好きに食べて好きなだけ生きればいいと思うよ。
以前から時々サイトにお邪魔しているNさんのブログに書かれていた一行に、もしかしたら何気なく書かれた一行にはっと立ち止まった。
話題はNさん宅の最年長猫R兄についてで、今年15歳になる。最近「おしっこが自由奔放」とのことで、老化による現象なのかもしれないが、それを大げさにとらえることなく受け入れられている姿勢に強い好感を持った。
Nさんは以前都内の下町に住まわれていたが、神奈川県の海に近い場所に引っ越された。一緒に暮らす猫たちは5匹で、みなさん個性豊かである。
知りあった(お会いしていないが)時からいいなぁと思っていたのは、猫たちとNさんのスタンスだ。妙に甘やかせるわけでもなく、かといっていろいろな制限を課すわけでもなく。猫は犬と違って、教育することがかなり難しい動物ではあるが、人間との共同生活においては多かれ少なかれ制限を課せられる。
Nさん宅とて全く制限はないわけではないだろうが、傍目で見る限りできるだけ自由にさせているように見受けられる。その放任ぶりは「甘やかす」というものでもなく、「尊重する」といった大げさなものでもなく、なんとも自然なのだ。それがいい。
冒頭に引用させていただいた言葉は、ここ数年あどけなくなってきたR兄について書かれたもので、淡々とした文章の中に長年暮らしを供にした猫への深い理解と愛情を感じる。
人間も高齢になれば体力的にも衰え、多かれ少なかれ頭は鈍くなり、周囲はどう対応してよいやらいろいろ迷う。が、もうこれだけ生きてきたのだから、あとは好きにすればいいよ、と言うことができる人はなかなかいないのではないか。
わが家の長男猫ゴンはこの秋10歳になる。やはり身体が心配なので、食事は高齢猫用のドライフードが中心だ。今のところいやがる様子もなく食べているが、いつも同じものばかりではかわいそうな気もしている。刺し身やかつお節なども時々やるが、蒲鉾など加工食品は塩分が気になるので欲しがってもやらない。
外に出してやることもできず、長々と狭い家の中にいるだけの生活が果たして猫にとっていいことなのか気持ちが揺れることもある。
縁あって一緒に暮らすことになったのだから、できるだけ自然体で付き合い続けていきたいものだ。どう転んでもあれこれ後悔は残りそうである。それなら、できるだけお互いストレスを感じることなく暮らしていきたいものである。