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日々の内側
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富士
08-0430
・・・奇を衒った写真か否か。見る人の資質にお任せする・・・

午前6時前に家を出て町田に向かい、そこから車で河口湖に向かった。湖近くにあるハウススタジオでの撮影立ち合いが今日の仕事である。

途中事故で渋滞したが、高速に入ってからは車の流れも順調であっという間に河口ジャンクション。目の前に現れた富士山は思ったよりも雪が多くやや霞んで見えた。これだけ富士山に近づくのは本当に久しぶりだ。わが家の近くからでも遠く富士を望むことはあるが、富士5湖あたりから見る富士の迫力は格別である。

若いころは富士山にほとんど興味がなかった。日本一のお山・・・あまりに有名であまりにその姿を知られていて・・・なんだか俗っぽさの権化であるような気がしてどちらかというと富士山を称賛する声を軽蔑していたかもしれない。大宰が「どうにも註文どほりの景色で」恥ずかしくなった、と書いた気持ちがよくわかるような気がしていた。
ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑(けいべつ)さへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲(うづくま)つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。(富嶽百景)

しかし、ある時キャンプをするため河口湖に向かった時、突然現れた富士山の姿に思わず感動してしまった。やはり富士山は他の山とは違う、と思った。やはりダントツに美しい山だと思った。いやぁ参ったなぁ・・・というのが本音であった。

今日久しぶりに富士山を見て、かつて感じた心地よい敗北感のようなものを思い出し、思わず口元が緩んだ。そして、幼かった息子と富士を仰ぎながら歩いた北富士演習場の草原に思いを馳せ、過ぎ去った年月の長さを思った。

*けっこうどっぷり疲れましたわ。
*でもまあ、行き帰りは車だしラクチンな方だと思いますけど。
*スタジオはクラシックな作りでなかなかよかった。
*やはりこちらよりは気温がかなり低い。屋内は寒かったもん。
*ロケ撮影はいいね。緊張感も開放感もあって。
*さて、明日は少しゆっくりするかな。
| - | 20:36 | comments(2) | - |
毎年恒例
08-0429
・・・ベンチの人々@ジャコメッリ風・・・

昨日はかなりバタバタと仕事をしたが、今日はポカリと時間が空いた。なかなか予測できない成り行きにもだいぶ慣れてきたといったところ。

いい天気だったが、とりたてて外出もせず雑事をこなした一日になった。思えば、毎年ゴールデンウイークはこんな生活ぶりだと思う。テレビから流れる渋滞ニュースにほくそ笑み、日ごろなおざりにしていた種々雑多なあれこれに少しずつ手をつける。今日は衣類の入れ替え。

ガソリンスタンドに殺到する人々。相次ぐ硫化水素自殺。意地でやっているとしか思えない聖火リレー・・・なんだか世の中変だ・・・などと思いつつ、そのほとんどを他人事としか思っていない自分がいる。

明日は河口湖付近で撮影のため6時前に家を出る。早寝しなくちゃと思いつつ、昼寝をしてしまったのでどうなることやら(^.^;)
| - | 21:24 | comments(5) | - |
素材としてのMUJI
08-0428
・・・夏蔦がはい上がった跡。たくましい吸盤でどんどんはい上がる・・・

MUJIとはもちろん無印良品のこと。無印(ノーブランド)という印(ブランド)を確率してから、もう何年経つのだろう。

価格が手ごろなこと、デザインがシンプルで使いやすいこと、などにより事あるごとに店を利用している。何故か衣類は少々相性が悪くて失敗したことが数回あるが、それとて価格を考えればさほどの後悔ない。

仕事部屋にある棚など引っ越してくる時に家具類をある程度まとめて購入した。クッションカバーや文具などもたまに買うが、最近は素材探しの店として利用することが多くなった。

コンセプト(シンプルで良質)に基づいて選ばれた素材を簡素なデザインで商品化しているので、加工がしやすい。布製品はその最たるもので、50円から数百円で買えるエコバッグ(マイバッグ)はなかなかのスグレモノだと思う。

コットンや麻素材のシンプルなバッグやリネン類は思い思いに刺繍をしたり端を縫い合わせて袋物を作ったりするのに便利だ。ポーチやペンケース、ランチボックス
を入れる巾着なども素材としておもしろい。デザインやアイデアはふつふつと湧いてくるのに本体を作る技がない私にとってMUJIは素材を提供してくれる貴重な店になりつつある。

完成度が高いデザインのものは好きだが、自分の手を入れる余地はない。単に完成度が低いものはつまらない。MUJIの商品は完成度という考え方をあえて採用せず、使い手による完成をめざしているようだ。

秋ごろからの手仕事熱が未だに続いており、仕事の合間にちくちくと手を動かしている。小さなバッグばかりたくさんあっても使い切れないので何かあった時のプレゼント用にしようと思う。ラッピング代わりに使ってもいいですわね。

*昨日店をのぞいたら、「伝承織柄〜バスクのストライプ」シリーズが。
*バスク地方(フランス・スペイン)に古くから伝わるストライプ生地。
*古いリネンに興味津々の私にとって、まさにタイムリー
*何故だか波長が合ってしまったのね、MUJIさんと。
*今日はフル回転して仕事を。
*連休後半は少しでも休みたいもんね。
| - | 22:56 | comments(2) | - |
腹立たしい寿司屋
08-0427
・・・近所の寺にある小さな藤棚。藤ってこんなに香るの!と驚いた・・・

昨日行った寿司屋の話。食べ物に関しては個人個人の味覚の違いや好みによって評価は大きく違うので、あくまでも私個人の評価・・・というか評価もしたくないのが・・・まあ、感想を書いてみたい。

私は寿司が好きである。大好き、と言ってもいいと思う。だからといって、数多くの寿司屋に行ったわけでもないし、持ち帰り専門の寿司(京○とかね)の寿司だって、それなりのものだと思っているのであまりウルサイことは言わない。が、昨日の店はちょっとね・・・

何が腹立たしかったというと、大きく分けて2つの理由がある。そのひとつは、押しつけがましいこと。

よく、「オレの味がわかんない客は来てくれなくても結構!」というような頑固オヤジの店があるが(あるらしいが)、そこまで大胆ではないものの、出すものにそれに等しい「押し付け」を感じた。

まず頼んだのがイカとシャコ。「シャコはこのまま食べてくださいね。何もつけずに。ちょっと仕事しましたから」と店主。イカも、「これもこのまま食べてくださいね。醤油つけずに。」

「仕事をした」とは「味付けをした」ということらしい。シャコは甘酸っぱい味がした。イカは塩が振られており、しょっぱかった。いい塩を使ってイカの甘味を強調したいのかもしれない。

が、私は普通に食べたいのだ。シャコもイカも、醤油にちょいとつけて山葵を乗せて食べたいのだ。が、カウンターの向うで店主は仕事をしながらなんとなくこちらをうかがっている気配。自分が言ったように食べているかどうか何気なくチェックしているのがありありとわかる。なんとも嫌な感じ。

寿司屋はイキのいいネタをそのまま出せばいい、とは言わない。それをどのようにさばき、素材によってはどのように味付けし、どのように提供するかで力量が知れる。ただし、商売をやっている以上、押し付けはよくないと私は思う。客に選択の余地を残して
おく・・・客に選んでもらうというのが筋ではないだろうか。

もうひとつ、かなり気になったのが店主が主役であるかのような店の雰囲気。自信たっぷりに出されたものを「絶品!」と誉めそやしながら馴れ馴れしい口を聞く常連ばかりが行く店、といった雰囲気だった。

ちょっと驚いたのは、店に入ってすぐ私が連れに数日前に見た映画の話をしはじめたら、連れが返事をする前にカウンターの向うから返事が返ってきたこと。あんたに言ってないよ!とは言わなかったが、なんだこりゃと思った。

寿司屋やショットバーなどカウンターひとつ隔てて客と接する商売は、ともすると馴れ馴れしくなりやすい。が、私はあまり好きではないのだ、そういうのが。親しみを持って話すというのと馴れ馴れしいのは違う。やはりカウンターの中では、基本的に寡黙な方がいい。

そんなこんなでストレス解消のつもりが余計にストレスがたまってしまった。実は、腹立たしさは店を出てから実感しはじめたと言っていい。連れは私の数倍、いや数十倍繊細な味覚を持ち、それなりにこだわりもある人間なので、店にいる間は連れの「怒りのボルテージ」がどんどんあがっていくのを感じてヒヤヒヤし、ムカムカするゆとりがなかった。

仕方ないので、なじみの「へちま」に寄って少し憂さを晴らした。やれやれ、高い授業料を払った上(私が払ったのではないが)、敵討ちをしなくてはならなくなりそうだ。敵討ちといっても件の寿司屋に殴り込みに行くわけではない。安心して行ける寿司屋に行くということだ。私はともかく、怒りをなんとか抑えた連れの気がすまなそうだ。まあ、私はご相伴ということで。へへへ。

*寿司を食べるの、久しぶりだったのになぁ。
*まあ、私は忘れるのも早いから。
*でも、二度と行かないだろうな。あの店は。
*今日は午後から晴れ間も見えて暖か・・・っていうか少し暑かった。
*久しぶりにカメラをもって近所を散歩。
*カメラの調子がちょっと悪くて心配。修理かなぁ。
Walkin'、更新
| - | 20:43 | comments(4) | - |
行く春や・・・
08-0426

天気が定まらず雨が降ったり止んだり・・・のようだったが一日中家の中なのでよくわからない。なんだかんだとバタバタしているうちに、春が足早に過ぎ去っていくような気がする。とくに春が好きというわけではないが、なにせ夏が苦手なので春にはもうちょっと踏みとどまっていてほしいのだが。

届くはずの書類が届かなかったり、急ぎ仕事なのに連絡がなかったり。スケジュール調整に苦労したこちらの立場はどうなるんだー!と思うが、こういうことにはもう慣れっこで腹も立たない。ある程度予測がつく内容なので、返事がなければないでこちらの考えに基づいてやってしまおう。後で文句言ってもしーらないっと。

てな強気は独り言にして、いかに理不尽であろうと対応しなくてはならない弱い立場にいるのはわかっている。ただ、理不尽だと思っていることだけはちゃんと伝えないと、相手がいい気になっちゃうからね。文句だけは言わせてもらうことにしている。

さて、今日は朝7時過ぎから仕事をしていたので、そろそろ終わりにしよう。憂さ晴らしに寿司屋にでも行ってこようかな。
| - | 17:37 | comments(4) | - |
ホームスパン
08-0425
・・・今月も、なんとか猫が並んだ金曜日・・・

古いもの好きが高じて、最近は古いホームスパン・リネンに興味津々。ホームスパンとは、「家(home)」で「紡いだ(SPUN)」生地のことで、手織りの毛織物だけかと思ったらもっと広い意味で使われているらしい。いずれにしろ、織るだけでなく糸を紡ぐところからはじまるわけでかなり手の込んだ織物といえそうだ。

手織りの毛織物にも以前から興味があって、マフラーくらいなら手に入れられるかなと思っていたらさにあらず。どこかのサイトのオンラインショップで見かけたのだが、お高かったので躊躇していたら売り切れてしまった。けっこう人気があるらしい。

ウールのホームスパン、それも古いものには一種独特の風合いがあり、現代のものよりも古着の方に良質のホームスパンが使われているような気もする。

ウールもいいがリネン(麻)もなかなかである。特に最近注目しているのが、フランス、ドイツ、ハンガリーなどで1900年前後に作られた「グレイン・バッグ」なるもの。

穀物を入れて保存し、運搬する時に使った大きな袋だ。昔は各家庭で糸を紡ぎ織られていて、麻の生成り地に赤、青などのストライプが織り込まれている。ストライプの本数、太さ、入れる位置などでどこの家の袋かわかるようになっていたとのことだ。

作られた当初はゴワゴワしていたのかもしれないが、100年も経るとさすがにしんなりしなやかになる。そのしんなり具合と持ち重りのする存在感、所々に見られるネップや織りムラなどがとても味わい深いものである。写真で見ているだけではもの足りず、フランスで1910年くらいに作られたというグレイン・バッグを買ってみた。

想像していたよりかなり重いのには驚いたが、予想にたがわない味わいに満足している。ただの大きな袋として保管していてももったいないので、いずれ何かに変身させるつもり。何になるかは、お楽しみ!

*古いチロリアン・テープもけっこう集まってきた。
*素材に惹かれて手に入れたけど、製作が追いつかないー(^.^;)
*デザインのアイデアは溢れるほどあるんだけどね・・・
*仕事関係の外出が一段落(30日にはロケ撮影があるけど)
*それまでは自宅でずずずいーっと仕事するぞ。
*もう手が離れたと思っていた仕事に不穏な動きが・・・
*疲れて帰ってきてそんなメールを読むと、泣きたくなるぞよ。
*泣かないけど。女ですもの、泣きはしない♪
自由が丘のトンカツ屋のおやじさん、亡くなったらしい。
*うーん。残念!美味しかったのになぁ。
| - | 22:02 | comments(2) | - |
帽子のおしゃれ
08-0424

大人になってからは、帽子をかぶるということはほとんどない。あったとしても、たとえば夏の強い陽射しや冬の寒風を少しでも避けるため、といった実用目的である場合がほとんどだ。ましてや写真を撮るようになってからというもの、帽子のツバが邪魔になるので真夏でも被らなくなってしまった。途中までは被っていても、じきに面倒になってバッグの中に入れてしまう。

母の話によると、子供のころは珍しく(子供は往々にして帽子が嫌いなようだ)帽子が好きだったらしい。帽子を被っていればご機嫌だったとか。

幼児時代のことは覚えていないが、小学生の頃よくベレーを被っていたことは記憶にある。多摩川園という小さな遊園地にあるミラーハウスの中で帽子を落としてしまい、拾いに行くのに苦労したことも覚えている。あれは、ベレーではなく深緑色のニットの帽子だった。小人(こびと)の帽子のようにトップ部分が長く編まれており、その先に小さなポンポンがついていたっけ。

最近なぜだか帽子が気になり出して、たまにではあるが被る。ジーンズ・スタイルが多いこともあって大きな帽子ではなくハンチングタイプか、プリムが狭い(つばが小さい)カジュアルな帽子だ。プリムが広い帽子は普段着るものにも合わないし、自分の顔にも合わないような気がする。

が、夏の気配を感じるころになると、パナマなどの素材が気になってくる。むかしは「麦わら帽子」と言っていた類いの帽子も、いろいろな素材が使われるようになって表情も多彩だ。カジュアルなものならラフィア製なども最近よく見かける。

気になってきたので、とりあえず時間がある時に見て歩いたりしている。仕事柄最近のファッション傾向について勉強しなくてはならず(半分いいわけ)、雑誌を見るよりも店を見た方が早いような気がして渋谷や銀座の百貨店などをのぞいているのだ。で値段を見てちょっとびっくり。帽子って・・・高い!

自分が欲しいかどうかは別にして、デザインの完成度が高く素材もよさそうなもののタグを見ると、2万円とか3万円とか・・・高いものは5万円近い。

うひゃー!これじゃとても買えないわー 帽子のおしゃれって時間にも金にも余裕があるマダムだけに許されるものなのかしらー、などと思ってしまった次第だ。

帽子というものは不思議なものだと思う。デザインが洗練されればされるほど、合わせる洋服を選ぶし被る人を選ぶ・・・ような気がする。洋服に帽子を合わせるのではなく、まずはその帽子ありきで、後から着るものを決めざるをえないような。

まあ、私くらいだとそんな帽子には縁がないので、せいぜい着るものに合わせて時にはいつもと違った雰囲気を楽しむ程度になるだろう。が、帽子を見て歩くのはなかなか楽しいので、これからはちょっと注目してみたい。

*ラフィアの帽子は比較的手ごろな値段なので手が届く。
*先日試着だけして諦めたイタリア製のハンチングがかっこよかったなー
*夕方から雨。気圧の変化のせいか、頭痛が・・・(T_T)
*明日は朝から撮影なので早く寝ようかな。
*まだ夕食とっていないんだけど、どうしよ。

| - | 21:19 | comments(0) | - |
見えたものを、再現する
08-0423

昨日、写真展を観る前に軽くガーデンプレイス内の写真を撮った。図録を持つと重いので、携えたカメラはGR-D。そして、ひとつの実験をやってみた。考えずに撮る、という実験だ。

デジタルカメラを使い始めたころ、物珍しさや手軽さが嬉しくて何でも無闇に撮っていた。おもしろい!と思うと何も考えずに液晶画面を適当に見ながらシャッターを押す。露出も絞りもあったものではない。メモを取るように写真を撮っていた。いわば、自分が見たものを見たように撮っていたといえるだろう。

以来、少しずつ私の写真も変ってきた。単におもしろいと思っただけではシャッターを切らなくなった。自分にとって撮るだけの価値があると思ったもののみに向かってきたし、どこに惹かれたのか、どのように撮りたいかを考えながら撮るようになってきたと思う。いわば、自分に見えたものを、見えたように撮ろうと思い、見えたように再現してきたといえる。

これは進歩というものだろうか。私にはわからない。時として、自分が何かたいせつなものを失ってしまったのではないかと思うこともある。が、それが何なのか把握できないまま、未だにどこか手探り状態で撮っている。

そこで、できるだけデジカメを使いはじめたころの自分に戻ったつもりで撮ったらどうなるかやってみようと思ったのだ。何ヶ所かで写真を撮り、写真展に向かった。写真展を観終えてから同じ場所でまた何も考えずに撮ろうという意図をもって撮ってみた。

帰宅して撮ったものを確認してみると、最初に撮った写真はどれも感心しないものばかり。後で撮った写真の方が格段によかった。少なくとも今の私の目にはよく写った。写真展から得たものが、何らかの影響を及ぼしたのだろうか。

ともあれ、今の私にとってとるべき道は、やはり「見たように撮る」のではなく、「見えたように撮る」ことだということはわかった。それがわかっただけでも、収穫があったと思うべきだろう。

*25日と30日に予定されている撮影の前打ち合わせに。帰宅は8時過ぎ。
*なんだかちかれた。電車でも寝てばかりだー
*明日のロケハン、行きたかったなぁ。
*GW明けまで、6つの仕事が同時進行中。もう、どうにでもなれ!
*いやいや、なんとか遣り繰りして1日でもいいから休むぞー
*やれやれ、薔薇の手入れはいつになることやら。
| - | 23:31 | comments(4) | - |
死が訪れて君の眼に取って代わるだろう
08-0422
・・・ガーデンプレイスの2階から下の広場を見下ろす・・・

仕事をしながら、行けるだろうかと内心焦っていた写真展に行ってきた。写美(東京都写真美術館)で開催されている「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」である。

知られざる、と言われるように日本におけるジャコメッリの本格的な写真展は今回がはじめてらしい。世界的な評価は高いとのことだが、私は全く知らなかった。が、一度見ると忘れられない写真である。強烈な印象を放つ作品群にたじろぎながらも引き込まれていった。

写真に関する技術に疎い私でさえ、かなりの技術を駆使して作品化していることはすぐにわかる。覆い焼きというのだろうか、現像時に省きたいものを大胆に省き表現したいものだけが黒々とそこに残されている。コントラストが強い、というような表現では弱過ぎる。もはやコントラストといった概念を超越しているかのようだ。

神学校の学生たちが輪をつくり踊っている写真は、ポスターにもなっており彼の代表作なのかもしれない。白い背景に浮かび上がる黒い服を着た学生たち。まるで雪の中に
いるかのようだが、よく見ると白っぽい床の上であることがわかる。かすかにタイル状の床が足元あたりに見えるのだ。

ホスピスの中を撮った写真にも、同じような手法のものがある。車椅子の患者たち、看護婦、見舞い客らしき人々の列がゆるやかな曲線を描き左下方から右上にかけて流れている。それを俯瞰するように撮ったものだが、人々の周囲はただ白いだけで何も見当たらない。「白、それは虚無。黒、それは傷跡だ」と写真家は言っている。

どちらかというと、私はコントラストが強い写真を好んで作品化(そう表現するのはおこがましいが)してきた。が、時にはそんな自分の志向に疑問を持ち、穏やかで静かな写真を撮りたいと思ったことも何度かある。

が、気付けばまた明解なコントラストに惹かれる自分がおり、モノクロームに惹きつけられつづけているのもそれゆえかもしれないと思う。そんな自分を省みつつ、図録で再度ジャコメッリの写真を味わいたいと思う。

日記のタイトルは、ホスピスを撮った写真群につけられているタイトル。当初は「ホスピスの生活」と題されていたが、後にチェーザレ・パヴェーゼの詩のタイトルに変えたとのことだ。

*同時開催されている「紫禁城写真展」も見てきた。
*なんだか「ラスト・エンペラー」を見たくなってきた。
*規模も手のかけようも信じられないくらいだ・・・中国って・・・
*5月13日からは森山大道の写真展が始まる。これも行かなくちゃ。
*三越(恵比寿)、アトレをざっと見た後中目黒へ。
&stripeのボタンが見たかったので。
COW BOOKSでまた木製のアルファベットを発見!
*以前のものより小さい。5つゲット。
*通りすがりの店でサンダルを衝動買い(っていうか前から探してはいた)
*今年の夏はサンダルに挑戦だ!
| - | 23:20 | comments(0) | - |
掠め飛ぶ
08-0421
・・・ナガミヒナゲシがのんびり咲いているのを見ると、なんだかホッとする・・・

軽快に飛び交うツバメを目にする季節になった。体重というものを全く感じさせないツバメの飛び方は、まさに「掠め飛ぶ」という表現がふさわしいと毎年思い、そう思いながらユーミンの「雨のステイション」を思い出す。
霧深い町の通りを
かすめ飛ぶつばめが好きよ
心縛るものをすててかけてゆきたい
なつかしい腕の中今すぐにも

すでに心が離れてしまった恋人に会えるかもしれない・・・雨の駅に立ち尽くす女性の心は重く沈み、その重さと対照的なツバメの飛翔が鮮やかに想像される。ユーミンの歌詞は絵画的(あるいは映画的)だと思う。

ツバメほど軽快に飛ぶ鳥を私は知らない。目の前に現れたかと思うと視界から消えていくあの速さ。あまりに速くて残像さえ残さないが、そえゆえ脳裏の中に幻の軌跡が浮かぶ。その軌跡はどんなに優れた芸術家でさえも描けないような、細くしなやかでリズミカルなカーヴになって現れる。

ツバメほど華奢で儚げな鳥を私は知らない。王子が身にまとう宝石や金箔を運び、南国に帰りそびれて息絶えるのは、やはりツバメでなくてはならないと思う。

ツバメは穀物を食べず、農家にとって害になる虫を食べるので昔からたいせつにされてきた鳥らしい。ツバメが巣をつくった家には幸運が舞い込むという言い伝えが各地にあるようだ。大きな口をあけて餌を待つ雛の姿もかわいらしく、毎年初夏になると家々の軒にツバメの巣を探す。

ツバメに対する愛着がそうさせるとは思えないが、年々自分の中で軽やかさに対する志向が強まっていくような気がしている。一つのことをじっくり取り組むよりも、好奇心の赴くままに次から次へと動き回ることが多くなってきた。

軽薄といえば軽薄かもしれないし、いい年をしてという誹りを免れないかもしれない。が、もっともっと軽やかになりたいと思っている自分がいることは確かなようだ。

*仕事の連絡が入らないので、昼前に散歩がてら買い物に出た。
*あららー 世の中すでに春というより初夏の趣?
*なんだか乗り遅れちゃっている感があるなぁ。
*川原を少し散歩した。野いばらは蕾をたくさんつけていた。
*帰宅してしばらくしたら・・・来たよ、やっぱり連絡がー
*今回の仕事はスケジュールが見えないし、取りまとめ役がいないし。
*が、もごもご言っている間があったらさっさとやる!
*意を決して仕事し始めたら別件が。来週に資料が届いて5/7までって。
*連休中やれってことだよな。だ・よ・な!?
*やれやれ。連休明けたらドバッと休んじゃうよ、おばさん。
| - | 21:11 | comments(4) | - |
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