ゴツゴツした山々を遠景に、様々な木々で覆われた豊かな森が広がっている。鷲か鷹か、大きな鳥が一羽、上空を飛びながら山々や森を見下ろしている。
この年、この地方は
動物たちにとっても
人間にとっても
ゆたかな年であった。
カムイ伝第1巻「夙谷の巻」は豊かな森の風景と上記の文章で幕を開ける。
イタチの仲間らしき動物たちが集まって、地面に落ちているものや花を食べている。そこに突然鷹が舞い降りてきて、彼らの中の一匹を掴んで飛び立っていく。驚いた小さな鳥たちはいっせいに木から飛び立ち、揺れ動いた梢からは小さな実がたくさん落ちる。鹿がやってきて、その実を食べる。獲物を探していた熊がやってきて、鹿たちは驚いて逃げる。熊は川に行って魚を次々と取り、岸に投げる。子熊たちが魚にむしゃぶりつき、満腹になって
眠る・・・
村でも今年は豊作らしく、百姓たちの表情も明るい。「いい米じゃ」「ウーム、十年に一ぺんとれるかとれんかのみのりじゃ」「ことしやどうやら禿百姓(つぶれ)をださずにすみそうじゃのう」「じゃが、四分六とはのう」「せめて五分五分(せっぱん)じゃったらの・・・」「すりゃ、年をこしても米がくえるだ・・・」
豊作の年でも、百姓たちは年貢の心配をしている。禿百姓(つぶれ)とは、年貢を納められずにつぶれた百姓のことで、壁のない地ぶきの家に住まなければならない、と訳注が入っている。
カムイ伝をはじめて読んだのはいつのころだったか、全く記憶にない。が、全編を通して丁寧に描かれ、時には長文の解説がつく百姓の暮らしぶりについては、ざっと読み飛ばしていた感がある。しかし今あらためて読んでみると、「カムイ伝」そのものが江戸時代の百姓の暮らしを中心に制作されていったことが手に取るように理解でき、大切な内容をないがしろにして読んでいたと、何度も反省させられてしまう。
カムイ伝に出て来る百姓は、本百姓と呼ばれる年貢を納めている百姓ばかりではない。これから延々と展開していく百姓たちの暮らしの前置きとして、作者は第1巻できちんと説明している(以下引用)。
百姓といっても、庄屋から下人まで、いろいろに分かれている。本百姓は高持百姓といって、なん石という年貢をおさめる義務をもった一人前の百姓のことをいう。このほか、分付、家抱、庭子被官がある。分付は二男・三男で年貢を本家におさめる。家抱は下男、庭子被官は親の代から飼いごろしになっている者、つまり下人である。かんたんにいって、奴隷である。
「カムイ伝」の主役の一人である正助という若者は、最初は下人であった。そして、自分たちの置かれている立場に憤りを感じ、いつかは百姓になってやるという夢を持つ。この夢は野望というよりも、大いなる希望であり、持ち前の賢さで正助は村人の多くから必要な人間であると認められ、支配する側の思惑もあってついに百姓という身分を手に入れる。
百姓になっても、心根の優しい正助は偉ぶったりなどしない。家族は以前として下人のままであるし、何よりも同じ百姓同士がいがみあうのはおかしいと思う。そして、自分たちの暮らしをよりよくしていくためにはどうしたらいいかを考え、禁じられていた本を隣村の庄屋から借り、様々な知識を獲得していく。
「カムイ伝講義」には以下のように書かれている。
「カムイ伝」の正助は、日本の農民とくに江戸時代の農民のありようを象徴している。田畑の耕作を食料確保の仕事であると考えるだけでなく、さまざまな改良工夫をしようとする。しかしそれは遠い漠然とした理想や夢や名誉心ゆえではなく、ともに暮らす村人たちの生活の充実のためである。正助は読み書きを習い、桑を育て、綿花を栽培し、水路を確保し、
下肥を使う。毎日の生活に密着した夢の実現であり、自分自身と周囲の人々すべてのための行動だ。
そして著者は、当時の村が横の連携も連絡もほとんどなかったことから考えると、全国には何人もの「正助」がいたに違いないと推測している。
これ以上具体的な紹介はしないが、「カムイ伝講義」で述べられているように、様々な工夫をし、失敗をし、また工夫をし、力を合わせ、百姓たちは農作物を作り、桑を育て、蚕を育て、綿花を咲かせ、水路を造り、年貢を納め、命令されれば普請作業に出かけていく。その力強さは生き物が持っている原始的な力であるように思え、地に足がついた暮らしとは何かを教えてくれるような気がする。
この百姓たちの力は、日々の暮らしにおいてだけでなく、「一揆」という形の階級闘争に集結していくのだが、一揆について書き始めると大変長くなるので、それは別に機会に。
また、江戸時代の支配階層は、心の底で百姓たちの力を理解していたと思われる。だからこそ、百姓たちが団結しないよう、様々な手練手管を使っていた。百姓同士がいがみあうようなしくみを作っていたことも忘れてはならないことで、それについてもいつか機会があったら書きたいと思う。