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日々の内側
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犬と猫と人間と
09-0930

10月10日から、渋谷のユーロスペースで「犬と猫と人間と」というドキュメンタリー映画が上映される。


監督の飯田基晴さんは1973年生まれというから、まだ30代の若さだ。96年からボランティアとして新宿でホームレスの人々と関わり、映像制作を行ってきたという。


映画制作のきっかけとなったのは、飯田さんが野良猫の面倒を見ていた老女と出会ったこと。稲葉さんというその女性は、飯田さんに「大人も子供も、動物を大切に思ってもらえるような映画を作ってほしい」と持ちかけたという(公式サイトのスタッフ紹介スペースには、「企画 稲葉恵子」とちゃんと記されている)。


最初の取材対象が行政施設の犬猫処分現場だというから、決して軽い映画ではないことはわかるだろう。現在、日本全国で一日当たり1000匹近くの犬猫が処分されているという現状を、私たちはまず知らされるのだ。


映画では、様々な形で犬猫の保護活動をしている人たちや保護されている動物たちの、個性的でイキイキした姿が紹介されているようだ。以前私もテレビで見て日記に書いた、多摩川で19年間遺棄された猫たちの世話をし、写真を撮っている小西修・美智子夫妻も登場するようだ。


どちらかといえばマイナーな映画館での上映ではあるが、これは見るべき映画だと思っている。が、やはり見たら受けるであろうショックを思うと、出足が鈍りがちである。


しかし、反響が大きければ上映館も増えるようだし、制作スタッフの励みにもなるであろう。また見た人が少しでも多くこの問題を何らかの形でとりあげれば、理不尽に殺されていく犬猫を減らしていくことに寄与できるかもしれない。


重くなりがちな腰はやはり上げないといけない。自分が傷ついたりショックを受けたりすることから遠ざかるのも生きる智恵だが、そんなことばかりしている人生はどこか空しいものではないかと思う。また、物事には知らなかった、では済まされないものもあり、知らなかったことが罪(もちろん法的な罪ではない)になることもあるとも思っている。


何といっても人間は地球上の生物の中で最も身勝手である。同類として生まれてきた以上、人間の身勝手さをとことん知る義務があるような気がしている。

| - | 15:10 | comments(0) | - |
情けない話
09-0929

数日前、自分が過去に書いたブログ記事をつらつらと見ていたら、いやーなことに気付いてしまった。


今年の810日付の記事に、「定家明月記抄」のことを書いたが、実は2007年3月9日の記事にも少しだけだが触れていた。今年書いた時には、ほとんど以前に読んだことがないものとして書いたのに、実際は2年前に読んでいたのだった。それをすっかり忘れていたというわけだ。


実は(またしても)、今年8月の記事を書いてしばらくしてからだったと思うが、本棚に「定家明月記抄」を発見した。あれ?と思った。読み終えたばかりのものは、まだデスクの上にあるはずなのだ。


もしかして・・・と確かめてみたら、やはりデスクの上にある。ということは、同じ本を再び買い、再び読んだのに、それに気付いていなかったということになる。物忘れがひどくなってきたとはいえ、たった2年前のことである。なんだかひどく情けない。落ち込むという

ほどではないが、軽く苦笑しただけで済ませることもできず、深い溜息が出た。


老人、とまでいかなくても、年齢を経るに従って人は同じ話を繰り返しがちである。本人ははじめて話すと思っているわけなので、無碍に話を中断することは思いやりのない態度であろう。


が、親や親しい仲の人間が相手だと、4回目くらいから初めて聞いたような態度をとれなくなってくる。「あ、それは前に聞いたよ」「もう4回目だよ!」などと言ってしまうこともある。


このような態度の前提には、「自分に限ってそういうこと(同じ話を繰り返す)はしない」という、思い上がりというか、能天気というか、そんな不遜な気持ちがあるのは確かだろう。


自分のことは棚に上げて、というのはイヤなので、これからは態度を改めようと思った。だからというわけではないが、以前読んだような内容の記事が今後出てきても、多めに見ていただけると嬉しい(^.^;)

| - | 18:53 | comments(2) | - |
「百姓」という仕事(2)
09-0928

ゴツゴツした山々を遠景に、様々な木々で覆われた豊かな森が広がっている。鷲か鷹か、大きな鳥が一羽、上空を飛びながら山々や森を見下ろしている。


この年、この地方は

動物たちにとっても

人間にとっても

ゆたかな年であった。


カムイ伝第1巻「夙谷の巻」は豊かな森の風景と上記の文章で幕を開ける。


イタチの仲間らしき動物たちが集まって、地面に落ちているものや花を食べている。そこに突然鷹が舞い降りてきて、彼らの中の一匹を掴んで飛び立っていく。驚いた小さな鳥たちはいっせいに木から飛び立ち、揺れ動いた梢からは小さな実がたくさん落ちる。鹿がやってきて、その実を食べる。獲物を探していた熊がやってきて、鹿たちは驚いて逃げる。熊は川に行って魚を次々と取り、岸に投げる。子熊たちが魚にむしゃぶりつき、満腹になって

眠る・・・


村でも今年は豊作らしく、百姓たちの表情も明るい。「いい米じゃ」「ウーム、十年に一ぺんとれるかとれんかのみのりじゃ」「ことしやどうやら禿百姓(つぶれ)をださずにすみそうじゃのう」「じゃが、四分六とはのう」「せめて五分五分(せっぱん)じゃったらの・・・」「すりゃ、年をこしても米がくえるだ・・・」


豊作の年でも、百姓たちは年貢の心配をしている。禿百姓(つぶれ)とは、年貢を納められずにつぶれた百姓のことで、壁のない地ぶきの家に住まなければならない、と訳注が入っている。


カムイ伝をはじめて読んだのはいつのころだったか、全く記憶にない。が、全編を通して丁寧に描かれ、時には長文の解説がつく百姓の暮らしぶりについては、ざっと読み飛ばしていた感がある。しかし今あらためて読んでみると、「カムイ伝」そのものが江戸時代の百姓の暮らしを中心に制作されていったことが手に取るように理解でき、大切な内容をないがしろにして読んでいたと、何度も反省させられてしまう。


カムイ伝に出て来る百姓は、本百姓と呼ばれる年貢を納めている百姓ばかりではない。これから延々と展開していく百姓たちの暮らしの前置きとして、作者は第1巻できちんと説明している(以下引用)。


百姓といっても、庄屋から下人まで、いろいろに分かれている。本百姓は高持百姓といって、なん石という年貢をおさめる義務をもった一人前の百姓のことをいう。このほか、分付、家抱、庭子被官がある。分付は二男・三男で年貢を本家におさめる。家抱は下男、庭子被官は親の代から飼いごろしになっている者、つまり下人である。かんたんにいって、奴隷である。


「カムイ伝」の主役の一人である正助という若者は、最初は下人であった。そして、自分たちの置かれている立場に憤りを感じ、いつかは百姓になってやるという夢を持つ。この夢は野望というよりも、大いなる希望であり、持ち前の賢さで正助は村人の多くから必要な人間であると認められ、支配する側の思惑もあってついに百姓という身分を手に入れる。


百姓になっても、心根の優しい正助は偉ぶったりなどしない。家族は以前として下人のままであるし、何よりも同じ百姓同士がいがみあうのはおかしいと思う。そして、自分たちの暮らしをよりよくしていくためにはどうしたらいいかを考え、禁じられていた本を隣村の庄屋から借り、様々な知識を獲得していく。


カムイ伝講義」には以下のように書かれている。

「カムイ伝」の正助は、日本の農民とくに江戸時代の農民のありようを象徴している。田畑の耕作を食料確保の仕事であると考えるだけでなく、さまざまな改良工夫をしようとする。しかしそれは遠い漠然とした理想や夢や名誉心ゆえではなく、ともに暮らす村人たちの生活の充実のためである。正助は読み書きを習い、桑を育て、綿花を栽培し、水路を確保し、

下肥を使う。毎日の生活に密着した夢の実現であり、自分自身と周囲の人々すべてのための行動だ。


そして著者は、当時の村が横の連携も連絡もほとんどなかったことから考えると、全国には何人もの「正助」がいたに違いないと推測している。


これ以上具体的な紹介はしないが、「カムイ伝講義」で述べられているように、様々な工夫をし、失敗をし、また工夫をし、力を合わせ、百姓たちは農作物を作り、桑を育て、蚕を育て、綿花を咲かせ、水路を造り、年貢を納め、命令されれば普請作業に出かけていく。その力強さは生き物が持っている原始的な力であるように思え、地に足がついた暮らしとは何かを教えてくれるような気がする。


この百姓たちの力は、日々の暮らしにおいてだけでなく、「一揆」という形の階級闘争に集結していくのだが、一揆について書き始めると大変長くなるので、それは別に機会に。


また、江戸時代の支配階層は、心の底で百姓たちの力を理解していたと思われる。だからこそ、百姓たちが団結しないよう、様々な手練手管を使っていた。百姓同士がいがみあうようなしくみを作っていたことも忘れてはならないことで、それについてもいつか機会があったら書きたいと思う。

| - | 20:06 | comments(0) | - |
「百姓」という仕事(1)
09-0927

駅に向かう途中のとても細い路(たぶん私道)に面して、小さな畑がある。向かいの農家の土地らしいが、時々見かけるのは腰の曲がったおばあさんだけで、自宅用の野菜をこじんまりと作っているように見える。


今は小松菜がそろそろ収穫時を迎えそうで、大根もずいぶん育ってきている。毎日通っているわけではないのだが、小さくてもきちんと手入れされている畑を見るのは楽しい。あれは

何だろう・・・これは美味しそうだ・・・などと思いながらしばし立ち止まって眺めている。


おおかたの都市近郊地域と同様、この辺りの畑もだいぶ少なくなった。たいていは、しばらくの間放置された揚げ句、駐車場になったりアパートやマンションが建てられたりしている。しかたないことなのだろうが、なんとも淋しいことである。


前々から、私は「百姓」という仕事に対して称賛の気持ちを持っている。憧れといっていいかもしれないが、そんなキレイゴトめいた言葉で表現するほど甘くはない仕事であろう。ただ言いたいのは、非常に確かな手応えがある仕事であり、それが私の羨望の的となっているということだ。


生活の基本を「衣食住」というが、つきつめて考えると、「衣」も「住」がなくても人間は生きていける。が、「食」が全くなくなったら生きてはいけない。農産物のみが食べ物ではないが、やはり穀類や野菜は生きていくためには欠かせないものである。


天候や病気・害虫を相手にしながらの仕事は、思い通りにいかないことも多いだろう。苦労の割には金にならない仕事なのかもしれない。安い輸入品との競合も熾烈だろう。それでもなお、人の口に入り生きていくための糧になるものを生産するということは、とても確かな行為だと思うのだ。


ところで、あらためて「百姓」という言葉を調べてみたら、もともとは「百(たくさん)の姓を持つ者たち」、つまり有姓階層全体を指す漢語だということを知った。しかし、言葉は時代とともに意味を変えていく。


古代においては「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」であった百姓も、江戸時代になると農業従事者の中でも田畑を持ち、家屋敷を持ち、年貢を納め、諸役を負担するものが「百姓(本百姓)」ということになり、百姓内部でも貧富の差が大きくなっていき、年貢を納められない者は「水呑百姓」などと呼ばれていた。


近代に入り西洋の歴史観が導入されると、百姓=農民であり、被支配民という概念が生まれ、差別的な呼称であるととらえられることが多くなる。今でも蔑称としてとらえる人もいるので、この言葉を使用する時は注意が必要だという話もある。


「士農工商」という概念も、元々は階級を表すものではなく、単に職域を意味するものであったらしい。それを階級として利用したのが江戸幕府であり、戦がなくなった社会において、武士たちは農民に養われていたに過ぎないとさえいえるのではないかと思う。


それこそ「天下の大いなる宝」であるはずなのに、何と彼らの暮らしが厳しかったことだろう。そして、その厳しさに耐え、立ち上がってきたことだろう。


「カムイ伝」を読むと、「百姓」と呼ばれる人たち(その下の下人や非人たちも)の力強さに感動する。次回はその話を。

| - | 21:21 | comments(2) | - |
拒否のツケ
09-0926
・・・ちょっと前のWAKO。ジャングルのようだった・・・

政治と宗教の話はしない方が無難、と言われている。政治についてはさほど熱心な目を向けているわけではないし(いかんですな!)、宗教についてはほとんど胡散臭さしか感じていないので、それらについて話す機会もあまりない。いいことかどうかはわからないが。しかし、今日は珍しく政治含みの話を。


ダムの問題が大揺れのようだが、建設推進をめざす地元住民代表が国交相との話し合いを拒否したのは、いかがなものかと思っている。


断固とした態度をとらないと、このまま丸め込まれてしまうと思ったのか。そこまで邪推していないとしても、自分たちの意思が強いことやどんなに腹立たしく思っているかを態度で示したのか。これまでの苦労話(マスコミの情報操作も感じられるが)を聞けば、気持ち的にはわかるような気がしないでもない。


しかし、である。マニフェストとは政治的な公約である。国民全体に対して公にされた約束である。そして、そのマニフェストを展開した政党が圧倒的な勝利を収めた=多数決の原理に基づき国民に選ばれたのである。約束した以上、約束を守ろうとするのは当然の成り行きである。


政治についてだけでなく、世の中(特定の社会でもいいし会社でもいい)が大きく変わろうとする時、期待が生まれると同時に痛みもまた生まれる。悲しいかな、悔しいかな、それが世の中だと私は思っている。世の中は不公平で満ちている。それを当然だと思っているわけでも、諦めているわけでもないが、そういうものだと思っている。


もちろん、マニフェストにあったからといって有無を言わさず実行するとすれば、それはそれで問題である。約束は約束だが、どのようにその約束を守るか、約束を果たした時痛みを負う人々に対して何ができるか、などを考えながら慎重に物事を進めていかなければならないだろう。


そのための話し合いではなかったのだろうか。テレビのニュースで取材されていた地元の人は、「(国交相)は一応頭を下げて謝罪したが、言葉は冷たかった」というようなことを

言っていた。それなら、別の態度で臨めば納得したのか。話し合いを拒否するくらいだから、どんな態度で臨んでも納得などはできないのではないか。


しばらくは成り行きを見守りたいと思っているが、やはり拒否したことのツケはやってくるのではないかとの危懼がある。町役場に一晩で4000通ものメールが届き、その約8割が批判・中傷であったことが、「民意」として選ばれた政党に対してなされた頑なな態度への答えではないだろうか。


最後になって恐縮だが、このダムの問題については1952年に計画されてから、どのような成り行きでこのような状況になったかは把握していない。また、把握しようとしても、それぞれの立場を考えると、建設中止が本当に妥当なのかどうか結論(私個人の)を出すのはかなり難しいと思われる。今日書いたことは、あくまでも話し合い拒否について、と考えていただければ幸いである。

| - | 17:43 | comments(0) | - |
たまにはいいことを言う?
09-0925

某総務政務官が総務省職員に対し、「部下のために上司は早く帰れ」と言ったとか。仕事は効率よくやって残業は極力せず、さっさと帰れということらしいが、お偉い方々もたまにはいいことを言うと思った。たいていは、「け!」と言いたくなるのだが(^.^;)


が、この言葉を聞いたのは何もはじめてではない。昔、上司に当たる人が常々言っていたのだ。それもあって、なつかしさも感じたので今日の話題にした次第である。


私が30代のころ勤めていた会社でのことだ。上司も私も中途入社ということで他の社員とは少し立場が違っていた。部署も新規開拓、企画開発を掲げた新しいセクションで、ある意味社内では胡散臭い部署だったかもしれない。が、会社として力を入れており、経験者として雇われた私たち(合計4人)は、常務直属の社員として立場的には悪くはなかった。しかも元上司はそれ以前の会社で常務の先輩として仕事をしていたので、言いたいことを言いやすい立場でもあった。


もともと、歯に衣着せぬ物言いをする人で、嫌われる時はとことん嫌われるタイプだったと思う。しかし、言っていることがまっとうであり、なにせ見た目も声も迫力があったので、面と向かって反論する人はいなかった。


最初に与えられた席は、クリエイティブルームの一角にあり、制作に携わる社員の仕事ぶりがよくわかった。みんな真面目にやってはいたが、効率的とはいえず、また課長に当たる人がとりあえずすることもないのに遅くまで残業していた。


それを見た元上司は、大声で言ったのだ。「ズルズルと仕事をしていちゃダメ!遅くまでいれば仕事をたくさんしていると思ったら大間違い。それは、効率的に仕事をする能力がないということだ。とくに上司はさっさと帰れ。おまえたちが遅くまでいたら、部下が遠慮して帰れないじゃないか!」と。


実に気持ちいい物言いだったのだが、はてさてそれが本当に理解できた社員は何人いたか。また、理解できたとしても、経営陣にそれが理解できたか。それは不明である。しかし、「効率的にやってさっさと帰る」を実行した私たちのセクションは今まで手がけてこなかった大きい仕事をいくつか獲得した。世の中はちょうどバブル期だったから、運もよかったということもあるのだが。


いくら懸命にやっても長引いてしまう仕事はもちろんある。私たちとて、時には徹夜に近い状態の時もあったし、元上司などは出向先に何日も泊まり込んでやつれてしまったこともある。が、常に計画的に仕事を進め、無駄な残業はしなかったと思っている。


景気が上向きになってきたというニュースもあるが、それをちっとも感じられない今日このごろ。残業云々などとんでもない話で、仕事がなくて困っている会社もまだまだ多いと思う。「上司は早く帰れ」と言われる職場は恵まれている職場だともいえるだろう。そういうことも理解した上で、お役所の方々には効率的に仕事をするという姿勢を身につけていただきたいものだ。


| - | 17:30 | comments(4) | - |
凝ってますか!?
09-0924
 ・・・女子は元気だね・・・

もともと肩が凝りやすいのだが、年を重ねるに従って筋力が落ち(あったのか?筋力!?)、肩よりむむしろ首筋が凝っているというか張っているというか、常にそんな状態である。加えて、ここ数年は坐骨神経痛のような症状が出たり、腰が痛くなったり、足の指が頻繁に攣るようになったり、まあまあ老化年代真っただ中といった感じだ。


命にかかわるようなことではないので、医者に診てもらおうとは思わない。が、時々整体や鍼灸に行こうかなという考えが頭に浮かぶ。が、結局面倒がっているうちに症状が緩和したり忙しくなったりで、ここ10年くらいは行っていない。


私の回りには、仕事関係を含めて「健康オタク」的な人が何人かいる。血圧計など健康関連の器具をいろいろ持っていたり、様々な運動療法(主にダイエット目的だが)を試みたり、スポーツクラブに行ったり、マッサージに通ったり、みなさん熱心である。


みなさん、もちろん健康維持を第一の目的にしているのだろうが、たとえば整体に行ってあちこち悪いと言われたというような話を聞くと、そこには複雑な心理があるように思えてくる。


私自身もそうだったのだが、整体に行き、どこそこが歪んでいるとか臓器の一部の働きが弱っているとか言われると、ある程度深刻に受け止めながらも、やっぱりね、と納得する。「うーん、背骨がだいぶ歪んでいますね」「(内心)やっぱり!」「ああ、これは辛いですよね、けっこう重症ですよ」「(内心)でしょ、でしょ!?」てな感じ?


これがもし、一通り様子を見た後で、「うーん、とりたてて悪いところはありませんなぁ」と言われたら、安心しつつもどこかがっかりしたりするのではないだろうか。「そうかなぁ、そんなはずはないと思うんだけどなぁ」と内心思ったりしないだろうか。


こういった類いの施術には、たぶん実際以上に症状を重めに告げた方が被施術者の評判がよくなるような気がするのだが、どうだろう。ああ、私が日ごろ悩んでいた辛さをバッチリ当ててくれたわ。けっこうひどいらしいから、しばらくは通わなくてはいけないわ。そんな気持ちになってもらわないことには、商売にならないような気もするし。


だからといって、そういう対応が良くないと思っているわけでもなく、施術に満足できるならあまり頼らない程度に続けるのもいいかなと思っている。ただ、凝りや痛みの原因が血行不良や筋力低下である場合がかなり多いような気がするので、一番有効なのはやはり運動かな、とも思っている。思っているだけで実行していないが(^.^;)

| - | 19:45 | comments(2) | - |
書き写す
09-0923

万年筆を手に入れてから、手書き文字を書くことが多くなったことは以前にも触れた。書いているのは、仕事を含む日常的な覚書に相当する日記が主であるが、本や新聞、WEBサイトでになった文章をノートに書き写す、ということもしている。


人が書いた文章を書き写すということは、単に個人的な資料づくりといった意味だけでなく、その文章をより正確に理解するのに役立つ。


頭の働きが鈍いせいもあるのかもしれないが、ただ読んだだけよりも、一旦読んだ後再度読みながら書き写すことにより、内容がしっかり頭の中に入っていくような気がする。


それでは同じ内容を繰り返し読めばいいかというと、そうでもないのだ。書く、特に万年筆を使うと粗っぽい書き方ができないので時間をかけてゆっくり書くということが、少なくとも私の場合特別な意味をもつようなのだ。


これは、人の文章を書き写す時にだけ言えるものでもないような気もする。つまり、自分の頭の中にある文章を何らかの形にする時にもいえそうだ、ということ。そして、そう思うことは、キーボードを使い慣れてしまったことへの反省につながっていく。


仕事でも、プライベートなブログでも、使う道具は今やパソコンがメインである。まず手書きで書いてからキーボードを打つ人もいるかもしれないが、私を含め、ほとんどの人が直截キーボードを打っているのではないかと思う。


これに慣れてしまうと、思考様式(という言葉が適切かどうか若干の疑問があるが)が、どうも短絡的になってしまうような気がしているのだ。この危懼はかなり前から持っているのだが、特に仕事の場合は効率性も求められてしまうため、現状に甘んじている。


せめてプライベートな文章くらい、じっくり手書原稿を書いて推敲し、その上で仕上げられたら・・・そう思ってからも久しい。楽な方へと流れやすい自分の性質をアカラサマに見るようで、本当にイヤになるのだが。


とりあえず今は「書き写す」ことを続け、日記などは少しずつ手書きからはじめられるようにしたいと思っている。

| - | 18:57 | comments(0) | - |
さまざまなグレイ
09-0922

明暗のはっきりした、つまりコントラストの強い写真志向の私ではあるが、時には様々なグレイのトーンが穏やかな雰囲気をつくっているような写真もかなり好きである。グレイのトーンということは、もちろんモノクロームの写真についてであるが。


デジタルカメラにもモノクロモードというものがあるが、私は普通にカラーで撮ってモノクロに変換する。カラーで撮る時、モノクロになったらどうなるかという想像はしているのだが、実際やってみると多かれ少なかれ想像とは違う。


ズボラなので記録のようなものは一切取っていない。だからいつも行き当たりばったりなのだが、やはり何度か繰り返しているうちに何となくわかるようになってくるから不思議だ。このシーンはモノクロにした方がいいな、これはカラーがいいな、という現場の感覚が正しいと確信する割合が少しずつ多くなってきている。


訓練というにはあまりに無計画ではあるが、いずれモノクロのフィルムを使って撮る時の基礎になればいいなと今は思っているところだ。


高コントラストの写真には、どこか緊張した空気が流れる。見る者の心をザワザワさせる写真を撮りますね、と言われたことがあるが、私自身ザワザワさせてくれる写真が好きだ。しかし、ザワザワしてばかりいると、少しずつ疲れてくる。だから時にはザワザワを宥め、気持ちを落ち着かせてくれるような写真が見たくもなり、撮りたくもなるというわけだ。


グレイのトーンが美しい写真の代表に、空の写真があると思う。空の色、雲の形や厚み、日差し・・・様々な要素が作り出すトーンは本当にきれいである。ピーカンの日の空はそういった意味でつまらない。やや曇りがちな日の空がいい。嵐の前となると、また心がザワザワする写真になりそうだ。


気持ちいい天気が続くようになった。できるだけ外に出て、空を見上げる機会をもちたい。


写真の話になったので、ついでに書いておきたいと思うが、先週試みにやってみたPHOTO WEEK、けっこう楽しかった。更新が非常にラクチンなのも嬉しい点だが、写真をメインにすることにより、普段脈絡なく考えている写真についての思いを確認することができたと思っている。せっかくなので、毎月一回はPHOTO WEEKを設けようかなと思っている。

| - | 19:19 | comments(0) | - |
知らぬがホトケ
09-0921
・・・昨日と同じ猫。やはりこの猫には、何か特別のものがある・・・

妹から借りてきた「カムイ伝」全21巻を数日前に読み終えた。「カムイ伝」については日を改めて書きたいと思っているが、そこに描かれている百姓(本百姓というよりもその下の下人、さらに被差別民である非人)のすさまじい生き方が描かれていることをのみ、今日は書いておきたい。


「生き様」という言葉はできるなら使いたくない言葉なのだが、「カムイ伝」に登場する何人かの百姓、非人たちの姿は、厳しい統制の元で生き抜く日常であれ、天災や飢餓、一揆への弾圧に対してであれ、「生き様」としかいいようのない壮絶さを感じさせる。


飢饉によりバタバタと死んでいく姿。川の氾濫を食い止めようとしながら、流され消えていく姿。一言口答えをしたために斬り殺され、荒野に首をさらされ鳥の餌になっていく姿。


そんな姿を見る時、彼らのおびただしい骨は、一体どうなってしまったのかを思う。野垂れ死にに憧れる現代人がいるらしいが、昔の百姓たちの死に様を見るとそれは空しいほど浅薄な感傷にすぎないように思えてくる。


たぶん、彼ら(農民・非人)の多くがその屍を野に晒し、肉は腐り、あるいは動物の糧となり、骨は風化しながら土に埋もれていったことだろう。


以前、千住小塚原の回向院や延命寺について書いた時、江戸時代の処刑場であったかの地を線路が分断したことに触れた。「江戸を歩く」の著者である田中優子氏は、常に冷静な文体の禁を破るかのごとく、こう書いている。


日本が伝統を重んじる国であるなら、御霊の鎮魂と慰撫を大切にしつづけただろう。敵を無視し味方の軍人だけを「英霊」と呼んで特別に祀ったりはしないであろう。そういう施設に、国の代表者が参拝に行ったりもしないだろう。日本が伝統を重んじる国であるなら、明らかに御霊とみなされる者たちを、線路で分断しその下にふみつけにしたりもしない。


「御霊」とは「みたま」とも読まれ、死者の霊を畏れの感情とともによぶ時に使う言葉だ。そして「御霊」の多くは体制や権力に反抗したいわば政敵的な存在である。


私が千住小塚原のことを思い出したのは、たぶん「カムイ伝」で描かれているように、処刑された者だけでなく、飢饉や闘いの果てに死んでいった無数の人々の骨が、全国各地に埋もれているに違いないと思ったからだ。


息苦しいほどビルや住宅が建ち並ぶ都会とて、土を掘ってみなければわからない。そこはかつて氾濫しやすい川が近くにあった土地かもしれないし、一揆衆と権力側の武士たちが戦った場所であるかもしれない。そして、そこで死んだ者たちの骨は、「御霊」として祀られることもなく土の中にあるのかもしれない。充分ありえることだと思う。


マンションを建てようとするとき、もし人骨が発見されたらどうだろう。すでに販売は開始されていることがほとんどだし、高額な金を払って入手した土地である。事業主はひた隠しに隠すだろう。


私たちは、もし骨がザクザク出てきたとしても、それを知ることなく、その骨を踏みつけるようにして建ったマンションで暮らすのである。


そして、「さすが高層マンション、眺めは最高だね!」とか「やっと手に入れたマイホームだ。思う存分自分たち好みの住まいにしよう」とか、考える。全く持って知らぬがホトケである。


骨のことに限らず、「カムイ伝」などを読み、歴史の一コマについて少し掘り下げて調べようとすると、私たちの歴史認識がいかに浅薄で、権力の思いのままに歪められたものであるかを知る。それを知ったからといって何が変るわけではないかもしれない。が、やはり知らぬがホトケに安住することは、もしかしたらシアワセなのかもしれないが、どこか気持ち悪く情けないような気がする。


私もあなたも知らぬがホトケ。でも、ホトケのままでいるかいないかは、その人次第である。

| - | 18:45 | comments(0) | - |
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