一度もお会いしたことはないが、ネット上で何度かやりとりをしたことがある方の話。さしさわりのないようにしたいので、ある程度ぼやけた表現になると思うがその点はご理解いただきたい。
以前ちらりと書いたかもしれないが、その方は相次いで突然の不幸に見舞われた。海外に生活の拠点を置いている方だが、日本に一人残した老母を気遣い、体調や母親の気持ちを考えつつ老人施設への入所を決めて来日。さて、これからという時に等の母親が急逝した。
住み慣れた家を離れる母への気遣い、より快適な老後を過してもらいたいと願う気持ち。様々な葛藤の後に選んだ道を歩もうとしているさなかの出来事は、大きな打撃だったことだろう。
さあやるぞ!という緊張感からの急激な下降。母がいなくなったことの空虚。押し寄せる疲れ・・・葬儀や家の整理などをしながら、少しずつ立ち直ろうとしていた時。
今度は、海外で自分を待っているはずの夫が急死したとの知らせ。これこそ、まさに青天の霹靂といえるだろう。信じられない。信じたくない。だが・・・混乱の中で彼女がネット上に残した日記のタイトルは「未亡人になってしまいました」だった。
それから数ヶ月間、彼女は沈黙した。もうネットには復帰しないかもしれないと彼女自身も書いていたし、私もそれはそれでいいと思っていた。ただ、少しずつでも気持ちが上を向けばいいなぁと思うことしかできずに。
しかし、最近になって彼女は復活した。少なくともネット上においては。まだまだ、その傷口には血がにじんでいることだろう。親身になってくれる友人たちやかわいい猫たちが彼女を慰め、少しでも明るい気持ちになる一助となっていることを嬉しく思う反面、淡々と、説きには微かなユーモアを含んだ日記を読むと、その背後の悲しみがひしひしと伝わるように思われる。
少しずつ、彼女は事の顛末を記しはじめたが、それもまた苦痛であるに違いない。が、文章にすることによって自分の中でさざめく様々な思いを整理しようと思ったのかもしれない。
ごく最近になって、彼女の夫君の死が自殺であることを知り、軽いショックを覚えた。人もうらやむような仲のいい夫婦であったようなのに、偶然の出来事が歯車を大きく狂わせ、悲劇的な出来事が彼女を襲ったといいうことだろうか。
年老いた親の病死という出来事なら、多くの人が経験することである。それぞれに大きな悲しみを伴うことなので、ひとくくりにすべきではないのだろうが、ひとつの経験として見た場合そうのようなことだと思う。が、長年連れ添い、まだまだこれから一緒に生きていくことが当然のように思っていた人が死ぬということは、しかもそれが自殺だったということは、そうそう誰にでも起こるものではない。
以前から書いているように、私は自殺を否定する者ではない。自殺する者には当人にしかわからぬ事情があるものとして、その死はやはり尊重したいと思っている。が、残された人のことを思う時、やはり自殺はある意味で残酷な行為なのかもしれないとも思う。
しかしまた、残されるであろう人のことを思うことができれば、人は自殺以外の道を選ぼうとするのではないだろうか。残されるであろう人のことを思う余裕がなかったり、思うことはできても死にたいという気持ちがそれをはるかに上回った時、人は自殺するのではないか。その時の、「死にたい」という気持ちは、「切望」という言葉で表現するにふさわしいものなのかもしれない。
切望・・・切なる願い。それが「死」であるなら、誰がその願いを否定できるのか。何の責任も負わない場で。
「切望」という言葉を思い浮かべた時、私は別の「切望」を思い出した。何度か日記でも書いている鮎川信夫氏の詩である。
若い頃一度その詩をみかけたのだが、タイトルだけ覚えていて正確な内容を知る術がない・・・知りたいという願いは常に頭の中にあるのだが、検索しても見つからない。誰か知っている人がいたら教えてほしい。昔そう書いたと記憶している。
その詩に私が出会ったのは、二十代前半のころかと思う。その時の私は「死に損ない」の体だった。生きることも死ぬこともできないというような、底知れぬ淵を見つめながら動きがとれないような、ぽっかりと空いた穴がどれだけ大きくなるのが計り知れない思いに呆然としているような、そんな状態だった。
その時、ふと手にした文芸春秋に、その詩は掲載されていた。著名人が短文を寄せているようなページに片隅に、囲み記事のような体裁で掲載されていたこととタイトルしか覚えていなかった。ただ、その詩に書かれていた内容にひどく共感したことは確かな記憶として存在し、それなのに印刷されていた言葉を朧げにしか覚えていない自分がなんとも歯がゆかった。
今日、気を取り直して様々な検索を試みた結果、幸運にもその詩について書かれているブログを発見することができた。これは最近の出来事の中では一二を争う幸運であると思う。新たに読んでみて、やはりいいなぁと思う。この詩に描かれている「切望」は、
二十年以上経過しても未だに私の「切望」でもあるのだった。
「切望 」鮎川信夫
欲する処にしたがい
欲する時に
欲するように死ぬ
こののちは訪うべくもないゆえに
たしかな消息という
無縁のいのちを
どこにもない場所に預けにいく
なにげなく交信した
あれが最後の挨拶になったと
この世の外で呟くように
*「激務中」などと某所では書いたが、8時には一応終了。
*考えている時間が半分くらいを占める仕事は、そうそう長くできない。
*神経的な高ぶりと疲労感が残るので、なかなか眠れないのよね。
*まあ、予定していたより少し多めに進んだのでよしとしよう。
*秋の長雨?でもないでしょうけど、そんな感じ。
*大好きなアリスター・ステラ・グレイという薔薇につぼみがいっぱい。
*仮置き場で咲かせるのはもったいないけれど。
*雨に濡れて咲く風情は天下一品なのにね・・・
*妙に神経が高ぶっている時って、衝動買いしがち。
*また、誰かにケンカを売りたくなりがち(^.^;) くわばら、くわばらー