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日々の内側
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排他的?
09-0531

今日は家人のリクエストに応えて、横浜橋商店会に行ってきた。行くのは3度目。たいして規模が大きいわけでもないが、独特の雰囲気があって商店会好きには楽しいところだ。

落語家の桂歌丸さんがこの街の出身だとかで、商店会の名誉顧問になっているらしい。アーケードの両脇につけられたフラッグや垂れ幕などには、師匠の似顔絵イラストが・・・名誉顧問自らがこの街の「顔」になっているというわけだ。

横浜橋商店会付近には韓国の人が多いのだろうか。キムチや韓国料理の素材を扱う店が多い。裏道を歩いていても、韓国語らしき(定かではない)言葉を度々耳にする。

私たちの世代は、自分の国に外国の人が普通に暮らしているという状況に慣れていない、という面があるように思う。

近年だいぶ慣れてきたとは思うが、慣れ切ってはいないのではないだろうか。浅草や銀座を歩いていて、日本語よりも外国語(主に中国語、韓国語と思われる)の方がよく聞こえてくることに対して、どこか居心地の悪さを感じてしまうのは私だけ?

外国の人が平和に暮らせる国であるなら、悪いはずはない。しかし、どこかで抵抗感を感じてしまうのは所謂「古い人間」になってしまったということだろうか。自分の中にも排他的な性質があるのかなぁと思い、なんとも複雑な心境である。

*何故かブログ表示がおかしいぞ。
*帰宅したら文字化けの嵐だぞ。どうなっているんだろう。
*Firefoxだと大丈夫。safariのバグ?
*見られない方、サポートに聞いているのでしばしお待ちを。
*今日のお昼は横浜橋商店会の蕎麦屋「安楽」で。
*たいして期待していなかった割には美味しかった。
*キムチも買ってきた。これから食べてみる!
*さて、明日から6月。ちょっとダレ気味なので気をひきしめよう。
| - | 19:09 | comments(0) | - |
田園風景
09-0530
・・・「変なオンナが来たにゃ。困ったにゃ」と、Kさん宅のオヤジノスケ君(仮名)・・・

草ぶえの丘バラ園に行く時はいつも、京成佐倉駅前から出るマイクロバスを利用する。2時間に1本くらいしかないので、あらかじめ時刻表をチェックし、ぬかりのないように出る算段をする。いざとなればタクシーという手もあるが、電車賃だけでもけっこうかかるのでここは堅実に。

小さなバスの運転手は、地元の乗客と顔見知りの時もあるらしく、停留所でなくても指定の場所で車を停める。昨日の帰りは駅の少し手前にある内科医院の前で停め、受診に行くらしき高齢女性が降りていった。

そんなのんびりした運転は乗っていても気持ちいいが、さらに、草ぶえの丘までの道中に水田地帯を通るという魅力がある。私が住んでいる辺りではめっきり見なくなった田んぼの風景に、見る度にやすらぐのは都市生活者が失ったものに対する郷愁だろうか。

今回は、泊めていただいたKさん宅付近も田んぼエリア。最寄り駅から家までの道は両脇水田だ。田植えが終わった今の時季の田んぼはみずみずしい稲の緑と鏡のようにも見える水面が美しい。黄金色に色づく秋の風景もまた格別だろう。

梅雨時生まれだからではないだろうが、私は水のある風景にとても惹かれる。海や湖もいいが、もっと身近な川もいい。都心の噴水にさえトキメキを感じる。そんな私であるから、今回たっぷり田園風景を見られたことは、とてもシアワセなこと。いい時間を過せてよかったと思っている。

*オヤジノスケ君(仮名)は、気のいいヤツ。やっぱりアカトラ。
*10キロ超ですって。すごいね。大きい猫大好き。
*昨夜、一端寝たが2時半に目が覚めてしまった。
*写真整理&アップをやりはじめたが時間がかかる。
*今回は、できるだけバラの名前を併記しようとしたので。
*途中で寝て、残りは起きてからやりましたとさ。
*ということで、Walkin'、更新。
*葉だけの写真多し。華やかではないのであしからず〜(^.^;)
| - | 19:10 | comments(2) | - |
雨の中を
09-0529
・・・京成バラ園の池。この時は、かなり降っていたが睡蓮がきれい・・・

昨日、今日と泊まりがけで千葉にある二つのバラ園を回ってきた。天気は両日とも雨時々曇り。バラ園にいる間は雨か、ほとんど今にも降りそうな空模様であった。

どちらのバラ園も、今が一番花の多い時である。今までに何度か行ったことはあるが、いずれも5月上旬で、見ることができないバラもけっこうあった。で、今年は月末を予定したのだが、天気は思うようにならない。

しかし、決めたら行くというのが私の基本スタンスで、台風や大雨注意報が出ていれば別だが、少々濡れるくらいならそれもひとつのチャンスだととらえたいと思う。雨の日でなくては撮れないものを撮りなさい、と天からの声がした・・・ということにして。

昨日は京成バラ園に行った。着いたのは11時少し前だったが、撮っている間はずっと降っていた。最初は傘をさしながら撮っていたのだが、それでなくても傘嫌いな私である。すぐに鬱陶しくなって、カメラにタオルをまきつけ、自分はパーカのフードをかぶり、濡れながら撮った。

覚悟は決めているものの、どうしてもシャッターを押すのが早くなる。もともと撮るものを決めてからシャッターを押すまでの時間は短い方だと思うが、いつも以上に短い。タオルを巻いているといっても、ファインダーをのぞきシャッターを押すまではタオルをはずすので、知らず知らずにうちにカメラをかばっているのだろう。

今日は昨日泊めていただいたKさんが、草ぶえの丘まで車で送ってくれた。到着したのは10時少し前で、その時は降っていなかった。今までにないくらい花が咲いていて、どうしても冷静でいられない。夢中で見て歩き、撮っているとまたもや雨。が、昨日のことがあるので、もう傘は出さない。雨は降ったり止んだりだったので、昨日よりも楽だった。

帰宅してざっと撮ってきた写真を見たが、やはり傘を差しながら撮った写真はろくでもない。中途半端な気持ちで撮るとこうなるという、よい見本である。傘をしまい、自分が濡れることを厭わず撮った写真の方が、慌てて撮っている嫌いはあるが、それでもどこかのびのびした解放感のようなものを感じた。

今日はもう疲れたので、写真整理は明日に回す。結局のところ、やはり行ってよかったと思う。写真の出来はあまり期待できないかもしれないが、それ以外に様々な収穫があった。これからも、初志貫徹でいきましょう。

*それにしても気温が低い。寒い!
*草ぶえの丘は、休憩施設がほとんどないので、困る。
*帰りのバスを待つ間、いるところがなくて。
*食堂はあっても2時半で営業終了なんだもんなぁ。
*2日間濡れたせいか、身体が冷え切ったせいか寒気がー(T_T)
*おまけに帰りの電車(とくに京成線)、これでもかという程エアコンが!
*「殺す気かー!」って言いたくなった。ほんと。
*草ぶえの苗売り場で、ちょっと面白い話を聞いた。
*ロサ・キネンシス・ミニマについての話。機会があったらそのうち。
*Kさんにはお世話になった。Kさんダーリンも、なかなか味わい深い人で。
*巨大猫くんにも触れたしー。うひひ。
*どうもありがとう。また、よろしく!>Kさん
| - | 20:41 | comments(4) | - |
犬嫌いではないけれど・・・
09-0527
・・・自転車につけた箱の中でじっと飼い主を待つ犬。やさしい顔・・・

今日話題にする小型犬を飼っていて、ちょっとばかり思い当たる節があり、気分を害される方がいるとしたら申し訳ない。が、これは私個人のおかれている環境でのことであり、私個人の感じ方であるという限定でとらえていただければと思う。

はじめに断っておくが、私は犬嫌いではない。むしろ好きである。というか、動物はたいてい好きだし、犬は最も身近なところにいる動物として親近感も感じている。だから、少しくらい気になることがあっても、それは動物がやることとして目くじらを立てるつもりもない。

が、どうにもこうにも最近気になることがある。それは、小型犬(「チ」がつく犬種)の鳴き声である。時折聞こえるくらいならいい。イキモノなのだから、それは仕方ないことだ。しかし度を越すと、はっきり言ってうるさい。

このマンションはペットの飼育が認められているので、犬や猫を飼っている世帯が多い。猫はたいてい外に出さないので、何世帯で飼われているのかは全く把握できない。犬もそうだが、散歩に出たりするのでいくらかは把握できる。

散歩にでなくても、階段を上っているだけで気配を感じて鳴く犬がいるので、飼っていることが知れる。散歩に出る人はたいてい、小型犬なら抱いて敷地外まで連れ出し、周辺を散歩して帰ってくるというスタイルのようだ。しかし中には、敷地内の長い階段に長い間座り込んでいる飼い主がいる。これが困ったものなのだ。

2匹の小型犬は、人が通るたびに鳴く。この習慣はかなり以前からだが、慣れて鳴かなくなるということがない。通るのはたいてい居住者だから、中には気分を害する人もいるくらい想像できると思うのだが。

犬好きの人が通りかかって、飼い主と話をしていても、話し終わってその人がいなくなるまで鳴き続けている。はっきり言って迷惑。そう感じる人は私だけでないらしく、以前回覧板で「犬を散歩させる時は速やかに敷地外に出ること。無駄吠えをさせないよう気を配ること」という注意がなされた。理事会でその話が出たらしい。

さすがに回覧板がまわってしばらくの間は、さっさと敷地外に出て散歩していたようだが、ほとぼりが醒めたらまた以前同様階段に座り込んで犬を鳴かせている。何を考えているんだ!?

と思っていたら、うちの隣が最近犬を飼い始めた。ベランダに出て鉢植えに水やりをしたり、洗濯物を干したりすると必ずといっていいほど鳴く。鳴き続ける。これまた、うるさい。

思うに、どちらのケースも非難されるべきは犬ではなく飼い主なのだろう。階段に居座る飼い主にしろ、隣の飼い主にしろ、犬のしつけがいいかげんである。「あらぁ、だめよぉ、鳴いちゃ。こらこら〜」といった感じのいさめ方では、犬だって理解しないだろう。集合住宅で飼う以上、他の居住者に対する気配りは当然のことだし、甘やかすことがかわいがることだとも思わない。

というようなことを思っていたら、今日散歩中に小型犬を散歩させている初老の男性をみかけた。団地内のベンチに腰掛けていたのだが、中型犬を連れた人が通り過ぎようとしていた。男性は犬に穏やかな声で話しかけていた。

「ほえちゃ、だめだよ。ほえないんだよ、わかるよね。そうそう、偉いね。」

犬は今にも吠えそうにしていたが、ぐっとこらえて中型犬の方をじっと見ていた。男性はやさしく犬を見守りながら、中型犬が通り過ぎるのを見送っていた。話しかける口調はやわらかいが、犬との信頼感を感じさせるものだった。

こういう飼い主、こういう犬ばかりだったらいいのに、と思わず心の中で呟いた私であった。

*小型犬は「吠える」というより「鳴く」という感じ。
*チ○○って、躾けにくいのだろうか?(率直な疑問)
*なんだか天気が下り坂。うー
*明日から一泊で千葉のバラ園のはしご。友人宅に泊めてもらう。
*できるなら雨だけは勘弁してほしいが、そうもいかないかな。
*ピーカンも勘弁してほしいけど。まあ天気ばかりはどうにもならないやね。
*ということで、明日の更新はお休みします。
| - | 19:24 | comments(0) | - |
紫陽花〜花の話〜
09-0526

ベランダの薔薇がひとしきり咲き終わって、訪れる蜂の数がぐっと減った。今咲いているのは、ヤマアジサイがいくつかと小さな山野草の花だけ。蜂にとっては魅力がないのだろう。

昨日紫陽花について調べていて、ちょっと面白いことに気付いたので、今日はそれについて少し書いてみたいと思う。

ご存知のように、紫陽花の花に見える部分は花ではなく萼(がく)である。萼ではあるが、いかにも花に見えて、萼だらけのてまり咲きの方が、ガクアジサイのような咲き方をするものよりも華やかに見える。

この花のように見えるものは「装飾花」と呼ばれ、ガクアジサイの中央の小さな花は「両性花」と呼ばれる・・・ということまでは知っていた。

「装飾花」は「中性花」ともいうらしく、「両性花」が雄しべ、雌しべが揃っている
花であるのに対して、そのどちらもない、文字通り単なる飾りのような花であるらしい。

そこで、中央の一見地味な「両性花」は、「完全花」、外周をとりまく「中性花(装飾花)」は「不完全花」と呼ばれているそうな。

両性花のある紫陽花をじっと見たことがある方なら、その繊細な美しさに感動したこともあるかと思う。が、一般的に見れば「両性花」は地味なイメージがあるのではないか。地味だけれど、生物学的には「完全」なのだ。一方、「装飾花」は華やかだが、生物学的には「不完全」。これが面白いと思った。

生物の構造は、自然が与えた知恵のようなものによって成り立っていると気付くことがある。紫陽花の花には、どのような知恵が隠されているのだろう。虫媒花なら、派手な装飾花で虫をおびきよせ、両性花に誘い込むという繁殖手段も考えられるが、紫陽花は虫媒花とは思えないのだが・・・

土の成分によって花の色が変わるというのはよく知られていることだが、これもなかなか不思議である。本来は花ではなく萼であるのに色が変わる。葉の色は変わらないのに。不思議だ・・・たぶん調べれば詳しいことがわかるのだろうが、化学的な論文調の文章には拒否反応が出るので、とりあえず今は「不思議だ」でやめておく(^.^;)
| - | 17:29 | comments(3) | - |
紫陽花の季節
09-0525

紫陽花といえば、私の中では6月の花。小椋佳の「六月の雨」に「六月の雨には六月の花咲く」という歌詞があるが、歌のイメージにかなり近い。自分が生まれた時季でもあり、なにかにつけて気になる花でもある。

しかし、温暖化のせいなのか、他の植物同様今年も開花が早い(・・・似たようなことを去年も書いたような)。

紫陽花もまたしかりで、近所の紫陽花がすでに色づきはじめている。ベランダから見下ろせる階段脇に植えられた数株のうち、ガクアジサイ系のものがきれいな青に色づき見頃だ。駅に向かう途中にある切り通しの脇にある紫陽花(昔からあるてまり咲きの品種)は、毎年とてもきれいな青に色づくが、こちらも色が冴えてきた。

我がベランダでも、ヤマアジサイの小さな鉢植えが見頃。しっとりした湿度を感じさせる紫陽花の花は、日本人的な感覚にぴったり合うのだろう。見ていて落ち着くように思う。

さて、その紫陽花だが、分類的にはどうなっているのだろうと軽く調べてみると、以下のようになっているようだ。参考にしたのは、こちら

<ガクアジサイ:Hydrangea macrophylla f.normalis
・アジサイ(ホンアジサイ):Hydrangea macrophylla f. macrophylla
・セイヨウアジサイ(ハイドランジア):Hydrangea macrophylla f. hortensia
・石化八重アジサイ:Hydrangea macrophylla f. domotoi
・ウズアジサイ:Hydrangea macrophylla f. concavosepala
・フイリガクアジサイ:Hydrangea macrophylla f. variegate
・黒軸アジサイ:Hydrangea macrophylla f. mandschurica
・ヒメアジサイ(ロゼア):Hydrangea macrophylla f. amoena
・マリエシイ(モモイロアジサイ):Hydrangea macrophylla f. mariesii
<ヤマアジサイ:Hydrangea serrata
・ベニガク:Hydrangea serrata f. rosalba(japonica)
・シチダンカ:Hydrangea serrata f. prolifera(stella)
・マイコ:Hydrangea serrata f. belladonna
・キヨスミサワ:Hydrangea serrata f. pulchella
・コアマチャ:Hydrangea serrata var. thunbergii
・エゾアジサイ:Hydrangea serrata var. megacarpa(subsp. Yezoenis) 亜種
・その他多数
<コアジサイ:Hydrangea hirta
<タマアジサイ:Hydrangea involucrate
<ツルアジサイ:Hydrangea petiolaris


これですべてではなく、ウツギの仲間などもある。コアジサイ、ヤマアジサイ、ツルアジサイの仲間にもいろいろあって・・・と話は複雑になる一方なのでこの辺りでストップ。

私が身近において楽しんでいるのは、主にヤマアジサイで、花も葉も全体的な姿も小振りで鉢植えに向く。様々な変異種があり、園芸品種として出回っている。エゾアジサイはヤマアジサイの仲間に入っているが、上記サイトの説明にもあるように葉が大きめでどちらかというとガクアジサイに近いと私も感じている。

いずれにしろ、薔薇のシーズンが喧騒のうちに終わりを告げ、あるいは一段落した時季にじーんと心に沁みてくる花だと思う。真夏までの間はしばし、薔薇の葉と、ヤマアジサイのやさしい姿を楽しみたい。

*小さな鉢だと冬越しが難しいかな。
*夏の直射日光は苦手だが、基本的に日光は好きみたい。
*うちの場合、あまりよい環境ではないなぁ。うーん。
*光則寺にも行きたいぞ(しつこい)。行くなら来月初旬がリミットだなぁ。
*前に行ったのは一昨年の6月13日。もう少し早いほうがいいと思う。
*しかし・・・原種の薔薇って生命力が旺盛で。
*ちょっと放っておいたら枝と枝がからんじゃって大変(T_T)
*からんだ枝をほぐすのは至難の業。手の甲〜肘は傷だらけ〜
*アルコール消毒しようとしたら、しみるわしみるわ。ひえー!
| - | 17:37 | comments(10) | - |
「見ること」と「撮ること」
09-0524

前々から気になっていたことが、やはり気のせいではなく、きちんと考えなくてはいけないことだと思った・・・

こう書いて終わりにしてしまうような日記を時折目にするが、その度に何故この人は日記を全世界に向けて公開しているのだろうと不思議に思う。何もかもをアカラサマに書くのはむしろ愚かな行為かもしれないが、かといってあまりに思わせぶりなのは、深い意図があるからなのか。思わせぶりな行為によって、人の気を引こうとしているようにも見えないのだが。

ともあれ、昨日久しぶりに街写真を撮りに行き、家人のふとした一言をきっかけとして、以前からうすうす気付いてはいたものの先送りにしていた問題を考えざるをえなくなった。書いてしまえば他愛もないことのような気がするが、やはりきちんと考えなくてはいけないことだと思った。

それは、「見ること」と「撮ること」の両立、あるいはバランスについてである。

写真を撮るべく歩いていて何かを発見する。近づいていってレンズを向けシャッターを切る。このような行動のリズム感が好きだと以前も書いたが、どうも私は対象をよく見ていないようなのだ。帰宅してから写真を見て、自分が撮ったものの細かい部分を初めて知り、ほほぅ!などと暢気に感心したりしている。

これでいいのか?

昨日、大口商店会の美容院だったか(その記憶も曖昧!)のショーウインドーに、レコード版がたくさんディスプレイされていた。あ、面白いと思って斜めから写真を撮ったが、その後家人が、「あのレコード見た?」と聞くので、「ああ、見た見た」と軽く答えた。

続いて家人は、どんなレコードだったのかを話した。ある時代のあるジャンルのものばかりだったそうで、店主の趣味が推測できる云々。

私はどのような曲のレコードなのかなんて全く気にせず、見た目の面白だだけを見ていた。観察力というのは写真を撮る上で重要だが、そのかけらもない行為だったように思った。ピンときたら撮る・・・では、あまりに安易ではないか。

バラ園にカメラを持ってでかけると、いつも思うのだ。撮るか見るかどちらかにした方がいいのではないか、と。しかし、わざわざカメラを持って出たということで、撮らないわけにはいかない。はじめは両立を試みるのだが、撮っているうちにそれを忘れて、撮ることのみに気持ちが集中しがちだ。で、後になって、もっとよく見てくればよかったと思う。その繰り返しを何度したことか。

うーん、「見ること」と「撮ること」をうまい具合に両立できないものか・・・としばし考えて、とりあえずの結論を出した。

結論。撮るときは撮る。見るときは見る。

わはは。なんだ今までと同じじゃないか。いえいえ、しばし考えたことは無駄だとは思わない。

私はどのような写真が撮りたいか。そうだ。対象の詳細を映しとる写真ではなく、雰囲気を、気配を撮りたいのであった。雰囲気や気配は、それを感じた時すぐに撮らないとあっという間に失せてしまうことがある。

だから、撮るときは撮る。対象の詳細を知ることは考えない。もし知りたければ、もう一度見ればいいだけだ。居直っているわけではなく、それしか道がないように思う。だってぇ、不器用だしぃ、あははぁ(キモ!)

*1日中雨かと思いきや、午後から上がった。
*雨だと思っていたので、出かける予定を中止にしたのに・・・
*まあいいや。夕方から蕎麦屋に行く!(昨日も行った!)
*「王妃の離婚」を読んだ。なかなか面白い。
*最初のうちは読み切れないかなぁと思ったのだが。
*書く気持ちになったら、そのうち。
Walkin'、更新。
猫ブログ、更新。今日は、まめこ。
薔薇記は、ちょくちょく更新。
| - | 17:41 | comments(3) | - |
潔さと軽薄さ
09-0523
・・・そーっとのぞいたのだが、フーッ!と威嚇。母は強し!・・・

昨日の日記を書きながら、「潔い」ことがかなり私の価値観の中でも上位を占める態度であることを確認した。

何をするにしても、潔くありたい・・・そう思い、自分にそれを課してきたのかもしれない。かもしれない、というのはそう言い切れるほど本当に自分が潔かったか自信がないということで、まだまだ私は潔い人間からはほど遠いということだろう。

若いころは(今でも多少)、中途半端なスタンスを嫌った。白か黒か。好きか嫌いか。上るならとことん上る。落ちるならとことん落ちる。今にして思えば、そこまで覚悟しなければ自分を保てなかった弱さゆえのことだったようにも思われる。いずれにしろ、ある人はそんな私を「一途で恐い」といい、ある人は「付いていけない」といい、ある人は「冷たいひとだ」といった。

しかし齢五十を超えると、潔いといえば聞こえはいいが、もしかしたら短気で軽薄なだけだったのかもしれないという気がしないでもない。

潔くあるためには、まず自分の中で気持ちの整理がきちんとできないといけない。いつまでもあれこれ迷っていては整理もつかず、煮え切らない態度のままだ。しかし・・・人生はそのようなことの連続であり、あれこれ迷いながら気付いたらここにきていた、という面を持っていることも確かなのだ。うーん、難しい。

潔さといえば、この日記でも何度かとりあげた俳句を思い起こす。
うらやまし おもひ切るとき 猫の恋 (越人)

蕉門の中でさほどぱっとしなかったであろう越人のこの句を、芭蕉は絶賛したという。芭蕉については、代表的な俳句をいくつか知っているに過ぎないのだが、この句を絶賛したということはやはり内面に様々な葛藤を秘めて生きた人だったのだろうか。そう思うと、急に興味を覚えた。いくつか本を読んでみようと思っている。
| - | 21:33 | comments(6) | - |
喝!
09-0522

先日、打ち合せと打ち合せの合間を埋めるべく、銀座の街を歩いていた時のこと。銀座も様変わりしたなぁ、外国人(とくに中国?)が多いなぁ、などと思いながら、インフルエンザを少々気にしながら人ごみを歩いていた時のこと。

こんなに時間があるなら、コンデジを持ってくればよかった、久しぶりに銀座の写真を撮ろうと思わなかった自分に後悔しつつ、そう思わなかったのは他でもない写真に対する意欲が減退しているからだという気がしてなにやら情けなさがこみ上げてきた。

街写真は一番好きなテーマである。気持ちいいテンポで歩き、撮りたいものを発見し、近づき、レンズを向け、シャッターを押す。この一連の動きが思うようにいけば、それは日常生活ではなかなか体験できない快感となる。

そしてそういった快感は、それを得るまでの緊張感や意志と深く関係しているような気がする。街の光景でも、人やモノの佇まいでも、花の健気さでも、そこには、撮りたいと思った自分と撮ろうとしている自分の闘いのようなものがある。

自分が感じた何かを、感じたように撮るということは、言葉でいえば簡単だが実際はひどく難しい。美しい、醜い、残酷だ、悲しい・・・感情の動きを察知して撮ろうと思ったなら、その動きにできるだけ近づいていくしかない。

私が、単焦点・標準(場合によっては広角)のレンズに妙なこだわりを持つのも、たぶんそのせいだろう。実際見えないものが見えるようになる望遠レンズは便利だが、ラクして見るのはいいとして、ラクして撮ってしまうことに対する抵抗感のようなものがあるように思う。

撮りたいなら近づく。近づけないなら、さっさと諦める。勝ち戦にしろ負け戦にしろ、潔くありたいと思う。

そんなことを思っているのに、最近は戦そのものをサボっている。ずるい言い訳を自分にしながら。そろそろ、自分に喝を入れないと。

| - | 22:05 | comments(0) | - |
悩ましき衣替え
09-0521

だいぶ気温が上がってきたので、衣類の入れ替えを決行した。「決行」なんて少し大げさだが、結構(洒落?)気合いを入れないとできない。

重たい箱を下ろしたり上げたりという作業も年々負担感を増している。が、やはり入れ替えをする度に衣類の多さを実感し、増やしてしまったもののなかなか処分できず、迷ったり後悔したりで気分的によろしくない。

若い頃に比べれば買わなくなったと思うのだが、それでも多過ぎる。去年までアパレル関係の仕事をしていたこともあり、気持ちがそちらに向かいがちだったこともあるが、それも言い訳のような気がする。喜んでもらってくれる人がいるわけでもなく、さりとてリサイクルショップやオークションに出すのも面倒に思うのだから、やはり増やすべきではない。

サイズが合わなくなったり何年か身に付けることがなかったものは、思い切って処分しなくては・・・そしてとにかく増やさないこと。これをキモに命じなければならない・・・と、毎回思うんだけどね・・・
| - | 23:32 | comments(0) | - |
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