ユーロスペースのレイトショーを見逃してしまった「トーチカ」が、横浜で上映されるというので先週の土曜日に行ってきた。
映像関係についてはとんと疎いが、この映画は「2008年 日本 カラー DV-CAM ステレオ 4:3 93分」となっているから、一般的な映画用フィルムで撮られた作品ではないと思う。公式サイトやパンフレットにもあるように、またもしかしたら自主作品では常識なのかもしれないが、「少数のスタッフとともに最低限の機材で撮られた」作品ということだ。
登場人物は、トーチカの前で出会った男と女の二人だけといっていい。わかりやすいストーリーもなく、音楽も流れない。
会話以外で聞こえるのは、現地で拾ったという風の音、海の音、鳥の声・・・だけである。しかし、この作品は理解しようとか分析しようとかいう作品ではなく、見た者一人一人の心の暗黒の中に不可思議な残影を残す作品なのではないか、それくらいのことしか言えない作品であった。
トーチカとは、何か。以下、公式サイト(及びパンフレット)から引用する。
ロシア語で「点」を意味する。コンクリートで堅固に構築された狭い空間の内部に銃火器を備え、接近してくる敵を開口部から狙い撃つ防御陣地。第二次大戦時にはヨーロッパやアジアの各地に多くのトーチカが建造された。根室半島のトーチカ群は連合軍の上陸を想定して築かれたが、実戦に使用されることなくその役目を終えた。
遠くから見ると、四角いコンクリートの塊のように見える。壁面は建築当初から滑らかとは言いがたかっただろうが、長年海風にさらされて、ひたすら荒々しくゴツゴツしている。内部はかなり狭そうだ。その狭い空間・・・そこにある闇の深さ。
闇の中にぽっかりと空いた長方形の穴・・・窓ではなく穴・・・そこから銃を敵に向けるべく明けられた「銃眼」と呼ばれる穴。穴から見える荒涼とした風景。
私にとってこの映画は、いつか拾った小さな黒曜石のかけらのようだ。鋭い稜がたくさんある、漆黒に輝く石のようだ。
映画冒頭、女がトーチカに向かうために砂利や枯れ草を踏み分けて歩いていくシーンがある。そのシーンを見た時、まるでそれは私であるかのような錯覚を覚えた。足の裏に感じる砂利や枯れ草の感覚、頬に感じる風、波の音・・・彼女を包み込んでいるすべてが、非常に現実的に、自分が彼女であるかのように感じた。
映画のみならず、作られた映像を見てこのような感覚を覚えたことは、いまだかつてない。それは衝撃ですらあった。そして、たぶんその理由は私の中にある。
北海道だけでなく、トーチカは全国各地にかろうじて残っているようだ。廃虚好きとしてはいろいろなトーチカを見てみたいと思うが、北の、海辺の、枯れ草の中にぽつんと残るトーチカを見てみたい。北海道を再び訪れるであろう理由が、またひとつ増えた。