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日々の内側
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異端好き
08-0930
・・・肌寒い雨の日も2日目。明日はそろそろ上がって欲しい・・・

「闇の絵巻」に続き「空蝉の花」(澤田ふじ子著)に手を付け、もうすぐ読み終わる。二度目だが、最初に読んだのが相当前なのではじめてのように楽しんでいる。

「空蝉の花」の主人公は、大住院以信。二代目池坊専好に才能を見いだされ、高弟をさしおいて法院(専好)から継職を期待されるが、嫉みそねみは強く、苦難が続く。それでも、細心の注意と法院の配慮と、そして何よりも類い稀なる才能によって頭角を表し、後継者として認められる日も近いと思いきや・・・

時代は徳川家光から家綱のころ、徳川幕府も安定しはじめ、華道の世界においても実力主義から血脈主義へと動きはじめていた。それが以信にとって最大の不運だったのではないだろうか。

頼みにしていた専好は、江戸に行っている間に池坊の行く末を気にかけつつ死に、残った高弟たちは専好の弟である専存を担ぎ上げて以信を排除、専存の死後もその子専養が後を継ぎ、以信は結局池坊と縁を切るしかなくなってしまう。以信は最後まで、池坊にとって異端であり続けたということだろう。

異端であり続けた以信ではあったが、その仕事は紛れもなく最も明るい光彩を放ち、江戸城や大名家において立てたダイナミックな「砂物」の立花図は今に残っている。

先日読んだ「闇の絵巻」の長谷川等伯も、狩野派を主流とするその世界にとっては異端であり、数々の不遇を経てなお、その仕事を後世に残した人だ。

どうも私は、若いころから「異端」に惹かれるところがある。脈々と続いてきた正統には、続いてきただけの理由があり、なまじっかなことでは土台から揺るぐこともない。その土台を揺るがせるだけの才能を持って現れた異端・・・ある意味破壊力ともいうべきそのパワーと、反骨精神と、なによりもそのキラキラした才能に惹かれる。

彼等の多くは、多勢に無勢の状態で正統に戦いを挑み、遺恨を残して消えていった人も多いと思う。ゆえに私の中における「異端」イメージにはある種の悲しさがつきまとうが、それゆえさらに彼等を贔屓したくなるし、名を残した者たちのことは忘れたくないと思うのだ。

*華道の世界なんぞ、ちっとも興味がなかったが。
*ちょっと知りたくなってきたぞ。
*とりあえず、次に読む本として「花僧〜池坊専応の生涯」を買ってきた。
*琳派を特集している美術手帖も。
*別冊太陽も2冊。利休内田百間。重かった・・・
*それにしても、本の置き場所が・・・(T_T)
*さて、明日はたまっていた仕事を片づけることにしよう。
| - | 22:07 | comments(0) | - |
母親という“業”
08-0929

福岡の小1男児殺害事件を挙げるまでもなく、ここ数年、親による子殺しが目立つ。統計的にもこの傾向は顕著だとどこかで言っているのを聞いたが、子どもが殺されるとまず母親を疑えという風潮にならねばいいがと危懼するほど、母親による子殺しが多発している。今日の夕刊にもまた、横須賀で小学校6年生の息子を母親が殺した事件が報じられており、暗澹たる気持ちになる。

自分の腹を痛めて産んだ子を殺すなんて、という非難。いくら悩みがあるからといって、何も分からぬ子どもを殺した罪深さへの糾弾。母親の手にかかって死んでいった子どもに対する哀惜。それらに異を唱える者ではないが、かといって単純に同調できないものまた事実だ。

母と子の関係というのは、大昔から様々な情念を伴うものだったと思う。母ゆえに罪を犯すといった例は、多くの文学作品にも登場し、母という存在との葛藤や母への憎しみや恋慕が生んだ芸術作品も多い。その関係は、良くも悪くも生々しいものであり、理性で云々できないことが多いように私には思われ、母親であるということは一つの“業”であるような気がする。

私自身のことについて言えば、自分の子を殺したいと思ったことは全くない・・・というかバカのように今でも可愛いと思っているが、それでもこの“業”の深さを感じ、気持ちのやり所に困ることはある。母親というものにならなければ犯さなかった罪を犯したかもしれないし、子どもを産まなければもう少し思いきりのいい人生が送れたかもしれないと思うこともある。

しかし、子を産んでよかったと、それでも思う。たぶん私は、あれこれ迷い続けながらも、母親という“業”を受け入れているのだろう。今一番怖いのは、子どもに死なれることだと、はっきり言えるから。自分が死ぬより、たぶん子に死なれる方が怖い。そして、そう思えることが嬉しい。

*いやぁ、涼しい!というか寒い!
*急いで夏物をしまわなくちゃ。冬物出さなくちゃ。
*半袖のTシャツなんぞ、見ているだけで寒くなるわい。
*明日も寒そう。何を着ていくかなぁ。
*まあ、この気温は好きだけどね。もっと寒くてもいいけどね。

| - | 20:45 | comments(2) | - |
08-0928

「夢」という言葉を、いともたやすく口にする(口にできる)人がいる。「夢」を語る歌をうっとり聴く人がいる。「夢」の実現を描く物語に感動する人がいる。もちろん、ここでいう「夢」とは、私たちが睡眠中に体験する不可思議な現象のことではなく、希望や願望を意味するとされる「夢」のことだ。

夢も希望もない、という表現があるが、確かに自分の将来を考えたとき、何の希望も見えてこないのは辛いことだと思う。が、希望が見えなくてもただひたすら生きなくてはならない人も想像以上に多いような気がするし、夢を持たずとも人間は生きていけるものだとも思う。しかし、これほど「夢」がもてはやされているところを見ると、人は夢を持ちたい、いつでも持っていたいと思っているのかもしれない。

子どもたちが語る夢はとてつもなく、突拍子もなく、無邪気だ。それゆえほほ笑ましくもあるのだが、人間年齢を重ねるごとに夢は現実味を帯びて、スケールもまた小さくなりがちであるような気がする。

私の感覚としては、「夢」を躊躇いなく語れるのは10代くらいまでで、それ以降はどことなく気恥ずかしかったり、自分の夢に懐疑的になりがちであるように思う。

今日散歩に出かけた商店街のシャッターに大きく描かれた「夢」という文字を見て、いまさらどうでもいいようなことをちらりと考えたりしている。自分に「夢」はあるかと問うても、即座に答えがでてこない。

ささやかな希望のいくつかはあるが、果たしてそれが「夢」かと問えばそうではないような気がする。「夢」とは結局叶わないものだという思いが私の中にはあり、叶わないとわかっているものを維持しつづける気力がもうないのかもしれないが。

大きな「夢」をもっていなくても、人生それなりに楽しいのではないか・・・半世紀以上生きてくると、そんな気にもなってくる。別に淋しいことではない。
| - | 19:34 | comments(0) | - |
闇の絵巻
08-0926

「闇の絵巻」(澤田ふじ子著)を昨日読み終わった。上下巻それぞれ1日ずつで読了という最近の私にしてはかなり速いペースで読んでしまった。

この小説は、織田信長が天下を取ろうとしていた室町時代末期から安土桃山時代を背景に、当時すでに確固たる地位を築いていた狩野派の活躍と、絵筆一本で生きる覚悟を決めて能登から出てきた無名の長谷川信春(のちの等伯)一家の栄枯盛衰の物語だ。

日本画についてはとんと関心がなかったが、昨年伊藤若沖の絵を見たあたりから徐々に興味を覚えはじめ、今年は国立博物館で催されていた「対決 巨匠たちの日本美術」に行き、長谷川等伯の絵に感動したことがこの本を読むに至った直接の動機といえよう。

技術的なことはとんとわからないが、展覧会の主旨にしたがって並べられた狩野永徳と長谷川等伯の絵を見た時、迷うことなく等伯を私は選んだ。雄渾壮大な永徳の絵は確かに迫力満点ではあるが、心が寄り添わない。等伯が描いた芒や萩の絵の中に漂う空気感に、私の目と心は釘付けになり引き込まれていった。

本を読んで知ったのだが、この時代の障壁画の世界は狩野家の独占状態にあった。永徳は生まれながらにして絵画におけるエリートだったのだ。もちろん本人の才能や努力がなければそうはならないだろう。しかし、能登で紺屋を営みながら地道に絵を学び、意を決して京都に出てきた長谷川等伯の意志の強さ、激しいものを内に秘めながらも信心深い態度などを読むにつけ、どうしても贔屓してしまいたくなる。

この時代、才能さえあれば世に認められるとは限らない(今でもそうだが)。才能はもちろんだが、運や政治的な能力がかなりものをいう時代だった。等伯は強運の持ち主だったのか、利休をはじめとする数々の人々の手厚い庇護を受け、ようやく大きな仕事が入るようになる。しかし、その勢力増大を危懼した狩野派に暗殺されかけ、政治的な策略で決まりかけていた仕事を失う。

しかし等伯はそこでめげない。自分の才能と夢の実現を信じて能登からついてきた妻に先立たれても、等伯には自分の才能を認めてくれる有力者と、なによりも自分をもしのぐ画才を発揮しはじめた息子がいたからだ。

物語の中では、狩野派は大規模な会社のような存在として描かれているが、長谷川派はあくまでも家族中心の、人間的なぬくもりが行き交う集まりとして描かれているように思う。

さすがに永徳は悪くは描かれていない。むしろ、作者は狩野派という大きな屋台骨を支えるために、48歳という若さで死なざるを得なかったことに同情的ですらあると思われる。しかし、永徳の腹違いの弟である久左衛門は狩野派の地位を守るため、様々な陰謀をめぐらし、ついに等伯の息子であり、将来を嘱望されていた久蔵を暗殺する。

実際のところ、久蔵の死因は謎に包まれているようで、24歳で急逝としか書かれていないことが多い。しかし、豊臣秀吉が淀君に生ませた鶴松が3歳で急逝、菩提を弔うために建立された祥雲寺(現在の智積院)の障壁画を父等伯とともに仕上げたばかりの死は、いかにも久蔵の才能を恐れた誰かの策略だと思わせる。

皮肉なことに、永徳とその門人たちが筆をふるった作品は、安土城をはじめとする天下人の依頼による大作が多かったゆえに、戦乱の時代のなかで多くが消失した。それに較べて長谷川派の作品は現存するものが多く、日本絵画の最高傑作との声も多い。

久蔵を失った失意を秘めて等伯が描いた「松林図屏風」は墨の濃淡のみで描かれた大作で、絢爛豪華を軽く超越する静かな世界を描ききったという印象を受ける。

「対決 巨匠たちの日本美術」では、前半後半で作品の入れ替えがあり、私はこの絵を見ることができなかった。非常に残念である。いつかまた見る機会があったらぜひ見たいと思う。また、等伯・久蔵親子の作品が今に残る智積院にはぜひ行ってみたい。それだけのために京都に行く、というのもなかなかいいものだと思う。

*等伯は、能登は七尾の出身。
*今年春に、七尾美術館で大規模な展覧会があったのね・・・
*「桜図」は久蔵の作品らしい。豪華だが繊細で人柄が偲ばれる。
*今日は午前中はかなりアタフタ。午後から少しゆっくり。
*午前中は蒸し暑かったが夕方から気温が下がってきた。
*よしよし!早く寒くならないかなー
Walkin'、更新。
*昨日の写真。曼珠沙華がこれでもか!と(^.^;)
*あの花が苦手な方は、パスしてくださいな。
| - | 19:38 | comments(0) | - |
視野いっぱいの
08-0925

ここ数年ずっと行きたいと思っていた、高麗(こま)の巾着田に行ってきた。この辺りでは、曼珠沙華の群生地として有名で、一度は“視野いっぱいの”赤い花を見たいと思っていた。

西武池袋線にある高麗駅は飯能駅から二つ先にあり、自宅からだと約2時間かかる。本当は今週月曜に行きたかったのだが天気が悪く、今日は是が非でもという思いだった。電車を乗り継ぐのは少し面倒だが、駅から15分も歩けば巾着田に着く。

平日だがさすがに混み合っていて、カメラを携えている人も多い。花期がさほど長くないこと、曼珠沙華のほかにコスモスの群生もあることなどから、一年中で最も人が集まる時期なのだろう。

最も群生が見事な場所は、入場料200円を払わないといけない。が、払うだけのことはあり、木々の下にびっしり敷き詰められた緋毛氈のような群落は見事としかいいようがない。時折差し込む午後の陽射しに輝くような緋の花を見ていると、よくも悪くも人を魅了する理由がわかるような気がしてくる。

“視野いっぱいの”というのは、“曼珠沙華視野いっぱいの悔いである”という時実新子の川柳による。この句に出会って以来、私は“視野いっぱいの曼珠沙華”というよりも“視野いっぱいの悔い”が見たかったのかもしれない。この花を“悔い”の象徴ととらえた感性に舌をまき、以来それは私の中での象徴にもなった。燃えるような“悔い”とはどのようなものなのか・・・一度は見てみたかった。

しかし、今日実際にこの緋色の群生を目にした時、“悔い”という言葉を思い出さなかったから不思議だ。息を詰めてファインダーをのぞいていた時、ゆっくり流れていた雲の合間から秋の陽が差し込み、まるでスポットライトを当てられたように花が輝いた。

その時心に浮かんだのは、“悔い”とはほど遠い“歓喜”という言葉だった。まさに天上の花だと思った。優雅な曲線を描く長い蕊とゆるやかに波打つ花びらは、歓喜の炎のようだった。

似たような写真ばかりになりそうだと思いつつ、飽くことなく花にレンズを向けた。まるで憑かれているかのように。この花は人をそうさせる魅力・・・というよりも魔力を持つ花だと思う。

3時間近く歩いて高麗駅に着いたのは午後5時過ぎ。観光客向けに設えれられた飲食スペースで飲んだビールが美味しかった。陽射しが強く、真夏ほど日焼け対策をせずに出かけたので後が心配だが、いい時間を過せたと思っている。
| - | 22:27 | comments(2) | - |
仕事がちょっぴりイヤになる日
08-0924

同じ業界に25年以上いれば、いやというほど経験し、その度になんとか自分と折り合いをつけ、ほとんど割り切ってきたつもりのことがある。割り切っているつもりでも、時として割り切れていない自分を発見し、何やら忸怩たる思いにとらわれる。

すべての局面において、とは言わない。もっと次元が高い世界もあるのではないかとも思う。しかし、少なくとも私を取り巻く環境においては、頭脳労働よりも手間暇かけた作業が評価される。評価とは、とりもなおさず金額である。

しがないフリーランスは、納得がいかなくても異議を唱えられない立場であることが多い。そして、そんなことにいちいち尖っていては続けられないのもフリーランスである。文句を言っている暇があったら、異議を唱えられる立場になるためにはどうしたらいいかを考えた方がよさそうだ。今回は負けたが、次回は様子を見ながら起死回生を計ることにしよう。

*最近なんだか寝つきが悪くて・・・
*昨日(今日)も寝たのが4時過ぎ。起きたのが6時過ぎ。
*睡眠不足は応えるよ・・・年齢的にも。
*都内→千葉から7時過ぎに帰宅。気持ちも荷物も重くて参ったわ。
*ま、立ち直りが早い(忘れっぽいともいう)のが取り柄だし。
*「闇の絵巻」、面白い!上巻を1日で読了。
*今晩から下巻に突入。読書の秋だな。
*あの時代(室町から安土桃山)は面白いなぁ。
*「信長:イノチガケ」(坂口安吾)も読みたくなった。
| - | 19:47 | comments(3) | - |
里山を訪ねて
08-0923
・・・かわいい顔の案山子くんは、ポロシャツ着用!・・・

天気もいいので、寺家(じけ)ふるさと村に行ってきた。自宅と同じ横浜市内だが、電車とバスを乗り継いでいくとけっこう時間がかかる。しかし、この辺りではすでに見かけることがなくなった里山風景を見ることができる、貴重な場所だ。

寺家を訪れたのはこれで二度目。最初も時もたしか稲の刈り取り時期で、束ねる前の稲の上で猫が気持ちよさそうに昼寝していたのをよく覚えている。今年は少し早かったのか、まだ穂が完全に黄金色になっていない稲もたくさんあった。ちょうど彼岸花が田の縁に咲いていて、あらためて田園風景によく似合う花だと思った。

前回も少し気になっていたのだが、今回とくに気にかかったのがマイカーによる来訪者の多さだ。

なるほどバスの本数はかなり少なく、マイカーで来る方が気軽である。幼い子ども連れとあっては、なおさらであろう。しかし、水田沿いの道にずらりと路上駐車している光景はちょっと興醒めだし、停まっている車を避けながら歩いていても後ろから頻繁に車がやってきて、立ち止まって写真を撮るにも注意が必要だ。

また、寺家ふるさと村は横浜市が都市化の波に押しつぶされそうになっている地元の農業を復興させるとともに、美しい里山と雑木林の風景を残し、自然とふれあえる場として保存することを目的として構想されたものである。

外から訪れる者にとっては、観光というよりも里山の風景や動植物と触れることにより、自然や自然とともにある農業の姿を学習する場であると私には思える。

加えて、農家の人たちにとって、兼業であれ専業であれそこは生活の糧を得る場所である。今日は休日とあって農作業もゆったりしたものだったが、それにしても田の中のあぜ道に入り込んだり、ビニールシートをひいて弁当を開いたりするのは如何なものかと思う。

地元の人もある程度割り切ってはいるだろうが、少なくとも車でやってきて路上駐車の列だけは作ってほしくない。

まあ、それはそれとして、黄金色に色づく水田の風景はやはりいいなぁと思う。なぜか心和むのは日本人だからだろうか。彼岸花の赤がとてもきれいだったことも印象的だった。収穫のの季節の到来を喜ぶかのように、「ハレ」の色である華やかな赤を添えているようで、その姿は愛おしくさえ思える。この花を苦手とする人も多いが、こんな風景を見てもそう思うか、一度尋ねてみたい。

*気持ちいい秋晴れ。まだ暑い(^.^;)
*帰りのバス、乗り遅れそうで走った・・・どっと疲れたー
*彼岸花、じっくり取り組みたいテーマではあるが・・・
*咲いている時期が短いので、なかなか難しいぞ。
Walkin'、更新
| - | 21:51 | comments(2) | - |
折り紙を折るように
08-0922
・・・チュールレースを使って。詳しくはOLD*NEWにて・・・

相変わらず時間をみつけて・・・というか最近仕事があまり忙しくないので気が向いた時に、小さい縫い物をしている。天気がはっきりしない日が多く、ネットや本に疲れると手を動かしたくなる。

最近バカの一つ覚えのように作っているのが、折り紙を折るように作るポーチで、袱紗ににていなくもない。正方形の3つの角を中心で合わせて、残りひとつがフタの先端になるという作り方だ。

とても単純なものなのだが、素材の組み合わせによって様々な表情を持たせることができるので、まだ飽きがこない。入れるものによって大きさ(縦方向)が自在に変えられるので思いの他使いやすく、今作っているものはちょうど通帳などを入れて持ち歩くのにいい大きさだ。フタの先端に紐をつけてぐるぐると本体に巻き付けるスタイルで、使う布によっては和風にもなる。

こんなに作ってどうするの?というくらい集まりそうで、いっそのこと売り出してみるかと一瞬思ったがそれはやめた。

アンティークやビンテージの素材を使っているので、材料費だけである程度の金額になってしまい、それに人件費!を加えるとポーチとしてはそこそこの値段にならざるをえない。小さいポーチに何千円も出す人が多いとは思われないので飽きるまで作ってひとりでほくほくしていようと思う。

*今日は出かけたかったのにーーー!朝から雨だもんなぁ。
*夜中(3時ごろ)の雷がすごかった。音で目が覚めたもん。
*今日もはっきりせず。気温が低いのは歓迎だけど。
*郵便局に行ったら源氏物語の記念切手が発売されていた。
*もう一度読みたいとも思うんだけど、飽きるんだよな、途中で。
*以前読んだのは、たしか与謝野訳。
*もうすぐ「空蝉の花」などが届くので、そちらが先だな。
OLD*NEW、更新。
| - | 20:05 | comments(0) | - |
後回し
08-0921

仕事に関しては、基本的に来たらできるだけ早くやって後はラクチンする主義である。3日与えられているなら、1日か2日でやってしまって残りの時間は好きなことに費やしたい。そう思っている。

が、仕事以外で多少なりとも義務感を伴うことについては、ついつい後回しにしてしまいがちである。後回しにしたツケは様々な形でやってくるが、自業自得だと思って黙ってツケを払う以外ない。後回ししたがゆえに労力が当初の数倍必要になったとしても文句を言える人は自分以外にはない。

思えば、ツケがちゃんと回ってくるならまだいいのかもしれない。後回ししているうちに忘れてしまい、ツケもやってこないことがある。

いつか全く別の形で大きなツケが突然やってくることもありえるし、いつまでたってもツケはやってこないが、もしかしたらそれが自分にとって大きな損失になるやもしれないこともありそうな気がする。

後回しもいいかげんにして、重い腰をあげなければいけないことをいくつか思い浮かべ、実行する順番を考えながら昼寝してしまった雨降りの日曜日だった。やれやれ。
| - | 21:01 | comments(0) | - |
此岸より
08-0920

台風一過というほどでもないが、昨日の雨が嘘のような穏やかな日。いつもなら仕事部屋の窓から空を存分に眺められるのだが、今はネットが張り巡らされていて鬱陶しい。ふと山口百恵の「いい日旅立ち」が聴きたくなり、何度か繰り返して聴くことで自分を少し慰めた。

午後から近所の散歩へ出かけた。あらかじめ予定のコースを考えていたのだが、ふらふらと寄り道をしているうちに予定コースからかなり離れてしまい、成り行きの行程となった。たまに訪れる古い寺に入ると、線香のにおい。そうだ、今日は彼岸の入りだったんだと思い出す。

天保時代の墓もある墓地はきれいに掃き清められ、あちこちに新しい花が供えられている。地元の家の墓が多いのだろう。みなさんきちんと彼岸入りに墓参りをしているようだ。さほど広くないので、ゆっくり墓地を巡っているうちに、いつも手を合わせていた小さな墓が見当たらないことに気付いた。

墓石ではなく、何という名前なのかわからぬが木の大きな杭のようなものが立っているだけの墓だ。かすれた文字も読みづらく、最後のほうに「童女」という文字が読めるので幼い女の子の墓なのだろうか。かわいらしい柄の湯飲み茶碗が目印であったのに、記憶の中にある場所に行っても見当たらない。

墓をつぶしてしまうというのはなかなかできないことだと思い、もう一度探すと見つけることができた。手前に大きな新しい墓が建てられたので、視界に入らなかったとみえる。古びた石塀沿いに、以前よりさらにひっそりとその墓はあった。塔婆が2本添えられていたが、花入れに花はなく、参る人もいないように見える。しかし、いつも見ていた湯飲みはそのままあり、さして汚れていなかったのが妙に嬉しかった。

白い小さな湯飲みで、朱色の花が描かれている。それがいかにも「童女」らしく、今日もそっと手を合わせてきた。見ず知らずの人の墓に手を合わせることが時々ある。なぜだかわからないが、手を合わせたくなる。いつまでたっても此岸で右往左往し、もがいてばかりの身の上なれば、時として彼岸の人にしばし寄り添いたくなるのだろうか。
| - | 21:49 | comments(0) | - |
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