江戸時代の農民や身分制度の最下層にいる穢多(エタ)・非人についての本を読む日々が数ヶ月続いている。先日は、ひどく遅まきながら「破戒」(島崎藤村)を読んだ。
穢多と非人は明らかに違うのだが、その違いを解説することが今日の主旨ではないので割愛する。共通するのは、彼らが一般的な人間以下とみなされていたことである。その仕事には他の人々が厭い、避けたいこと・・・つまり「穢れ」としてとらえられていること・・・その多くが「死」に関することが多かった。
死んだ牛や馬の処理(皮を剥ぐなど)、罪人の処刑などがその代表といえるだろう。人々は、彼らの仕事をいやしいと思い、嫌悪感を持ち、差別した。しかし、彼らがそのような仕事をしたからこそ、自分たちの手は汚さずに済んでいるのである。
自分たちの手を汚さないために、精神的な安定を乱さないために、人々は「負」の部分を担う人々を必要としている。現代においてもそれは基本的に同じだと思う。
子どものころ、わが家のトイレはまだ水洗式ではなかった。定期的に糞尿を汲み取るバキュームカーがやってきて、乗員が太いホースを車体からはずして各住戸の汲み取り口に入れ、タンクに吸引する。現在は悪臭が漂わないよう改良されているようだが、当時はバキュームカーが来ただけで、ひどい悪臭がしたものだ。
外で遊んでいた子どもたちは、バキュームカーが見えると逃げるように散っていく。「汲み取り屋」などと呼んでいたと思うが、逃げる子どもたちの心の中にはそれを厭う気持ち、軽蔑する気持ちがかすかにではあったかもしれないが存在していたと思う。
汲み取り屋が汲み取ってくれなかったら、困るのは自分たちである。それなのに、その仕事を軽蔑するのはおかしい。子ども心に、その矛盾はわかっていた。わかっていたが、やはり他の多くの仕事と同じように見ることができなかった。
人は、誰かを、何かを自分より下だと思わなければ心の安定を保てないのであろうか。潜在的にではあるとしても、差別は子どもの心にもあって当然なのだろうか。
このようなことを書こうと思ったのは、今がはじめてではない。が、頭の中が整理できずそのままになっていた。ついに書いたわけは、昨日見た映画でまたこの問題を考えざるを得なくなったからである。
映画は、まず捨てられた(時には持ち込まれる)犬猫を一定期間留置し、期限がくれば殺処分する施設の取材からはじまる。全国各地に名称こそ異なれ、同じ業務内容の施設がたくさんあるが、撮影を伴う取材は難しいようだ。
やっと協力してくれたという某施設で撮影されたシーンは、たぶん長い間記憶に残るだろうものだった。期限を迎えた犬たちは、それぞれの部屋から「鎮静器」という名前の堅固なコンテナに入れられる。ガッシャーン!と扉が閉められると、「鎮静器」の下についている車輪が動き出す。車輪の下にはレールが敷かれており、「鎮静器」はゆっくりレールの上を運ばれていく。
レールの最終地点は、トラックにつけられたコンテナの中だ。コンテナの扉が閉められ、トラックはゆっくり走り出す。
中では、炭酸ガスによる殺処分が行われている。車が向かう先は、死んだ犬たちを焼却する場所だ。犬たちは、目的地に到着するまでにすべて息をひきとっている。街中を走る車の中で、犬たちは殺されていくのである。
なぜこのようなシステムが必要だったか。取材先の担当者の言葉からうかがい知れるのは、殺処分施設に対する周辺住民の強固な抵抗である。収容するが、殺処分はしない・・・そんな条件でのみ、この施設の建設は実現されたのではないかと思われる。
「鎮静器」に入れられた犬たちの悲しい目も忘れ難い。悲鳴に似た細い声も。しかし、そのようにしなければならない施設側の痛みや憤りを察すると、またしても人間の身勝手さに行き着いてしまう。
穢いものは見たくない。つらい話は聞きたくない。汚らわしいものには触れたくない。それは、自分自身をかろうじて安定させるための逃避か、欺瞞か、防衛か。それとも別の何かか。私の中にももちろんあるその暗がりを、時にはじっと見つめる必要がありそうだ。
*猫ブログ、更新