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日々の内側
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Memories
09-1031

Photo Weekとして主に写真を掲載していた先週初め、加藤和彦氏の訃報が入った。その日の朝、メールチェックをしたり知人のサイトをのぞいたりしながら、氏の作品集である「Memories」を聴いていたので、その偶然性に驚いた・・・とその日の日記には書いたと思う。


当時このアルバムは自分では持っておらず、いつだったかTSUTAYAで借りてきたものをiTuneに入れておいたもの。個人的にはパリ3部作と呼ばれているアルバムが好きだが、他の曲も聴いてみようかと思い借りてきたと記憶している。


アルバム冒頭の「メモリーズ」(作詞:安井かずみ/作曲・編曲:加藤和彦)がとても好きになり、一時は毎日のように聴いていた。ここしばらく聴いていなかったので、と聴き始めたら訃報が届いた。「メモリーズ」を聴いていたちょうどその時、とことがこれほど強く心に残るのは、その曲があたかも孤独のうちに亡くなった氏の最期を予期していたような内容だからだ。


水平線に 燃えながら沈む 太陽が

今日を過去にする

Good-bye,now and I stay here

Stay here all alone


風もなぎ 思い出を染めて 移りゆく

残照に映える

Memories, all my memories

Memories of you


自ら死を選んだその気持ちは、誰にも分からないだろう。理由は推測できたとしても。ただ、私には、最愛の妻であった人と作ったこの静かな曲がいかにも氏の最期に似つかわしいと思われる。


*訃報を聞いてのち、アルバムは手に入れた。

*amazonでは在庫なしだったので、別口で。

*モノクロの静かな横顔が印象的なジャケットだ。

| - | 08:59 | comments(3) | - |
科学の進歩
09-1030

最近、生命保険の見直しをした。結婚当初に入った保険なので、すでに20年以上の年月が経過している。入った時は、まだ若かったこともあり、自分に万が一のことがあった場合のことがまず優先された。残された配偶者、もしかしたら残されるであろう幼い子どもに、できるだけ負担をかけないように、という思いが優先された、ということだろう。


しかし、中年という年齢に達し、人生の折り返し地点を過ぎてみれば考え方も変わってくる。自分が死んだ後に残すものは最低限でいいと思えてくる。葬式も墓もいらないと思っているので、まあ、様々な手続きや身の回りに集めたものの処分代に少しオマケがつくくらいを残せばいいのではないか、そんな風に思うようになった。


問題は、死ぬまで、である。理想はPPK(ピンピンコロリ)であるが、現実は理想どおりにいくとは限らない。突然入院し、それが長引き、手術を何度もやり・・・ということだって十分あり得る。先が見えている病気なら、延命処理をせず、できるだけ苦痛を感じないような治療を受けながら来るべき時を待ちたいと思うが、それにはそれで少なからず金がかかる。そのための保障を考えなければ、と思ったのが見直しにつながった。


保険会社の担当者と話をしていると、やはり医学の進歩により生きる可能性が昔より格段に広がっていることを実感した。昔だったら死ぬはずの病気を患っても、今なら生き抜けるかもしれない。医学の進歩は日進月歩というが、まさにその通りだ、と思う。


そういうことを考えている時、私たちは(少なくとも私は)「医学の進歩」の詳細については考えていない。考えようともしていない。


今朝新聞をパラパラとめくっていたら、「医学研究用動物 豚に注目」という記事が目に留まった。医学研究用の動物といえばラットやマウスがよく知られているが、遺伝子を改変したり、より小型化したりして生まれた豚が注目されているようなのだ。記事に添えられた写真は、「成長しても中型犬並の大きさのマイクロミニピッグ」。ケージに入れられた、

グレーのかわいらしい豚の写真である。


豚のクローン開発は2000年にはじまったようだが、今や実験用のマイクロミニピッグを安定生産される時代になった、というわけだ。


記事は主に、糖尿病や肝硬変の治療について書かれているが、糖尿病については「若年性の糖尿病の原因遺伝子を組み込み、糖尿病を発症するクローン豚を作った。この豚をインスリンで治療して繁殖能力を備えるまで育てて精液を採取、人口受精で安定的に糖尿病モデルの豚を生産する計画」だそうで、その豚を使って糖尿病治療の様々な可能性が試されるのだろう。


肝硬変については、「肝細胞を小腸の移植し、そこに肝臓に流れ込む血液をバイパスさせて肝機能を代行させる治療」を豚で行うことにより、手術の安全性や複雑な手術の手技の訓練にもなる、と書かれている。


こういう話はなにも今にはじまったわけではなく、むしろ今や常識になっているのではないかと思う。が、こういうニュースに触れるたびに、気が重くなる。人間は、人間以外の(もしかしたら人間も含まれるかも?)動物の命を利用して、苦痛をやわらげ命を永らえようとしているんだな、と改めて思うからなのだろうか。


動物に対してだけではないだろう。少し前、サントリーが漸く「青いばら」を商品化するというニュースが入ったが、植物の世界においても命を玩ぶような行為を「研究」と称し、様々な品種改良が日常茶飯事行われている。揚げ句の果てに出来上がったものが、とても「青い」とは思えないシロモノだったことにどこか痛快さを感じるのは、私がひねくれているからか。


人間の口に入るために「生まれさせられた」動物。人間の病を治すために遺伝子までいじられる動物。人間の暮らしを華やかにするために作られた植物・・・科学の進歩とは果たしていいことなのだろうか。人間にとっていいことなら、すべて是なのか。そん問いともいえぬ呟きがまたしても頭の中に浮かぶ。

| - | 19:02 | comments(0) | - |
逃避か欺瞞か防衛か
09-1029

江戸時代の農民や身分制度の最下層にいる穢多(エタ)・非人についての本を読む日々が数ヶ月続いている。先日は、ひどく遅まきながら「破戒」(島崎藤村)を読んだ。


穢多と非人は明らかに違うのだが、その違いを解説することが今日の主旨ではないので割愛する。共通するのは、彼らが一般的な人間以下とみなされていたことである。その仕事には他の人々が厭い、避けたいこと・・・つまり「穢れ」としてとらえられていること・・・その多くが「死」に関することが多かった。


死んだ牛や馬の処理(皮を剥ぐなど)、罪人の処刑などがその代表といえるだろう。人々は、彼らの仕事をいやしいと思い、嫌悪感を持ち、差別した。しかし、彼らがそのような仕事をしたからこそ、自分たちの手は汚さずに済んでいるのである。


自分たちの手を汚さないために、精神的な安定を乱さないために、人々は「負」の部分を担う人々を必要としている。現代においてもそれは基本的に同じだと思う。


子どものころ、わが家のトイレはまだ水洗式ではなかった。定期的に糞尿を汲み取るバキュームカーがやってきて、乗員が太いホースを車体からはずして各住戸の汲み取り口に入れ、タンクに吸引する。現在は悪臭が漂わないよう改良されているようだが、当時はバキュームカーが来ただけで、ひどい悪臭がしたものだ。


外で遊んでいた子どもたちは、バキュームカーが見えると逃げるように散っていく。「汲み取り屋」などと呼んでいたと思うが、逃げる子どもたちの心の中にはそれを厭う気持ち、軽蔑する気持ちがかすかにではあったかもしれないが存在していたと思う。


汲み取り屋が汲み取ってくれなかったら、困るのは自分たちである。それなのに、その仕事を軽蔑するのはおかしい。子ども心に、その矛盾はわかっていた。わかっていたが、やはり他の多くの仕事と同じように見ることができなかった。


人は、誰かを、何かを自分より下だと思わなければ心の安定を保てないのであろうか。潜在的にではあるとしても、差別は子どもの心にもあって当然なのだろうか。


このようなことを書こうと思ったのは、今がはじめてではない。が、頭の中が整理できずそのままになっていた。ついに書いたわけは、昨日見た映画でまたこの問題を考えざるを得なくなったからである。


映画は、まず捨てられた(時には持ち込まれる)犬猫を一定期間留置し、期限がくれば殺処分する施設の取材からはじまる。全国各地に名称こそ異なれ、同じ業務内容の施設がたくさんあるが、撮影を伴う取材は難しいようだ。


やっと協力してくれたという某施設で撮影されたシーンは、たぶん長い間記憶に残るだろうものだった。期限を迎えた犬たちは、それぞれの部屋から「鎮静器」という名前の堅固なコンテナに入れられる。ガッシャーン!と扉が閉められると、「鎮静器」の下についている車輪が動き出す。車輪の下にはレールが敷かれており、「鎮静器」はゆっくりレールの上を運ばれていく。


レールの最終地点は、トラックにつけられたコンテナの中だ。コンテナの扉が閉められ、トラックはゆっくり走り出す。


中では、炭酸ガスによる殺処分が行われている。車が向かう先は、死んだ犬たちを焼却する場所だ。犬たちは、目的地に到着するまでにすべて息をひきとっている。街中を走る車の中で、犬たちは殺されていくのである。


なぜこのようなシステムが必要だったか。取材先の担当者の言葉からうかがい知れるのは、殺処分施設に対する周辺住民の強固な抵抗である。収容するが、殺処分はしない・・・そんな条件でのみ、この施設の建設は実現されたのではないかと思われる。


「鎮静器」に入れられた犬たちの悲しい目も忘れ難い。悲鳴に似た細い声も。しかし、そのようにしなければならない施設側の痛みや憤りを察すると、またしても人間の身勝手さに行き着いてしまう。


穢いものは見たくない。つらい話は聞きたくない。汚らわしいものには触れたくない。それは、自分自身をかろうじて安定させるための逃避か、欺瞞か、防衛か。それとも別の何かか。私の中にももちろんあるその暗がりを、時にはじっと見つめる必要がありそうだ。


猫ブログ、更新

| - | 18:24 | comments(4) | - |
犬と猫と人間と
09-1028

懸案であった映画「犬と猫と人間と」を昨日観に行ってきた。上映館であるユーロスペースは、以前と場所が変って今は道玄坂と東急本店通りの間にある。そう、いわゆるホテル街(モーテル街?)だ。どこぞの誰かが薬物所持で捕まった場所にも近いが、そういう場所に映画館ができる時代になったということか。


映画は予想通り、見るにはちょっと勇気がいる場面もあったが、やはり観て良かったと思える映画であり、自分にとって観るべき映画であった。誰しもできることなら見たくないものはある。見なくて済むなら、見ないで済ませるという道もある。しかし、もし見ないことが自分にとって現実逃避であるなら、できるだけ見る方を選ぶようにしている。


映画の内容については、以前もオフィシャル・サイトのリンクを貼ったので今日は書かない。ただ、印象的だった一部の内容について少し書きたいと思う。


冒頭は、映画づくりのきっかけとなった稲葉恵子さんとの出会いについてのナレーション(ナレーションは監督である飯田基晴さん自身)があり、飯田さんとの会話シーンが続く。


飯田さんはホームレスに取材した映画「あしがらさん」(2002年)を制作、2004年下高井戸の映画館で特集上映が行われ、舞台挨拶に訪れた。その時、劇場のロビーで見知らぬおばあさんに声をかけられた。それが稲葉さんだ。


稲葉さんは、いきなり映画を作ってほしいと飯田さんに言う。「動物たちの命のたいせつさを伝える映画を作ってほしいの。お金は出します」と。


犬や猫に対して特別な思いをそれまで持っていなかった飯田さんは、その突拍子もないともいえる話に戸惑うが、稲葉さんの話を聞き続ける。昔から猫が好きで、自宅でも飼っていたし野良猫の面倒もしてきた。が、自分ももう高齢で先も長くない。もう少しすると生命保険が満期になるので、その金を使って映画を作って欲しい・・・


一通り話を聞いた後、飯田さんは尋ねる。「僕でいいんですか?本当に僕で?」


稲葉さんは、いいのだと答える。やみくもに頼んでいるわけではない、と。「あたし、人を見る目はけっこう確かなのよ」と。そして、条件は自分が生きているうちに映画を完成させること、それだけだと言う。


稲葉さんには、「あしがらさん」と呼ばれていたホームレスと野良猫たちが重なって見えたのかもしれない。そして、「あしがらさん」に終始あたたかい目を向けて映画を作った飯田さんしか、自分の思いを託す人はいないと思ったのかもしれない。そうに違いない。


私財を投げ打つ、という表現がよく美談めいた話に出て来るが、稲葉さんの提案は、そんな言葉を使うことが恥ずかしくなるようなものだと私には感じられた。野良猫の面倒を何年見続けてきたのかは知らないが、その間どれほど悲しい思い、辛い思い、腹立たしい思い、悔しい思いをしてきたことだろう。それを自分の中だけに終わらせず、映画という形にして未来に託したその行為は手放しで称賛したい。


結局、じっくり作りたいという監督の意向もあって映画は2007年2月にやっと完成した。稲葉さんは間に合わなかった。映画のラスト、監督が稲葉さんが眠る寺を訪れる。そこは樹木葬をする寺で、木々が植えられた森のような墓地の中、飯田監督は長い間手を合わせていた。


稲葉さんと飯田さんが出会わなければ、この映画はできなかっただろう。飯田さんが「あしがらさん」を撮らなければ、二人は出会わなかっただろう。稲葉さんが、自分の財産をすべて出してまで動物たちの未来を明るくしようという強い気持ちを持たなければ、やはり二人は出会わなかっただろう。そして、飯田さんが稲葉さんの気持ちをまっすぐ受け止め、誠実な姿勢で映画を作らなければ、私たちはこの映画を観るもともなく、これほど感動し考えさせられることもなかっただろう。


二人の出会いと誠実な生き方に感謝したい。


*映画はまだしばらくは渋谷で上映していると思う。

*各地でも上映予定があるので、できるだけ多くの人に見てもらいたい。

*辛いシーンばかりではなく、希望を持てるシーンも数々あるし。

*「あしがらさん」も見たいなぁ・・・


| - | 17:57 | comments(0) | - |
街角の供養
09-1027

事故現場に花を供える、という光景はさほど珍しくない。たとえば秋葉原の事件のようにテレビのニュースになるほどの衝撃的な事件だけでなく、街道沿いの道や街中を歩いていると、交通事故現場らしきところに花が供えてあるのを見かけることがある。


花が供えられているのだから、たぶん誰かがそこで死んだのである。が、単純な交通事故はニュースとして取り上げられるとは限らず、そこに遭遇してはじめて、ああ、ここで事故があり誰かが死んだんだな、と思う。


花を供えるのは、家族や友人かもしれないし、事故の加害者かもしれない。一時は騒然となったかもしれない街は、道は、いつもと変わりなく、人や車が行き交う。関係者には忘れ難い事故も、他人の記憶の中で長々と生き続けることはないだろう。供えられた花は、いつしか萎れ、土ぼこりを被り、知らない間に片づけられる。


私が知っている限りでは、街角の事故現場に花を供えるという行為は、長くても1ヶ月くらいの継続だろうか。残された者たちにとって、事故現場は忘れたい場所なのかもしれないし、それぞれの日常に戻らなければならないという現実がある。いつまでも、花を供え続ける

ということは、一般的には見られない行為だと思っていた。


私がその花を見たのはいつのことだっただろうか。駅近くの駐輪場に向かうために横断する道の角に供えられられていた花を。歩道というにはあまりに狭い道の角の電柱に括り付けられた竹筒の中に入れられた花を。


今やそれがどのような花だったのか思い出すことができない。忘れっぽいということもあるが、今に至るまで何度も花が入れ替えられたので、ということもある。最初に見たのが3月か4月。すでに7ヶ月以上が経過している。


その場所に花が供えられているのを見たのは初めてではない。信号はあるのだが、横断側の青信号の時間が短く、車の流れを見ながら信号を無視して横断する人が多いこともあるのだろう。車は車で、少し先にある大きな交差点に少しでも近づこうと黄色信号でも止まらないこともある。が、駅前で渋滞しがちな道なので、スピードは出していないはずなのだ。それなのに死亡事故が起こるというのは、一体どんな状況だったのだろう・・・


それはともかく、今まで供えられていた花は一ヶ月以内になくなった、と思う。しかし今度は7ヶ月以上なのだ。春に見た時は、夏までは続くまいと思った。しかし、夏の間もずっとそれは続いた。暑さで花はすぐに枯れてしまう。枯れた花が痛々しく、早く片づけた方がいい

よなぁと思ったりしながら、一体何があり誰が花を供えているのだろうと興味本位で想像したりしていた。


夏が過ぎ、台風がいくつか通り過ぎ、それでも花は見る度に違うものになっている。複数の人間が供えているのかもしれないが、それにしても7ヶ月以上とは長いように思う。私には、供えている人の悲しみに深さを思うことしかできないが、ここまでくると早く花がなくなればいいとさえ思えてくるのだ。


花を供えるのを終わりにして、痛手を記憶の片隅に片づけるのもまた供養になるのではないか、などと。たぶん他人事だからそう思えるのだろうけれど。


*写真は二週間前のもの。

*花に差し込まれているのは選挙のリーフレット?

*関係ない誰かのいたずらともいえぬ行為だと思われる。

*今日たまたま通ったら、また違う花が活けられていた。

*気にしているのは私くらいなものかな?(^.^;)

| - | 19:12 | comments(0) | - |
古渡り更紗
09-1026

先週、横浜のシルク博物館で開催されている「鈴木一コレクション 古渡り更紗と名物裂展」を見に行ってきた。


オランダとの通商条約が結ばれて今年で400年。それを記念しての展覧会で、17世紀以降オランダ船が交易品として持ち込んだ珍しい布が数多あった中、日本人が特に好んだのが更紗、豪華な金襴、緞子などが展示されていた。


更紗が茶道の世界で珍重され、茶碗入れなどの小さな袋物に使われていたのは知っていたが、実際にこれほど古い更紗を見たのははじめてで、その細かい手仕事の見事さには目を見張った。


色は決して派手ではないが、これも色彩が氾濫する現代の目から見たら、ということになるのかもしれない。当時としては、鮮やかさと異国情緒溢れる色柄で人々を魅了したのだろう。


展示されていた古い更紗は、「胡麻手」「笹蔓手」「唐花手」など柄や染め方によって「○○手」という名が付けられていて、それが素人にもわかりやすくていいなと思ったが、それぞれの説明をゆっくり読む時間がなかったのが残念。展覧会用の図録があるだろうと

思い、閉館1時間前に行ったのが失敗だった。


出品目録を見ると、原産国はインド、ジャワ(インドネシア)、中国がメインで時代は16〜18世紀。ほんの数センチの小さいものを丁寧に貼って保存してあるところを見ると、いかに大切にされてきたかが偲ばれる。また、両面更紗(裏表どちらもはっきりした柄)などを生み出す技術と労力にはひたすら感心するのみ。素材としての魅力も満点で、むろん不可能だが「それ10センチ角欲しい!」と思わせる裂がたくさんあった。


コレクションの持ち主である鈴木一氏は、京都の「鈴木時代裂研究所」の所長。父であった繁太郎氏のコレクションを引き継ぐとともに、25歳の時からこつこつと収集、研究を56年間続けてきた方のようだ。展覧会会場には最近発行したらしい「名物裂事典」(CD-ROM付)

が置かれていて欲しい!と思ったが、47,250円と大変高価。いつか図書館で探してみようと思う。


*展覧会は11月8日まで。こういったものが好きな方にはかなりオススメ。

*シルク博物館では、生きたカイコの展示もあるぞよー

*シルクセンターは開港100周年を記念し、1959年に建てられた。

*正式名称は「シルクセンター国際貿易観光会館(略称はKKKだって!)」

*低層階と高層階がはっきり分かれているユニークな設計。

*高層階は当初ホテルだったが、消防法改正に伴い営業を終了させた。

*横浜には、こういった地味ながら面白い施設がけっこうある。

猫ブログ、更新。

| - | 16:33 | comments(0) | - |
ゴツい靴
09-1025

先日ふと思い立って下駄箱の奥をゴソゴソ探していたら、昔々買って一度も靴を探り当てた。どれくらい昔かというと、息子を生む数年前だと記憶しているので、かれこれ20年以上前。もう捨ててしまったのではないか、という危懼はあったが、一度も履いていないということだけは覚えていたので、念のため探してみたというわけだ。


買ったのは当時出向していた街、吉祥寺の小さな靴屋である。


間口がとても狭く奥行きのある、いわゆるウナギの寝床型の店で、流行を意識した靴を売っていた様子はなかった。ショーウインドーらしきものもなかったが、その店の前を通るたびに、入り口近くの棚に並んでいた登山靴が気になっていたのだ。茶色い革製の、昔ながらの登山靴。


20年以上前になるので当然ほとんど覚えていないのだが、たしかその店のオリジナルだったのではなかったかと思う。他の靴とは明らかに値段が違っていたし、店主の説明に愛着を感じたことだけうっすらと覚えている。


何度か店の前を通り過ぎ結局購入したわけだが、登山をするために買ったわけではない。なにせ、登山らしい登山は、それから10年以上経てから経験しているし、当時登山にはさほど興味もなかった。ただ、昔からヘビーデューティなものが好きで、機能一辺倒に作られたものに魅かれる傾向はあり、靴の好みも今に至るまでゴツいものが好き。


たぶん、コーディネートを工夫して街歩き用に使おうと思って買ったのだと思う。が、いざ買って持ち帰り、家で履いたりしてみたら、その重さにおじけてしまったらしい。今持ってもズシリと重く、これを履いて歩いたら疲れるだろうなぁと思う。


靴は、長い間箱にいれて下駄箱の一番奥に入れられていたというのに、カビ一つ生えていなかった。乾燥剤なども入れていなかったのだが。俄然、履いてあげないと靴に申し訳ないような気がして、さっそく試着。サイズは厚めの靴下を履くことを想定してあらかじめ若干大きめを選んだとみえる。山用のソックスを履けば調度よさそうだ。


試しに、昨日隣町まで出かける時に履いてみた。靴というのは多かれ少なかれそういう傾向があるが、手で持った時の重さ=履いた時の重さではなく、軽い靴が履きやすい、歩きやすい靴とは限らない。厚手の靴下を履き、紐をぎゅっと締めて歩き出したら、あらら、けっこう歩きやすいじゃないの・・・


足首付近まで固定されるので、慣れるまで違和感はあるが、これはどんな山靴も同じ。歩いているうちに、足のどこかが痛くならなければいいのだが、と心配していたが、帰宅するまでどこも傷まず思いの他歩きやすかった。ああ、捨てずに持っていてよかった、と思った。


よく見れば、履きこんでよく手入れをすれば、いい感じのアメ色になっていきそうな革である。シンプルな無地の茶色い紐がついているが、これを赤にしたら、青にしたら、黄色の斑にしたら、と想像するのも楽しい。まずは、山用の靴下を何足か手に入れて、ドッカドッカと街を歩いてみよう。機会があったら、ハイキングなども。


こういう靴を街で履く時は、ミスマッチのコーディネートが楽しい。もう少し若ければ?、花柄プリントのスカートに合わせたりもできようが、もうちょっと無理のようだ。さてさて、どうするかな・・・と考えているだけでも楽しい。


*サンロードにあった小さ靴屋・・・もう跡形もない。

*靴の中を見ると「kojima」と。ご存知の方がいらっしゃたら教えてプリーズ。

*山靴タイプ、黒いのも持っている。

*こちらは一昨年だかに買ったイタリアのもの。赤い紐。

*沼津に履いていったら、案内してくれたKさん夫妻に「オリーブ!」と。

*あんなに足が細くありません・・・(T_T)

| - | 08:38 | comments(5) | - |
Photo Week 7・・・一会
09-1024

一期一会とは茶道の世界から来た言葉らしいが、耳障りがいいせいか、はたまた日本人の感覚に合うのか、よく耳にする。

聞いた時は、なるほどと思う。が、果たして毎日それを胆に銘じているかといえば、そんなことはない。退屈したりマンネリを感じたり、表面的かつ一方的な感覚に右往左往することの方が多い。

写真を撮りたいという対象を見つけ、撮った時。あるいは撮れなかった時。そんな時こそ一期一会を実感として感じる。性格には「会った」のではなくて「見た」「見つけた」だけなのに、それはすでに「出会った」になっている。撮れても撮れなくても、このような出会いはいつも嬉しい。
| - | 04:05 | comments(0) | - |
Photo Week 6・・・夜景
09-1023

夜景は見るのも撮るのも好きだが、なかなか撮りに行かない。理由は簡単で、三脚を持っていくのが面倒だから(^.^;)

とはいえ、実際手持ちで撮っていると、ああ三脚を持ってくればよかったと思う。

みなとみらい地区の夜景は、象の鼻テラスができたことにより格段に美しくなった。次に夜景を撮るときは、三脚を持っていこう。

写真は10月21日午後6時ころ。象の鼻テラスからコスモワールド方面を望む。手持ちの限界かな?
CANON EOS5D+SIGMA50mmF1.4EX DG HSM   ISO400/F5.6/ 0.3sec

Walkin'、更新
| - | 18:37 | comments(0) | - |
Photo Week 5・・・季節
09-1022

草、木、空の色、風の感触、光と影の表情・・・部屋の中では知ることのできない季節を感じたいから、私はずんずんと外に出る。
| - | 23:14 | comments(2) | - |
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