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日々の内側
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夢の途中
07-1231
・・・ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。いまだ夢の途中・・・

「セーラー服と機関銃」という映画では薬師丸ひろ子が歌っていた曲。その時は映画と同じタイトルがついていたと記憶しているが、私は作曲者である来生たかおが歌う「夢の途中」の方が好きだ。曲もいいが、詞が好きで時々無性に聞きたくなる。

さよならは別れの言葉じゃなくて
また会うまでの遠い約束
現在(いま)を嘆いても 胸を痛めても
ほんの夢の途中


歌全体の内容は、好きな女の子を遠くからみつめる大人の男の心境といったところだが、私はこの冒頭数行が一番好きだ。「遠い約束」という言葉もいいが、なんといってもタイトルになっている「夢の途中」というレトリックが出できそうでなかなか出てこない表現であるような気がする。

夢は叶わないから夢。見果てることがないから夢。

私はそう思っているが、だから夢を見るのは無駄だ、くだらない、というわけではない。だからこそ、夢を見るという行為は人間に必要なことなのだと思う。その途中で何度か立ち止まり、道程の遠さに呆然としたり、目指すところを失っている自分に気付いたりすることもあるだろう。が、現実ばかりに追われるのはあまりに淋しい。

人並みに夢見がちな少女時代(私にもあったんですよ!)を経て、いつの間にか現実的な思考をする人間になってしまった自分がここにいる。が、現実と現実の狭間に突然現れる不思議な想念もまたたいせつにしたいと思っている。

数日前にも書いたが今年はあまりぱっとしない、否辛いことが多い一年だった。しかし、それもまた夢の途中。自分自身との遠い約束を果たすべく、来年も精いっぱい生きていこう。さよなら、2007年。

*今日になってやっとプリンターをセットアップ
*なんとか年賀状を印刷して一言書き添え投函。ふひ〜
*アメ横はすごい人出だそうな。
*そんな場所までいかないと年末の雰囲気を味わえなくなっている。
*関東地方はなんとかいい天気の正月になりそうだが。
*悪天候の地域も多いとか。みなさん、どんな正月をお過ごしになるのかな?
*来年もこんな調子で書きなぐりのブログになりそうですが・・・
*お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。よいお年を!
| - | 19:03 | comments(7) | - |
8ヶ月ぶりに化粧品を買う
07-1230
・・・冬木立を見上げる季節がやってきた。思わず深呼吸したくなる・・・

いつも使っている化粧水がなくなったので買いに行った。だいたい化粧品売り場というものが苦手なのでいつも気後れしながら行く。自分の顔さえ毎日まじまじと見ることはないので、販売員の人に見られること自体がなんとなく気恥ずかしい。

カルテを作ってもらっているので、何をいつ買ったがすぐわかる。なんと前に買ったのは4月であった。まだ手持ちがあったのだが早めに買ったと記憶している。が、それにしても間隔が開きすぎ。いかに普段いいかげんにしているか・・・

化粧品というのは、気にし出すと際限なく必要になってきて手間も金もかかる。それだけ自分の顔に投資するというのも悪いことではないと思うが、金を使うなら別のものを選んでしまう。今更いろいろ手入れしてもどうなるものでもない、と諦め半分のところもあるが。

しかし、人と会うことが多くなってきたので来年はもう少し気を配ろうかと思い始めた。メイクアップに凝るつもりはないが、基礎化粧はきちんとやらなければなぁ。出かける時は口紅くらいつけなくてはなぁ。

若く見せたいという気持ちはほとんどなきに等しいが、フリーで仕事をしていると外見がものをいう場合もありそうだし。とりあえず年が明けたら美容院に行ってこよう。

*“この化粧水は1ヶ月で1本使ってください”て、言われちゃった(^.^;)
*コンタクトを取りに行って装着して帰宅。
*つけてしばらくは、平衡感覚がなくなった感じ。ぐらぐら〜
*だいぶ慣れたが、やっぱり万能ではないね。
*遠くが見えにくい。が、これ以上強くすると負担になるかも。
*年があけたら相談に行ってこよう。
*負傷した膝は今のところたいしたことなし。
*筋肉痛もたいしたことなし。
*明日以降どどーんときたりして!
*大掃除は適当に済ませた。明日は買い出し。
*といっても雑煮の支度くらいかな。
| - | 20:55 | comments(0) | - |
年の終わりに初転び
07-1229
・・・和紙と灯のハーモニー。ほんわり、あったかなハーモニー・・・

夕方ゴミを捨てにいって転んだ。たくさんあるので息子と2人がかりで捨てに行ったのだが、ゴミ置き場の中のどこにどのゴミを捨てるかを指示しているときに!

このマンションのゴミ置き場はフェンスで囲まれ暗証番号を入力するキーがついている。左右にドアがあって、右側は生ゴミ、普通ゴミ、古着、金物など。左側がプラスチックゴミ、カン、びん、ペットボトル、ダンボール、古新聞・古雑誌など。それぞれ棚がついていて上下でまた置くものを区別するようになっている。

普段重い古新聞や生ゴミなどしか捨てない息子が間違えないよう、ドアの外で監督していたのだ。ゴミ置き場は道から一段上がったところにあり、奥行きのない段の上であれこれ指図していてバランスを崩したらしい。

雨で足元が濡れていたことに加え、男物の大きなサンダルをはいていたので足がズルッと滑った。左足の膝小僧と左手中指の中央付近を負傷した!

痛くてしばらく起き上がれず、うむむむ〜と呻いていたら息子が横で“とりあえず立ち上がったら?”なんぞと言う。母が痛がっているのに冷たいヤツ。左手中指の様子を見ようとしたが暗くて見えない。“明るいところに行ってから見なよ”と、また冷たい。

それはさておき、転んだのは久しぶりだ。最後に転んだのがいつだったか思い出せないくらい久しぶり。当然今年になってから初めてだが、年末も29日になって初転び!なんて考えていたらおかしくなってきた。膝をすりむいた痛さってこういう痛さだったんだーと、なにやらなつかしい。

考えてみると、後ろにズルッと滑ったのに尻餅をつかなかったのはなぜか。たぶん無意識のうちに身体をかばおうとして上半身をひねったのだろう。手をつこうと思ったがさすがに間に合わず左の膝から落ちたといったところか。

反射神経はまだまだいけるかも!みっともなく転んでおいてそんなことを思い、痛いのニヤニヤしている。救いようのないヤツ?

*未だにヒリヒリ。打ったので痣になるだろうなぁ。とほほ。
*この年になって転ぶと後が怖いんだけどね。
*仕事部屋の片づけ、掃除、トイレと洗面所の掃除、ベランダ掃除。
*本日はここまで。明日窓拭き、玄関掃除をしておしまい。
*キッチンがたいへんなのよね。担当でなくてよかったわー
*薔薇の植え替えと剪定は来年に。
*明日から寒くて天気が悪いんだって?にょほー
*年越しを海外、っていうのどうなんでしょ。あまり行きたいと思わん。
*やっぱり自宅でまったりがいいわ。貧乏人の僻みかな?
| - | 18:46 | comments(2) | - |
「タメ口」への抵抗感
07-1228
・・・明かりが浮かびあがらせるシルエット。光都に美しさを添える・・・

混んでいるのを覚悟で銀行に行った。ディスペンサーはさほどでもなかったが、さすがに窓口は混雑していてソファは満員状態。

しかたなく窓口に近い壁際に立って順番を待った。窓口の女性と客との会話も自然と耳に入ってくる。私が立っているところに一番近い窓口の行員はベテランらしく、テキパキと対応していたが言葉づかいが少し気になった。

客は馴染みの客らしい初老の夫婦。商売をやっているらしい様子だ。まとまった金額を口座から払い戻すらしく男性の方は大きな鞄を持参している。行員は慣れた口調で対応していて客の方もその口調に何ら抵抗を感じていない様子だったが・・・私には気になるのである。

まず、「はい」というところを「うん」と言い、「お待ちください」というところを「待っててね」と言った点。いくら馴染みの客でも、銀行員たるものそのような「タメ口」はいかがなものかと思ってしまうのだ。その方が客の方も気楽でいいのかもしれないので余計なおせっかいだろうけれど、やはりどのような仕事でも顧客に対して「タメ口」をきくということに対して抵抗感を感じてしまう。

この「タメ口」への抵抗感は、私の育った環境によるのかもしれない。私の母は「タメ口」をきくのが苦手な人だったから。たぶん今でもそうだと思う。親類などを除き、どんな人にも“ですます調”で会話する。これは母が幼いころからうけたしつけと家庭環境から身に付いたもので、そのようなものは一生抜けないと思う。

母は、女学校を出た後事務職の仕事を数年して結婚した。祖父は子どもたちにとても厳しかった人だということだから、親子の間でも敬語で話すのが日常であったらしい。母は私が小学生のころ近所の会社に勤めに出たのだが、その言葉遣いで苦労したようだ。

子供にはあまり詳しく言わなかったが、“お高くとまっている”“よそよそしい”と思われていたのではないかと思う。

その会社に勤めている人たちは地方から出てきた人が多く、実家も商売をやっていたり農業を営む家が多かった。銀行員を父に持ち、東京で生まれ育っただけでも異分子なのだが、言葉使いが(その人たちから見れば)バカ丁寧ときている。仲良くしようと思って親しみやすい口調で話しかけても敬語が返ってくる。嫌なヤツだと思ったのかもしれない。

当人(母)はさらさらその気はないので、ずいぶんと困ったようだ。「タメ口」をきくことに慣れていない人に突然それを求めても、それはなかなか難しいこと。時間が解決するしかなかったようだ。

そんな母の血をひく私も、母と同じような傾向にある。以前仕事をもらっている会社の人に、“頼みますからそんなに丁寧な言葉を使わないでくださいよー”と言われた。

なるほど彼は前の会社では営業と制作という対等の立場で仕事をしていたし、私の方がはるかに年上だ。しかし、現在彼は私のクライアントであり、貴重なレギュラー仕事をくれるたいせつな人である。意識しなくてもある程度丁寧な言葉使いになってしまうのだ。

身に付いた言葉使いを直すのはなかなか難しい。くだけた言葉を畏まった言葉にするよりも、その逆の方が難しいような気がする。やれやれ。

*さてそろそろ年賀状に取りかかろう!と思ったら。
*古い方のMacの調子が・・・そっちにソフトもデータも入れたままだったのに。
*家人がいろいろやってくれたが復旧せず。
*どうしたのかなぁ。前に電源入れた時は問題なく動いたのに。
*仕方なく新しい方にソフトを入れ、住所録を始めから作る。ひー!
*小さいインクジェットプリンタを買った。モバイルタイプ。
*年賀状くらいにしか使わないのでデカいのは必要なし。
*そんなこんなでまだ開梱していない。明日繋げてみよう。
*年末年始は天気がよくないらしい。寝正月かな・・・
| - | 20:23 | comments(8) | - |
重ね着着膨れオバサン
07-1227
・・・東京駅はいいなぁ。いい建物だなぁといつも思う・・・

ワンピースを重ね着する気味の心は
不思議な世界をさまよい歩いていたんだ


陽水は「ジェラシー」でこう歌っているが、昨今の若い女性は不思議な世界をさまよわなくても当然のごとく重ね着三昧である。

当初どことなく違和感を感じていたが、最近では慣れたこともあり、けっこう上手にやっているよなぁと感心することさえある。重ね着が一般的になったからか、なにをどう重ねるかでセンスがわかるような気がする。

センスを表現するためでなく、必要に迫られて重ね着にいそしむのが今どきの私である。わが家はあまり暖房装置を使わないので、自宅にいてもある程度の重ね着をしている。

通常下半身は2枚(レギンスとスエットパンツ)、上半身は3枚(Tシャツ、スエットシャツ、セーター、パーカ、カーディガン、トレーニングウエアの上着の中から適当に)。くつしたは厚手のものを1枚。ムートンのスリッパを履いているので2枚は履かない。

外出する時は、さらに増える。写真を撮り歩く場合は、できるだけトイレに行く回数を減らしたいという悲願!もあって念には念を入れた重ね着体勢。

たとえば、保温性が高いシャツ(通常ババシャツと呼ばれる)、タートルネックのコットンシャツ、薄手のコットンタートル、ネルシャツ、中厚手のタートルネックセーター、そしてダウンなんていうこともあった。数えてみれば5枚重ねている。

さらに首にはマフラーをぐるぐる巻いて、下半身はタイツの上にレギンスを履き、その上からジーンズを履く。靴下はもちろん2枚で、仕上げは膝までのブーツにつっこむ。
自分でもすごい重ね着状態だなと思う。重ね着というよりも、はっきりいって着膨れ。転んでもたいしたケガはしそうにない(^.^;)

さすがに電車の中や百貨店の中では暑くなる。我慢していると汗をかいて風邪のもとになるのでダウンだけは脱ぐ。が、それでも暑いこともあって困ることも。我慢して風邪をひくのはいやなので、冬場はできるだけ建物内に長時間いないようにしようと思っている・・・なぁんてちょっと変でしょうか。

*もう残すところあと4日かぁ。
*そろそろ年賀状の原稿を作らないとなぁ。
*大掃除は超適当にやることになりそう。
*いつもより丁寧に掃除する程度か。まあ、いいやね。
*大掃除で疲れ果てて正月寝込むのはいやだもんね。
*モチーフ、ようやく100枚編み終えた。繋ぐのがまた面倒(^.^;)
*最初に編んだブルーと紺のマフラーは息子に取られた。
*まあ、使ってくれる人がいるっていうのはいいことだ。
猫ブログ、更新
ブツログ、更新
| - | 21:39 | comments(6) | - |
なにはともあれ、年は暮れる
07-1226

もうそろそろ今年一年を振り返ってもいいかなと思い、振り返ってみる。

今年はなかなかスリル満点な一年であった。と書いてしまえば暢気なものだが、よくもまあ次から次に難事が出てくるものだと我ながら感心してしまうほど、波乱の多い年だったと思う。

詳しくは書けないあれやこれや。書いて書けないことはないがもう思い出したくないあれやこれや。そんな事が1月から立て続けに起こった。11月ころになってやっと少し落ち着いた感があるが、いつまたあんなことやこんなことが起きるのではないかと心から落ち着くことができない。

今までにもあれこれ波乱はあったが、自分で決めて行動を起こした結果としての波乱が多かったように思う。が、今年は自分の力では如何ともしがたいことが多く、ただひたすら嵐が収まるのを待つがごとき低調ぶりであった。

唯一ともいっていい救いは、仕事がそこそこあったことか。仕事に救われたといっても過言ではない。もちろん仕事がなければ経済的にひっ迫し、弱り目にたたり目プラス泣きっ面に蜂プラス踏んだり蹴ったりといった状態になりひとたまりもない。が、経済的な理由を除いても、仕事がすることによる緊張感がともすれば際限なく落ち込んでいきそうな自分を引き止めてくれたと思っている。

仕事が手に付かないという状況というのは、とどのつまり仕事が手に付かず仕事をしなくても暮らしていけるからであり、仕事をしなけりゃ生きていけない立場というのはこんな時強いものだなぁと妙に感心してしまう。

いいこともあったはず。いいことを探して人生そんなに悪くはないと思うようにしよう!などといった考えは嫌いだ。

確かにいいことはあったが、悪いことの方が格段に多い年だった。そして、なにはともあれこうして年の瀬をなんとか迎えている。それだけである。来年は少しマシになってくれればいいが、たいして期待はしていない。

かといって絶望しているわけでもなく、ただ淡々と生きていくしかないと思っているに過ぎない。波に揉まれて少しは強くなれただろうか。

*明日一日仕事をすれば、なんとか今年の仕事は終わりかな?
*電話やメールが入らないことを祈る(^.^;)
*今日はなんだか寒かったぞ。昨日より寒かった。
*手首がやけに冷たく感じる。
*遠近両用のコンタクトを作ることにした。経費経費!
*ハードを試しに入れてみたがやっぱり無理!
*これでおしゃれなアイウエアを楽しむことができそう。
*今使っている眼鏡、とてもよくできているらしい。
*フリーになった時作ったのだが、大枚をはたいて買っただけのことはある。
*度の合わせ具合が理想に近いって眼科の人がいっていた。
*今度眼鏡を買う時も同じ店にしようかな。

| - | 23:49 | comments(7) | - |
光都東京
07-1225
・・・有楽町・国際フォーラムのイルミネーション。すごい人であった・・・

夕方に撮影が終わりそうな気配だったので、カメラを持って家を出た。予想どおり夕方5時前に終わり、銀座に出ようか丸の内に出ようか暫く迷い、丸の内を選んだ。銀座はいつでも気軽に行ける街だが、丸の内はこんなことがないとなかなか行く機会がない。

今年丸の内周辺エリアでは「光都東京」と銘打ってクリスマスから年末にかけてのイルミネーションを行っている。この企画の柱のひとつとなっている“アンビエント・キャンドルパーク”が今日までなのも丸の内を選んだ理由のひとつだ。地球・環境・平和をテーマに描かれた明かり絵を和田倉噴水公園の噴水付近に並べるというイベントを自分の目で見てみたかった。

明かり絵はほのぼのとした色合いでなかなかよかった。噴水は照明の色が移り変わるという最近の流行を取り入れたものだったが、私はこの手の色が変る照明というのはあまりいただけないと思っている。丸の内仲通りを中心に行われているフラワーファンタジアも、花(パンジー)で作られたツリーに様々な色の照明を当てるというもので、ちょっと賑やかすぎるような気がした。

昨年の六本木ヒルズは青いイルミネーションを大量に使用するものだったが、この青という色がいいという人とあまり好きではないという人がいる。

私はどちらかというと後者。ごく普通の白や白熱灯のような暖みのある色のイルミネーションが好きだ。

冬の東京は美しい。東京は冬一番美しい。普段の姿が美しいのだから、色とりどりの照明やイルミネーションなど用いなくてもいいと思う。ショーウインドーやオフィスビルの窓明かり、運河や掘に映る街灯の光と無理なく調和するイルミネーションが一番いい。

そんなことを感じながら2時間ほど撮り歩いてみた。

*夕方はあまり寒くなかったのでホッ。
*んが、途中で2回もトイレに駆け込んだ。やっぱり冷えていたのかしら。
*イルミネーション見物の人もけっこういたが・・・
*帰宅を急ぐサラリーマンもたくさん。
*そんなさりげないところがいい。
*日比谷公園のデカいツリーにはあまりそそられないわん。
*丸ビルにはじめて入った(^.^;)
*買い物どころじゃないから、あまり店は見なかったけど。
*今やっている仕事で今年はお終いかと期待していたのにー
*明日また新しい仕事が(T_T)
*明日打ち合わせで28日アップだって。なんだそりゃー!
*文句言わずにやろう。この間は断っちゃった相手だし。
Walkin'、更新
| - | 23:12 | comments(4) | - |
サンタクロース考
07-1224

「あなたは何歳までサンタクロースがいると信じていましたか?」

そう訪ねられると私はちょっと困る。だって、始めからサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれると教えられなかったから。

クリスマスプレゼントはもらっていた。が、私の親はサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるとは言わなかった。ましてや、“いい子にしていないとサンタにプレゼントをもらえないよ”などとも言わなかった。

いつごろからだったのか覚えていないのだが、12月25日の朝になると枕元にプレゼントが置かれていた。ああ、クリスマスとはこういう日のことなんだな、と子供心に嬉しく思った。少し知恵がついてくると、そのプレゼントが伯母からのものであることを知った。

親もそれを隠そうともしなかったので、クリスマス前になると伯母に手紙を書いてクリスマスに欲しいものをねだったりしたものだった。ねだるといっても、今どきのような具体的な商品名をあげてねだったわけではない。「人形が欲しい」「オルゴールが欲しい」という程度のものだったので、そんな人形がもらえるのか、どんなオルゴールがもらえるのか楽しみで24日の夜はなかなか寝つけなかったと記憶している。

そんな子供時代を送ったわけだが、いつの間にか世の中では子供たちにサンタクロースの存在を語るようになっていた。実際私も自分の
子供にはサンタクロースがプレゼントを持ってくるという話をしたし、幼い息子がその存在を信じて疑わない様子を見てほほ笑ましく思った
ものだ。前もって用意しておいたプレゼントを息子の目に触れないように隠し、25日の朝起きた息子が嬉しそうに声をあげるのを楽しみにしたものだ。子供の喜ぶ顔は、親バカにはなによりのプレゼントでもあった。

今日テレビを見ていたら、ニュース番組で子供たちへサンタについてのインタビューをしていた。サンタクロースの存在を信じて疑わないあどけない言葉にインタビュアーはほほ笑ましさを隠せないといった態度だった。

しかし私は、こういった毎年繰り返されるインタビューを見ていると、子供もたいへんだなぁと思ってしまう。明らかに信じている場合はいいのだが、うすうすサンタクロースなど本当はいない、プレゼントはパパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんが買ってくれているんだとわかっていても、親や祖父母の立場を思い、世間の目を思い、信じているそぶりをしているように見える子供がけっこういるからだ。

“サンタなんか本当はいないんだよ。プレゼントはね、パパやママが買ってくれているって知ってるよ”

もし子供がそう言ったら、大人たちはどんな態度をとるのだろう。かわいげのない子供だ、夢のない子供だ、と思う人はいないだろうか。その子は本当のことを言ったにすぎない。が、そう思う大人たちがいることをたぶん子供は感じており、幼い時から予定調和に身を任せることになる。

赤い服を着て、トナカイに乗って、大きな袋を持ってサンタクロースがやってくる。みんなが寝静まった夜に、世界中の子どもたちにプレゼントを持ってくる。

子どもたちがこの夢の世界を思い思いに楽しむのはいいことだ。ワクワク、ドキドキしながら想像力を自由に飛躍させるのはいいことだ。

しかし。サンタクロースはいてもいなくてもいいではないか、と私は思う。サンタなどいなくても、自分を思ってくれる人がいることをきちんと感じることができれば子供どもたちは幸せなのではないか。あまりに画一的にサンタを語る親たちを見ていると、かつての自分をさっさと棚に上げてそんなことを思ってしまう。

あることに対するベクトルがあまりに一定方向に向いていると私はつい反発してしまう。サンタにかこつけて夢を語る俗っぽさを許容できなくなってしまう。性分だからしかたないね、とスクーターに乗ってピザを運ぶサンタを見ながら思う。

*手芸材料が欲しかったので蒲田へ。
*周辺の住宅街はひっそり。クリスマスの買い出しに出かけているのか?
*冗談半分で息子にペコちゃんのブーツを買ってやろうと思ったら・・・
*あらら。すごい行列で。ケーキを求める人がいっぱい。
*さっさと諦めて帰ってきましたとさ。
*でも、あそこまた何やらやらかしたんだって?
*契約店はたまったもんじゃないですね。たいへんだ。
*羊毛フェルトで猫の顔を作ろうとしたのだが、なかなか難しい。
*こういうの上手な人っているのよねー
*編み物はモチーフに挑戦中。100枚編む予定。さてさて完成するのか!
| - | 21:15 | comments(5) | - |
クリスマス考
07-1223
・・・触れたら落ちそうな蔦の葉。冬の陽射しを浴びられるのもあと少し・・・

昨日からの雨も午前中にはあがり、午後からとてもいい天気になった。明日もこの天気が続くらしいから、クリスマス・イブを楽しむ人たちで街はごったがえすのだろう。

わが家はとりたてて何かをする予定がないので、いつもの休日と同じ。クリスマスだからといって特別なことをする意欲が年々薄らいでいる。

昨夜遅く、アルバイトから帰宅した息子に彼女へのプレゼントはもう買ったのかと聞いた。すでに買っているとのこと。時計だそうだ。「いいねぇ、若い人は楽しそうで」と言うと、「まあね」と答えてからこんなことを言った。

「でもさぁ、なんだか乗っかっちゃているような気がする。オレら、キリスト教徒でもなんでもないのにさ。ただ騒いでいるだけじゃん」

ふーん。ボサボサの茶髪で大人からみれば理解不能な格好をしている17歳がこのようなことを言うとはね。私が彼の年齢のころは、何の疑問ももたずちゃっかりクリスマスを楽しんでいたというのに。現代っ子ってこういうところは醒めているのかなぁ、と思った。

私くらいの年齢になれば同じように感じている人も多いのではないかと思うが、毎年繰り返されるこの華やかなイベントに心のどこかで軽薄さを感じ、その騒ぎの乗っかってしまうことに対して抵抗感を感じるようになってきている。

気分転換の機会としてクリスマスを利用しているともいえるが、それならたいして食べたいとも思っていないフライドチキンやケーキを食べるのもなんだかばかばかしくなってきた。バレンタイン同様、業界の思惑に躍らされるのはもういいや、といったところか。

街がイルミネーションできれいになるのはいい。が、クリスマスだからいいのではなく、きれいだからいいのである。クリスマス以外の時にやってくれても一向にかまわないし、その方が人が少なくてこちらは助かる(写真を撮りにいくなら)。

体調もほぼ戻ったしイルミネーションを撮りに行きたいのはやまやまだが、明日あたりは避けた方がいいだろう。近所を散歩するか、家の中でおとなしく編み物でもしていようと思っている。

*いい天気になりましたねー
*今年最後の蕎麦(外食)、ということで地元の店へ。
*安心して食べられるっていいね。
*やっと伯母にカレンダーを送った。
*郵便局は長蛇の列。年賀状の書き損じを交換する人が数人。
*ああ、まだ何もやっていないよぅ。
*気持ちばかり焦り、行動がついていかないのよね。やれやれ。
| - | 19:21 | comments(3) | - |
かくも長き不在
07-1222
・・・つり掘はすでにないのに、看板は残る。残りつづけて欲しい・・・

8月に逝去されたTさんの奥様から喪中はがきが届いた。通夜や葬儀の参列者の多さを考えれば、はがきの枚数もはんぱではないと思われる。が、印刷の余白に薄墨のインクで3行の手書き文が書かれていて、手間を厭わない誠意が心にしみた。

“いまだに長い出張中の気がします”とあった。

なるほど、大手広告代理店の役員であったTさんは国内外を問わずよく出張に出かけていた。ブログの最後もサンフランシスコの出張から帰ってきたという記事で終わっている。“明日からまた少しずつ報告しますね”という言葉を最後に。

もう帰ってこないということはわかっている。頭ではわかっている。が、気持ちのどこかに今までのことが夢だったかのように「よお!」と手を挙げながら帰ってくるTさんが見える。私でさえそうなのだから、ご家族の方の心境はいかばかりか。

不思議なことに、共通の知人であった家人と私の間では、生前よりも亡くなってからの方がTさんの話がよく出る。蕎麦を食べれば、“Tさん、ここの蕎麦好きだったよね”とか、鍋の季節が近づけば“Tさん、鍋奉行だったよね”とか。Tさんの後輩がはじめたという下北沢の蕎麦屋にはすでに3回ほど行っているが、今度また行って見ようかと話しあっているところだ。

はがきの文章を読んで、私はふと2つの文学作品を思い出した。「かくも長き不在」(マルグリット・デュラス)と「長いお別れ」(レイモンド・チャンドラー)である。

「かくも長き不在」は、デュラス作品につきまとう難解さはあるものの映画化もされ、ご存知の方も多いのではないかと思う。

カフェを営む中年女テレーズは、ある日16年前ゲシュタポに連れ去られて以来行方不明であった夫にそっくりな男を見かける。男は記憶を失っており、セーヌ河の河岸にある小さな小屋で暮らし、昼間は廃品回収をし夜は集めた雑誌を切り抜いてたいせつにしまっている。

テレーズはなんとか男を店に呼び、様子をうかがう。男の後についていく。なんとか話しかけ、チーズをごちそうし、男の口から何かを聞き出そうとする。しかし、男は何も覚えていない。男がかつて自分の夫であったアルベールであることを切実に望むテレーズ。しかし・・・

この作品を読み、映画を観るたびに「不在」というものの存在感を知る。当たり前のように存在していた時よりも、さらに大きな存在感で迫る不在。

たいせつな人をなくすとは、そういうことなのかもしれないと今また思う。これからはそんなことが繰り返されるのだろう。

「長いお別れ」はフィリップ・マーロウ探偵が活躍する推理小説(だと記憶しているが、内容は忘れてしまった)。ミステリー好きのTさんだったから、こちらの方を連想した方が喜んだかもしれないなぁ。

*頭痛が残るものの、なんとか起き出して仕事。
*食べられるものを少しずつ食べる。食べなきゃ力が出ないもんねぇ。
*予想以上に手強い仕事だった。受けなきゃよかったなどと弱音がちらり。
*そうも言っていられないので、なんとか形にする。
*もうひとつも勢いで片づける。こちらも問題ありだが。
*体調も今ひとつなので今日はそこまで!
*今日は寒いのかな?外に出ないのでよくわからない。
*天気はよくないみたい。明日は雨?
*早く元気になってカメラ持って出かけたいよぅ。
| - | 19:49 | comments(2) | - |
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