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日々の内側
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シャンソンが似合う街
08-1130
・・・取り壊されそうで今なお残る、築地・華僑ビル。エントランスの天井・・・

11月も今日で終わり。いい天気だったが、午後から冷たい風が吹いて裏山の落ち葉が南側ベランダに舞い落ちてくる。

駅に向かう途中通る公園も、桜や銀杏はほとんどの葉を落とした。風に吹き寄せられている枯葉の上を歩くと、カサカサと気持ちよく乾いた音がする。枯葉を踏みながら、久しぶりにシャンソンが聴きたいと思った。

私の中では、何故かシャンソンは晩秋の歌である。楽しげな曲もあるが、やはりどこか物寂しげなイメージがつきまとい、そこがまた気に入っているところでもある。

モンタンの「枯葉」を聴き、ダミアの「暗い日曜日」を聴き、アダモの「雪が降る」「ろくでなし」を聴き、ピアフの「ばら色の人生」を聴き・・・そうしているうちに、少し前歩いた伊勢佐木町の商店街を思い出した。

平日の昼間、人影まばらな伊勢佐木モールの奥まったところを歩いていると、シャンソンが流れているのに気付いた。どこかの店からではなく、モールに沿って設置されたスピーカーから流されているようだった。

伊勢佐木モールも入り口近くは混雑しているが、少し奥に入るとなんとなく寂れた雰囲気になる。かつて華やかであったところの常であるように、自分の時代が過ぎ去っていくのを為す術もなく静かにやり過ごしているかのような印象をいつも受ける。

それが少しやりきれないような気がしていたが、シャンソンがあまりによく似合うことに気付いて、少し気持ちが和らいだ。ああ、こういう街もまたいいものだなと思った。

シャンソンに今風の華やかな街は似合わない。活気溢れる街も似合わない。伊勢佐木町に限ったことではないかもしれないが、どこか時代に取り残されたような、それでいてかつてのプライドを捨てきれていないような、そんな街にこそ、シャンソンは似合う。そんな気がする。

*いよいよ師走かー
*毎週のように撮影やら打ち合わせやらで出かけること多し。
*電車に乗ることが多いということは、風邪をひく危険性が多いということ。
*乗っている間だけでもマスクするかな。
*今日も夕方から地元の蕎麦屋へ。花巻そば、相変わらずの美味しさなり。
*今月末締めの請求書を出しわすれていた(^.^;)
*速達で出したが、間に合うかなぁ。とほほ。
*慌ただしくしていると、何かが抜ける。気をつけなくちゃ。
*今月は久しぶりに日記を休みなく続けられた。
*4月以来のこと。ぱちぱち
| - | 21:24 | comments(2) | - |
神も仏も
08-1129

今日は三の酉。去年は浅草の鷲神社に繰り出したが、今年はなじみの築地波除稲荷へ。去年買った「かっこめ」(開運熊手の札)を返し、新しい札を購入。100円玉を賽銭箱に投げ入れ、「来年もよろしくどうぞ」とお願いしてきた。

普段は神も仏もないようなことばかり言っているのに、現金なものである。札を購入しお参りしたとて、信心深くない私には御利益があるかどうか・・・まあ、自分をほんの少し安心させるくらいにしかならないのかもしれない。

が、以前にも増して先行き不透明な世の中。大きな幸運は望まないが、せめて禍と遭遇することなく平穏無事に暮らせればと思う庶民のひとりである。あとは自分の努力次第、運次第。

まだかろうじて十一月だが、酉の市に出かけるとどこか押し迫った感があり、気持ちも少し慌ただしくなってくる。平常心で確実に物事に対さなければ・・・と気を引き締めているところだ。

*本当は暗くなってからの方が雰囲気があっていいんだけどね。
*久しぶりに布恒更級へ。なかなかでした。
*気持ちよく食べ、飲めました。2人で酒を6合!
*ほぼ3合飲んでから神社へ・・・(^.^;)
*ほろ酔いで歩く築地の町もなかなか。
*以前私が関わった、「つきじ獅子祭」の冊子が神社で売られていた!
*一部1000円でした。余っているのかなぁ(^.^;)
Walkin'、更新
*3合飲んだ割りにはまずまず?
| - | 21:22 | comments(0) | - |
人生の重さ
08-1128

朝日新聞の夕刊「惜別」欄に、今月23日に他界された山田泉さんの名があった。「いのちの授業」で知られる元養護教諭だった方で、乳がんと闘いながらその活動を続けた人である。

記事によると、亡くなる12時間ほど前、意識がないまま突然はっきり聞き取れる声で「生きることは、人のために尽くすこと。これで終わります!」と言った、という。

これを読んで感動する人は多いだろう。人のため、特に生きにくい時代に苦しむ子供たちのために全力を尽くして生きたと思われるその人生に、感嘆の思いを抱く人も多いだろう。なかなかできることではない、と私も思う。

しかし・・・またしてもヘソ曲がりな私はこう考える。「生きることは、人のために尽くすこと」が、山田さんご本人にとっての人生感であるなら素直に聞くことができる。が、「授業」の中で言われた言葉であるなら・・・

人のために尽くすことは立派なことだと思う。とかく自分のことに終始しがちな私だから、人のために尽くしている姿を見れば、偉いなぁと素直に思う。しかし、突き詰めていくと、「人のために尽くすこと」も「自分だけのために生きること」も同じ人生であり、その重みは少なくとも本人にとっては同じなのではないか。他人にとっては・・・違うのか?

少々疲れ気味の頭で考えてみるが、なかなか答えはでない。が、私のような、自分のことしか考えない人間はできるなら誰にも知られずひっそり死んでいくのが一番いいだろうと思う。気楽だし(^.^;)

*今日も朝から頭痛。起きた途端に頭痛。あーいやだ。
*鎮痛剤も今一つ効かず。
*悪いことは重なるもので、終日工事のコンプレッサーの音に悩まされる。
*頭痛と共鳴しあって、たまったものではない。
*急ぎの仕事を仕上げ、残りは日曜と水曜に振り分けることに。
*明日は三の酉なので築地の波除神社に行きたい。
*お守りを返して、熊手(小さいやつ)を買いたい。
*街もクリスマスモードできれいなのだが、撮りに行く余裕がない(T_T)
| - | 22:30 | comments(0) | - |
豆好き
08-1127

豆が好きである。食材としての豆はもちろん、マメ科の植物にも、何やら愛着がある。

大豆や大豆製品(枝豆、煮豆、豆腐、納豆、味噌など)、空豆、小豆(主に餡)、インゲン豆、エンドウ豆(サヤエンドウ、グリーンピース、みつ豆などに入れるアカエンドウ)、レッドキドニー(インゲン豆の一種)、ヒヨコ豆・・・

どれもこれも好きで、機会があると食べ、料理にも利用する。味も食感も好きだが、豆のカタチがなんともユーモラスで愛らしく、食べずとも身近において鑑賞したいほどだ。

マメ科の植物といっても幅広いが、その特徴としてあげられるものの一つに、「葉が羽状複葉」であるということだ。どうも私は「羽状複葉」に弱いらしく、薔薇が好きになった理由のひとつもそれであるような気がする。薔薇の中でも、マメ科の植物を連想させる原種の薔薇の葉に惹かれるし。

また、カラスノエンドウのようなごく身近な、雑草と呼ばれるマメ科の植物も、花が咲いた後にはちゃんとマメ科らしきサヤが現れ、その中には種がきちんと整列している。なんともかわいらしい。

そのサヤも、成熟して枯れる手前できちんとはじけ、種を周囲に飛ばす。サヤがはじける時、フジなどはびっくりするほど大きな音が出るのは知っていたが、先日部屋の中に飾っておいたヌスビトハギのサヤが「ブチッ」という音を立ててはじけたのを目撃した。フジほど大音量ではないが、その大きさに見合う控えめな音がしたと思ったら、種がカーペットの上に散らばった。健気である。かわいらしい。

散らばった種を蒔くつもりもないのだが、捨てるにしのびなく、どうしたものかと思いながら手のひらに乗せてなでてみたりして・・・なんだか自分でもおかしくなるほど豆好きである。

| - | 23:00 | comments(2) | - |
闇の子供たち
08-1126

この本を買ったのは2ヶ月ほと前。読み始めたのは2週間ほど前。読み終えたのは3日前。

買ってはみたもののなかなか読み出すことができず、読み始めたもののなかなか進まず、そして読み終えたもののなかなか考えがまとまらない。それほど、この本が内包する問題は複雑であり、重い。この本に書かれていることについて自分なりの意見が書けるほど私には知識がなく、正直なところ沈黙した方がいいのかもしれない。

しかし、まとまらないなりに、やはり書こうと思う。自分たちの平穏無事な生活のむこうにある現実を、もう一度確認するためにも。

「闇の子供たち」(梁 石日著)は、タイを背景とし、幼児売春と幼児の臓器売買にスポットを当てた小説である。小説であるからフィクションかというと、全くの作り話だとは思えないリアリティがあり、多かれ少なかれ似たような現実が海の向うにはあると私には思える。

貧しい難民の子供たちが売られ、タイを訪れる幼児性愛者たちへ商品として提供される。何故そこにいるのか、何故こんなことをされるのか、全くわからないまま、子供たちはただ殴られないために、食事を与えてもらうために言いなりになっていく。エイズに感染した子供は隔離され、死相が出始めるとゴミ集積場で捨てられる・・・

大人の相手ができるようホルモン剤を過剰に打たれた子供はショックで死んでいく。少女は突然劣悪な環境から離され、栄養豊かな食事を与えられ、恐怖しか覚えなかった雇い人からやさしくされる。臓器を取り出され、日本の金持ちの子供を救うため自分が命を落とすことも知らずに。

この原作に基づいた映画が今年の夏公開された。かなり話題になったとみえて、検索すれば様々な映画評、感想を記したサイトを見つけることができる。中でも、加賀谷友典さんという方のコメント(映画に対して)は、この作品の重さを率直に語るものだと思われた。

加賀谷さんはコメントの中で、この映画は「見るべき映画」であると何度も語っている。私もぜひ見たいと思うが、DVD化するのにはまだ時間がかかるだろう。

しかし、映像のインパクトはかなり大きな意味をもつものの、総体的に原作を上回るものはごく稀である。それを思うと、映画は観ていないが、加賀谷さんの言葉を真似て私も言ってみようと思う。この本は「読むべき本」である、と。

ただし、残酷なもの、醜いもの、不愉快なもの、深刻なもの、自分を傷つけるかもしれないもの、などは避けたいという人にはおすすめしない。

*「血と骨」も同じ作者。映画は観たけど原作は読んでいない。
*さっそくamazonで注文。忙しくても本は読む!(移動時間だけでも)
*突然やってくるギリギリの直し(仕事ね)。
*明日は一日中不在なので、急いで対処。気分悪し。
*原稿を渡したのはだいぶ前だぞー!ばかばかばかー(T_T)
*来週の月曜火曜でやってくれないかという別件も。
*残念でした。月火は撮影で終日不在。水曜日1日でやっつけることに。
*なんだか年末モードになってきたなぁ。
*あ、年賀状は買った。出せるのは大晦日!?
*今年もすごくアバウトな大掃除になりそう(^.^;)
| - | 22:52 | comments(2) | - |
羽澤ガーデン
08-1125

この間の日曜日、恵比寿から広尾に向かって住宅街を歩いていた時、反対側から歩いてきた男性に声をかけられた。

すぐ近くにある「羽澤ガーデン」という由緒ある庭園が取り壊され、マンション建設が予定されているが、それに反対する運動があること、「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」の設立記念フォーラムが来月開催されること、などを知らされた。

手渡されたA4三つ折りのリーフレットを見ると、一見してこれを壊すのは罪であると思わせる、立派な庭園と建物である。2005年まではレストランとして営業していたようだが、建物の老朽化などの理由で閉店。ガーデンウエディングもやっていたようだが、ごく一部の人にしか知られていなかったのだろうか。少なくとも私はその存在を知らなかった。

羽澤ガーデンのことを知り、都内にもまだまだこういった由緒ある庭や邸宅があるんだなぁと思う一方、その存在がいかにもひっそりとしており、知らない間に消えていきつつあるように思えてなにやら淋しさとも怒りともいえない妙な感情が湧いてくる。

日本人は、金になる文化財ならいくらでも保護するが、その目処がたたないものに関してはあっけらかんと壊してしまうような気がする。

生活者も、派手に宣伝されたものには飛びつくが、そうでないものに対する関心は薄い。「文化」という言葉はいやというほど聞くが、それが何を意味し、どれだけの価値があるかを考えようとする人は、思いの他少ないのかもしれない。

少し長くなるが、リーフレットにも掲載され、「守る会」の趣意書にも書かれている文章を引用する。
羽澤ガーデン(はねざわガーデン)は、渋谷区広尾3丁目12−15、麻布・六本木に連なる広尾の丘の中腹に位置する。その敷地は約3,000坪、うち半分の1,500坪がうっそうとした緑をたたえた樹林となっている。ここには、日赤医療センターとその南には聖心女子大学が隣接し、いづれの土地も豊かな緑をたたえていた。皇居を除けば、日比谷公園や浜離宮などと並ぶ都心の希少な緑地であり、かつ唯一の低層住宅地となっている。

 羽沢ガーデンは、中村是公が大正4年(1915年)に私邸として築いたものである。中村是公は、夏目漱石の大学予備門時代から始まる生涯の親友であり、「満韓ところどころ」等の作品からも深い交友の程が充分偲ばれる。また同人は旧満鉄総裁、鉄道院総裁、東京市長等を歴任し、明治大正期の官僚、実業家、政治家を代表する人物の一人でもある。

 その建物は、武家屋敷を思わせる豪壮な和風の造りに洋風の応接間をしつらえて当時のモダニズムの雰囲気を色濃く醸し出す。また土地の高低差を利用して高木、灌木等を配した緑滴る庭が一体となってこれを包み込んでいる。この景観の歴史的価値は計り知れない。

 戦後、この建物と杜は、羽澤という地名にちなみ、「羽澤ガーデン」と名付けられ、高級料亭となった。各界の著名の士が訪れ、将棋の大山康晴と升田幸三、囲碁の趙治薫と小林光一との名人戦等数多くの名勝負の舞台ともなった。一方、近隣住民にも開放され、長い間そのオアシスともなってきた。

 ところが、この度、三菱地所鷏と現在の所有者鷏日山は、今も健在なこの建物と杜を取り払い、マンション群に置き換えようとしている。既に昨年から近隣住民に建築計画が示され、開発許可や建築確認の申請がなされようとしている。

 しかし、羽沢ガーデンは重要な文化財であるばかりでなく、かけがえのない緑の景観というべきである。今これを失えば、その回復は不可能であり、首都東京の環境と文化の崩壊に繋がりかねない。

 いまならこの事態を回避することができる。

 近隣住民の裁判と運動により約1年開発工事は凍結されているからである。我々はこの運動と裁判を応援することは勿論、文化と環境になにがしかかかわってきた者として、独自の声を上げたいと考える。

 そのために「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」(守る会)を設立することにした。

 心ある方々の賛同と参加を得られれば、これに過ぎる幸せはない。

                            2008年10月14日


*設立記念フォーラムは12月12日(金)午後6時から。
*場所は青山こどもの城(03-3797-5666)詳細は「守る会」のサイトで。
*都合がつけば行ってみたいと思っているが・・・
*雨があがっていい天気だったが、風が冷たい。
*冬らしくていいね。
*このところ、やたらと甘いものが食べたくなる。
*今日もあまーいカフェオレとあまーいココア飲んじゃった。
*ローカー(イタリア)のミルククリームクリスピーウエハースがお気に入り。
*あと、やたらと眠くなる。
*栄養を蓄えて寝る・・・冬眠体質か!?(^.^;)
| - | 20:21 | comments(6) | - |
これじゃ、ない!
08-1124
・・・発掘写真(6)川沿いの道から見える家の外壁。発掘写真はこれにて終わり・・・

特筆するほど美味しいわけでも珍しいわけでもないけれど、「コレが食べたい!」と衝動的に思うものがある。

もっと美味しいものはたくさんあるが、とにかく今はコレが食べたいのよ、どうしても!と。

今日は午前中に美容院に行き、外に出たのが午後1時ころ。おなか空いたー!と思ったら、急にドリアが食べたくなった。エビドリアでもカニドリアでも他のドリアでも何でもいい。とにかくドリア。

この辺りでドリアを食べることができそうなのは、チェーン展開しているような喫茶店だろう。ファミリーレストランまで行くのは面倒だ。イタリアンレストランなんぞないし。たぶん冷凍されたものをチン!するだけのドリアだろうが、この際それでもいい。れっつらごー!

というわけで、軽食メニューがやたらと多い地元喫茶店に入った。店もそこそこ広く店員も多いので、妙に待たされることがない。年に1回か2回、喫茶店の軽食が食べたくなると入る。今日は今年二度目かな?

ランチとして注文したので、まずサラダが出て来る。レタスの切り方が大きすぎ。ナイフがないんだから、一口サイズにしれくれないとなぁ。それに、水切りが不十分。ドレッシング、かけすぎ。でもまあ、喫茶店だから許そう。

しばらくして待望のドリアが来た。四角い浅皿にエビが乗っている。見た目はまずまず美味しそうだが(空腹だったこともあり)、どこか違うような・・・まあ、いいや。食べよう!

一口食べて思った。これじゃ、ない!

私がドリアを食べたかったのは、ベシャメルソースを味わいたかったからなのに。ベシャメルソースは確かに使っているんだろうけど、極端に量が少ないんじゃない?その代わり、タマゴ入れたでしょ、タマゴ!最初見た時感じた不自然感はタマゴを入れたことによって全体が黄色っぽかったことだったのだ。

一口食べるごとに、タマゴのまったり感が口に残る。これじゃ、ない!感も強くなって、三分の二ほどガマンして食べ、後は残した。腹八分だからまあいいが、なんとも不愉快。タマゴは嫌いじゃないが、ドリアに入れるなよー

美味しくもまずくもないコーヒーで口直しして店を出た。やれやれ。こういうことがあると、敵討ちとばかりに本当に美味しいドリアが食べたくなる。オススメの店があったら教えてください。

*あ、そうだ。自分で作ればいいんだ。そだそだ。
*自分で作ればソースもたーっぷりだもんねぇ。
*近いうちに・・・気が向いたら・・・(^.^;)
*ドリアの発祥は横浜のニューグランド
*1925年、フランス料理長として来日したサリー・ワイルの発案だって。
*ナポリタンもニューグランド出身。
*午後から雨。気温も下がった。雨に濡れた歩道の落ち葉がきれい。
*明日も雨かなぁ。仕事で出かけるんだけどなぁ。
| - | 19:05 | comments(3) | - |
ごく個人的な事情
08-1123
・・・発掘写真(5)去年の今ごろ?ガーデンシクラメンが出始める季節・・・

去年の今ごろに較べたら、薔薇熱は高め。時々ナーサリーのサイトをのぞき、”見てるだけー”と自分に言いながらうっとりしたりしている。

薔薇に関しては、今年3年生であった。しかし、3年生としては落第点ばかりの1年でもあり、来年からは少し心を入れ替え、考え方も変えてのぞみたいと思う。スペースのなさは如何と模し難いのだから欲張らず、手元に置く薔薇の条件を徹底的に絞る!(と、前にも書きましたね)。

そこで問題なのが、私の条件を満たす薔薇かどうかを判断するのが、けっこう難しいということである。実物をじっくり見られるならいいのだが、バラ園なるものに行くのは年に一度か二度で、その時はここぞとばかり気持ちが高ぶっているのか、一つ一つの品種についてはっきり覚えていなかったりする。帰宅して写真を確認し、何度も見ているのだが、それでも忘れてしまうものもある。

そこで、なにか欲しいものがあるとネットや印刷物を頼るわけだが、当然のように掲載されている写真は花が中心で、葉は添え物程度。ピントもあっていないものが多く、文章による補足さえないものが多い。

花がいいのはわかった、しかし葉は?私にとって葉の色、形、質感は非常に重要なのだが、それを感じられる写真は非常に少ない。

薔薇を選ぶ時、一般的には花を見て選ぶのだろうから仕方ないといえば仕方ない。半分諦めているが、どこぞに葉ばかりの写真集でもないものかと時々思う。たぶんないであろうから、やはり自分が時間を作って実物を見に行くほかないだろう。

枝ぶりや全体のイメージなども実際見ないとわからないから、来年は花時以外にも時間をとって見に行きたいと思っている。

原種を見るには、この辺りだとやはり草ぶえの丘か京成バラ園か。いつか関西地方にも行きたいものだが、せっかく行くんだったら5月に・・・と欲張るのでなかなか行く機会が持てない。思いきって相方に水やりを頼んで、出かけてみるか!

やはり行くなら花フェスタかなぁ・・・1日では周りきれないから2泊3日コースだなぁ・・・

全く関係ない話だが、相方で思い出した。先日の夜遅く帰宅した相方が、玄関まで出た私に「お土産があるよーん」と言う。

なにやらすぐには家の中に入れられない土産らしい。まさか野良猫でも・・・といぶかしく思いながら玄関の外を見ると、木の枝が・・・枝というにはあまりに大きいそれにびっくり。なんでも、帰宅途中で通る公園に落ちていたという。

私は基本的に支柱というものを使わないのだが、どうしても薔薇の枝をささえる必要がある時は、隣接する市民の森から落ちている枝を拾ってきてそれを使っている。既製の金属製やプラスチック製の支柱はどうも気に入らないのだ。

それを知っているので持ち帰ってくれたのだろうが、いかにも・・・でかい。枝の直径5センチ以上。長さに至っては、わが家の物干し竿くらいある。いったいどうやって持ってきたのか、想像すると驚きとともに笑いが込み上げてくる。酔っぱらっている人は普段でない力が出るのだろうが。

とりあえず、物干し竿を引っかけるところに掛けてあるが、これ、何かに使えるかしら。せっかく持ってきてくれたので使いたいのは山々だが(^.^;)
| - | 18:40 | comments(2) | - |
鳥の訪れ
08-1122
・・・発掘写真(4)空に向かうヤマホロシ。春ごろ撮ったような(^.^;)・・・

数日前、都内の結婚式場に撮影に行った時のこと。広い庭園にある茶室で赤くなりはじめた紅葉を見入っていた時のこと。

仕事のことを一瞬忘れた耳に、鳥のさえずりが溢れるように聞こえてきた。

古くは大久保彦左衛門の老居の地であった場所。自然の地形を活かした庭園には様々な木々が植えられ、樹齢100年を超える木も少なくない。訪れる鳥、留まる鳥も多いのだろう。

都会で見かける鳥といえばカラスか鳩だが、やはり木が多い場所にはそれなりに多彩な顔ぶれが揃うとみえる。撮影はカメラマンにまかせ、しばし鳥の声に聴き入った。

昨日、ベランダにもどった薔薇を窓ごしにながめていると、一番端に置いているモッコウバラの枝が大きく揺れた。風が強い日だったが、風で揺れたという感じではなかった。不思議に思って見ていると、胸から腹にかけてが明るい茶色い鳥の姿が現れた。

どこかで見たことがある・・・誰かの庭に来た鳥だ・・・たしか・・・ジョウビタキだ!

さっそくネットで調べてみると、やはりそうであった。春先にはシジュウカラやメジロがたまにやってくるが、この時期に鳥が来たのははじめてかもしれない。本物のジョウビタキを目にするのも、もしかしたらはじめて。しばらく様子をうかがった後、飛び去ってしまったが、なんだか嬉しくなった。

ジョウビタキは渡り鳥で冬になるとチベットやバイカル湖周辺などから日本、中国南部、インドシナ半島に越冬のためやってくるとのこと。渡り鳥を思う時、いつもその移動距離に驚きつつ感動を覚える。そして、ささやかな私のベランダの、木ともいえなような薔薇の枝にやってきてくれたことを感謝したい気持ちになる。

スズメくらいの大きさの鳥は本当に愛らしい。身近に鳥好きが数人いるが、気持ちがわかるような気もする。が、私はやはり籠の鳥よりもごく稀にでもやってきてくれる野生の鳥が好きだ。非常に敏感なので近づくことができず、デスクに向かったまま息を殺すように眺めているだけだが。

野に生きる者は、私などでは想像できないような厳しい生活を送っているのだろう。小さくても溌剌とした姿を見る時、彼等の身に大きな災いが来ないよう、彼等なりの天寿を全うできるよう祈らずにはいられない。

*午前中は仕事。明日と明後日はオフ!
*私が住む棟の工事は終わったが、左右の2棟の工事が進む。
*人の出入りが多いし、音が・・・仕方ないけどうるさい(^.^;)
*早く静かな環境に戻ってほしいものであーる。
*以前敷地内にいたモモちゃんも、完全にいなくなってしまった(T_T)
*工事が終わったら戻ってきてくれないかなぁ。
*寒くなってくると、野良猫の体調が気になって。
*わが家の猫たちは、アンカの上でぬくぬく。
*原宿のassist onで「てぬコレ2009年冬春」開催中。
*今風のてぬぐいもまたいい。デザインがよければ。
*興味のある方はぜひ。27日まで。
| - | 18:14 | comments(3) | - |
一人
08-1121
・・・発掘写真(3)近所のハーフ野良さんたち。いわゆる外猫?・・・

先日の訃報を聞いてすぐ、amazonで注文したのが「一人〜コンプリート・ソロ・コレクション」(デイヴ平尾)。昨日の夜届いていたので、今朝から繰り返して聴いている。

カップス時代の雰囲気を残しつつ、ソロならではと思われる選曲で、なかなか聞きごたえがあると思った。アルバムのタイトルになっている「一人」は、今なお根強いファンをもつ「傷だらけの天使」の最終回で使われた曲。

あの番組は時々見ていたが最終回の記憶はほとんどない。修(萩原健一)が相棒であった亨(アキラ・水谷豊)の亡骸を入れたドラム缶を海に運ぶシーンで流れた、とある。そう聞くとなんだか見たような気もしてくるが、曲の記憶は全くなかった。

今聴いてみると、なかなかいい曲である。非常に淡々とした歌詞で、あのドラマの、あの結末にはぴったりだ。
一人(岸部修三作詞・井上尭之作曲)

夢のような過去は 消えてゆく
一人だけでただ歩く もう誰もいない
tu tu tu tu tu 誰も
tu tu tu tu tu いない
一人だけでただ歩く

風が運ぶ春は よけてゆく
一人だけでまだ歌う この俺を笑う
tu tu tu tu tu 誰も
tu tu tu tu tu いない
一人だけでただ歌う

「一人だけでただ歌う」というのは、ソロになったデイヴ平尾のことなのだろうか。妙にダブる曲でもある。

2枚組のアルバムの曲の作り手をざっと見てみると、作詞に森雪之丞、阿木燿子、藤竜也などの名前も見える。藤竜也は俳優だがカップス(というよりエディ藩かな?)の「横浜ホンキートンク・ブルース」の作詞をしたことで知られているので、そのつながりかもしれない。

阿木燿子は相変わらず洒落た言葉を探す名人で、なかなかこういう歌詞は書けないなぁと思わせる。横浜を舞台にした歌は特に上手いように思う。

それよりなにより、このアルバムを聴いて再確認したのは、デイヴ平尾という人の非常に個性的な資質である。キザな歌詞もさりげなくこなしてしまうし、英語の歌詞も発音が正確かどうかはわからないが、ごくすんなり耳に入ってしまう。声の質や歌い方がソウルフルで、どこか温もりがある。

もはや追悼をするつもりもないが、なかなか気に入ったので今日はずっとこのアルバムを聴いていようと思う。

*最終回の例のシーンはこちらで見られる。
マモルマヌーもソロアルバムを出しているのね・・・
*こちらは買う気なし(^.^;)
*今日も北風が強い一日だった。
*午前中2時間ほど近所を散歩。紅葉もかなりなものになってきた。
Walkin'、更新。
| - | 19:44 | comments(2) | - |
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