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日々の内側
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トーチカ
09-1130

ユーロスペースのレイトショーを見逃してしまった「トーチカ」が、横浜で上映されるというので先週の土曜日に行ってきた。


映像関係についてはとんと疎いが、この映画は「2008年 日本 カラー DV-CAM ステレオ 4:3 93分」となっているから、一般的な映画用フィルムで撮られた作品ではないと思う。公式サイトやパンフレットにもあるように、またもしかしたら自主作品では常識なのかもしれないが、「少数のスタッフとともに最低限の機材で撮られた」作品ということだ。


登場人物は、トーチカの前で出会った男と女の二人だけといっていい。わかりやすいストーリーもなく、音楽も流れない。


会話以外で聞こえるのは、現地で拾ったという風の音、海の音、鳥の声・・・だけである。しかし、この作品は理解しようとか分析しようとかいう作品ではなく、見た者一人一人の心の暗黒の中に不可思議な残影を残す作品なのではないか、それくらいのことしか言えない作品であった。


トーチカとは、何か。以下、公式サイト(及びパンフレット)から引用する。


ロシア語で「点」を意味する。コンクリートで堅固に構築された狭い空間の内部に銃火器を備え、接近してくる敵を開口部から狙い撃つ防御陣地。第二次大戦時にはヨーロッパやアジアの各地に多くのトーチカが建造された。根室半島のトーチカ群は連合軍の上陸を想定して築かれたが、実戦に使用されることなくその役目を終えた。


遠くから見ると、四角いコンクリートの塊のように見える。壁面は建築当初から滑らかとは言いがたかっただろうが、長年海風にさらされて、ひたすら荒々しくゴツゴツしている。内部はかなり狭そうだ。その狭い空間・・・そこにある闇の深さ。


闇の中にぽっかりと空いた長方形の穴・・・窓ではなく穴・・・そこから銃を敵に向けるべく明けられた「銃眼」と呼ばれる穴。穴から見える荒涼とした風景。


私にとってこの映画は、いつか拾った小さな黒曜石のかけらのようだ。鋭い稜がたくさんある、漆黒に輝く石のようだ。


映画冒頭、女がトーチカに向かうために砂利や枯れ草を踏み分けて歩いていくシーンがある。そのシーンを見た時、まるでそれは私であるかのような錯覚を覚えた。足の裏に感じる砂利や枯れ草の感覚、頬に感じる風、波の音・・・彼女を包み込んでいるすべてが、非常に現実的に、自分が彼女であるかのように感じた。


映画のみならず、作られた映像を見てこのような感覚を覚えたことは、いまだかつてない。それは衝撃ですらあった。そして、たぶんその理由は私の中にある。


北海道だけでなく、トーチカは全国各地にかろうじて残っているようだ。廃虚好きとしてはいろいろなトーチカを見てみたいと思うが、北の、海辺の、枯れ草の中にぽつんと残るトーチカを見てみたい。北海道を再び訪れるであろう理由が、またひとつ増えた。

| - | 18:50 | comments(0) | - |
志の輔を体験する
09-1129

PHOTO WEEKを挟んでしまったので少し日が経ってしまったが、21日に念願の落語を初体験してきた。


志の輔フリークの友人Tが、今最もチケットがとりにくいと言われている志の輔の、しかも前から2列目という非常にいい席を取ってくれたのだ。


加えて当日は「志の輔らくご21世紀は21日」という2000年から毎月開催されてきた公演の最終日。客席はもちろん、志の輔本人も特別の思いがあったのではないかと思われる。いい日に当たった(!)。


はじめから終わりまで面白かったが、やはり古典の「帯久」は圧巻であった。この演目は2000年に始めた「志の輔らくご2000年は20日」初日にやったものだとか。それを最後にもう一度やるというのは、なんとも粋であり、ファンとしても感慨深かったのではないだろうか。


落語に興味を持ち始めたのはごく最近で、CDを借りてきて名人と言われている人の噺をいくつか聞いた。簡単な入門書のようなものも読んだが、やはり落語は(落語だけではないが)実際に見るに限るとつくづく思った次第。で、今日のタイトルは「見る」でも「聞く」でもなく「体験する」になったというわけだ。


聞いているだけでも十分面白いのだが、絶妙な間合い、こなれた仕草、なによりも客席との間に醸し出される雰囲気を感じることこそ落語の醍醐味であると僭越ながら思う。


僭越ついでに言ってしまうと、落語にもやはり相性というものがあって、名人と言われる人でも好きになれない人はもちろんいるから、自分が興味を引かれた落語家なり噺なりを選んで聞く(見る)という楽しみ方でいいのではないかと最近思っている。


今年は落語をできるだけ聞こう、見ようと思いつつ、他のもろもろを優先してなかなか体験することができなかった。来年こそ、できるだけ足を運びたいと思っている。あー面白かった!


*と、おおまかな日記の原稿を書いて外出したら・・・

*出先のケータイに友人Tからの急ぎメールが。

*「来年1月の志の輔らくごinPARCOM先行予約当選したけど行きます?」だって!

*もちろん行きますとも。行きますともさ!こいつぁ、春から・・・

*嬉しいなぁ。持つべきは抜け目ない(うそうそ。手際よい、です)友だなぁ。

*今から楽しみ。うふふ。

| - | 18:02 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK 7・・・伝えあう
09-1128

ことさら探し回るわけではないが、歩きながら猫の姿を求めていることが多い私の散歩。

出会った途端、そそくさと逃げていく猫もいるが、こちらが気付く前からじっと私の方を見つめている猫もいる。

「こんにちは!」「寒いね」「こんなとこでどうしたの?」などと私はそっと声をかける。

言葉と言葉で伝えあうことができない同士だが、時として、視線と視線の交わりで何かを伝えあうことができるのではないだろうか・・・そんなことがあってもいいのではないか・・・

じっとこちらを見つめて目を離さない猫を見ていると、そんなことがあるような気がする。あってほしいと思う。
| - | 08:22 | comments(4) | - |
PHOTO WEEK 6・・・癒される
09-1127

何かが寄り添っている姿を見ると、心が癒されるような気がする。たとえ命のない、ただの道具たちであっても。

*昨日から体調悪で寝込み、回復中。コメントへのお返事は明日にでも。
| - | 19:11 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK 5・・・呼ばれる
09-1126

カメラを持って歩いていると、いろいろなものに呼びかけられる。

もちろん、聞こえるような声で呼ばれるのではないが、声にならない声を感じて私は立ち止まり、振り向き、声の主を発見する。

その声は実に様々だ。「あの・・・その・・・」「ねえねえ、ちょっと!」「おい!そこのやつ!」「ほほーい!」

どんな声でも、その声を感じることができ、応えられることができる喜びは大きく、だから散歩はやめられない。
| - | 19:04 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK 4・・・見上げる
09-1125

写真をネット上で公開しはじめたころ、「空を見上げる写真が多いですね」と言われた記憶がある。地に生きる者の希望を感じさせるようで好ましい、というようなコメントだったと思うが、10年近く前なのでもしかしたら少し違うかもしれない。

見る側に希望を感じる写真もまたいいものだと思うが、撮る側の意図や気分とは大きく隔たりがあることもまた、多いにありうる。

気持ちいい日だ、きれいな空だ、自分はシアワセだと思って撮る場合もあるだろうが、地上のどこを見ても鬱屈するばかりの心をしばし開放させるために、空を見上げることもある。

陽子さんがいなくなって空ばかり撮っていた荒木氏のように、逝ってしまった大切な人が恋しくて、空を見上げることもある。
| - | 08:15 | comments(3) | - |
PHOTO WEEK 3・・・見つめる
09-1124

子どもが一心に何かを見つめている姿を見ると、大人には見えない何かを見ているのかもしれない、と思う。

ある程度の年齢までの子どもは、表情も動きもおもしろくて被写体にしたくなるが、見つめる姿には特に魅かれる。声をかけるでもなく、近寄るでもなく、ただその横顔を撮りたいと思ってしまう。

子どもの写真を撮りにくい時代になってきたのが残念。
| - | 19:41 | comments(3) | - |
PHOTO WEEK 2・・・発見する
09-1123

シャボン玉は、その名の通り玉であり、きれいな球形のものだと思っていた。

しかし、様々な道具を使って生み出されるシャボン玉は、無限の形を得て、風に乗り、一瞬一瞬姿を変えたのち、はかなく消える。

その一瞬を人間の目はとらえることができない。カメラという機械がとらえた一瞬を後から見て、知らなかったものを発見したような驚きを覚える。

空を背景に、まるでシュールレアリスムの絵のようにみえるこれを、何の前情報もなく「シャボン玉」であると言い当てることができる人は何人いるだろう。
| - | 15:12 | comments(3) | - |
PHOTO WEEK 1・・・立ちすくむ
09-1122

出会った瞬間、ただ立ちすくむことしかできない風景というものがある。

雄大な自然。美しい夕焼け。悲惨極まりない光景・・・美にしろ醜にしろ、ある限界点以上の風景であることが多いのは否定しない。

しかし、私はこの風景に立ちすくんだ。田舎の単線が冬の日差しの中、延々と延びているだけの、こんな風景に。
| - | 11:44 | comments(2) | - |
ダブルパンチ
09-1121
・・・“不審者発見!” “あれ、ネコストーカーよ、やーね!”

隣の犬の鳴き声は、若干ではあるが改善されたような気がする。上階の騒音も、しばらく前からパタリと止んだ。ある晩あまりにひどいので、家人が貼り紙をしたのだ。


午後10時、11時くらいだったらなんとか我慢もする。が、深夜2時あたりにドッタンバッタンされたのではたまらない。家人はひどかった日の記録をとっていたらしく、貼り紙にそれを列記し迷惑している旨書いたとのこと。さすが家人、やることが陰湿・・・ではなくて周到。


そんなこんなで静かな日々が戻ったかと思いきや、今度は工事の騒音来襲。リビングなどではあまり聞こえないのだが、北側の仕事部屋にいるとうるさくてうるさくて。すぐ近くにあったM下電器の寮(4階建て)の撤去工事が先月からずっと続いていて、建物がきれいさっぱりなくなった後も基礎を掘り起こしているのだ。


加えて、寮の手前にある公園の工事も始まり、これは来年1月29日まで続く予定だという。地面をほじくっているが、本当に必要な工事なのか疑問である。年末が近づくとあちこちで工事をしていて不愉快だが、身近でやられるとなおさらだ。


昼間は寮の解体工事と公園の工事のダブルパンチが仕事をしている私を襲う。窓を閉めていてもガンガン聞こえる。静かな日々よ・・・早く来れ!


今日は夕方から落語を見に行く。友人Tが取りにくいといわれている志の輔のチケットをとってくれたのだ。しかも、とてもいい席らしい。楽しみ、楽しみ。


明日から1週間は、今月のPHOTO WEEKにします。

| - | 10:38 | comments(4) | - |
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