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日々の内側
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猫とのスタンス
09-0630
・・・昨日の写真の顔アップ。ね?へばりついているでしょ?・・・

好きに食べて好きなだけ生きればいいと思うよ。


以前から時々サイトにお邪魔しているNさんのブログに書かれていた一行に、もしかしたら何気なく書かれた一行にはっと立ち止まった。


話題はNさん宅の最年長猫R兄についてで、今年15歳になる。最近「おしっこが自由奔放」とのことで、老化による現象なのかもしれないが、それを大げさにとらえることなく受け入れられている姿勢に強い好感を持った。


Nさんは以前都内の下町に住まわれていたが、神奈川県の海に近い場所に引っ越された。一緒に暮らす猫たちは5匹で、みなさん個性豊かである。


知りあった(お会いしていないが)時からいいなぁと思っていたのは、猫たちとNさんのスタンスだ。妙に甘やかせるわけでもなく、かといっていろいろな制限を課すわけでもなく。猫は犬と違って、教育することがかなり難しい動物ではあるが、人間との共同生活においては多かれ少なかれ制限を課せられる。


Nさん宅とて全く制限はないわけではないだろうが、傍目で見る限りできるだけ自由にさせているように見受けられる。その放任ぶりは「甘やかす」というものでもなく、「尊重する」といった大げさなものでもなく、なんとも自然なのだ。それがいい。


冒頭に引用させていただいた言葉は、ここ数年あどけなくなってきたR兄について書かれたもので、淡々とした文章の中に長年暮らしを供にした猫への深い理解と愛情を感じる。


人間も高齢になれば体力的にも衰え、多かれ少なかれ頭は鈍くなり、周囲はどう対応してよいやらいろいろ迷う。が、もうこれだけ生きてきたのだから、あとは好きにすればいいよ、と言うことができる人はなかなかいないのではないか。


わが家の長男猫ゴンはこの秋10歳になる。やはり身体が心配なので、食事は高齢猫用のドライフードが中心だ。今のところいやがる様子もなく食べているが、いつも同じものばかりではかわいそうな気もしている。刺し身やかつお節なども時々やるが、蒲鉾など加工食品は塩分が気になるので欲しがってもやらない。


外に出してやることもできず、長々と狭い家の中にいるだけの生活が果たして猫にとっていいことなのか気持ちが揺れることもある。


縁あって一緒に暮らすことになったのだから、できるだけ自然体で付き合い続けていきたいものだ。どう転んでもあれこれ後悔は残りそうである。それなら、できるだけお互いストレスを感じることなく暮らしていきたいものである。

| - | 21:08 | comments(2) | - |
彫刻
09-0629

先日クレマチスの丘に行った時、頭の中の大部分がクレマチスのことで占められていたらしく、ヴァンジ庭園美術館はあっさりと通り過ぎてしまった。


帰る時になって、もうちょっとゆっくり見ればよかったと思ったが、ゆっくり見るためにはそれなりに前もって時間を割くことを予定しておかねばならない。今回は、天気や時間を考慮してKさんが急遽案内してくれたので、クレマチスと気持ちのいい庭園を歩けただけで満足だといえよう。


帰ってから、通り過ぎながら見たいくつかの彫刻を思い出してみた。彫刻のタイトルはもちろん、詳細もほとんど覚えていないのだが、どこか人間の深層をえぐり出すような、それでいてグロテスクではなく、むしろ静かな印象を与える作風だと思った。


もともと私は彫刻に疎く、今までじっくり見たことがあるのは西洋美術館にあるロダンと碌山美術館の萩原守衛くらいだろうか。ヴァンジについては、美術館に行くまで全く知らなかった。美術館サイトの紹介は以下の通り。


ジュリア−ノ・ヴァンジは、フィレンツェ近郊に生まれ、二十代のころ抽象的な形態を追求し一時期ブラジルに渡ります。しかし、人間をテーマにすると決意した後イタリアに戻り、以来閉塞した社会の中に生きる人間の本質を、ときには暴力的ともいえるような、具体的な形態で表現してきました。また、プレキシガラス、ニッケル合金、金、銀といった様々な素材を研究し、伝統的な象眼技法を応用し、彫刻の中で組み合わせました。1995年に開催された、フィレンツェを見降ろすベルヴェデーレ要塞の大回顧展は、それまでの彼の探求を世界に示すものとなり、同年のヴェネツィア ビエンナーレで一部屋を与えられ、その評価を不動のものにしました。


ヴァンジに限ったことではないが、日本における彫刻という芸術作品に対する評価、興味の度合いは低いのではないか。屋外に展示されていると、遊具と間違えられそうだ。


仏像はあんなに注目されるというのに、ちょっと理不尽であるような気もする。美術の教科書には確か有名な作品のいくつかが掲載されていたと思うが、マスコミに取り上げられることも少なく、露出される機会も少ない。これでいいのだろうか。


何をどうするつもりもないが、とりあえずこんな気持ちになったので、ヴァンジ美術館にはまた行こうと思っている。次回はじっくり見て回るぞ!


*写真はガラスの向うにいる人物。

*ガラスに押し付けられた手や鼻は何を語るのか。

*そろそろ、ほおずき市、朝顔市の季節だな。

*毎年行きたいと思いつつ行かずじまい。

*ほおずきや朝顔を買うつもりはないのだが、雰囲気をあじわいたいわけ。

*今日は一日お仕事モード。明日も半日くらいは集中してやろうかな。

*見たい映画あり。「扉をたたく人」。おもしろそうだ。

| - | 16:21 | comments(2) | - |
50mmの実力
09-0628
・・・50mmと一緒に歩いた靴。ビブラムソールだぜぃ!・・・

8時46分新横浜発の新幹線に乗って、沼津まで行ってきた。昨秋からの懸案である、「丸っこい石を拾う」ために。前日から三島に出向いていたKさん、当日自動車で駆けつけてくれたKさんダーリンと駅で待ち合わせ。まずは何はともあれということで、海岸へ。


お話通り、丸い石があるわあるわ。大きいのから小さいのまでゴロゴロ。釣をする人、波打ち際で遊ぶ子ども、幼児を連れて散歩に着ているお父さん方、などに混じって石を拾ったり水平線を眺めたり。暑い日だったが海風が適度に吹いて気持ちいい。飛びそうな帽子は急遽石の入れ物になった。


昼には少し早かったが、Kさんが予約しておいてくれた千本松・沼津倶楽部へ。ここは、明治の粋人・三輪善兵衛(みわぜんべえ。ミツワ石けん創業家三代の名前。ここでは二代目か?)の別荘として建てられたもので、本格的な数寄屋造りだとのこと。


日本建築の粋を集めた意匠、設えも見ごたえがある。食事の前に丁寧に案内してくれ、「たてもの」と「たべもの」の両方を堪能することができた、といえるだろう。


次に向かったのは沼津港付近。土産に桜えびを買いたいと私が希望したのだった。港というより、港付近の市場や名産を扱う店などを冷やかし、イルカの切り身を焼いて売っているのに驚き、干物やカブト(大きな魚の頭)の写真を撮り、目的の桜えびを買って次の目的地であるクレマチスの丘へ。


クレマチスの丘、という観光施設があるのは知っていたが、知っていたのは名前だけ。ビュフェ美術館を併設し、手入れがゆきとどいた広大な庭園には、イタリアの彫刻家であるジュリアーノ・ヴァンジの作品が点在、クレマチスはもちろんハーブやナチュラルな印象の宿根草を巧みに組み合わせたガーデンとしても魅力もある。芝生がとてもきれいで、思わず靴を脱いで裸足で歩いてしまった。


ミュージアムショップを出たら夕暮れが近づく時刻。三島駅まで送ってもらい、新幹線に飛び乗って(ホームに上がったらちょうど入ってきたところ。ナイス!)帰路についた。


もちろんカメラは持っていった。昨日は50mmを選んだのだが、これが大正解。海、海で遊ぶ人、日本建築とそのほの暗い室内、猥雑感のある市場、所狭しと並ぶ海産物、スクラップの山!、緑溢れる庭園、彫刻、草花・・・撮影対象としてこれほど多彩なものを一日で撮る機会というのは滅多にない。


その滅多にない機会をレンズ交換なしでストレスなく楽しめたのは、明るい50mmのおかげといっていいだろう。あらためて、標準レンズの実力を思い知った次第である。


*しかし新幹線を使うと早いなぁ。

*とくに帰りは「ひかり」を使い、乗換がスムースだった。

*三島駅から最寄りの綱島駅まで45分くらい。近いぞ、三島!

*ビュフェ美術館で没後10年展をやっている(7/14まで)

*ビュフェ自らによるキューレーションの再現、ということだ。

*見たいぞ。もし都合がついたら行こうかな。

*沼津倶楽部もよろしゅうございました。

*ほんの一部だろうが、沼津の魅力を私なりに堪能できた。

*車での移動はラクだし、いろいろ回れるからやっぱり便利ですな。

*Kさん、Kちゃん(Kさんダーリン)どうもありがとう!

*土産を届けがてら、帰りに行きつけの「へちま「へ。

*そのあと、近くの中華屋で半チャーハンをぱくぱく。

*帰宅したらどっと疲れて、更新もせず寝ちゃいましたー(^.^;)

Walkin'、更新。

*スクラップから魚から美しい花まで何でもござれであるぞ。

猫ブログも(ついでに)更新(^.^;)


| - | 15:00 | comments(0) | - |
作家の妻
09-0626
・・・去年の3月に行った羽田の海。また行きたい・・・

今読んでいる「回想の大宰治」の著者である津島美智子氏は、名字からわかるように大宰の妻だった人である。


プロの小説家だったわけではないが、父親は東京帝国大出身で各地の中学校長を歴任した人であり、自身も東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)を卒業し、女学校の教師をしていた。文章を書くにあたっての素養は、ある程度あった人だと思う。


加えて結婚当初は大宰の口述筆記をしていたので、家庭人としての大宰についてのみならず、作家としての大宰の姿もつぶさにみてきた人といえよう。


そういう意味で、本書は大宰研究の資料的価値もある作品だと思う。が、やはり、一人の人間としての大宰治がどのような人だったのかをかいま見ることができることが、私にとっては最も評価できる点である。


小説家に限らず、画家、作曲家などいわゆる「作家」と呼ばれる人の妻が、夫の死後にその回想を出版することは珍しいことではない。坂口安吾夫人の三千代さんも「追想坂口安吾」という作品を書いている。武田泰淳夫人の武田百合子氏は家族との暮らしを綴った「富士日記」で有名だ。回想に的を絞っているわけではないが、やはり妻にしか知ることができない夫の姿が描かれていると思う。


いずれにしろ、作家という職業についた人は、多かれ少なかれエキセントリックなところがある人が多いと思われるが、そのような人と長年生活を共にしたということは、妻の方にもそれなりの素質がないとできないことであるような気がするがどうだろう。


津島美智子氏の文章は淡々としていて、どちらかというと硬い文章である。が、時折自分の主観的な意見や感想をさらりと織り込むところなどは、できるようでいてなかなかできないことであるように思われる。


また、まだ最後まで読んでいないので明言は避けるが、大宰の過去から現在に至る女性関係に心が大きく波立ったこともあるであろうし、心中という形で目の前からいなくなった夫に対する複雑な気持ちは想像の域を超えるものだろうに、この手記ともいうべき回想文にはどことなく母性愛的なものを感じる。


大宰はその生い立ちからしても、誰かに甘えないと何もできない人だったのかもしれない。「甘えないでよ!」と怒りを感じながら、自分の甘えてくれることを嬉しく思う・・・妻は自らのそんな女性心理とどう向き合ってきたのか。その辺りにとても興味があり、少しずつではあるが楽しく読んでいる。


*テレビで羽田の海周辺を取り上げていた。

*あの辺りは、海水と淡水が出あう場所で、かつては豊かな漁場だったとか。

*今でも漁師をしている人はいるみたい。

*あなごは今ごろが美味しいとか。

*なぜだか私は漁港が好き。特に小さい漁港が。

*というわけだからではないが、明日は日帰りで沼津に行ってくる。

*高校時代をそこで過したKさんの案内付き。

*暑そうだなぁ。日焼け止めを持っていかなくちゃ。さすがに・・・

| - | 17:49 | comments(0) | - |
パッケージ買い
09-0625
・・・リスくんがかわいい西光亭のクッキー箱。オバ心をもくすぐるなり・・・

子どものころ、カラフルな紙に包まれたキャンディを買ってもらうと、その紙をきれいに伸ばして大切にしまっていた。パラソル型のチョコレートも、破れないよう慎重に紙を剥がして、宝箱に入れていた。


使う目的などなく、ただ「きれいだから」という理由だけで手元に置きたかった。時々箱から出して、1枚1枚眺めて満足した気持ちになり、またそっとしまった。こういう経験は女性特有のものだろうか。


中身よりも外側が気になるという習性は、大人になってからも引きずっていた。包装紙、袋、箱、ものによっては瓶や缶が欲しくて何かを買う。中身は二の次で買う。そんな経験を何度もしてきた。


さすがにここ数年は少なくなったが、それでも時折ツボにはまるとやってしまう。昨日買ってきたクッキーがまさにそれで、絵本から出てきたようなリスの絵にほだされて、箱入りクッキーをいくつか買った。


食べ終わった後、何に使うかなどということは考えない。ただ、かわいいから。きれいだから。子ども時代の価値基準はいまだに残っているとみえる。パッケージがいいと中身もいい・・・などと、時々言い訳しながら買ってきたものがたくさん集まり、捨てられずに困ることもある。


瓶類についてはもう卒業したかに思われるが、子どものころよく食べたヨーグルトの瓶に似た形のものを見つけるとつい手がでてしまい、昨日もスーパーで瓶入りのプリンを2つご購入。あのぽってりとした形に弱い私であった。


それでなくても自分の物欲に振り回されがちなのに、ブツを包むものにまで欲が及ぶとは・・・と半分本気で飽きれている。やれやれ。


*梅雨って雨の日が数日続くっていうイメージなんだけど。

*ここ数年、梅雨らしくないような気がする。今日もいい天気。

*このメリハリのなさ、あまり(かなり)好きじゃないなぁ。

*小さい箱の方は、すでに食べてしまいました<クッキー

*プリンもひとつ、食べてしまいました。コーヒー味のやつ。

*久しぶりに、ブツログを更新。

*こまごまとしたものを。大物はあまり買っていないし。

| - | 17:47 | comments(2) | - |
この際、大宰
09-0624
・・・プードルってこんなに大きかったのね。鎌倉にて・・・

ドラマを見たからというわけではなく、しばらく前から気になっていたので、ここはひとつ大宰治の作品や作家論などをまとめて読んでみようか、という気になってきた。


そこで、昨日八王子の書店で「回想の大宰治」(津島美智子著)をとりあえず購入。電車の中で読み始めた。作品も読んでいるようで未読のものがかなりある。何度か読んでいても、物忘れの度合いはひどくなる一方なので内容をほとんど覚えていないものもある。


現に、昨日買おうかどうしようか迷った「津軽」は、帰宅して本棚を見たらあるではないか。買ったものの読んでいないという本もあるが、栞が巻末にあるのでたぶん読んでいる。いつ読んだかは定かでないが。


今まで読んだ中で一番好きな「斜陽」は、さすがに何度も読んでいるのでだいたいは覚えている。「子どもより親が大事と思いたい」で有名な「桜桃」はなんとなく覚えている。「恥の多い生涯を送って来ました」という手記が印象的な「人間失格」は、たぶんはじめて読んだ大宰作品で、その後何度か読んでいるので、これもなんとなく覚えている。


短編も何冊かは読んでいるはずで、本棚を探れば数冊は出て来るだろうと思われる。評論ではないが、とてもおもしろく読み、レビューまがいの文章も書いた「大宰治に聞く」(井上ひさし著)もどこかにあるはずだ・・・


と思ってざっと探したがない。自分が書いた文章を再度読んでみたら、どうやら図書館で借りたらしい(^.^;)すでに絶版になっているようなので、慌てて(慌てる必要などないのに)古書店のオンライン店で注文した。


好きな作家なのか、と問われれば、たぶんそうなのだろう。数年に亘り再読しているのだから。しかし、どこが好きなのかと問われるとなかなか答えることができない。


どこかで誰かが大宰は「人たらし」だと書いていた。つまり、短所がけっこうあるのに、妙に人から好かれる、慕われるということである。私もたらされたクチなのだろう。


大宰に限らず「人たらし」はたらされる人間が多い反面、毛嫌いする人も多い。三島由紀夫は大宰をかなり嫌っていたという。「斜陽」は没落していく華族を描いた物語だが、登場人物の言葉遣いがてんで違う、本物の華族はあんな表現はしない、と言ったそうな。両者をさほど知らなくても、いかにも!と思える話である。自らの出自に誇りを持っていた三島らしいともいえるが、所詮作り話、物語の世界なのである。軽く指摘するくらいにしておいた方がよかったように思われる。


そんな三島が、敬愛する伊東静雄に冷たくあしらわれたという話をだいぶ昔読んだことがある。三島は伊東の「春の雪」を絶賛し、自分の小説のタイトルにまでしているが、はるばる訪ねた伊東静雄は終始打ち解けることなく、なまいきなガキだと思ったらしい。お坊ちゃんで才気走った三島へのコンプレックスもあるのだろうが、なんとなく痛快である(三島が嫌いでそう思うわけではない)。


井上ひさしの指摘は、今でも卓見だと思っている。


「太宰の文章だったら、どれでもよろしい。彼が格好よくきめたら、そのあとに『なあんちゃって』を付けてみてください。妙によく付きます。そしてうんとおかしくなる。」

富士には月見草がよく似合う・・・なあんちゃって。恥の多い生涯を送って来ました・・・なあんちゃって。なるほど・・・

本気でふざけている。必死でおちゃらけている。大宰はそんな人間だったような気がしている。

*午前中はかなり激しく降っていた。

*出かける予定があったので、こりゃ長靴かなぁと思ったが。

*午後からめでたく!雨があがり、普通の靴でお出かけ。

*お中元代わりにデパ地下の豆源でいろいろみつくろう。

*途中、「西光亭」のかわいいパッケージに目を奪われる。

*絵本に出て来るような、かわいらしいリスの絵の箱がずらり。

*中身はクッキー。

*思わず得意先のデザイナー用、自分用にいくつかゲット。

*こういうものにはオバチャンも弱いのよ。

| - | 21:16 | comments(5) | - |
17歳の面影
09-0623
・・・庭の片隅のささやかな設え。小動物の墓だろうか・・・

高校時代の友人と待ち合わせをして、八王子にある霊園に行ってきた。八王子といっても、駅からバスで40分あまり。ようやく着いた霊園は、広々とした敷地に真夏のような陽射しが満ち、緑が輝く気持ちいい場所だった。


その墓は個人のものではなく、教会が購入したものだ。墓石には教会の名前が刻まれ、その左右に置かれた石碑に、その下で眠る人の名前、生年、没年が刻まれている。


右手の石碑に並ぶ人名の二番目に、彼の名前があった。高校のクラスメートであり、休学中自らの命を絶った、私にも友人にも忘れ得ぬ人だ。炎天下、しばし手を合わせた後、友人と彼の思いでを語り合った。


休学中だったけれど文化祭には来ていたよね。

無口だったけど、存在感がある人だったよね。

もうすぐ復学すると言われていたのにね。

当時はあの病気は珍しかったから、予期できなかたんだよね。

あの日は、校庭のコスモスがきれいに咲いていたよね。


友人と彼はさほど親しかったわけではないが、同じ団地の同じ棟に子どものころから住んでいた。彼女が5階。彼が2階。そして彼は、彼女の家のドアの前から身を投げた。


何故・・・という問いは、30余年の年月を経て消えたかに思われる。しかし、彼を忘れない人たちの胸の中には、今でも、これからも小さな疵のように残るのだろう。あの17歳の面影とともに。

| - | 21:37 | comments(0) | - |
雨を感じながら
09-0622
・・・アガパンサスがきれいに咲きそろってきた・・・

梅雨なんだから、雨が降るのは当たり前。鬱陶しいなどと言っていないで、この時季だからこそ感じられる雨の気配を感じよう!・・・と思い立ち、カメラを持って近所を散歩。


霧雨のように降っていた雨が止み、しばらくは降らないかなと楽観視していたのだが、家を出て5分もするとまたポツリポツリと降り出した。そんなこともあろうかと手ぬぐいを1本持って出たので、カメラに巻き付けて、しばらくは散歩を続けたのだが、雨足が次第に強くなってきたのであえなく帰路についた。


カメラを持っていなければ、と思う。持っていなければ、足の向くまま気の向くまま、濡れるがままの散歩を楽しめただろうに、と思う。


それははじめからわかっていたことなのだ。雨を感じる時間をとことん楽しむなら、カメラは無用である、と。


が、やはり持って出てしまう。この中途半端さが自分を縛っていることもわかっているのだ。それなのにカメラを持つ。たぶん自分で意識している以上に、私とカメラは強く繋がっているのかもしれない。


いつでも持っているわけではない。仕事で出かける時はほとんど持たないくらだい。が、何の拘束もなく、自分一人の意志で動けるプライベートな時間において、カメラはなくてはならぬ存在になっているのだ、きっと。


だとしたら、もしかしたら故障してしまうかもしれないけれど、とことん私につきあってもらおうかな。出来得る限り庇いはするが、庇い切れないこともある。それでも、おまえとともに時を切り取ろうと思ったとしたら、おまえはそれを諾とするだろうか。タダの機械にすぎないのに、妙に親しい重さを感じさせる黒いカタマリに聞いてみたりしている。


*そろそろ薔薇に薬をまかなくちゃいけないんだけど・・・

*タイミングがなかなかつかめない。

*それでなくても、すごく気を使うのに。集合住宅は辛いよ。

*明日は中学・高校時代の友人と同級生の墓参り。

*八王子からバスで40分だって。うーん・・・

*万年筆が欲しい。でも、欲しいのは高い。さて、どうする。

猫ブログ、更新。

*季節の花は、こちら

| - | 19:33 | comments(0) | - |
ムシムシ
09-0621

やっと梅雨らしい天気になってきたようで、今日は朝から雨。窓を開けっぱなしの室内の湿度は限りなく100%に近く、ムシムシ。まとわりつくような水分に気分も重くなりがち。


雨の中を出かける用事もなく、少しでも快適になればと昼風呂に入った。いつもより時間をかけゆっくりと・・・と思ったが、換気扇を付けているにもかかわらず息苦しさを感じてギブアップ。


どうも湿度に対して身体が過敏なタチのようである。だから夏が苦手で冬が好きなのかもしれない。身体的快適さは、私の場合温度よりも湿度に因るのだ、きっと。


こんな時、ほんの一瞬でもすっきりした気分にさせてくれるのが、ローズマリーの香り。先日花屋で買ってきたローズマリーに顔を近づけて、息を深く吸い込む。ああ、いい香り。


香りに関する好みは非常に個人的で繊細なものだ。私の場合、無条件で好きな香りのトップがこのローズマリーかもしれない。


ローズマリーの香りには、意識をはっきりさせる作用があるそうだ。脳内の大脳辺縁系にある海馬という記憶を司る組織に働きかけ、記憶力や集中力を活性化させるという実験結果もあるらしい。眠気覚ましにもいいとのことで、ダルダルのグテグテ状態にある今の私にとっては有効な香りといえよう。


好きなハーブなので、ベランダで小さい株を育てている。薔薇に水やりするため近くを通る度に香りを吹くんだ空気が微かに流れる。ほんの一瞬だが、なんともいえない爽快さを感じる。庭があれば間違いなくこのハーブをたくさん植えて茂みを作り、その近くに小さなベンチを置き、思う存分この香りに包まれるであろう。想像するだけで、うっとり。


エジプトのファラオの墓に副葬品としてローズマリーの小枝が入っていたという。なるほど、邪気を払いそうな香りである。エッセンシャルオイルでも買ってきて、もっと積極的にこの香りを楽しもうかな。

| - | 17:35 | comments(2) | - |
ダルダル
09-0620
・・・愛想がとてもよかったサビ猫ちゃん。めちゃくちゃ好みのタイプ・・・

梅雨時から夏にかけてが一年の中で最も苦手。とにかくだるくて体調がすっきりせず。すっきりしない肉体にはすっきりしない精神が宿り・・・気分もウツウツ。


おまけに今日は朝から頭痛。もともと頭痛持ちだったが、子どもを産んで体質が変わったのか滅多に頭痛に悩まされることはなくなっていたのだが・・・またもや体質が変わって元に戻ってしまったのだろうか。鎮痛剤を二度飲んでなんとかやり過ごしたが、出かける気力などなくて一日家にいた。


昼間、なんとなくテレビをつけっぱなしにしていたら、去年見た「大宰治物語」を再放送していた。一年前に見たのだが、また見てしまった。豊川悦司に大宰をやらせたのは、なかなかいいキャスティングだと思う。今年は生誕100年に当たるので各地でいろいろなイベントが催されたらしい。私も、誕生日が近いことや偶然にしろ三鷹(しかも玉川上水に近いところ)に住んでいたことがあり、なんとなく縁のようなものも感じている。


さて、明日の天気はいかがなか?頭痛が治って天気がまずまずだったら、近場でもいいので散歩に出かけたい。やはり外に出ると気分転換になるしね!

| - | 19:13 | comments(2) | - |
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