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眩暈を道連れに
09-0731

昨日からの眩暈が治まらない。昨年から一年に何度か似たような症状を経験しているが、少なくとも3日は続くので収まることを期待してはいけなかったのだが・・・今日は久しぶりに仕事話をよこした会社に打ち合せに行く予定があったので、なんとしても治ってほしかった。


が、やはり起きた時からおかしい。もしかしたら、昨日よりもひどい。しかし、行かねばならぬ。できるだけ気にしないようにして家を出た。


ラッシュを過ぎた時間なので運良く座ることができた。しかし、なんとなく落ち着かない。目を閉じると眩暈がひどくなりそうなので俯き加減の視線を保ったままじっと座っていた。視線を動かすとグラッとくるので、できるだけ視線を動かさないでじっとしていたが、これはこれで案外辛いものだ。


新宿に着き、地下道を三丁目方面にふらふらと歩く。今日は打ち合せの後、mさんと待ち合わせしてゴーギャン展に行く約束をしていたのだが、キャンセルした方がいいかなぁと一瞬思う。まあ、打ち合せが終わってから考えればいいや、ととりあえず保留にする。


気を引き締めて1時間半打ち合せをし、クライアント先を出るとなんとなく楽になってきたような気がした。緊張すると気が紛れていいのかもしれない。この分なら大丈夫そうだという結論を出して、軽い昼食を食べにファストフード店へ。


どうせ一人前食べられないので(なんとなく胃もムカムカ)、こんな時はそんな店で充分。案の定ハンバーガー3/4でギブアップ。本屋で別の仕事の資料を探したが、棚の上の方に視線をもっていくのが怖くて難儀した。


新宿には滅多に出ないので、東口で都営新宿線乗り場を探したが見つからない。おぼつかない足取りでうろうろしているうちに構内案内図を見つけ、南口まで回る必要があることを知る。仕方ないからせっせと歩き、なんとか乗り場に到着。


mさんと会い、まず竹尾のショールームで膨大な紙を見学し、ドーナツ型の見本をいくつかもらってきた。お茶しながらしばしおしゃべりした後、ゴーギャン展へ。


ゴーギャン展は、はっきり言って作品が少なすぎ。目玉である「我々は何処から来たか・・・」のみ見て満足するという手もあるのだが、なまじ事前に本を読んだり口絵を見たりしているので、期待が大き過ぎたのか。「ノアノア」の挿し絵として作られた版画が面白かったのと、石膏の彫像「オヴィリ」(野蛮人、という意味)が非常に印象的だったのが救いか。


ミュージアムショップでは相変わらず便乗商品が溢れており、今回はポストカードも買わず。図録だけは買ってきた。


小腹が空いたので、毎日新聞のビル内でビール&つまみ。いろいろ話が出来て楽しかった。

結局家に帰宅するまで眩暈が治まらず、今日一日眩暈を道連れに動いていたということになる。が、なんとか予定していたことを無事済ますことができてよかった。


途中であきらめ、打ち合せをキャンセルすれば仕事がこなくなるかもしれない。打ち合せ延期で進めるとしても、出だしにケチがつくとその後やりにくくなる。また、mさんに会うのを楽しみにしていたので、仕事を離れても悔いが残っただろう。


身体を騙し騙しでも、なんとか予定通り過せたこと。根性無しの私にしてはそれだけで上出来だったと褒めてやろう!(^.^;)なんだかんだいっても、なんとかなるものだ。このオンボロな身体もまだ捨てたもんじゃないね。


*打ち合せ先で、30代のころ勤めていた会社の専務(当時)Yさんに遭遇。

*Yさんが当時私の上司であった人に急遽連絡してくれて、元上司と電話で話した。

*この人はいろいろな意味で恩人。なつかしい声を聞くことができて嬉しかった。

*全く、いつどこで昔の知りあいに会うかわかりませんな。

*新宿はすごい人。夏休みだしね。それだけで疲れるよぉ。

*コメントへのお返事は明日にでも。

| - | 23:50 | comments(3) | - |
MARUZEN
09-0730

万年筆を手に入れたら、手書きの楽しさが甦り、日記だけでなく手紙も書きたくなった。以前よく手紙を書いていたころの便せんがいくつか残っているが、当時は万年筆で手紙を書くことは稀だった。従って、選ぶ便せんもデザイン重視で紙質にはあまり気を使っていなかったように思う。


そこで、万年筆で書くにふさわしい便せんは・・・と考え、探してもみたのだが、結局選んだのは昔何度か使ったことがある、丸善オリジナルの便せんだった。とりたてて何の飾りもない、ただ罫がひかれているだけの便せんだが、このシンプルさが好きだ。


表紙(便せんの場合何というのかな?)のデザインも、昔と同じ(変っていても微差)でロングセラー商品がもつ安心感、信頼感を感じさせる。


わざわざ便せんだけを買いに出かけるのが億劫だったので、ネットで探して購入した。罫の太さで迷ったので、この際高価なものでもないので普通罫・太罫両方買ってみた。気分に合わせて使ってみたい。


丸善というとまずは洋書、そして本以外でも高級輸入商品を扱う店というイメージが強い。が、オリジナルの文具は昔から好きだった。原稿用紙も買ったことがあると思う。いわゆる大学ノートもあって、ツバメノートによく似たデザインで小さく「MARUZEN」の文字が入る。


見たことはあっても商品名を知らなかったものに「ダックノート」という表紙が布製のノートがある。今回便せんを探していてその名を知ったのだが、このノートもなかなかよさそうである。こちらは実際に手に取って紙を見てみたいので、機会があったら売り場に寄ってみようと思っている。


丸善オリジナルの文具を検索して調べていたら、ノート好きな方のサイトにヒットした。現在はあまり更新されていないようなのでリンクはしないが、昔からノートが好きでついつい集めてしまう私ゆえ共感することが多く、「用途のないノート」(韻を踏んでいる!)には思わずくすくす。うちにも「用途のないノート」がけっこうあるが、しまいこんでしまったので現状を把握していない。今度調べてみよう。


*MOLESKINEは品質低下が甚だしい、という話も。

*前を知らないので・・・でも、さもありなんと思う。中国製だもの。

*今日は何故かまた眩暈に悩まされた。

*立っていられないほどひどい眩暈ではない。なんとなくふらふら。

*血圧かなぁ。貧血ではないと思う。

*起立性低血圧気味なので、なんとなく血圧かなと思う。

*こういうのは医者に診てもらっても原因がわからないことが多い。

*何度も行くの、面倒だしー。とりあえず様子見。

*明日は午前中打ち合せ。午後から竹橋方面に出て夕方はゴーギャン!

*忙しいことはいいことだ!

| - | 20:23 | comments(2) | - |
山百合を愛す
09-0729
・・・これもまた神秘的な植物である蓮。枯れた葉もまた不思議なフォルム・・・

sakiさんのブログで山百合の写真を見せていただき、改めてこの百合はいいなぁ、百合の中で一番好きだなぁと思った。


私はどちらかというと大きな花よりも小さな花が好きである。薔薇にしても、その他の園芸植物、いやいや野草についても、小さな花の可憐さを愛する。が、やはり例外というものはあって、百合の場合は最大級と言われるこの百合が最愛の百合となる。


花の大きさだけでなく、人によっては気持ち悪いと感じることもある紅褐色の斑点も、草全体の姿も、そして、むせ返るように強い香りも、すべてひっくるめて好きである。


子供のころ、遊び場として駆け回っていた某大学の構内には雑木林がかなり手付かずの状態で保たれていた。今は見る影もなくなったが、真夏の真昼でさえ薄暗い林の中を、好奇心半分怖さ半分で歩き回ったものだ。


一度か二度だけであるが、山百合が咲いているのを見たことがある。はじめて見た時、さほど明るいとはいえない林の中で、その白く大きな花は妖しく咲いていた。花というよりも、何か魂のようなものが宿ったこの世のものではないもののように思え、その時の強い印象がその後の偏愛の根っこにあるのかもしれない。


小学生のころ、夏休みに千葉のマザー牧場に連れていってもらった時だったと記憶しているが、道路脇の崖に群生して咲いているのを見た。あまりに見事な群生で、その光景も未だに忘れられない。百合はもともと斜面がお好きなようで、栽培書などにも、日当たり・水はけを良くし、根元には陽が当たらないようにする云々と書かれていたような気がする。


後年、これはもういい大人になってからであるが、どこかへドライブした時に車窓からこの百合を見た。とりたてて話すこともなく、ぼんやり外を見ている時だった。百合の姿はあっという間に見えなくなったが、しばらくの間妄想ともいいたくなるようなことを考えていた。


誰も来ない森の中の別荘。ベッドだけが置かれている小さな部屋。その中を山百合で埋め尽くし、人をその中に入れて密室状態にしたら・・・もしかしたら花の香りにむせ、呼吸が出来なくなって死んでしまうのではないか、などと。


どこかでそんなミステリーを読んだのだろうか。それとも私の勝手な想像だったのだろうか。


その時、死ぬのは男で、殺すのは女でなくてはならない。強過ぎる香りに眉をひそめ、男は窓を探す。部屋の中は昼なのに暗くて窓がどこにあるのかなかなかわからない。暗さに目が慣れてきて、やっと窓を見つけたが、その窓には重く鎧戸が閉じられている。


苦しくなってきて、男は部屋の中を歩き回る。手に触れるのは山百合の花だけだ。男が着ている白いシャツのあちこちに花粉がつくが、暗いので気付かない。


男は立っていられなくなり、ベッドに身を横たえる。苦しいが、なぜ苦しいのかわからなくなってきている。頭の中がぼんやりし、手足の感覚がなくなってくる。闇に慣れた目は、別の闇のベールに覆われつつある。


もうだめだ・・・男が最後の一息を吸い込もうとしたとき、突然大きな鎧戸が音もなく開く。部屋の中には山百合が溢れている。そして、窓の外に見える深い森にも。暗い森の中に白い花が点々と、果てることなく咲いている。男はそっと目を閉じる。


どうです?いかにもこの百合にお似合いのお話だと思いませんか?


*午前中めいっぱい集中して仕事。午後から郵便局、銀行、買い物。

*帰宅したらぐったり。

*珍しく漫然とテレビを見て、本を読んで・・・あら、もう夕方だわー

*スーパーで茶豆を見かけたので購入。やっぱり枝豆より美味しい。

*以前買い求めておいた古い布でバッグを仕立ててもらった。

*いつもの「アトリエ縫い子」さんに。

*青いカメリアの大きな柄。柄を活かすため大きなバッグ。

*近いうちにご紹介いたしましょう。

| - | 20:14 | comments(4) | - |
漢詩の潔さ
09-0728

「ゴーギャンの世界」を読み終わり、「定家明月記私抄続篇」(堀田善衛著)を読んでいる。このところ、ゴーギャンと定家を行ったり来たり、とまことに妙な取り合わせの読書が続いているというわけだ。


「ゴーギャンの世界」の前に読んでいた「定家明月記私抄」は定家四十七歳までを明月記に沿って記されたもので、「続篇」は、それ以降から没するまでを同じスタンスで描いている。


両作品とも、著されたのはバルセロナにおいてで、読者からすると違和感を感じるが、著者は全く違和感を感じなかったという。むしろ、日本の鎌倉時代初期(13世紀初頭)と、西欧の13世紀には種々の相違が様々あるが、むしろ双方の相似、共通性の方に強く印象づけられた、と書かれている。


それはさておき、また明月記についてはまた日を改めて書くことにして、今日はこの著書の終わり近く(もうすぐ読み終わるので)に書かれている和歌と漢文についてなるほどと思ったので少し書いてみたい。


「明月記」において、定家は貴族の有職故実についてこと細かく記録し、当時の世相を皮肉りながら、自らの不運をかこつことが多々あった。それはもう、大げさなくらいかこっている。昇進を熱望するも叶えられず、貧しく、身体の調子は悪く・・・と、誠に女々しい(以前「雄々しい」と書いて「めめしい」と読んだ方がいいのではないかと書いたことがあるが、今でもそう思っている。が、ここでは一般的にいう「女々しい」という意味でこの言葉を使用する)。


老年にさしかかる頃、後鳥羽上皇が承久の変で隠岐に流されて以降は、定家の運が上向き、とんとん拍子で昇進し、経済的にも安定してきたので、貧しさをかこつことは少なくなったようだ。が、老齢による不調は抗いがたく、「男共ニ取リ付キ、蚊ノ如クニ慶賀門ヲ入リ」とか「骨髄搾(シボ)ルガ如ク僵(タフ)レ臥ス」などと書いている。


日記(明月記)だけでなく、和歌にも当然その気配は濃厚だ。が、和歌になると、その弱々しさ、女々しさが余計に強く感じられ、著者は「和歌という詩形式は、どうにも老年の心境吐露には向かないのではなかろうか」と思わざるを得ないと書いている。その時、例に上げられた歌は以下の月を詠んだ三首。


今も唯月の都はよそなれど猶かげかくす秋をかなしき

あけぬ夜のわが身のやみぞはてもなき御笠の山に月は出づれど

有りへてはうきふしまちの月なれやふくるわが夜になげきそゑつつ


それに対し、「筆者のもっとも好むもののひとつ」として、読み下しの形で引用されている漢詩が以下である。


涼秋九月方(マサ)ニ幽ナリ 況(イハ)ンヤ寂閑ノ人旧遊ヲ憶(オモ)フ

良夜ノ清光晴未ダ忘レズ 当初ノ僚友往キテ留マル無シ

眠ラズ臥サズ謫居(タクキョ)ノ思ヒ 誰カ問ヒ誰カ知ラン老愁ニ沈ムヲ

白露金風爰(ココ)ニ計会シ 袂ニ満チテ袖ヲ吹キテ涙々(テキテキ)


同じように月を詠み、老齢の淋しさを詠み、嘆き涙している様子(心境)を詠んでいるのだが、著者(堀田氏)の言葉どおり、何と印象が違うことか。


漢詩の凛とした雰囲気は好きだが、原文を読み下す能力は全くない私である。が、やはりこういう詩を目にすると、漢詩は潔くていいなぁと思わざるをえない。もっと勉強しておくべきだったかもしれないと今さらながら思う。


*いやはや今日も暑かったですな。
*午後より新規クライアントに行くため都心へ。電車の中は寒い・・・(T_T)
*ないときは全くなく、重なる時は重なる。これが仕事か。
*遣り繰りを考えると少し憂鬱なれど、忙しいのは歓迎しなくちゃね。
*午後8時半ころ帰宅。腹減った。ビールが美味い。
*そろそろ夕方も水やりしなくちゃダメかも。早く秋になれー
| - | 23:14 | comments(2) | - |
異次元に入り込む
09-0727

昨日は午後から思い立って中野に行ってきた。特に行きたい理由はなかったのだが、中央線沿線のまだ行ったことがない商店街に行こうかということになり。


中野は以前行ったことがあるのだが、昔から名前だけは聞いたことがある「中野ブロードウェイ」なるところには行ったことがなく、どんなところか見てみよう!と思った。前知識が全くない状態で行ったのだが、まあまあ、そこは私とは今まで全くといっていいほど縁がなかった世界であった。


昔はどうだったのか知らないが、現在の「中野ブロードウェイ」は、フィギュアとアニメとコスプレのマニアのための場所、という印象だった。フィギュアを扱う店では、昔なつかしいものから美少女モノ(呼称を知らないので)、子供向けの菓子のオマケなど、よくもまあこれだけのものがあるなぁと驚いた。1つ1つの店の面積は狭く、小さい店が軒を連ねている様子はアメ横に似ていなくもない。


来ている人たちは、やはりそれなりに詳しい人が多いようで、ショーウインドーを丹念に見たり、仲間同士楽しそうに話したりしていた。


面白かったのは、何階だか忘れたが、マニアックな店と隣り合わせで飲食店や美容院があったこと。当たり前のように営業しており、たぶん何度か来てよく知っているだろう人たちは、当たり前のようにカウンターに座って食べていた。


海外の軍隊の放出品、色とりどりのソフトクリーム、高級腕時計、グリコのオマケ、お好み焼き、中古のアンプやミキサー、ケミカルなあーとフラワーだらけの美容院、古い映画のポスター、エイリアンの大きなフィギュア・・・そんなものが1つの建物の中にひしめいている。

 

自分とは全く縁がない場所に行った時に感じる、落ち着きのなさ、身の置き所のなさを感じつつ、異次元の世界に来たような面白さも感じた。たまには、いかにもしっくりこない場所に行って自分の感性を刺激してみるのもいいかもしれない。


ちなみに、「中野ブロードウェイ」は地下3階、地上10階建て。昨日は地下には行かず、4階までをざっと見て回った。5階より上は住宅だそうで、中野サンモール商店街から続くショッピングコンプレックス(商業住宅複合施設)として1966年に開業、とWikipediaには記されている。当時は人気があったようで、青島幸夫氏や沢田研二氏が住んでいたとか。


現在では、その店舗構成から「オタクビル」「魔の巣窟」という異名があるそうな。「魔の巣窟」っていうのは少し大げさであるように思うが、確かにオタクっぽい人が多かった。さしずめ彼らにとって、一眼レフを持ってうろちょろしている私たちは明らかに異人種として目に写っていたことであろう。


*ざっと見て回っただけでけっこう疲れたー(^.^;)

*サンモール の人出がすごくて、それだけでうんざりしていたし。

*もちろん暑いし。人が多いと余計に暑いし。

*夕食後さっさと早寝しちゃいましたわ。

*今日は夕方から中華街に行こう!と思っていたが、雨が降ってきたので中止。

*ち。頭の中で中華料理がぐるぐるぐる〜

*明日は新規の客先に行く。気持ちを引き締めなくちゃ!

| - | 18:04 | comments(4) | - |
ゴーギャンとゴッホ
09-0726

ゴーギャンについてはとりあえず終止符を打ったのだが、「軽佻浮薄も・・・」の記事にコメントをいただいたので、その返信もかねて再度書くことにする。しかも、長文で失礼をば。


まず、ゴッホとの関係の前に、「月と六ペンス」で描かれている画家像との違いについて。


この小説での画家(ゴーギャンをモデルにしていると思われるストリックランドという名の画家)は、徹底して傲岸不遜な人物として描かれている。


主人公は、まず画家の妻と知りあい好感を持つ。好感といっても恋愛感情ではなく、きちんとした感じのいい女性だという程度ではあり、この印象は徐々に変わっていくのだが、それについては割愛する。


ある日突然夫が出ていってしまい途方に暮れた画家の妻が、主人公である「僕」に夫を探してほしいと頼む。気乗りしないまま「僕」は画家を探し、ついに見つけ、その人を食ったような態度に圧倒され為す術なく帰ってくる。


その後、「僕」は画家に会う機会が何度かあったが、印象は似たり寄ったりだ。積極的に画家を知ろうとも思っていなかったし、「僕」は「僕」で自分のことで忙しかったので、次第に疎遠になり年月は過ぎていく。


画家の死後タヒチに行ったのも、画家のことを知りたいと思ったからではなかった。が、タヒチに行ってみて、急に画家の晩年が知りたくなり、彼を知る人たちに話を聞くことになる。


物語の中では、画家は突然家を出て一切連絡をとらず、家族のことなどまるでお構いなしで、自由気ままに自分の道を歩いていく人間として描かれている。そして、そこが事実とは大きく違う点だ。


「ゴーギャンの世界」を読むと、ゴーギャンは常に妻に連絡を取り、子供たちのことを思っていたことがわかる。むしろ、妻の方からの連絡が極端に少なく、いきなり出ていった夫に対する怒りが感じられる。


妻の立場からいえば、家族を捨てた夫として許しがたいというのはわからないでもない。妻にとって夫は常に自分勝手な人間であり、夫が追い求めていた芸術についてはほとんど理解していなかったし、理解しようという気持ちもなかったようだ。


夫婦のことは、ゴーギャン夫妻についてだけでなく、結局は他人にはわからない。私の印象としては、夫も夫なら妻も妻、といったところか。


「夫はこうあるべき」「家族はこうあるべき」「人間はこうあるべき」だという考えに固執し、北欧プロテスタント的な潔癖さをもっていた妻。社会主義運動家の女傑フローラ・トリスタンを祖母に持ち、幼年期の一時期をペルーで過し(祖母フローラはペルーの貴族の私生児)、権威に対する反抗心と自由を愛する心を受け継いだ夫。この2人は育った環境も気質も違い過ぎていた。それが不幸だったとしか言えない。


さて、漸く本題(^.^;) ゴーギャンとゴッホについて。


コメントをくださったmikiさん同様、私もまず最初はゴッホに興味を持った。高校生のころだったと思う。その後も、折に触れて絵を見たり評伝を読んだのはゴッホについてで、ゴーギャンについて詳しく知ろうとしたのは今回がはじめてかもしれない。


今思うと、それは当然のことのような気がする。なぜなら、ゴーギャンよりもゴッホの方が「わかりやすい」からだ。


精神を病みながら純粋に自分の芸術を追求したゴッホ。報われない愛に傷つきながら、狂気に襲われながら、懸命に生きたゴッホ。その気性の激しさを物語るうねるようなタッチ。そして、自殺。膨大な書簡を読んでいないので明言はできないが、ゴーギャンとの比較において、ゴッホは「わかりやすい」し、共感を持ちやすい。


ゴーギャンとゴッホといえば、やはり耳切り事件が有名で、ゴッホのファンから見ると、「かわいそうなゴッホを捨てたゴーギャンはいけ好かないヤツ」という印象かもしれない。が、この事件も、二人の大きな違いが招いた不幸な事故だとしか私には思えない。


当時ゴッホは、芸術家たちの共同生活に憧れ、アルルに家を借りた。憧れというよりも、熱望していたといった方が近いかもしれない。一人暮らしには不相応に広い家を借り、家具を調え、共同生活の準備を着々と進めた。が、誰もアルルに行こうとしない。ゴッホは悲嘆に暮れる。


ゴーギャンがアルルに行く気持ちになったのは、もう一人のゴッホ(ヴィンセントの弟テオドール)の熱心な依頼によってであったらしい。ゴーギャンはテオに恩義があったし、窮乏極まる生活を送っていた。ある意味で、この話は渡りに船だったともいえるだろう。また、ゴッホ自身がゴーギャンを尊敬しており、ゴッホの依頼で絵を描いて贈っていたこともあり、誰かと一緒に描くことが好きではないゴーギャンも腰をあげたのではないだろうか。


ゴッホは、生涯を通して誰かと一緒にいたいと熱望していたという。一人でいる孤独に耐えられず、常に誰かを求めていた。弟の家に押しかけ、無理やり一緒に住もうとしたこともあるようだ。


弟の結婚に反対し、弟夫婦に子供ができれば精神に不調をきたした。自殺(自殺ではないという考えもある)の遠因も、弟を独占できないことへの絶望感があったのではないかという人もいる。


誰かと一緒にいるということは、時には自分を抑えなければならないということだ。が、ゴッホにはそれができず、常に干渉しようとした。ゴッホより5歳年上であり、人から干渉されることが嫌いなゴーギャンにとって、それは堪え難いことだったのだろう。ついに共同生活を解消して出て行こうと決意する。


それを知ったゴッホがカミソリを持ってゴーギャンを引き止めようとする。ゴーギャンは逃げる。ゴッホは発作的に耳を切る・・・この事件にまつわる言及の多くにおいて、ゴッホへの同情が感じられる。ゴッホの熱意に背を向けたゴーギャンの冷たさに対する非難が感じられる。が、この点においては昔から私はゴーギャンに同情的だった。


ゴッホは明らかに病的なくらい激しい気性を持った人で、常に冷静であったゴーギャンがそれを鬱陶しく思い、ある時は恐怖感を覚えたとしても不思議ではない。耳を切ったゴッホが被害者で、その原因を作ったゴーギャンが加害者であるという図式は見当違いであるように思う。全く異なる気質の二人が共同生活をしたところに、この悲劇の原因があったとしか思えない。


ゴッホは誰が見ても普通ではない。その普通ではないところに魅力を感じるのであるが、さて、こういう人と一緒に暮らしたいかと聞かれて即座にOK!と答えられる人は何人いるだろうか。


ゴッホは純粋かもしれない。が、生涯自分で自分を食わせていかなければならないという生活苦を背負ってはいなかった。ゴッホには、物心両面で支えてくれる分身のような弟がいた。しかしゴーギャンは、自ら選んだ道とはいえ、常に生活苦を感じながら暮らしていた。


自分の道に自信があり、プライドもある。しかし絵は売れない。金はない。生きるための手段として共同生活を選んだとしても、それを打算的だという一言で済ませるわけにはいかないだろう。


福永武彦氏は、この共同生活の悲劇について、「金がかからないで暮らせるという動機が働いていたことを、忘れてはならない」とした上で、ヴェルレーヌとランボーの関係を引きあいに出し(二人は同性愛の関係にあり、ヴェルレーヌがランボーをピストルで撃つという事件があった)、ロマンチックとプリミティフという対照において、共通しているのではないかと書いている。


襲撃された側の二人、ランボーとゴーギャンとには一脈の似通った性質があった。それは、原始人的、野蛮人的な傾向であり、常に束縛されることを嫌い、此処にないものに憧れ、自由に、独立して、生きようとする傾向である。それが相手を一層苛立たせることを知っていても、相手がのぼせればのぼせるほど一層冷静にならざるを得なかっただろう。ロマンチックとプリミティフという対照は、二人の象徴派詩人の場合にも同様にあてはまるだろう。

(「ゴーギャンの世界」講談社文芸文庫84ページ)


ロマンティックなゴッホとプリミティフなゴーギャンは、かくして破局を迎えた。ゴッホにとってその痛手は「耳切り」という「わかりやすい」形で表現されたが、ゴーギャンは多くを語らず、それがまた冷徹なイメージを喚起するのではないかと思う。ゴーギャンはゴッホの死を伝える手紙の返信として以下のように書いているという。


ヴィンセントの死んだ通知を貰った。君がその葬儀に立ち会ったのを、私は嬉しく思う。この死は実に悲しむべきだが、私はそれほど悲嘆に暮れているわけではない。私はこのことを予想していたし、あの可哀想な男が狂気と闘う苦しみをよく知っていた。この時期に死ぬのは、彼にとっては一種の幸福なのだ。それは彼の苦しみに終わりを告げさせた。もしも彼が来世に生まれ変わるとすれば、彼はこの世の善行の報いを受けるだろう(仏陀の教えに拠れば)」

(1890/8 エミル・ベルナール宛て)


この文章を読むと、やはり冷静で客観的な視線が感じられ、それを「冷たい」と思う人も多いだろうということは容易に想像できる。が、果たしてゴーギャンはゴッホの死を手紙の文面どおり最初から冷静に受け止めたのだろうか。これはちょっとわからないと私は思っている。ゴーギャンのような人間は、ショックを受けてもそのままの気持ちを手紙には書かないような気もする。


長くなってしまったが、最後に文筆家のジャン・ドランが著書「怪物たち」の中で以下のように書いていることを紹介しておこう。「ヴァンサン」とは「ヴィンセント」のフランス読みである。


ゴーギャンが「ヴァンサン」という時、その声はやさしい。


| - | 09:10 | comments(2) | - |
午睡の夢
09-0725

昨日は最終電車(渋谷発)の2本前に飛び乗り、土砂降りの中を帰宅した。午前様になるのは久しぶりだ。酔っぱらうほど飲んでいなかったので、寝床で本を読み就寝。さすがに起きたのは7時過ぎだった。


昨日まで湿度は高いものの気温はやや低めだったが、今日は真夏の陽気だ。起きた時にはすでに蝉の声がワンワン聞こえ、空はまぎれもなく夏空。


この気温の変化に身体がついていかないのか、だるいわ息切れがするわでダラダラ。昼食は近くの蕎麦屋に行くことに相成った。蕎麦屋で唐揚げをつまみにビールを飲み、蕎麦を少しつまんで帰宅したら、なんだかこりゃ昼寝するっきゃない!気分。たぶん眠ったのは2時ころだと思うが、起きたらすでに6時近かった。こんなに長く昼寝すると、夜が・・・(^.^;)


私の場合、何故か夜より昼の方がよく夢を見る。あるいは、夜見る夢よりも昼寝で見る夢の方がよく覚えている。今日は以下のような夢だった。


私と妹、そして父が公園の近くを歩いている。私と妹はまだ幼い。父はさほど若くない。60歳くらいだろうか。公園は現在私が住んでいるところに近い公園で、猫が数匹暮らしている。どうやら私たちは、その猫たちに餌をやるために公園に向かっているようだ。


公園に着くと、二手に分かれようということになった。大小のプールを囲むように道があり、父は右の道を、私と妹は左の道を行った。緩い上り坂の道を歩いていると、猫ではなく鳥が出てきた。鶉のような鳥が2羽。バカに人懐こくてこちらに寄ってくる。撫でようとすると、すぐ後ろから白い山羊のような動物までやってくる。こちらも人懐こい。


他にも何だか覚えていないが、小さな動物たちが集まってきて、餌をねだるでなく、ただのんびりと私たちの近くでくつろいでいる。


そろそろ行かなくちゃ、と立ち上がり動物たちの方を見ると、茶と白の猫が鳥たちや山羊と仲良く寝そべっている。わが家の猫に似ているので近づいてみると、白い毛の部分が多い。うちの猫がこんなところにいるわけないよね、と言いながら公園の出口に向かう。


公園を出て坂道をゆっくり下り坂道を下る。「お父さん、もう帰ってしまったかな」と言いながら後ろを振り向くと、先ほどまではいなかった母が父と一緒に歩いている。二人ともどこか哀しげな表情をしている。


私たちに追いついてきた母が、いきなり「おばちゃんが死んだって」と静かに言う。「死んじゃった・・・」と呟くように言う。


「おばちゃん」とは母の姉で、姉は幾人かいるのだが「おばちゃん」と呼んでいた姉は一人だけなので、どの伯母かはすぐわかった。一瞬私も深刻になったが、考えてみればその伯母はすでにこの世の人ではないはずであることに気付く。おかしいなぁ、伯母さんはもういないのになぁ、と思った・・・ところで目が覚めた。


目が覚めるとすでに外はうっすらと暗くなりかけていて、ヒグラシの声が幾重にも重なって聞こえた。妙な夢を見たなぁとぼんやり考え、夢を思い起こしながら、しばらくその声を聞いていた。


午睡の夢は、どこかおぼろげでとらえどころがない。強い印象を残すというよりも、起きた時からどんどん記憶が薄れていく、はかない夢であることが多い。加えて今日の夢は、すでにこの世にいない父が出てきて、母はすでにいない伯母が死んだという。茶白の猫は、数年前死んだ公園猫アカノスケによく似ていた。


夏は、生者と死者が親しむ季節だからなのだろうか。不思議な夢だった。

| - | 19:01 | comments(2) | - |
文字を書く喜び
09-0724

万年筆を手に入れ、簡単な日記をつけたり、本の中の気になった部分を書き写したりしている。


手書きで文字を書くという行為は、もしかしたら10年以上日常的ではなくなっていたかもしれない。メモを取る。請求書の宛名を書く。年賀状の一言コメントを書く。時折知人にカードを送る。そんな時くらいしか文字を書いていない。


が、一昔前までは、けっこう文字を綴ることが多かったのだ。手紙もこまめに書いたし、仕事の原稿も手書き。企画書だって手書き。立派なペンダコもあったっけ。


文章を考えるのも好きだが、「文字を書く」ことも基本的には好きだったんだな、やっぱり・・・と最近思っている。今のところ、万年筆を使ってという限定付きではあるが。


紙の上をペン先が滑っていく時の微かな音と感触。インクの微妙な濃淡。下手な字ながら、なんとなく味わいを感じさせてくれるのは、偏にこの筆記具のおかげだ。


紙も重要で、書き心地がいい紙というのが思いの他少ない。便せんなどでも、書き心地が悪いものが少なくない。もちろんこれは個人的な好みの問題だが。昔からある大学ノートなどの方が、今風のものよりも書き心地がいいように思う。


万年筆のペン先のサイズは「M」(中字)で、日常的な使用ならこれが一番いいと思う。サインや原稿書きならもっと太めがよさそうだが、私にとってはあまり出る幕がなさそうだ。ノートの罫は太めが好みだが、これまた少ない。機会を見つけて、太罫のノートを探してみようかと思っている。


罫は太くないが、書き心地がよくて気に入っているのが、モレスキンのノート。今はダイアリーとノートの2種類を使っている。持ち歩き用の小さいメモ帳もモレスキンで、油性ボールペンを使ってもけっこういい書き心地である。


筆記具や紙類を含む、いわゆる文房具ははまり出すと怖い(^.^;) 昔、ちょっとはまったことがあるのでそれがまた来るのか!とちょっと警戒中。楽しいんだけどね。


*今日は夕方から出かけて帰りが遅くなりそう。

*3月までやっていた仕事関係者が久しぶりに集まる。

*だからまた、ってことにはならないだろうけれど。

*縁があったのだから、縁は大切にしないとね・・・

*都内で飲むのがかなり億劫になってきている今日このごろ。

*酔っ払いにならない程度に楽しんで、さっさか帰ってこようかな。

| - | 14:13 | comments(0) | - |
ゴーギャンの世界
09-0723

なんだか一日置きにゴーギャンの話題になってしまって恐縮だが、昨日やっと読み終えたので書くことにする。


ゴーギャンの世界」は、福永武彦という作家の手になるゴーギャン論ということになろう。画家やその周辺の人々の書簡や画家自身が書いたもの(「ノアノア」など)を丹念に検討した上で書かれているので、これを読むと先に取り上げた「月と六ペンス」がまぎれもなくフィクションであることがわかる。


「月と六ペンス」において、ゴーギャンをモデルにした画家ストリックランドは、はじめから終わりまでほぼ“傲慢で利己的で野蛮な男”として描かれている。が、先に引用した松岡正剛さんの言葉を借りれば、この作品は「ゴーギャンが『負の描写』により浮き彫りにされているにすぎず、小説としては面白くても、これをもってゴーギャンの人間像を把握すたつもりになっては大変危険であろう。


「ゴーギャンの世界」は、この画家が株式仲買人を突然やめてプロの画家になろうとしたところから、悲惨ともいえる死を迎えるまで、ほぼその生涯に沿って書かれている。注目したいところはたくさんあるが、とくに終章「呼び声」で次々と言及されるゴーギャンの人間像は圧倒的で、福永武彦という人の深く激しい視線を感じられる。


今日は終章の終わり近くを一部紹介するにとどめる。ごく一部であるが長い(^.^;)


そこからゴーギャンの真の二重性が始まる。画家と人間と。意識的なものと無意識的なものと。この矛盾は容易に折り合いのつかないもののように思われる。もし彼が野蛮人となり切った時には、彼はもう画家として役に立たないだろう。しかし画家である限り、彼は野蛮人にはなれないだろう。彼の最良の作品は、すべて無意識的なものの意識的な翻訳であり、それが成功した時には『我々は何処へ行くか』のような、比類ない傑作となる。(略)彼はモンフレーに当てて「私を支えているものは怒りだ」(11/12/1893)と書いている。この怒りは彼の生涯を貫き、そのプライドの一面をなしている。彼は遂に認められなかった不幸な芸術家で、怒りは毒素のように文明人としての彼の魂を蝕んでいった。もしも彼が野蛮人として生きられたら、このような怒りを忘れて平和生きられたかもしれぬ。

しかし彼は彼自身の魂を改造することが出来なかった。言い換えれば、彼はフランス人ポール・ゴーギャンである運命を逃れることが出来なかった。ゴーギャンの悲劇は、もしそれが悲劇であるとすれば、野蛮なものの中に芸術の酵母があることを正しく見抜きながら、死ぬまで文明人であって野蛮人の幸福を手に入れることの出来なかった人間の悲劇、と言えるだろう。

(ゴーギャンの世界・福永武彦/講談社文芸文庫422〜423ページ)


*ゴーギャンについては、とりあえずこれでお終い。

*展覧会を見に行ったら、また書くかも!?

*なんだか真夏らしからぬ天気。曇りのち雨のち曇り。

*湿度だけは充分すぎるほどあって、気温の割に不快指数は高い。

*さほど暑くないのに、妙にだるい。

*妙な陽気に体がついていかない感じ?

| - | 19:33 | comments(0) | - |
欲望について
09-0722

昨日は、初対面の方に会って楽しい時間を過した。ネットで知りあいになった薔薇の大先輩で、日ごろからその方の薔薇に対する思いやスタンスに共感を感じていたので、リアルな世界で会う機会がもてて良かったと心から思う。


話題は当然のことながら、薔薇に始まり薔薇に終わるといった感があった。どこそこで見た薔薇。自分たちが持っている薔薇。欲しい薔薇。気になっている薔薇・・・なんだかキリがないくらい話題が出てきて、あっという間に時間が過ぎていった。


薔薇についてだけではないが、およそマニアックな分野に足を踏み入れると、そこには果てしない欲望のようなものが渦巻いているように感じることがある。あっけらかんとした罪のない欲望から、計算に裏付けられた暗い欲望までそれは実に様々だ。


以下は、自他共に認める「欲深女」が綴るざれ言として読んでいただければと思う。


欲が深いということは、決して悪いことだとは思わない。が、世間一般の目は、あからさまな欲の表現に対して否定的なことが多いようにも思う。はしたない、下品だ、不愉快だと思う向きは多いと思うし、私自身そう感じることもある。


が、欲望そのものは、ないよりあった方がいい。欲が深いほど、そしてその欲に従って行動すればするほど、手に入れるものも多いかもしれないが、失うものもまた多い。それをきちんと覚悟した上で、という条件付きで私は欲望を肯定する。


また、自分の欲望に正直に生きるのは、ある意味潔い生き方だと思うが、心構えとして持っていたいのが、「自分の欲に人を巻き込まない」ということだろうか。全く巻き込まずにいられるとは思わない。結果的に巻き込む形になってしまうことはままあることだ。が、最初から人を巻き込みながら自分の欲望を満たそうという姿勢には全く共感を覚えない・・・というか、むしろ反感を覚えることが多い。


冒頭にあげた薔薇についても同じである。誰かの薔薇がとてもきれいだ、私も欲しい、どこで買ったの?というような遣り取りが婉曲的なものを含めて日常茶飯事に交わされている。そして、時にはそれが思わぬ波紋を起こすこともあるようだ。


そういう状態をかいま見ながら、自分の欲深さを省みながら、いろいろ考えることは多い。もっと淡泊になれたら、と思う時がないではないが、根が正直なので(!)どうにもならないようだ。自分の欲望とどうしたら上手く付き合っていくか・・・これが生涯の課題の1つになるのだろう。

| - | 22:56 | comments(2) | - |
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