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日々の内側
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ちょいと不調
08-1031

久しぶりに丸一日寝込んでしまった・・・(^.^;) やっと気持ちのいい季節になったというのに。夕方まで飲まず喰わずトイレにも行かず・・・やれやれ。

もうこうして起きていられるのだが、仕事部屋はベランダの防水処理の塗料のにおいで頭が痛くなりそう。まだちょっとふらつくので、布団の中で本でも読むことにする。

コメントのお返事は明日に・・・
| - | 18:23 | comments(2) | - |
わが家はいよいよ狭くなり・・・
08-1029

今年もまた本棚を新調せずに終わってしまいそうだ。引っ越してきた時、なんとかなるだろうと用意した安物の本棚の棚板がかなり撓っている。いつ、バキッ!ドサッ!と崩れてきても不思議ではない。

昔に較べたら雑誌などは買わなくなってきたが、プライベートだけなら絶対に買わないと思われるファッション誌などを仕事のために買う必要があったり・・・資料として集めたカタログ類やフリーペーパーが増えてきたり・・・もはや本棚には入りきらず、床に平積み状態。このままで行くと、足の踏み場もない状態は近い将来やってきそうだ。

本以外にも、なにかとモノを増やしがちな私である。何かを作りたくて買った布がたまっている。毛糸もたまっている。石!も、木の実も、カメラのレンズも、洋服も、バッグも、靴も・・・うわーん(T_T)

ほとんど自分でしたことなのだが、もともと部屋の中がごちゃごちゃしているのが生理的に嫌いとはなんという矛盾(皮肉?)か。

自分だけならいざ知らず、家族や猫3匹と一緒の暮らしなので、ある程度(かなりな程度)妥協しなくてはならない。自分で選んだ生活なのでできるなら文句は言いたくないし、愚痴もこぼしたくない。が、時々部屋を見回して呆然としてしまう。

比較的捨てる時には思いきってがんがん処分する方なのだが、見回してみると処分しきった感がないでもない。こうなったらスペースを新たに確保するしかないのだが、それは現実的に無理なので途方に暮れている。時々思いついたように昔買った本が見つからなかったり、仕事で参考にしようと思った本を捜しあぐねたりすることが多くなってきた。どうにかせねば・・・

*天井までの作り付け大型本棚、なぁんて憧れちゃうなぁ。
*いよいよ北側ベランダ床の防水処理が明日から。
*数日間臭いぞー。できるだけ家にいないようにしたい・・・
*が、仕事はせねばならぬし。ノートパソコン持ってどこかに避難?
*資料が多いのでそれも面倒だしなぁ。
*そろそろ薔薇の鉢も元にもどさなくちゃ。
*新たに工事が始まった棟の人のが置けないし。
*ということで、今日は植え替えをがんばったぞ。
*まやもや、コガネムシの幼虫が!
*踏むのがいやなので、古い土と一緒に裏山にポイ!
*運が良ければ、そこで大人になってくれい!家には来なくていいから。
*ゆるキャラが人気だが、小浜市のサバトラななちゃんがかわいいぞ!
*おなかのポケットにサバが!
| - | 22:00 | comments(3) | - |
“心が狭い”と言われようがムカつく時はムカつくのだ。
08-1028

年齢を重ねると人間は丸くなるといわれる。が、年とともに頑固になるとも言われる。結局、1人の人間でも、妥協できることが多くなる一方で、妥協できないことに関してはとことん妥協できなくなってくるということだろうか?丸くなる一方なら周囲も穏やかだろうが、そうはいかないのが人の世である。

かくいう私も、かなり寛大になってきたなぁと思うことがある反面、意固地さが高じてきたのではないかと思うこともある。

どちらも、年齢のせいにはしたくないのだが、ある程度は関係あるだろうなぁ・・・仕方ないなぁ・・・と内心ぼやきつつ、あと何年生きるにしても人生の半分は終わってしまったので、できるだけ自分に正直に生きたいというのが本音かな。

若い人たちが、よく「ムカつく!」と言う言葉を吐く。それを聞いていると、なんでそんなことにいちいちムカついているのか、わからないことが多い。そんなにイライラしていたら、かえって損なのではないかとも思う。

が、考えてみれば、彼等にはムカつくだけのエネルギーがあるということにもなるのではないか。ムカついたり、イライラしたり、怒ったりすると、エネルギーを消耗する。悲しんだり喜んだりするよりも、エネルギーが必要だと思う。だから、人間は高齢になって体力気力が衰えると、エネルギーが枯渇しないよう上手い具合にムカつく機会を減らしているのではないか。無意識のうちに。

ともあれ、それでもムカつくことはある。そして、ムカつく対象は、知性よりも感性への刺激によることが多いように思われる。

見苦しい行為(視覚)、耳障りな音(聴覚)、不愉快な臭い(嗅覚)、まずい食べ物や飲み物(味覚)、辛い痛みや深いな感触(触覚)など、五感を悪い方に刺激することに対して、ムカつくことが多いのではないだろうか。少なくとも私は頭を縦横無尽に使うタイプの人間ではなく、どちらかというと直感タイプの単純人間なので、とくにそう思うのかもしれない。

ここ数年、私がムカつくのは聴覚的な刺激に対してが多い。見たくないものは見ないで済むことが多いし、ひどく臭いものに出会うことは稀だ。まずそうなものは、たいてい予め避けることができるし、注意していればケガをすることも少ない。しかし、音だけは防ぎようがなく、暴力的である。暴力的であるがゆえに理不尽さを感じ、ムカつく。

今日は、そういった意味で不運な日であった。

まず、打ち合わせに向かう途中の電車内でムカついた。子供の声に。子供だから、親のしつけが悪いから、と頭で考えてもムカムカを抑えることができない。あの金属的な叫ぶような鳴き声は本当に苦手だ。顰蹙を買うのを覚悟して言うが、頭をパカッと殴りつけたくなるほど不愉快でムカつく。

だいたい昼間とはいえ座る席がないくらいに混んでいる電車の中にベビーカーごと入ってきて、乗降客の邪魔をしていることにも気付かず、子供に「抱っこ!」と言われたら抱っこし、連れの子供も抱っこしてほしくてキンキン声で泣き出し、それを見て抱いた子供を下ろしたらその子供が同じようにキンキン声で泣き出し・・・てな状況に平気でいる親も親なのだが。

そういうことは重なるもので、次は打ち合わせが終わり資料探しに疲れて入ったファストフード店で、またしても子供の泣き声にムカついてしまった。大人同士がおしゃべりに夢中になっている隙に、子供がヨチヨチ歩きだしすってんころりん。一瞬の間を置いてあの雄叫びのような鳴き声である。ここはジャングルか!?と思わせる声に、疲れも手伝ってムカつく。親が宥めれば宥めるほど泣く。ムカムカムカ〜

どうも私は音に弱い。自分が不愉快だと思う音に過敏なところがある。小型犬のギャンギャン鳴く声にムカつき、テレビとラジオが同時に音を出しているとイライラする。無闇に自転車のベルを鳴らされるとムカっとする。心が狭いと思われようが、自分勝手だと言われようがムカつく。たいていはぐっと堪えるが、ムカつくものはムカつく。

「ムカつく」という言葉、何回使ったかな?少しすっきりしたような(^.^;)

*親もたいへんなのはわかっているんだけどね。
*突然の大きな音、っていうのが嫌いなのよね。たぶん。
*とくに金属的な音。首から肩にかけてがキリキリしてくるー
*というわけで疲れたので、ただいまジャズピアノで癒し中。
モレスキンのダイアリー、ハードカバーが売切れてた(T_T)
*来週再入荷だって(青山ブックセンター)。また行こうっと。
*あの本屋は危険地帯なんだけどね・・・
| - | 20:49 | comments(5) | - |
ひとつの終わり
08-1027
・・・地味な草の写真をしばらく続けます(金曜日以外)・・・

気付いた方はたぶんいらっしゃらないと思うが、本家サイトの掲示板を昨日付で閉じた。日記をブログにして以来、ほとんど利用がなかったのでどうしようかと日ごろから思っていたのだが、契約更新時までそのままにしておいた。

前回の更新時、もう止めようかと思ったのだが、1年間更新してそのままにしておいた。ブログに移行する前からの知り合いの方にとっては掲示板の方が書き込みやすいのかもしれないし、ふっと思い立って書き込もうと思ってくださる方がいるかもしれないと思ったからだ。

が、結果的にはエロい書き込みがほとんどで、途中まではこまめに削除していたが(掲示板に書き込みがあるとメールで転送されるので、すぐわかる)、このところそれさえ億劫になってみっともない状態のまま放置していた。昨日が契約の期限で、あっさり掲示板は消えてなくなった。何かひとつ終わったような気がしている。

インターネットの世界に足を踏み入れ10年以上が経過し、今のサイト(本家)を立ち上げてからも8年以上経っている。

その間、訪れてくれる人との会話の場として、私はツリー型の掲示板にこだわってきた。それももうなくなった。残念だという気持ちはほとんどなく、これが時の流れだという淡々とした思いである。

ツリー型の掲示板を好む理由のひとつとして、テーマに沿った話し合いの流れが一目瞭然でわかるというものがある。個々の内容はクリックしないとわからないが、タイトルを書き直したり、ちょっと前の話題に戻ったりしながら活発な会話が展開していった時の楽しさをストレートに感じることができた。

今や掲示板よりもブログの方が書き込みしやすいという人も多いことだろう。確かにブログの方が気軽に書き込めるような気がするが、その分自分の書くことについてあまり考えることなく、一過性の「気分」として書いてしまいがちであるようにも思われる。それが不思議だ、おかしい、みっともない、軽薄だ、と思っているわけではない。そういった付き合いのしかたが主流になってきているというだけのことだろう。

一昔前まで厭われていたことも、今やなし崩し的にまかり通っている時代である。ネット人工が驚異的に増加し、昔の常識は常識でなくなったと同時に、昔の非常識は非常識ではなくなった。

マルチポスト(同じ内容を複数の場所に書き込むこと)も今やほほ笑ましい光景として受け取られているのかもしれない。昔は非難されていたものだったが。それだけ、ネットの世界も実生活同様決まりごとがあってないようなものになりつつあるのかもしれない。

それはもう致し方のないことで、今更文句をいうつもりも愚痴を垂れるつもりもない。ただ、今まで以上に距離をおき、淡泊なネットライフを心がけたほうが身のためだと思うだけである。

*今日はなかなか爽やかな気候だったのでは?
*家の中は閉塞感ばかりだがーーー(^.^;)
*午前中に仕事を終えて、午後からは隣町へ。
*延ばし延ばしにしていたが、ついに化粧品を買う。
*半年に一度くらいしか買わない。使わなくて済むものなら使いたくないが。
*寄る年波でそうもいかず・・・とほほのほ。
*なんだか来月はむちゃくちゃなスケジュールになりそうな・・・
*打ち合わせだ、プレゼンだ、取材だ、撮影だ、ともももろあり。
*その合間を縫って実作業(原稿書きや企画書づくり)をしなくては。
*でも、バレエは見にいくぞ!今から楽しみにしているんだから。
| - | 18:17 | comments(5) | - |
人間に生まれて
08-1026

相変わらず車谷長吉作品をつらつらと読んでいる。今呼んでいるのは「贋世捨人」。「金輪際」を読み終わり別の作者の本を、と思ったのだが、また手を出してしまった。

何故なのかを考えるに、その理由のひとつは読んでいてどこか落ち着くということが考えられる。この人(作者)は、とことん人間の弱さ、醜さ、愚かさ、などを「私小説」というスタイルで表現しており、その書きっぷりが私の感覚にしっくりくるとしか言いようがないのだが。

「贋世捨人」というタイトルからもわかるように、どうも作者は、世捨人になりたいと切望しつつなり切れない自分を「小説」という「嘘物語」を通して描くことで、人間に生まれたということはどういうことなのかを描いているように思う。

小説の話からはずれるが、私は年々、人間嫌いになってきているようである。もちろん、社会人として生活しているわけなので、日常生活といった表層においては人間嫌いではない。同じ種として面白さも感じればくだらなさも感じ、感動することもあれば失望することもある。

人間に生まれてきたのだから、人間の生活を営んでいかなければならない。

しかし、より深いところで、人間嫌いが高じてきていることは否めないのだ。何が嫌かというと、まず人間の傲慢さが嫌いである。

こうして言葉でいろいろなことを表現しているが、言葉は人間が勝手に発明したものである。美しい、醜い、やさしい、惨い、悲しい・・・それらの言葉を駆使して人間は人間以外の生き物たちや自然現象を表現するが、それとて人間の自己満足の一種であるように思われる。

たとえば、「神聖な」とか「崇高な」といった言葉がある。人間の人知を超えた偉大な存在に相対した時使われることが多いが、「神聖な」の「神」も人間が発明したものである。自分たちが発明したものをもってすべてを理解しようとすることは、やはり傲慢であるように私には思える。

とはいえ私もまた人間に生まれ、しかも言葉を使うことを生活の糧にしてしまった。言葉に対する思いは、愛憎相半ばする。愛憎せめぎ合いに右往左往しつつ、死ぬまでの日々を過すしかない。けっこう前から、私は人間に生まれたことへの後ろめたさを感じ続けてきたが、この後ろめたさは年齢を重ねる度にその色を濃くし、重みを増していく。それを身内に感じつつ生きていく以外道はない。

昨日の夜、家人と蕎麦屋で飲みながらいろいろ話したのだが、一番数を減らさなければならないのは人間だ、という考えは一致した。人間の数が減れば、地球はもう少しマシになると思う。もはや、平均寿命が高いことを誇りに思う時代ではないと思うのだが。

*今日もよくわからない天気。でも外は涼しくていい感じ。
*が、我が仕事部屋は蒸し暑いぞよ。
*養生のビニールで覆われてはいるが窓を開けてみた。少しマシ。
*ベランダ床の防水処理は今月いっぱいかかりそうだ。あー憂鬱ー
*20年くらい前に好きだった「ヴァイア・コンディオス」
*また聴きたくなってCDを注文。
| - | 17:05 | comments(0) | - |
銀の花
08-1025
・・・光琳の「風神・雷神」もBE@RBRICだとこうなる!・・・

昨日書き足りなかったので。というか、前振りが長過ぎて本題がいかにもお粗末になっていたので続きを少し。

銀泥で描かれた桜の花について昨日書いたが、その桜は「四季草花下絵古今集和歌巻」(俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆)の一部で、桜以外にも藤や桔梗など四季の草花が描かれている。一番印象的だったのが桜の花だが、銀泥という単色で描かれた花は、どれも幽玄さを漂わせながら色を超えた存在感で迫ってきた。

その不思議を探りたくて、他の作品よりも長い時間じっと見入っていたのだが、言葉で表現しうるような明確な結論には至らなかった。ただ、銀泥で描かれた花を見ているうちに、モノクロームのフィルムで撮った桜の写真が頭に浮かんできた。

それは、「銀」という色と言葉のイメージからくるものなのかもしれない。フィルムカメラのことを銀塩カメラというではないか。銀塩とは、「白黒フィルムの感光材に由来する。(光が当たった部分を現像すると塩化銀が生じ、黒くなる)」ということらしい。

モノクローム好きのはしくれとして、以前から花をモノクロで表現する試みをしている。が、これがなかなか難しく、繊細で微妙な花の色をこの目で見てしまったのが罪であるかのように、モノクロームにしてみると味気なくなってしまうことが多い。例外はもちろんあるが、難しいことに変りはない。

しかし、今回銀泥で描かれた花に出会い、これからもこの試みを続けていこうと強く思った。励まされるような、大きな味方を得たような、そんな気持ちである。

それにしても、琳派はおもしろい。近々「構図」についても書いて見たいと思っている。

*天気が不安定なので、工事が遅れぎみ。
*今月半ばには終わっているはずだったのに・・・
*北側の壁がやっと塗装終了かな?まだ床が残っているし。
*うるさいし鬱陶しいので、また散歩に出た。
*川原のノイバラはたくさん実をつけていた。
*思ったより天気がよくならなかったね。
*いまだに蒸し暑いって、どうよ!!
| - | 17:55 | comments(0) | - |
金と銀
08-1024

昨日コメントした通り、2つの打ち合わせを終え、上野の博物館に行ってきた。金曜日は午後8時まで開館しているので、行くなら金曜日がいいと思っていた。とはいえ、重い荷物と長い打ち合わせにいささか疲れ、6時過ぎにクライアント先を出た時には半ばくじけそうになっていた。が、これから仕事がバタバタすることを思うと、初志貫徹すべきだ。

給料日の金曜日、しかも雨が降ったり止んだり、ということでかなり空いていると思っていたが、暗くなった上野公園口から三々五々人が流れていく。西洋美術館を通り過ぎた辺りで、ほとんどの人が同じ場所に、同じ目的に向かっているのがわかる。東国立博物館で開催されている「大琳派展〜継承と変奏〜」をめざしているのだ。

6時半から閉館の8時まで博物館にいたが、最後の方は少し慌ただしかった。俵屋宗達、本阿弥光悦、尾形光琳、尾形乾山、あたりまでは比較的ゆっくり見たが、酒井抱一、鈴木基一あたりになってくると館内放送も流れ始め(閉館30分前)時間を気にせざるをえなくなった。

とはいえ、それまでの疲れを忘れさせてくれる1時間半であった。俵屋宗達のスケールの大きさ。本阿弥光悦の卓越したデザインセンス、光琳の華麗さ・・・見どころは尽きなかった。中でも印象に残ったのは、金泥・銀泥の下絵に和歌を添えた巻物。書についてはほとんどわからないのだが、金銀2色で描かれた草花や鶴は彩色を超える豊かさがあるように感じられた。

銀泥で描かれた桜の花は、白や紅の顔料を使うよりも桜の本質に近いように思われた。桜の花びらは透明感があり、いかにも軽く儚げだ。しかし、どこかに金属的な鈍い光を秘めている・・・いつもそう思っていたので、なおさらそう感じたのかもしれない。今でも目を閉じると、銀泥の桜が視野いっぱいに広がっていくような錯覚を覚える。

そのほか、いろいろな発見あり、感動ありの展覧会で、やはり行ってよかったと思っている。会期中何度か作品の入れ替えがあり、見られないものもあったが、それは仕方ない。また機会があったら、今回の展覧会のついて書きたいと思っている。

*光琳、抱一、基一の「風神・雷神図」を見比べることができる。
*私としては、宗達のが一番好きなんだけどね。
*打ち合わせに向かう前に、渋谷の百貨店でお土産にちび鯛焼きを買った。
*名古屋のブルーノという店が期間限定で出ていたので。
*12匹が1箱で500円。2ヶ所分のお土産プラス自宅分で8箱購入。
*いくらちびでも、12×8=96匹は重たいわ・・・
*帰りは軽くなったと思ったら、今度は図録が重たいわ・・・
*肩がガチガチ。トクホン貼って寝ようかなー(^.^;)
| - | 23:53 | comments(0) | - |
花を活ける
08-1023

なんとなく5時半に目が覚めてしまったので、いつもより早めに息子の弁当を作り、いそいそと川原に行ってきた。

昨日の今日なので、どこに何があるかはだいたい把握。目的は蕎麦の花とコブナグサだが、あらためて見てみると、「花材」として使いたいものがたくさんあった。

結局採集したのは、ソバ、ミゾソバ、ママコノシリヌグイ(ミゾソバに似る)、オナモミ、セイバンモロコシ、イヌタデ、名前のわからぬ草2種類(後で調べなければ)。夏に買った大振りなカゴにさっさと入れて帰ってきた。

先日活けた鶏頭やヨウシュヤマゴボウがそろそろ終わりに近づいたのではずし、同じガラスボウルに活けることにする。私の活け方は全くの自己流で、ほとんどが投げ入れスタイルだ。ボウルの場合、枝や茎に張りがあるものから入れていき、バランスを見ながら他の草をその隙間に差し入れるようにして活けていく。剣山や花止めは使わない。

いかにも気楽に活けているようだが、葉を整理し長さを調整したりするので思ったより時間がかかる。が、時間がかかったと思うのは活け終わってからのことで、その時感じる軽い疲れによりかなり自分が集中していたことを知る。そしてふと思う。「花を活ける」ということと、「花を飾る」ということは違うな、と。

「花を飾る」という行為は、私の中ではごく気楽な行為だ。花の組み合わせやバランスを考えながら器に入れ、しかるべきところに置き、毎日水を替えたり傷んだ葉や花を取ったりする。枯れたら棄てる。

一方、「花を活ける」という行為は、少し極端だが活け終わった時にすべてが終わるように思う。もちろん数日間鑑賞するわけだが、気持ちの上での花との関わりは終わる。活け終わった瞬間、一仕事終えたような気分になる行為だと思っている。

どちらの行為も好きだが、私の場合、「花を活ける」がメインで、活けた後あまった草花を「飾る」ことが多い。今も、まだ棄て難いヨウシュヤマゴボウの熟した実をコップに入れて飾っている。

それにしても、野草・雑草と言われている草たちの造形にはいつも驚かされる。今日採ってきたオナモミのイガイガの実も、ガラスボウルの中でとてもいい味を出している。川原や野山が身近にあるところに暮らすことができてよかった、と心から思う。

*写真は今日の収穫物(^.^;) 
*カラーは、Walkin'の掲示板で。
*通勤・通学のため慌ただしく駅に向かう人たちを見ながら花摘み。
*なんだかいい気分。こんな時くらいはいいよね。
*明日は天気が悪そうで憂鬱だー
*打ち合わせのはしごをして、時間があったら美術館に行きたいのに。
*窓を覆うビニールが鬱陶しい。部屋は暗くなるし。
*早く窓を開けて風を入れたいよぅ(T_T)
| - | 19:02 | comments(4) | - |
川原を歩く
08-1022

3時ごろ仕事を終え、近くの川に行ってみた。先日通りがかった時、市だか区だかの要請を受けたとおぼしき業者が手っ取り早い方法で草刈りをしていて、セイバンモロコシが見るも無残に刈り取られていたのだが・・・芒や荻の穂もだいぶ出ているだろうし、逞しく生き潔く枯れていく川原の植物たちに会いたい思い強く。

先日草刈りがあった辺りは、さすがにあっけらかんとしていた。が、刈り取りを免れたのか、刈り取り後急速に伸びたのか、ひょろりとしたセイバンモロコシが花穂をつけてなびいていた。

川に最も近いところでは、葦や蒲(がま)が生い茂り、セイタカアワダチソウは眩しい黄色の花を咲かせ、アレチノギクは見事に立ち枯れ、平らに均された土手では子供や犬が遊び、大きな柳の木の周辺では、釣を楽しむ人が数人。いつもと変らぬ川の風景であった。

どこにでもある、これといった特徴があるわけでもない川だが、やはり水面を見ていると心が落ち着く。

いつもと変らぬように見えても、やはり川は生きており、その周囲も常に変化している。枸杞(クコ)は例年より実なりがいいようで、紫色の小さい花を咲かせながら小さな赤い実をたわわに成らせていた。つる性の、どこかで見たことがあるような植物が急に増えている。ウリ科のような気がするが、実が見当たらない。気になるので、斜面をずるずると降りていきじっと観察してみるとわかった。アレチウリだった。

昔、バリケンという珍しい鳥がいたので「バリケン島」(島というほど広くない)と呼ばれている辺りでは、蕎麦の花が満開。時間によっては川の水に隔てられて行けないのだが、今日は陸と繋がっている時間だったので、いそいそと潜入。

ミゾソバやイヌタデがきれいな群生を作っていたり、名前が分からない野菊(ノコンギクを大きくしたような花)が咲いていたり・・・思わぬ発見に嬉しくなっていたところ、なんとコブナグサを発見。これは私が大好きなイネ科の植物で、小振りな穂も、鮒の形だと言われる葉も愛らしい。なんといっても、花が成熟して紫色になった時の群生が素晴らしい。

昔住んでいたマンションのベランダ下(1階だったので下は地面)に種をばらまき、
その群生をひとり楽しんでいたのをなつかしく思い出す。

コブナグサは、黄八丈の黄色を出す原料として使われるとのことで、検索してみると染色された糸の写真を見ることができた。やさしい黄色で、この草の姿にふさわしいと思う。

川原の植物は油断していると、ある日突然刈り取られてしまう。今日もバリケン島の近くで草刈りをしていたので、コブナグサが心配だ。明日早起きできたら、刈り取られる前に少し抜いてくるかなぁ。でも、抜いてきても、これは鉢植えには不向きなので、どうしよう・・・マンションの芝生に種をばらまいてみるか!などと不穏なことを考えて
いる(^.^;)

バリケン島はローカルでは有名だったらしい。
*仕事部屋の窓が開けられず、非常に不愉快。
*真冬でも窓を開けておきたい方なので、窒息しそう(T_T)
*こんな時はできるだけ家にいたくないのだが・・・
*そうも言っていられず。仕事があるもんねぇ。
*鶴見川流域って、蕎麦が野生化している?
*先日別の場所で群落をいくつも見たし。
*近くの駐車場で西洋朝顔がきれいに咲いていた。
*すかっとした青がいい。まだまだつぼみがいっぱいだ。
| - | 22:08 | comments(0) | - |
牡丹色と京紫
08-1021

主に着るものや身に付けるものについてだが、毎年気になる色というのがあって、街を歩いていても、雑誌をパラパラとめくっていても、テレビを見ていても、その色が気になってしまう。

今年は断然紫色系統が気になる。去年当たりからちょっと気にはなっていたのだが、今年ははっきり気になる(^.^;)

紫系といってもいろいろだが、今年は赤みを帯びた紫や青みを帯びた濃いピンクがマイブームだ。今年の流行色としてあげられているものに「ベリーカラー」(ブルーベリーやラズベリーのベリーね)があるが、それに近いかもしれない。

具体的な色を言葉で表現するのはなかなか難しく、印刷の世界では数値で指定する。たとえばCMYKだったら、C(シアン=青)、M(マゼンダ=赤)、Y(イエロー)、K (Key tone=色調)の混合割合を表す。マゼンダは赤というよりも私にはピンク系に思われるが、とにかく昔からこう決まっている。

自分が思う色を探してみようと手元にある「定本和の色事典」を見てみると、牡丹色(C:27/M:90/Y:0/B:0)と、京紫(C:40/M:80/Y:0/K:40)が一番イメージに近かった。

京紫とよく比較される江戸紫は、もっと赤みが少ない紫色。当初は京紫(古代紫ともいうらしい)と同じように赤みが強かったが、後に青みが強くなり流行した、と同書の解説にある。歌舞伎の人気演目である「助六」で、主人公が頭に捲いている鉢巻きの色が江戸紫だそうな。

牡丹色というのは、私にとってはなつかしい色名だ。子どもの頃、鮮やかな濃い桃色を指して母が「牡丹色」と教えてくれた。私の目には、どちらかというと毒々しい色に映り、ごく最近まであまり好きな色ではなかった。今思うと、伝統色の「牡丹色」よりも派手でマゼンダそのものに近かったように思う。

子供のころ、着るものは紺、グレー、白、ベージュ、水色といった所謂おとなしい色ばかりで、赤系もえんじ色止まりだった。これは母の好みなのだが、それに不満だったという記憶はない。

その反動だとは思わないが、大人になってからは、けっこういろいろな色を冒険的に取り入れている。身に付ける色で一番好きなのは相変わらず黒だが、いつでも立ち返ることができる色として大切にしながら、他の色にもどんどん手を出している。

不思議なことに、年齢を重ねれば重ねるほど受け入れる色が多くなってきている。牡丹色もそのひとつだ。未だに受け入れられないのが黄色系統とオレンジ色だが、これとて今後どうなるかわからない。節操がなくなったということなのか、自由になったということなのか・・・自分ではよくわからない。

*薔薇の植え替え用土がなくなったので、サカタまで。
*自転車で行けるところに大型園芸店はあるのだが・・・
*配送が有料なのよね。サカタは市内無料だもんね。
*久しぶりだったので、土以外にもあれこれ手が出てしまった(^.^;)
*知らないうちに(怠慢していたので)枯れてしまった野菊類を少々。
*去年は植えられなかった球根類を少々。
*工事が終わったら、少し気を入れてベランダのレイアウトをするぞ。
*実家に預かってもらっているヤマアジサイも取りにいかなくちゃ。
*サカタのペット売り場にいたブルドッグがいなかった。淋しいわ。
*帰りにTSUTAYAに行って探したけど「海と毒薬」なかったー(T_T)
| - | 18:58 | comments(3) | - |
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