提げている。


右手には細い竹の棒のようなものを持ち、左奥に遠景として移っている島(あるいは半島?)とバランスをとるかのように肘を曲げて身体から少し放れた砂浜にその先端をつけている。左手は身体に沿うようにまっすぐ下ろされている。


まず、そのファッションセンスのよさに注目した。新聞に掲載されていた写真なので、着ているものの色や素材感はあやふやだ。が、黒い長靴をこれだけおしゃれに履く人はあまりいない、と思ったし、小さな顔にぴったり張り付くように整えられた髪型がよく似合って、女優かモデルだと言われても疑問を持たなかっただろう。


写真が添えられた記事を読まなければ、私の感想はここで終わっていたはずだ。


この写真がたぶん忘れ得ぬものにになったのは、「25年前に自ら命を絶った妻と、写真を介して向き合ってきた写真家古屋誠一」というタイトルを読んだ時からだ。亡き妻の名前はクリスティーネ。


1978年に出会い、結婚。息子をもうけたものの85年、クリスティーネは投身自殺してしまう。統合失調症の兆候が現れていたといい、自殺までもかなり苦しんでいたのだろう。「伊豆」の写真のキャプションには、「幸せそうにみえるクリスティーネの首と手首には自傷の跡がある」と記されている。


古屋誠一氏の写真については、どこかで見た、あるいは読んだことがある。が、その程度の記憶しかなかった。今回新聞で記事をじっくり読み、写真展が開催されている美術館のサイトに行ってみて、これは見ておかねばと思った。


現在東京と静岡で別の企画展が同時進行している。東京(写美)は確実に行けると思うが、静岡(ヴァンジ彫刻美術館)はまだ不確定。が、ヴァンジ彫刻庭園美術館は、去年Kさんに連れていってもらったクレマチスの丘にあり、いいところだったのでまた行きたいと思っていた場所だ。また、今回の展覧会は2007年に古屋自身が構成した展示をほぼ再現しているということなので、さらに見てみたい。万事繰り合わせてできるだけ行きたいと思っている。


●「古屋誠一 メモワール.」・・・東京都写真美術館(恵比寿)7月19日まで

●「Aus den Fugen」展・・・ヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡県長泉町)8月31日まで


*エル・ドラドの写真を散歩サイトにアップ。

| - | 21:28 | comments(4) | - |
“黄金郷”という名の回転木馬
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梅雨の晴れ間の陽射しは予想以上に強い・・・と感じながら、「としまえん」に行ってきた。お目当てはふたつ。来週月曜まで開催されている「あじさい祭り」と、だいぶ前から見たい見たいと思っていた「カルーセル・エル・ドラド」だ。


「あじさい祭り」は、せんさんが行かれて写真をアップされているのを見て、意外なところで紫陽花が見られることを知り行こうと思った。毎年鎌倉に紫陽花を見に行っていたのだが、今年はタイミングが合わず諦めていた。自宅付近でも思いの他いろいろな紫陽花が見られるのだが、一度も行ったことがない「としまえん」に行ってみたかったので決行した次第。


行ってみると、半ば予想していた通り、紫陽花はすでに盛りを過ぎていた。加えて今日のような陽気は紫陽花観賞には不向きである。一部しおれていたり、すでに花が終わっていたりしてざっと見ただけで終わりにした。次に行く時の参考にはなったので、残念だったという気持ちはあまりない。


それより何より、以前から憧れに似た気持ちを抱いていた「カルーセル・エル・ドラド」を実際に見ることができたことがとても嬉しい。


「カルーセル・エル・ドラド」は、1907年、ドイツはミュンヘンにおいて披露された回転木馬だ。ヒューゴー・ハッセという機械技師により作られ、当時は世界最大にして最も豪華なカルーセルと評価されたそうだ。ハッセは技師であったが、その後カーニバルの興業を行うようになり、「カルーセル・エル・ドラド」とともにヨーロッパ各地のカーニバルを巡業したという。


ヨーロッパに戦争の影が色濃く差すようになったころ、ハッセは自慢の作品をアメリカに移すことを考え、1911年にニューヨーク・コニーアイランドにあった遊園地に送り出し、「エル・ドラド」はその遊園地が閉園した1964年まで活躍した後、解体されて倉庫に眠っていたそうだ。


競売にかけられた「エル・ドラド」は、1970年、6つのコンテナに分けられて日本にやってきた。1年の修復期間を経て、1971年3月から「としまえん」で回り続けている。


今日はじめて見た「カルーセル・エル・ドラド」の印象は、思っていたより大きく、きれいだということだ。もっとガタがきているかと思ったが、そうでもない。もちろんピカピカではないが、適度に古びた感じが豪華なアールヌーボー調の装飾を際立たせているように思う。回転木馬は撮影対象としてとても好きなので、今までいくつか見てきたが、やはりこれは格が違う。


一眼レフのデジカメを手に入れた時、八景島の回転木馬の写真を撮りに行った。夕暮れ時に見る回転木馬はイルミネーションに照らされてとてもきれいだったが、私はそれを見ながら「カルーセル・エル・ドラド」を思った。本当に見たいのは・・・と。


とりあえず、今日は手始めといった感じで写真を撮ってみた。これだけの回転木馬は滅多にお目にかかれないと思うので、今後何度か通わないといけない。今日は久しぶりに「惚れた」という表現を使えるものに出会えた喜びに浸ることにするけれど。

| - | 19:25 | comments(6) | - |
虚無への供物
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読もうかなぁと思いつつなかなか手が出ないのだが、いざ読み始めると雪崩れるように読んでしまう、という本がある。


虚無への供物」(中井英夫)は、私にとってそんな本のひとつだ。


文庫本にして669ページ(年譜含む)という大作で、作者は7年の歳月をかけてこの本を書いたという。発表当時のペンネームは塔晶夫で、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」、夢野久作の「ドグラ・マグラ」とともに日本探偵小説史上における三大奇書と言われているとか。


氷沼家という今は没落しかけている家に起こる死の連鎖。素人探偵たちが次々と推理していくという筋立てからミステリーといえばミステリーだ。が、話の中にもうひとつのミステリーが素人探偵の作品として登場する上、それぞれの推理の中にシャンソン名曲が、五色不動の伝説が、バラの色素の話などが織り込まれ、物語はどんどん複雑になっていく。それなのに飽きるどころか読み始めるとやめられない。不思議な力(魔力?)を持つ本だと思う。 

ストーリーはとてもじゃないがここでまとめることはできないので、今日はタイトルについてだけ書きたいと思う。


「虚無への供物」というタイトルは、氷沼家の二男であり最初に死ぬことになる紅児が、荒れ果てた庭園で大切に育てていた薔薇の名前である。正確にいうと、試作品の薔薇を育てており、花が咲いたら「虚無への供物-オフランド・オゥ・ネアン」という名前をつけようとしていたことを素人探偵たちは紅児の兄である蒼児から聞く。


その薔薇は朱色の花を咲かせるらしいが、花びらが光るというのだ。荒れ果てた庭園で咲く炎のような薔薇と「虚無への供物」という名前の組み合わせが、なんとも神秘的であり、どこか不吉な感じもする。


薔薇とのつきあいはまだ5年あまりだが、薔薇の名前は実に多様だ。愛する人、尊敬する人へのオマージュあり、理想のシンボルあり、花色や花形からのイメージあり、香りからのイメージあり、で覚えるのに一苦労するような長い名前もたくさんある。が、不吉な名前

を持つ薔薇は・・・たぶんないだろう。「虚無への供物」という薔薇は、物語の中でのみ怪しい光を放つのだ。


ネタバレになるので詳しくは書かないが、「虚無への供物」は薔薇の名前としてだけでなく、氷沼家が背負った悲劇の象徴であることが作品の終わりで明らかになる。


もうひとつだけ書いておくと、この長編は洞爺丸の転覆事故に想を得たとのことで、物語の時代背景は戦後9年を経た1954年である。当時の社会で何があったのかが作中に鏤められていることも、見どころ(読みどころ?)のひとつといえるだろう。


*今回で読むのは3回目。まだまだ読むんだろうな・・・

*現在販売されているのは上下巻に分かれているようだ。

*ネタバレサイトもけっこうあるが、読もうと思う方は予備知識なしでどうぞ。

*この際だから「黒死館」「ドグラ・マグラ」も読もうかな?

| - | 16:50 | comments(4) | - |
花輪和一
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岩佐又兵衛の(あるいは伝・岩佐又兵衛作の、又兵衛一派の絵師の)作品、とくに異常なほど緻密で時におどろおどろしい作風を見ていると、花輪和一という漫画家の作品を思い起こす。


もうだいぶ前になるが、銃刀法違反で検挙され実刑判決を受けた漫画家だ。刑が重過ぎるとして漫画評論家の呉智英氏などが訴えたらしいが、出た判決は懲役3年の実刑。関係者は控訴を予定していたそうだが、本人が刑に服する意向でそのまま刑務所に入ったという。塀の中での暮らしを「刑務所の中」という作品で描き話題になったので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。


私が愛読したのは、「月ノ夜」(単行本1977年)、「赤ヒ夜」(同1985年)、「御伽草子」(同1991年)、「鵺(ぬえ)」(同1982年)、「護法童子」(全2巻・同1985-86年)などで、最近の作品は読んでいない。


初期作品は、Wikiにあるように「猟奇的な物語」だが、次第に猟奇性を残しながらも「怪奇なファンタジー」へ移行していったように思う。題材を平安〜室町時代の乱世に求め、今昔物語などをベースにした作品も多く、一番好きなのはこの当たりのものだ。


その頃の作品の底に流れているのは、人間の「業」ともいうべきもので、その恐ろしさのみならず、滑稽さまでもが描かれているところがこの作者の才能ゆえだと私は思っている。ただ恐ろしいだけ、おどろおどろしているだけでは面白くない。


私が持っているのは単行本ばかりなのだが、1作品の冒頭に見開きを使って緻密な絵を展開していることが多く、その細かさがどこか又兵衛の細かさに似ていると思うのだ。その気になれば、非常に正確なデッサンも描ける人だと思うが、あえてそこには行かないあたりがいい。


又兵衛の本を読みながら、平行して少々かび臭い単行本を数冊一気に読んでみた。今読んでも十分おもしろい。怪奇モノがお好きな方にはおすすめしたい作家である。


*作品については、ここあたりがいいかな。

| - | 17:58 | comments(0) | - |
岩佐又兵衛
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先週の金曜日、いつも誘ってくれるT嬢にまたしてもお世話になり、「立川志の輔独演会」に行ってきた。


今回はあらかじめ計画していたのか、はたまた本当に成り行きでそうなってしまったのかはわからないが、前座のあと志の輔師匠が出てきて、まずはマクラでサッカーの話、天気の話から傘の話・・・そうしたらいきなり古典「大名房五郎」に突入してしまった。


私はまだまだ落語初心者だが、一般的な独演会ではまず軽めの新作をやり中入後に古典でじっくり聞かせて締める、というスタイルが多いのではないかと思う。が、なんでも傘や雨の話をするとどういうわけか「房五郎」をやりたくなってしまって・・・と師匠。順番は逆になってしまったのかもしれないが、相変わらずの名人芸でたっぷり楽しんで帰ってきた。


「大名房五郎」という噺は腕も気風もいい大工の棟梁が主人公の噺なのだが、重要な役割を果たすのが「岩佐又兵衛」の掛け軸である。噺の内容に興味のある方は調べていただくとして、この名前が出てきた時「おー!」と驚いてしまったのである。


何故かというと、少し前に読んだと日記にも書いた「奇想の系譜」「奇想の図譜」に岩佐又兵衛という謎の絵師が取り上げられており、著者である辻惟雄さんがなみなみならぬ愛着を持つ絵師とあって文章にも自ずと力が入っていた。で、もっと知りたくなって「岩佐又兵衛〜浮世絵をつくった男の謎」という本を手に入れ、調度読み終えたばかりだった。


岩佐又兵衛という名前は、北斎や国芳に比べ知られていないと思う。が、知ればしるほどおもしろい人で、様々な技法を鮮やかに操りながら、数奇な人生を生きた人である。


武士の子として生まれたが、信長の信頼厚かった父は主人を裏切り、怒った信長に母をはじめ一族すべてが処刑される。又兵衛のみがからくも生き延び、長じて秀吉が主宰した北野の茶会を見たという記録があるらしいが、詳しいことはわかっていないようだ。大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した後、又兵衛は北之庄(福井)に移り、松平忠直とその弟である忠昌のもと、次々と傑作をものにしていったらしい。その後60歳で京都を経由して江戸に赴き、一時滞在のつもりが帰れなくなり江戸で客死する。没年73歳。


現在も作者についてはいろいろな見解があるようだが、以下は岩佐又兵衛あるいはその作風を受け継ぐ又兵衛ファミリーについて、ととらえていただきたい。


作風は多彩で、屏風絵あり絵巻物あり、絢爛豪華な色絵あり水墨画風あり、でとらえどころがない・・・ようでいて、共通するのはやはり「奇想」である。


普通はどれも似たような顔に描かれがちな三十六歌仙の絵は、モデルの性格を知っているかのように個性的であるし、牛若丸が母の敵をうつ物語「山中常磐物語絵巻」では、バッサバッサと悪人どもが斬られ、首は身体から放れて転がったり、当たり一面血だらけだったりするのに、どこか痛快でじめっとしたところがない。


一方、女性の髪には特別な思いがあったのか、描き方が「普通」ではない。まるで髪そのものが生きてうごめいているかのような描き方をしている。又兵衛の手にかかると、柿本人麻呂も孔子も剽軽になってしまうし、光源氏や在原業平も妙にへんてこりんな男になってしまう。


あれこれ書いても実物を見るにかぎるので、興味ある方はとりあえずネットで検索して絵を見ることをおすすめする。私はというと、芸術新潮がなんと6年前に「血と笑いとエロスの絵師・岩佐又兵衛の逆襲」という特集を組んだものを見つけてじっとりと見ているところだ。また、熱海のMOA美術館は又兵衛(あるいはその一派)の作品を多数所蔵しているようなので、機会があればぜひ見てみたいと思っている。

| - | 23:45 | comments(0) | - |
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