生後半年ほどの猫が、先週ひっそりと死んだ。通称“まこ”あるいは“まこきち”。
駅に向かう途中の、焼鳥屋とマンションの間の路地を入ったところで、親子3匹仲良く暮らしていた。顔はあまり似ていないのだが、毛色がブログで大人気になった「不思議顔の猫」まこちゃんに似ていたので、私と家人はそのように呼んでいた。オスなので、私は“まこきち”と呼んでいたのだが、とにかく人懐こく愛嬌たっぷりのかわいい猫だった。
昼間会うことはあまりなかったが、暗くなってから路地に入ると、母猫、一緒に生まれたとおぼしきメス猫と一緒に出て来ることが多かった。メス2匹が用心深いのに対して、“まこきち”は野良なのにそれでいいのか?と思えるくらいフレンドリーで、近寄ってきたと思うと目の前でごろんと横になったりすり寄って来たり。
両耳、背中のぶち、尻尾以外は白く、目鼻立ちもはっきりしていてファンも多かったのではないかと思われる。若い女性が撫でていたこともあった。
数週間前まで、“まこきち”は元気だった。そろそろ親離れし、オス猫なのでメスを求めてどこかに流れていってしまうね、淋しくなるけど、などと家人と話していたものだ。そのかわさに、ほんの一瞬ではあるが家に迎え入れたいと思ったこともある。が、わが家は3匹で手いっぱいだし、末っ子(まめこ)はとても臆病で排他的なので難しい。何にもまして、“まこきち”
ファミリーが仲良く暮らしている様子を見れば、それが一番いいことのように思えた。
先週の水曜日、都内に用事があって出かけた時のこと。いつも“まこきち”がいる路地から少し離れた小さなお稲荷さんの日だまりにみなれた後ろ姿を発見した。しばらく姿を見ていなかったので、思わず「あ、まこきち!」と呼んだ。しかし次の瞬間、その喜びは露と消えた。
あまりに痩せ衰えている。感染性の病気に罹っているらしく、目には膿がこびりついてほとんど見えていないようだ。鼻から口にかけても膿と汚れでひどい状態。両前脚は血だらけ。見るも無残な状態だが、声をかけると振り絞るような鳴き声で応える。
「病院に連れて行こう」家人が即断。私が見張りをしている間に、家人が家に戻ってバイクにケージを積み、“まこきち”をかかりつけの獣医に連れて行った。
脱水症状を起こしていたので点滴をし、抗生物質を投与されて“まこきち”は帰ってきた。自分ではもう水も飲むことができない。他の猫に感染する恐れがあるので、階下の仕事部屋にケージのまま入れて様子を見ることにした。
ほとんど静かにしているのだが、時々苦しそうな寝息が聞こえる。か細い声を出すこともあったが、あまりに静かなので心配になり何度もケージの中をうかがった。もうほとんど声を出すこともできずにいただろうに、人好きな“まこきち”は人の気配を感じると声を振り絞り、こちらが声をかけると必死に応えた。
一日置いた金曜日の午前中、家人が再度獣医に連れて行った。状態は2日前よりもさらに悪くなっていることは、私にもわかっていた。連れてきた当初は香箱をつくる体勢を保っていたのだが、翌日からはぐったりと横になっていたし、発見した時はよろよろしながらも歩けていたのだが、もはや歩く力などどこにも残っていないように見えたからだ。案の定獣医はもう危ないと言ったとのこと。覚悟しなければいけないな、と思っていた時だった。
金曜日は午後から都内で打ち合わせがあり、行く前の準備をしていると、“まこきち”が2回ほど今までにないくらい大きな声で鳴いた。声はかすれ、息づかいが荒かった。いたたまれずに様子を見たが、横になり目は閉じたまま。腹の辺りを見ると、弱々しくはあるが呼吸はしていた。今夜辺りが峠だろうね・・・家人はそう言った。
出かける時間が迫り、“まこきち”に声をかけようとケージの中を見ると、静かに寝ていた・・・ように見えたがどこか違う。目を凝らして腹の辺りを見ると動いていない。ケージをあけて、顔や体に触れても何の反応もなかった。ああ、“まこきち”は旅立ってしまったのだ、少し前の鳴き声・・・あれは“まこきち”が最後に残した言葉だったのだ。
家人を呼び確認してもらい、私は後ろ髪を引かれながらも外出し、夜遅く帰宅した。暗くなってから、家人は“まこきち”が最後にいたお稲荷さんに最も近い公園の片隅にその骸を埋めたと聞いた。
その公園はもともと古墳であったらしく、だいぶ前から公園をねぐらにしている猫が数匹いる。猫たちの世話をしているKさんは、20年以上世話をしている間に何度も公園の薮の中に猫たちを埋葬してきたと聞いている。公園に猫の骸を埋めるのがいいことだとは思わないが、“まこきち”にはそこしかないし、そこが一番ふさわしい。
馴染みの猫たちがある日突然姿を消す、という経験は何度かしている。長年住み慣れた場所から突然姿を消すということは、たぶん寿命を迎えたということだろう。が、実際に骸を見たわけではないので、どこか気持ちの中に引きずるような思いがわだかまる。
“まこきち”を見取ったことは単なる偶然だろうし、その偶然に意味付けはしたくない。が、たとえそれが私たちでなくても、人間がとても好きだった“まこきち”にとって、人に見取られたことは幸いであったようにも思われる。2月に入って厳しくなった寒さにも耐え、過しやすい季節を楽しむはずだった“まこきち”は、春の気配が漂いはじめた公園の森の中で土に還ろうとしている。
一雨ごとに春がどんどん近づき、今どきの雨はどこか優しい。一雨ごとに“まこきち”は健気に朽ちていき、静かに土に還ろうとしている。