やっとのことで芸者をやめ実家に帰ってみたものの、伯母はすぐに「この家にはいられない」と思うようになった。実家は見るも無残に落ちぶれ、一家は長屋同然の家で暮らしていた。
長い間実家を空けていたこともあり、空間的にも精神的にも、伯母のいる場所はなかった。とりあえず持ち帰った着物のほとんどを売り、少しはまともな家を借りて一家は引っ越した。
家はまともになったが、やはり伯母は身の置き所がなかった。自分が金を出して借りた家ではあったが、父親は貧しくなってもプライドだけは高く、専制君主のような横暴さで君臨していた。
困り果てた伯母は、お酌さんのころからかわいがってくれた人に相談の手紙を出す。伯母はその人の名前は言わなかったが、けっこう有名な作曲家で、コロムビア・レコード専属で仕事をしている人だったらしい。
しばらくして返事がくる。そのままの生活をしていては君のためによくない。こっちに来なさい、と。そして伯母に家を一軒用意してくれた。客観的に表現すれば、伯母はその人の囲われ者になったのである。
伯母とて囲われたという気持ちはあったのだろう。そして、その立場に甘んじていてはいけないとも思っていたのだろう。とにかく何らかの技術を身につけ、早く自活しなければと思った。縫い物が好きだったので、洋裁の学校に通った。タイプの学校にも通い、仕事を探した。
3年くらい学校に通い、就職。自活への道を歩き始めた・・・と思ったら今度は戦争が伯母の計画を狂わせた。
まず、また家を出なくてはならなくなった。戦時下、女を囲うなどもってのほかということだったのかもしれない。実家に帰り伯母は徴用という形で時計製造会社に勤めはじめた。毎日遅くまで仕事をして帰宅する伯母の顔を見て、母親は「おまえの顔は怖い。目つきが怖い」と言ったという。それほど緊張して仕事をしていたのだろう。
伯母はそこでSという青年と出会う。時計の設計技師で、茨木の裕福な家を家出同然で出てきたこの青年が、私が知っている伯父である。お坊ちゃま育ちで世間知らずの青年は、伯母を気に入り一緒に住もうとまで言うようになった。が、伯母にはその気がない。どことなく頼りないその青年と一緒になってもいいことはないような気がしたという。
が、ある日見知らぬ女性が尋ねてきて、「兄が病気で寝込んでいるんですが、面倒を見る人が誰もいないんです。お願いですから兄の面倒をみてやってください」と言う。S青年の妹であった。
そうなると伯母は突っぱねることができない人なのだ。仕方なく伯母は青年のアパートまで行き、やつれ果てた病人の面倒を見た。実家からは勘当されていたので青年には金がない。病院に行くにも食べ物を買うにも金が必要だ。伯母はわずかに残っていた昔の着物を売り、青年の面倒を見続けた。そして、実家に帰りづらくなり、そのまま青年と同棲を始めた。
S青年は何かを発明し、作るのが好きな人だった。戦争が終わると、玩具を作り始める。割れずに残ったアンプルを知りあいからもらって、水に入れると浮き沈みする玩具を作った。しかし、作るだけ作っても売らなければ金にならない。ところがS青年は商売は苦手だ。自分がものを売るなんでできない・・・やはりお坊ちゃんなのである。
S青年に言われて伯母は玩具を売りにいくことになった。しかし、そんな仕事はしたことがない。どこでどのように売ったらいいか、皆目検討がつかずに途方にくれた。が、今となっては何故そうしたのか忘れたらしいが、神田祭に夜店を出すことにする。ずらりと並んだ夜店の一番端に、伯母はひっそりと新聞紙を広げガラス製の玩具を並べた。
並べ終わりなんとか売ろうとしていた時、大きな神輿がやってきた。神輿に群がる人が一気に押し寄せ、地ベタに置かれた玩具はすべてこなごなに砕けた。「みーんな割れちゃったのよ!わはは!」と伯母はいかにも愉快そうに笑った。<つづく>
*今日も雨。そして寒い・・・
*思い掛けない小包が2つ。
*カレイドスコープ、大好きなんですよ!ありがとう!
*み・ほ・ん!これまた嬉しい贈り物でした!
*夕方買い物に出た以外、じっと家に篭っていた。
*やっぱりダメだわ。明日はどこか行きたいわ。