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見事な人生〜その2〜
08-0531

やっとのことで芸者をやめ実家に帰ってみたものの、伯母はすぐに「この家にはいられない」と思うようになった。実家は見るも無残に落ちぶれ、一家は長屋同然の家で暮らしていた。

長い間実家を空けていたこともあり、空間的にも精神的にも、伯母のいる場所はなかった。とりあえず持ち帰った着物のほとんどを売り、少しはまともな家を借りて一家は引っ越した。

家はまともになったが、やはり伯母は身の置き所がなかった。自分が金を出して借りた家ではあったが、父親は貧しくなってもプライドだけは高く、専制君主のような横暴さで君臨していた。

困り果てた伯母は、お酌さんのころからかわいがってくれた人に相談の手紙を出す。伯母はその人の名前は言わなかったが、けっこう有名な作曲家で、コロムビア・レコード専属で仕事をしている人だったらしい。

しばらくして返事がくる。そのままの生活をしていては君のためによくない。こっちに来なさい、と。そして伯母に家を一軒用意してくれた。客観的に表現すれば、伯母はその人の囲われ者になったのである。

伯母とて囲われたという気持ちはあったのだろう。そして、その立場に甘んじていてはいけないとも思っていたのだろう。とにかく何らかの技術を身につけ、早く自活しなければと思った。縫い物が好きだったので、洋裁の学校に通った。タイプの学校にも通い、仕事を探した。

3年くらい学校に通い、就職。自活への道を歩き始めた・・・と思ったら今度は戦争が伯母の計画を狂わせた。

まず、また家を出なくてはならなくなった。戦時下、女を囲うなどもってのほかということだったのかもしれない。実家に帰り伯母は徴用という形で時計製造会社に勤めはじめた。毎日遅くまで仕事をして帰宅する伯母の顔を見て、母親は「おまえの顔は怖い。目つきが怖い」と言ったという。それほど緊張して仕事をしていたのだろう。

伯母はそこでSという青年と出会う。時計の設計技師で、茨木の裕福な家を家出同然で出てきたこの青年が、私が知っている伯父である。お坊ちゃま育ちで世間知らずの青年は、伯母を気に入り一緒に住もうとまで言うようになった。が、伯母にはその気がない。どことなく頼りないその青年と一緒になってもいいことはないような気がしたという。

が、ある日見知らぬ女性が尋ねてきて、「兄が病気で寝込んでいるんですが、面倒を見る人が誰もいないんです。お願いですから兄の面倒をみてやってください」と言う。S青年の妹であった。

そうなると伯母は突っぱねることができない人なのだ。仕方なく伯母は青年のアパートまで行き、やつれ果てた病人の面倒を見た。実家からは勘当されていたので青年には金がない。病院に行くにも食べ物を買うにも金が必要だ。伯母はわずかに残っていた昔の着物を売り、青年の面倒を見続けた。そして、実家に帰りづらくなり、そのまま青年と同棲を始めた。

S青年は何かを発明し、作るのが好きな人だった。戦争が終わると、玩具を作り始める。割れずに残ったアンプルを知りあいからもらって、水に入れると浮き沈みする玩具を作った。しかし、作るだけ作っても売らなければ金にならない。ところがS青年は商売は苦手だ。自分がものを売るなんでできない・・・やはりお坊ちゃんなのである。

S青年に言われて伯母は玩具を売りにいくことになった。しかし、そんな仕事はしたことがない。どこでどのように売ったらいいか、皆目検討がつかずに途方にくれた。が、今となっては何故そうしたのか忘れたらしいが、神田祭に夜店を出すことにする。ずらりと並んだ夜店の一番端に、伯母はひっそりと新聞紙を広げガラス製の玩具を並べた。

並べ終わりなんとか売ろうとしていた時、大きな神輿がやってきた。神輿に群がる人が一気に押し寄せ、地ベタに置かれた玩具はすべてこなごなに砕けた。「みーんな割れちゃったのよ!わはは!」と伯母はいかにも愉快そうに笑った。<つづく>

*今日も雨。そして寒い・・・
*思い掛けない小包が2つ。
*カレイドスコープ、大好きなんですよ!ありがとう!
*み・ほ・ん!これまた嬉しい贈り物でした!
*夕方買い物に出た以外、じっと家に篭っていた。
*やっぱりダメだわ。明日はどこか行きたいわ。

| - | 19:15 | comments(3) | - |
見事な人生〜その1〜

08-0530
・・・人生、ではないが野良猫たちの生涯もまた見事である・・・

やはり昨日伯母に聞いた話を書こうと思う。記憶というの思っている以上に心もとないもので、覚えているはずのことも知らないうちに消えうせていることが多い。とくに最近の私は・・・(^.^;)

伯母自身のことを書く前に、祖父母のことを書かねばならないだろう。特に祖父は伯母の人生に大きな影響を与えた人なので。

祖父は以前にも書いたことがあるが、頑固で付き合いにくい明治人だったらしい。早稲田の商科を出て銀行勤めをするも長続きせず、職業を転々としたという。以前伯父からコピーをもらった祖父の日記は香料会社の顧問をしていたころのもので、最晩年はその会社に勤めていたことはわかるが、失業期間も長くひどい時は長屋暮らしをしていたとのことだ。

伯母が生まれた当時は比較的裕福だったらしく、バイオリンを習ったりしていた。が、次第に家は傾きはじめる。伯母は兄弟姉妹のことを思い、父親から何かにつけていじめられている(伯母の言葉によると)母親を思い、奉公に出たいと申し出た。

ある日父親が奉公先を決めて伯母を行かせた。奉公先には年老いた夫婦とその娘が住んでおり、伯母の母親くらいの年齢の娘は病気がちであった。

その家に行ってすぐ、伯母は奉公にやられたのではなく、養女にやられたことを知りショックを受ける。まだ伯母は小学生だった。父親にだまされ、棄てられたと思ったという。衝撃と怒りに駆られた伯母は父親に「もうお父さんとは絶交する」と手紙を書いた。

養母の家は花柳界の家、つまり芸者の家であった。伯母は病がちな養母の跡継ぎとして、芸者になるべく育てられることになったのだ。養子縁組に金銭が介在したかどうかはわからないが、子供であった伯母にとってみれば身売り同然だと思われたのかもしれない。

しかし、父親に絶交状をたたきつけるように送った手前、実家に帰ることはできない。伯母は養母の面倒を見ながら稽古事にあけくれる。行儀作法、長唄、踊り、三味線・・・養母の指導は厳しかったようだが、もともと芸事が好きでバイオリンを習っていたこともあり、厳しい稽古もさほど苦にならなかったという。また、子供ゆえ覚えが早く、15歳になったころ桃割れを結い「お酌さん」(半玉のこと)として座敷に上がることになった。

当時芸者を呼んで行われる宴会というのは、かなり規模の大きなものだったという。100人くらいが集まるのはザラで、一人一人に酌をしながら一巡するだけでもたいへんだった。酌をすれば酒を勧められることもある。まともに飲んでいてはすぐに酔っぱらってしまうので、伯母はタイミングを見計らって座敷を抜け出し物干し台に上がって酔いを覚ましたりして凌いでいた。

そうこうしているうちに、伯母は養母が自分に旦那をつけようとしていることを知る。17歳の時であった。伯母は、旦那をつけられるなんてまっぴら御免だった。加えて、かねてより客として来ていた男性の一人が好きになっていた。その男性はミシン針を製造販売している会社の跡取りで、家はたいそう羽振りがよかったらしい。24歳にしてすでに大きな家を与えられ、出張帰りには必ずといっていいほど芸者をあげての遊びをする人だった。

どちらが誘ったのかはわからないが、伯母は養母の家を出てその男性と一緒に暮らしはじめた。が、生活というものは、ただ好きだからという理由だけで上手くいくわけはない。仕事もなく、階下の子どもたち(伯母が住んだ家は広い家だったらしいが、階下に何人も子どもがいる踊り子が住んでいた)のいたずらに悩まされ、これではいけないと思いはいじめた。相手の男性にも縁談話が持ち上がり、それを気に伯母はその人に別れを告げて養母の家に戻った。

勝手に飛び出していった養女を、養母は黙って迎えてくれた。が、伯母はもうそれまでの座敷に上がるのは嫌だった。そこで、別の町の座敷に一本立ちで上がることにし、養母もそれを納得した。一本立ちになると芸事に必要なものや着物もすべて自分で用意しなくてはならない。

それでも伯母はなんとかすべてを自分で整え、現在の人形町辺りの座敷に出るようになった。島田を結い、人力車に乗って座敷を回る一本立ちの芸者・・・私は思わず、「伯母さん、かっこいいなぁ!」と言ってしまった。

芸事そのものは好きだったので、一本立ちしてからも5年くらいは芸者として働いた。しかし、伯母はどうにも客あしらいが嫌いであった。かわいがってくれ、美味しいものを食べに連れていってくれたりした客も多かったらしいが、いやな客もたくさんいたのだろう。

悩みに悩み、あれだけ嫌っていた父親に電話をかける。辛い、と。申し訳なく思っていたのだろうか、父親は伯母を迎えに来た。伯母は高価な着物だけを持って父親とともに実家に帰った。<つづく>

*基本的に1日1テーマでいきたいのだが、今回は長くなるので。
*予定では4回連続になる。
*今日は再度薔薇園に行こうと思っていたのだが天気が・・・
*早起きしたので一仕事して様子を見ていたのだが・・・
*あきらめて家にいることにした。ちょっと疲れていたし。
*昼は家人と気に入りの蕎麦屋へ。花巻そば、美味しかったー!
*明日もこんな天気? いやん。
薔薇記、更新(昨日)
ブツログ、更新。ボタン自慢(^.^;)

| - | 20:40 | comments(0) | - |
見事な人生〜序章〜
08-0529

大田区内に住んでいる伯母のところに行ってきた。昨年他界した伯母の姉にあたる人で、今月88歳の誕生日を迎えた。

私が知っている伯母は、子どものころ遊びにいくとオモチャやアクセサリーを買ってくれて、アスターの焼きそばを食べさせてくれて、クリスマスにはプレゼントをくれた人。母方の親類の中では比較的裕福な暮らしをしていると子供時代は思っていたが、なかなか波乱に富んだ人生を歩んできた人だ。

親類の中では最も親しくさせてもらった1人である伯母だが、今まで私が知らなかった話がたくさん出てきて、私はひたすら圧倒されるのみ。時折脈絡がなくなり話が前後するので、私の方も頭の中でまだ整理しきれいていない。近いうちに、当たり障りのない程度に書こうと思っている。

伯母の話を一通り聞いて感じたのは、私なんぞまだまだ甘いということである。苦労は買ってでもすべきだとは思っていない。が、人並みに苦労してきたような気がしないでもない日々を過してきたこと自体、甘ちゃん丸出しであったことは確かだ。

勝手なことばかりやってきて・・・と伯母は言ったが、自分の意志を通すことと自分勝手とはちょっと違うと思う。意志を通すために、あるいは意志を通したゆえに降りかかってきた苦労は並大抵ではない。実に見事な人生だと私は思うが、ご本人はそれをとりたてて大げさに話すことはない。

人間いつ死ぬかわからないから、死ぬまで自然体でいたい、と伯母は言った。この伯母にしてこの言葉、と内心重々しく受け止めながら、人生訓にしようと決意した次第である。

*コップ酒飲んじゃった。八海山の純米吟醸。
*おいしい寿司もごちそうになった。
*すっかり日が暮れて、帰宅したら8時過ぎ。
*今日は肌寒かった。寒暖の変化、大きすぎー
| - | 21:57 | comments(2) | - |
風は吹くべし。水は流れるべし。
08-0528

昨夜電話でSさんと話をしていて、私があちこち出かけることについて「本当に元気ですよねー!」と言われた。私の行動力(というほどのものではないが)を褒めてくださったと解釈しているが、実のところすべきことを放ったらかしにして出歩いている時も多々あるので、あまり褒められてものでもないのだ。

しかし、出歩くにはある程度のエネルギーが必要だから、元気といえば元気なのかもしれない。充実しているとまでいかなくても、気力もそこそこあるのかもしれない。

何かに追い立てられているような、強迫神経症めいた感覚がなきにしもあらず、思い当たる節もあるにはあるが、この際それは置いておく。

内向的で家の中で本を読んでいるのが好きだった子供時代を経て、いつの間に出歩くのが好きになったのだろう。人間嫌いで懐疑的であるが、仕事にしてもプライベートにしても人と話をしていて受ける刺激は好ましいものだと思っている。ひとり部屋に篭る日が何日続いても苦にならないという人がいるが、私にはとてもできそうにない。

仕事が忙しい時は全く外に出ないことももちろんある。が、仕事をし、気分転換にネットをうろうろし、仕事に戻り、また気分転換にテレビを見、また仕事に戻り・・・という繰り返しをしていると、なんだか頭がおかしくなるような気さえしてくる。自分が歪みながら固まっていくような、妙な感覚を覚える。

出歩くということは動くということである。動くということは、変化の中に身を投じるということである。私はきっと、じっとしていると固まってしまう人間なのだろう。固まったままでいると腐ってしまう人間なのかもしれない。停滞することに対して恐怖感を伴う嫌悪を感じる。

A rolling stone gathers no moss・・・それが身をすり減らすことになろうとも、苔がついてしまうよりいい。風が吹かなければ空気は停滞し、澱む。流れなければ水は濁る。冷たい風だろうと、激しい流れだろうと、私は動き続け、風や流れを感じていたい。

もっとも、転がる石は小さくなりこそすれ、どっしりと大きな存在にはなりえない。腐敗と成熟は紙一重だから、腐ることを恐れていては成熟の域に達することもない。もしかしたら、私はいつまでも未熟でいたいのかもしれない。未熟でいることが楽しいのかもしれない。

*天気がいいのも今日までかな?
*薔薇に代わって色づきはじめたヤマアジサイがきれい。
*涼しげで透明感のある色が目を慰めてくれる。
*明日は伯母の家に行く予定。ゆっくり話すのは本当に久しぶり。
*伯母も80歳を超え、ずいぶん痩せてしまったらしい。
*伯母宅の近くに美味しい海苔屋があるはず。帰りに寄れたらいいな。
*海苔大好き。あ、花巻そば食べたいー
*私も病気です。ボタン病(^.^;)>Sさん
*今日ネットで注文しちゃった。今度自慢させてくださいねー(^.^;)
| - | 18:18 | comments(3) | - |
白昼夢を求めて
08-0527
・・・この扉の向うには何があるのだろう。鍵はあいているが・・・

よく晴れて湿度も低く気持ちいい風が吹いた一日。去年から行こうと思っていた三崎に行ってきた。

一年前の4月に佐島に出かけているが、三崎に行ったのは一昨年。久しぶりにあの街並みを歩いてみたかった。電車、バスともに驚くくらいタイミングよく乗ることができ、少々暑くはあったが気持ちよく歩けた。

三崎といえばマグロだが、目的はマグロではない。もちろん、写真を撮ることである。できたらおいしい魚を食べられたらいいなと思っていたが、昼食をとろうと思っていた店が休みだった。やむなく入った店で定食を頼んだが、私のマグロよりも同行者のアジの方が格段に美味しい。二人ともマグロを頼まないのはちょっと悪いような、妙な気遣いをしたのがいけなかった。

港の方にはほとんど行かず、細い道が入り組んだ町の中を2時間ほど歩いた。猫たちにもたくさん出会って嬉しかったが、24mmだったのでなかなか届かず少し残念。以前猫を見かけたところでまた猫に会うと、なんだかとても嬉しい気がした。

火曜日は定休日の店が多いらしく、商店街は地元の人が時折通り掛かるくらいで観光客らしき姿はほとんど見えない。夏を思わせる陽射しの下、がらんとした商店街は静まり返っている。目当ての店が閉まっていたのは残念だったが、この閑散とした雰囲気は好みに合う。

何故何度も三崎を訪れるのか。私にとっての三崎の魅力はなんだろう。歩きながら、漠然と感じていた不思議な感覚は何だろう。

歩いている時はあまり意識しなかったが、帰宅して自分が撮った写真を見ていて理由がわかったような気がする。閑散とした三崎の町を無目的に歩いていると、白昼夢を見ているような錯覚を覚えるからだ。その錯覚ははっきり意識されないのだが写真には表れている。

錆びたトタンが崩れそうになっている家の角から、知っている人・・・それも子供時代近所にいたオジサンやオバサンがひょいと現れそうな。

栓がない水道の蛇口から突然赤い水が勢いよく流れてくるような。車の影で昼寝をしていた猫が、人間の言葉で話しかけてくるような。駄菓子屋の奥の暗闇から真っ赤な口紅を塗った老婆が出てくるような。

開け放たれた古い蔵の高窓から、極彩色の鳥が飛び立つような。

白昼夢を見ているような時間を過したくて、私はこれからも静かで朽ちていきそうな町を歩きつづけるのだろう。

*行きたかった店は、ここ
*サイトで休みを確認しておくんだった。久々にオヤジさんの顔見たかったのに。
*三崎の猫は全く飢えていない感じ。ゆったりしている。
*が、人懐こいというわけでもなく、ある程度近寄ると逃げる(^.^;)
*それくらいのスタンスが一番いいんじゃないかな、野良さんたちは。
*長毛種が多かったのも三崎の特徴かな。
*漁師は猫を大切にするらしいし。なんだか安心した。
*1匹だけすごいアピールをするコがいた。鼻に三角模様があるコ。
*アピールの返礼として、散歩サイトのトップに掲載!
*美味しい魚を食べたいよぅ。佐島にも行きたいよぅ。
Walkin'、更新
| - | 20:38 | comments(2) | - |
繰り返し繰り返し観る映画
08-0526
・・・閉店してしまったのか営業しているのかわからない美容院。大口商店街にて・・・

映画館であろうとレンタルで借りてこようと、何度か繰り返して観たくなろうであろう映画は市販のVTRかDVDを買うことにしている。

その中でも最もよく観た、またこれからも観る映画であろうものが、「タンゴ・レッスン」という映画だ。最近眠れないので夜を徹して起きていた日にも明け方近くになって見始めた。音楽もいいので、これもDVDを買ってi-Tuneに入れ時々聴いている。

マイナーな映画だと思うが、何故それほど惹かれるのか。監督でもあり主演もこなしているサリー・ポッターの見事な踊りっぷりもいいし、相手役で振り付けを担当したタンゴの名手・パプロ・ヴェロンもなかなかセクシーではある。

が、一番好きなのは、何といってもタンゴのダンス場の雰囲気や河岸の夜景を背景に二人が踊るシーンなど、溜息が出そうないいシーンがたくさんあるということだろうか。

終盤近く、映画撮影のための(劇中でもサリーは映画監督)練習場を探してサリーとパブロ(実名で出ている)、タンゴをサリーに教えた2人の男性があちこちを歩き回るシーンがある。よさそうな場所を見つけたのだが、責任者がいない。

ソファだけが置いてある広い部屋で4人は責任者が帰ってくるのを待つが時間だけが空しく過ぎていく。もう今日は帰ろう、と男性の1人が言うがサリーは反対する。そして、パブロにソロを踊るように指示する。待ってました!というように踊りはじめるパブロ。男性2人もパブロに合わせるように踊り始める・・・と、1人が部屋についているドアを蹴飛ばすように開ける。

そこは広いロフトのような空間になっていた。突然音楽が始まる。有名なリベル・タンゴだ。演奏はヨー・ヨー・マではなくピアソラ自身のもの。そして、曲に合わせて4人が流れるように踊る。その見事なこと!

もう一つ特に印象的なのは、ラストシーンだ。パブロはユダヤ人で自分のアイデンティティに不安を持っている。浮き草のように流れて消えていく自分が怖いという。そして、自分たちは何故出会ったのかと問う。

サリーは、消えていく自分が怖いから、自分たちは出会ったのかもしれない、といいパブロをやさしく抱きしめる。そして、名曲(だと思っている)「I am You」を歌い、二人は河岸沿いの道を踊りながら遠ざかっていく。

「I am You」は、映画の冒頭でサリーが白いテーブルを神経質に拭き、原稿を書き始める時に流れる「Mironga Triste」(ピアソラのヒット曲「悲しみのミロンガ」だそうだ)と同じ曲で、アレンジを変えて歌詞をつけたものだ。いつだったかこの日記にも書いたことがあるが、不確かな存在である2人の人間が出会い惹かれていく気持ちを表現した名曲だと思っている。
You are me
And I am you
One is one
And one are two

*今日は爽やかに晴れ上がった一日。気温も高くて。
*そんな日なのに、「いんがなしょうばい」だもんで。
*といっても午前中で仕事はやめた。なけなしの集中力を使ったし。
*さて、明日はどこかへ行くかな。
*6月の1週目はかなりバタバタしそうなので、やりたいことは今週に。
| - | 19:08 | comments(2) | - |
KAFKA BENDER社のリボン
08-0525

手芸熱が高まる前から気になっていたものに、ドイツ・カフカ社のリボンがある。リボンといっても髪を結んだりラッピングに使うリボンではなく、いわゆる「チロリアンテープ」と呼ばれているもの。

最初の出会いは数年前の書店においてだ。横浜の大手書店に何気なく入った時、芸術書コーナーの入り口にあるエンド陳列コーナーが書店らしからぬ雰囲気であることに気付いた。数種類の本(たしか絵本)と一緒に、きれいな色柄のハンカチーフが並べられていたのだ。そして、ちょこんと置かれた小さなバスケットの中に小さくラッピングされたカフカ社のリボンがあった。

どのリボンもかわいらしく、迷いに迷ってピンクと白のデージー模様のものを購入。使うのがもったいなくて未だそのままになっている。当時はどこのものともわからず、こんなに洗練されたチロリアンテープがあるんだなぁ、出会えてよかったなぁ、と思っていた。

しばらくして、渋谷のマークシティの小さな特設コーナーで、あきらかに同じ会社のものを思われるリボンに遭遇。幅4センチほどのリボンが1パターンでカットされたものが数種類あった。以前見かけたハンカチーフや北欧のものらしきキャラクターグッズ
などもあり、レジ脇においてあった小さい名刺大のカードを手に取った。プチグラ・パブリッシングとの最初の出会いである。

アルバイトを入れて社員17人という小さな会社だが、選び抜かれた商品のテイストがまさに私の“ツボ”を強く刺激する。さっそくサイトを見に行くと、欲しくなるものばかりだった。

以来、カフカ社のリボン、マイク・ミルズのスカーフ(以前紹介したリンゴ柄のもの)、本(カフカ「田舎医者」)などを購入した。今でも恵文社一乗寺店とともに最も気になるサイトである。

プチグラのサイトによると、カフカ社のリボンは「ドイツ・ヴッバーダール市にある小さな工房で200年前に考案された製法で動く織り機を利用して織られているリボン」だ。1時間に1mしか織ることができないという昔からの製法は、大量生産の時代に押し流されそうになったこともあるらしい。

が、工房のオーナーであるFrauke・Kafkaさんが古いパターンに加えて約400種類のパターンを考案し、大量生産ものものでは決して作ることができない美しいリボンを手がけ現在に至っている、とのことだ。プチグラのサイトでいろいろなパターンが紹介されているが一部の人たちには有名なのか売切れのものも多い。

猫のパターンやネズミのパターンのものが欲しかったのだが売切れ。残念だと思っていたら最近オークションで猫柄を見つけてさっそく落札した。図案のデザイン・センスがいいこともさることながら、手に取ってみて気付いたのは「豊かな無駄」があることである。

存在感のあるものだけに、柄ひとつで充分使えることもあるからだろうか。柄と柄の間が一定間隔で空けられている。普通のチロリアンテープだったら、何メートルも延々と同じ柄が続くはずなのだが。

また、猫の目がきれいなエメラルドグリーンなのだが、この色の糸を使っているのは目の部分だけである。リボンの裏側を見ると、エメラルドグリーンの糸が次の猫の目のところまで表には見えないように長々と渡されている。贅沢な使い方だが、このような贅沢をするこだわりがカフカ社の品質を語っているのではないかと思う。

後方にぼやけているリボンは、ツバメが手紙を運んでいるパターンだ。きれいな切手のようなデザインで、たいせつな人への贈り物に使いたくなる。

カフカ社のリボンはスターターセットに入っていたものを含めて数種類持っているが、まだ何にも使っていない。使うのがもったいない、というよりも、このリボンにふさわしい使い道をまだ発見していないといった方がいいだろう。それを発見する楽しさをも提供してくれるリボンである。

*きれいなハンカチーフは、ドイツのWestfalenstoffe社のものだった。
*こちらもプチグラで紹介されているが、リボン同様売切れが多い。
*私が以前買ったのは、「手をつなごう」のピンク
*今日は湿度が高くて・・・体調が今ひとつ。
*朝からの鈍い頭痛がおさまらず、雨が止んでも出歩く気分なし。
*変に暑いし。やだなー
| - | 18:30 | comments(0) | - |
マザー・オブ・パール
08-0524

ボタン熱が再発して、どこへ行ってもボタンが気になる。以前はガラスボタンに興味津々だったが、最近は貝ボタンとベークライト製のものに最も心惹かれる。一番好きなのは貝ボタンで、上品な光沢を見てはうっとりしている。

ボタンとして利用される貝は思っていたより多く、最高級とされる白蝶貝、黒蝶貝、茶蝶貝、アコヤ貝、高瀬貝・・・アワビも素材として利用されているらしい。

真珠母貝になるものが多く、総称して「マザー・オブ・パール」という呼びかたをすることがあり、私はこの呼び名がとても好きだ。真珠をやさしく育てる貝・・・その貝もまた美しい・・・というようなイメージが膨らむ。

マザー・オブ・パールはボタンだけでなく、様々なものに利用されている。出産のお守りとしてのパワーストーン、宝飾品、ビーズ、ナイフやフォークの柄の部分に使われることもあるようで、アンティークのものはとくにステキだ。

調べていたら、万年筆のAURORAが創業85周年記念にマザー・オブ・パールの万年筆を発売したらしいが、値段をみてびっくりである(180万円!)。しかし、なるほどと思わせるような美しさだ。

先日自由が丘のボタン屋に行った時、店のおばあちゃんも感心していた。「自然のものなのに、よくまあこんなにきれいな細工ができるわね」と。貝ボタンは何も細工をしなくても充分きれいだが、様々なカッティングも見どころである。コレクションというものに無縁の私ではあるが、ちょっと集めてみたくなる。

写真は、ラフィアで編まれたバッグに貝ボタン(中にはニセ!もある)を付けてみたもの。1コ数百円するもの、フランスのアンティーク、現行のお手ごろ品まぜこぜであるが、こんなカジュアルな使い方をしても雰囲気が出るのはやはりマザー・オブ・パール
のいいところだろう。

*昨日の夕方寝ちゃったので眠れず。
*このまま起きていて明るくなったら散歩に行く予定。
*以前買ったボタンの本を引っ張り出してみた。うーん、いいね、ボタン。
*公園のコトラちゃんがケガをしている模様。心配。
*コトラちゃんはエイズのキャリアなので、なおさら心配。
ブツログ、更新。
*上のラフィアバッグもあります。
| - | 03:39 | comments(4) | - |
「こねこ」を観る
08-0523

頭の中がゴチャゴチャしている時は、本にしても映画にしても単純明解なものに限る。あれこれ考えずともシンプルに愉しめるものがいい。といって安易に書かれた、創られたものでは余計にストレスがたまる。最上級とは言わないが、ある程度質のいいものでなければならぬ。

ということで、今日はロシア映画「こねこ」を観てみた。最近ロシアのものに興味があり、急にロシアの雰囲気を感じたくなった。で、以前観ておもしろかったこの映画のDVDをAmazonに注文してあったのが今日届いたのだ。

ストーリーそのものは至って単純で特筆するようなことはあまりないかもしれない。が、そこがまたこの映画のいいところであるようにも思う。主人公?である子猫・チグラーシャ(ロシア語でトラネコちゃん、というような意味らしい)はもちろんかわいい。

子猫特有のなんともいえない可愛らしさをわざとらしさを感じさせないカットで見せている。また、このキジトラの子猫はわが家の末っ子である「まめこ」が小さかったころにかなり似ていて、猫バカ者の私は見ているだけで頬が緩むのである。

が、この映画の見どころは、子猫のかわいらしさではなく、猫に対する人々の温かい視線と迷子になったチグラーシャを犬から守った猫をはじめとする芸達者な猫たちの見事な演技だと思う。

助けてくれた猫(太めのキジトラ)に付いていったチグラーシャは、サーカスの猫使いを夢見てその日暮らしを送るフュージンという男のところに落ち着く。そこには何匹もの猫がいて、それぞれ個性的で芸達者だ。

中には近所の飼い猫もいて、夜になると飼い主が猫を探し歩くので、フュージンさんは「そろそろ帰れ」と猫を窓から出す。アパートの立ち退き問題がこじれて悪質不動産屋ともめ、ケガをしたフュージンが入院している間、猫たちはあれこれ知恵を使って食べ物を調達し、フュージンの帰りを待つのだ。

ペルシャ猫が豪華な毛並みで路上のソーセージ売りの目を惹きつけている間に他の猫が長く繋がったソーセージをくわえて逃げたり、食品店の換気扇から忍び込んだ猫たちが店内の食品を巧みに盗み食いしたり。猫の進入に気付いた店主が出入り口である換気扇を回して、逃げられなくなった白黒猫・ジンジンを追いつめる。さて、どうなることか・・・と心配させておいて、店主は猫をやさしく抱き皿にミルクをいれてジンジンにご馳走するのだ。

冒頭の「ペット市場(いちば)」の風景が好きで、今回このDVDを買ったのも、この風景を見ることが目的だったと言ってもいい。様々な人々が売りたいペットを連れて市場に立つ。ブルドッグあり、鳥あり、熱帯魚あり。寒いので猫は懐にいれて顔だけ見えるようにしていたりする。

チグラーシャはその市場で飼い主となる子供たちの目に留まるのだが、その市場の風景とペットを売る人々や動物たちの様子を追うカメラワークが好きなのだ。

何度も繰り返して観る映画ではないが、ふと思い出し、頑なになった気持ちをほぐすのにいい映画であると思う。ご存知の方も多いことだろうが、猫好きにはおすすめしたい。

*かなり意識的に集中しなければなかなか進まない仕事に着手。
*なんとか午前中で今週分をクリア。ふー
*請求しわすれていた仕事の問い合わせをしたら、まだやっているんだって。
*1ヶ月も寝かされ入るって・・・まあ、仕方ないか。
*今日は暑かった。昼間からビール飲みたかった(^.^;)
*夕方ビールを飲んだら寝ちゃった(^.^;)(^.^;)
*眠れそうにないので、もういっちょDVDでも観るかな。
薔薇記、更新


| - | 22:55 | comments(2) | - |
錯綜の日々
08-0522

このところ、頭の中がやや混乱気味である。月末月初に重なるレギュラー仕事が始まり、やや忙しくなってきた。が、それだけならたいしたことはない。何故だか知らぬが、様々な欲望やら義務感やら希望やら責任感やらもろもろが混在し、なんとなく落ち着かない。

したいことが山ほど。しなくてはならないことも、山ほど。したいけれど実現が難しそうだが、やはりしたいのでなんとか遣り繰りしなければいけないことが幾つか。しなくてはいけないが、かなり気が乗らないのでできるだけ精神的な苦痛を少なくするための算段をしなければならないことが幾つか。

諦めなくてはいけないが諦めきれない自分をなだめなくてはならない案件が幾つか。なんだかひたすら目の前のことに右往左往しているような気がしないでもない。

もともと欲が深い人間だが、この年齢になるとできるだけ自分の欲を満たすために他人を巻き込みたくないと思う。自分ひとりでできることは限られているが、それでもなんとかしようと思い、自らに課したものに振り回されがちである。

ここはひとつじっくり腰を据えて・・・と思わないでもないが、生来腰が軽いのでなかなか位置が定まらぬ。ああ、どうしたものだろう。

とボヤキつつ、物事成るようにしか成らぬという達観めいたものもないことなくて、時折宙を見つめて気色悪い一人笑いをしている。ニヤニヤ。
| - | 20:38 | comments(4) | - |
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