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日々の内側
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透明な季節
07-1031
・・・群生して風に揺れる姿もいいが、農家の庭先で忘れられたように咲く花もまたよし・・・

10月最後の日。日毎に空気が透明になってきているように感じる。紅葉が始まった公園の桜も、鮮やかなのに目にやさしい。光の粒子ひとつひとつが控えめな輝きを放っているのではないか・・・そう思わせるほど、この陽射しの中ではすべてがいつもより美しく見える。

都心に近いここでさえ、これほど透明感を感じるのだから、普段から空気がきれいな地域ではなおさらだろう。こういう時季に限って多忙になりがちで、なかなか出かけることができないのがとても残念。今年もまた、身近な秋を堪能することで満足することにしよう。せめて、はらはらと落ちる葉を浴びながら佇むことを夢見よう。

 秋は透明な
 薄いむらさきだ
 むらさきの秋は
 騒がしいものを寄せつけない
 体の透きとおる人をだけ
 そおっと淋しくなでるのだ
 むらさきの中では
 寂しがりやだが
 強い死なない人だけが
 首をたれて
 落ち葉をハラハラと浴びるのだ

      「秋」(『光る砂漠』矢沢 宰より)

*今日は散歩サイトで出会った方のお宅にうかがう予定。
*秋薔薇がきれいに咲いているとか・・・楽しみ(^_^)
*その後家人と一度だけ行ったことがある店に行くことに。
*飲み過ぎないようにしなくちゃ!(^.^;)
*「オリンピア」に続き「テロルの決算」(沢木耕太郎)読了。
*読むのは三度目くらいかな?
*ノンフィクションというのは大変だ。事前調査が必要だもんね。
*昔のファナティックな若者は自分の力を外に向けたが・・・
*今はひたすら内へ内へと向けているように思われる。
| - | 11:28 | comments(10) | - |
カメラになった男と出会う
07-1030
・・・最近あまり見かけなくなった肩車。それでも祭やイベントではまだまだ健在!・・・

秋晴れの火曜日。順調に回復している家人は朝早くツーリングに出かけ(カブで伊豆だって!)、息子も不在で家の中は静か。郵便局に用事があったのだが、すぐに帰るのももったいないような気がして、久しぶりに少し遠い園芸店に行ってみた。

今年は薔薇の苗も買わず、他の花苗も増やす意欲があまりない。が、明るく咲いている花を見たくなったのだ。ビオラもそろそろ出始めているだろうし・・・と。

園芸店に向かう道は、片側一車線の狭い道である。が、バスや大型トラックが頻繁に通り、自転車に乗っていても油断ならない。今日もかなり大きなトラックが触れるほど近づきながら追い越していった。

狭い道なので、普通は自転車を追い抜く時、対向車線に出る車が多い。しかし、乱暴なドライバーは、対向車線の車が途絶えるのを待つことなく、ギリギリで追い抜いていく。一瞬のことだが、こちらは生きた心地がしない。

そんなドライバーに腹を立てつつ赤信号で止まった時。右手の細い道からひょろひょろと1台の自転車が出てきた。畑と畑の間の道で奥には農家がある。たぶん農家の私道であろうその道から出てきた自転車の乗っている人を見て、あ!と驚いた。

以前にも日記で書いたことがある、中平卓馬さんであった。うちの近くに住んでおり、毎日写真を撮りに出歩いていることは知っているが、まさか今日出会うとは。相変わらず赤い野球帽を被り、右手の手首にカメラのストラップをかけたまま、ゆっくりゆっくり自転車を漕ぎ、私が行く方向に向かっていった。

信号が青に変り、中平さんの後を追うような形になった。そうだ、ひとつ付いていってみようか。ふとそう思った。が、如何せん中平さんの速度が遅すぎる。あれほどゆっくり自転車を操作するのは至難の業である。後ろから車が来るので、仕方なく追い抜いた。

追い抜く時目の端で中平さんを見たら、相変わらず茫洋とした無表情。ブラブラしているカメラは大丈夫なのかと少し心配しつつ、園芸店に向かった。

そういえば、このところ中平さんを見かけることが多い。先々月だったか、駅付近のスーパー入り口で見かけた。その後、やはり同じ駅のバス乗り場で見かけた。そして今日である。夏から秋にかけて、もう3回も見かけたことになる。それだけお元気で毎日の「撮影行為」を実施していらっしゃるということで、ファンとしては嬉しい限りだ。

今年はじめに見た映画「カメラになった男」でも、中平さんの規則正しい一日の生活が紹介されていた。起きる時間もだいたい同じで、午前 11時になると電話の時報で時間を確認、腕時計を合わせて撮影に出かける。主に自宅付近、ということは私が住んでいるエリアで毎日写真を撮っているということになる。

映画を見た時、そのタイトルカメラなった男」についてあまり気にしていなかった。しかし、今日の中平さんを見て、突然深い共感を覚えた。中平さんにとって写真を撮るということは生きることなのだ、たぶん。それも大げさな「生きる意義」といった意味ではなく、毎日食事をするように、水を飲むように、トイレに行くように、習慣を超えて本能のようにやっていることなのだろうと思える。

中平さんの姿を見かけるたびに、どこへ行くのだろうと思う。できたらそっと付いていきたいと思う。少し離れて、写真を撮る中平さんを見ていたいと思う。今日はひとつのチャンスだったに違いないのだが、あえなく追い抜いてしまった。いつかそういう機会が訪れるといいと思う。

*結局、野菊とビオラを少々買ってしまいました(^.^;)
*今、野菊がとてもきれいなのよー 誘惑に負けた!
*薔薇の秋苗もたくさんあったが、こちらは誘惑されず。
*平日なのにけっこう混んでいた。園芸店はかき入れ時か?
*昼間はまだけっこう暖い。半袖はもう着ないけどね・・・(^.^;)
*猫のためにマザーボールを出してみた。まだ早いかな?
薔薇記、更新
| - | 19:34 | comments(2) | - |
毛皮問題
07-1029
・・・(たぶん)艶といい出触りといい申し分なし。が、この毛皮は持ち主だけのためにある・・・

いくら金があっても絶対に欲しくないと思うものがある。その一つが毛皮である。私は寒がりなので、温かい衣服はありがたい。が、毛皮だけは勘弁してほしい。若いころから、ずっとそう思いつづけてきた。

毛皮がステイタスになりえたのは、はるか昔のことだと思う。今や、世界的に見ても毛皮に対する風当たりは強いようだが、その一方で以前として毛皮を“おしゃれだ”“カッコいい”と思う人々がおり、マテリアルとして利用するデザイナーや企業が存在することもまた事実だ。

8時前に家を出ていつものスタジオへ向かった。某ショッピングセンターのチラシ撮影に立ち合ったのだが、微かに感じていたいやーな予感がまさに的中。冬物衣料とあってコート類が多いのは当然だが、毛皮を使った商品を撮影用に出してくる店が前回より増えていた。

中でも少しショックだったのは、キツネの襟巻きを出してきた店がったこと。その襟巻きたるや、キツネ全身を使った襟巻きなのだ。頭から尻尾まで。ご丁寧に手足もついている。目や鼻は作り物だが、それ以外はすべて本物。そんなものを気軽に商品として扱う店があるだけでなく、“きゃー!ステキ!”という人がいることに正直言って唖然としてしまった。

毛皮ではなく革製品となると私もかなり利用している。バッグ、靴、ベルトからブルゾンに至まで革製品はある程度持っている。動物愛護の観点から言えば、これら革製品も全く問題がないわけではないだろうが、毛皮はちょっと別格だと思う。生きていくために毛皮を身に付けるエスキモーならいざ知らず、ファッションのためだけに何故毛皮を身に着けるのだろうか。

自分が可愛がっている犬や猫の毛皮を身に着けたいと思う人がいるだろうか。キツネやタヌキは犬猫に近い動物たちだ。

ラビット、チンチラ、ビーバー、ラクーン、ミンク・・・これらだって生きている姿を見れば毛皮を身に着けたいとは思わないのではないかと思うのだが・・・どうやらそう思わない人も相当数存在するようなのだ。ハラコ(牛や馬の胎児)など非常に残酷。ハラコの毛皮を取るためには母子ともに殺す必要があるらしい。ああ、いやだ。

個人の嗜好に関してはあまり文句を言いたくない私ではあるが、こと毛皮に関しては一言くらい言いたくなる。有名女優であろうと、カリスマデザイナーであろうと、ファーストレディであろうと、非凡な才能をもつ芸術家であろうと、毛皮を好んで身に付ける人は好きではない。インテリジェンスを疑うね。とまあ、こんな感じかな?

*金曜日に撮影の続きがある。やだな・・・
*嫌悪感を感じながら平気な顔をしていなくてはならない。
*それが一番のストレスかも。
*昨日同様暖い一日。電車の中はちょっと暑いくらい?
*そろそろ晩秋らしくなってほしい。着るものに困るし。
*郵便局って「郵便事業株式会社」になったのね。
*電話すると慣れていないような人が電話口に出るのがなんとも。
*土曜日の台風で近所の無患子の実が心配。
*大量に落下しているのでは・・・明日見に行ってみようかな。
*外階段に大量の落ち葉。管理人さん、ご苦労様!
| - | 18:55 | comments(7) | - |
三ノ輪へ
07-1028
・・・これは自宅付近の八百屋の裏手。柿の色は、いかにも秋の色・・・

台風一過で気持ちいい秋晴れ。家でじっとしていられるわけがない。ということで、久しぶりに三ノ輪に行ってきた。

はじめて行ってから4年近く経つと思う。当時私はまだデジタル一眼レフは持っておらず、古いNikonのカメラで写真を撮った。レンズは確か50ミリ。今日は20Dに90ミリを付け、GR-Dもお伴に連れていった。

行きは日比谷線で三ノ輪駅下車。気ままに歩き回りながら都営荒川線三ノ輪橋駅の方に向かった。住宅街の路地を通り、荒川線と平行する商店街「ジョイフル三ノ輪」へ。「砂場」でビールに天ぷら、蕎麦を食した後、商店街の裏をあちこち歩いた。

はじめて行った時に比べ、古い建物がかなり減っている。軒の低い、今にも崩れ落ちそうな民家がたくさんあったのだが、建て替えられたり空き地になったりしており少し物足りなさを感じた。もちろん、これはは気まぐれな散歩者の勝手な感覚だ。崩れ落ちそうな家に住み続けたい人などいるはずもない。しかし、今まで長い間住んでいた人も少なくなっているような気がして。

気掛かりはそれだけではない。以前よりも商店街を歩いている人が少なくなっているように思われた。夕方にはまだ時間があったが、それでも天気のいい日曜日だ。総菜屋、パン屋、餃子屋、八百屋・・・食べ物を扱う店の人はあれこれ動き回っているが客はそれほど多くない。雑貨店や洋服店などは閑古鳥が鳴いており、店主は店の奥で新聞を読んでいたりテレビを見ていたりしている。

商店街、とくに下町の商店街は今どこでも様々な問題を抱えているに違いない。個人商店は商売が成り立たず閉店に追い込まれ、少しずつチェーン店が増えていく。時代の趨勢といってしまえばそれまでだが、勝手な散歩者はそれがとても淋しい。

といいつつ、カメラを持っているので蕎麦屋で食事をした以外は金を落とさず帰ってきた。今度行った時は、「パンのオオムラ」でコロッケパンでも買って帰るかな。

*本当にいいお天気でした。しかも気温が高かった!
*ダウンベストを着ていったら暑くて・・・(^.^;)
*三ノ輪の「砂場」は三度目かな? 
*悪くはない・・・が、花巻そばはやっぱり地元の「蕎真」の勝ち!
*ビール飲んで歩き回ったら疲れが出たのか・・・
*荒川線に乗ったらほとんど寝ていた(^.^;)
*ち。風景を楽しむどころじゃなかったわー
Walkin'、更新
| - | 20:19 | comments(4) | - |
シニカル・フィーリング
07-1027
・・・私にとっての秋葉原原風景はこんな感じかな?アキバ写真は今日で終わり・・・

サザンオールスターズの曲というと何を思い浮かべるだろうか。時にはロマンチック、時にはえげつなく、時には意味不明な歌詞。様々な分野の音楽を取り入れたリズムとメロディ。大ヒットした曲はやはりラブソングが多いだろうか。恋愛に悩む若い人たちの気持ちを切ない歌詞とメロディで描く曲・・・私たち世代の中にもファンが多いことだろう。

私もファンの一人だが、ロマンチックな曲とは対照的な、ちょっとシニカルな曲もいいなぁと思う。24日の日記冒頭に掲載した「01MESSENGER〜電子狂の詩」もそうだが、桑田佳祐という人のしゃれた皮肉がなかなか。時代感覚が鋭い人だなと思わせる。

朝夕のラッシュ 夢にまで見たマイホーム
守るべきモノ有り、キナ臭いはずのサラリーにキッス
“出世したいか?”と上司は問うと
“会社のためなら記憶は消せよ”

学び舎なる組織 当たり障りのない世間
見劣りする奴ァ我が校のために来なくていいよ
“手を打つべきなのだ”と校長に言うと
“気付かぬフリして退学(やめ)させましょうか!?”


(以上「汚れた台所(キッチン)」)

夫婦(めおと)よ腐るでない
修羅場と葛藤で
もう嫌になっちゃうワイフを見・・・
愛の無い亭主を見・・・
壊れたEveryday,yeah

諸人祈るでない
神の消えた列島で
もう嫌になっちゃう政府を見・・・
嗚呼跳梁跋扈する系譜を見・・・
汚れたLife & Time

(以上「YARLEN SHUFFLE〜子羊達へのレクイエム」)

家に帰るとテレビが無くては生きていけません
嘘でもいいから刺激が無くては死んでしまいます
こんな時代に手紙を書くのが好きになりました
他人(ひと)に己れを出すのが怖くてなりません
闘うことや傷つくことは拒むけど
野暮な慰めにゃホロホロリ

胸いっぱい時代の風を吸い込む頃がある
こんなに汚れた都会の空気を有り難がっていた
いくつになっても未熟な自分を愛しく思っている
そんな大人が幼い我が子に道を説いている
誰かにもらった自由を疑う事はなく
知らず知らずうちホロホロリ

(以上「私の世紀末カルテ」)

ユーモアの感覚が優れている人が好きであるように、私はシニカルな感覚の鋭い人が好きである。だから、ひたすら理想を掲げてくそまじめに熱く語る感覚というのを目の前にすると、居心地が悪い。不真面目といわれようが、やっぱり居心地が悪く逃げ出したくなってしまうんだな。

*台風20号のお名前はファクサイ。カンボジアの女性だって。
*予想外に風が強くて、小さい鉢が2つ落ちましたわ。
*薔薇の実まで落ちていないといいんだけど・・・
*今日辺り出前を取る家が多いんだろうな。
*明日はすぱっと晴れてほしい。どこかに行きたい。
*来月は忙しくなりそう。とくに中旬以降。どうしよう・・・(^.^;)
*なんとかなるさ!で行くっきゃないね。
| - | 18:25 | comments(2) | - |
恐怖と想像力と意志と
07-1026
・・・ビルの外階段の踊り場にアニメのポスターが。「脆弱な孤独」という言葉が浮かぶ・・・

まだ自分の中で整理がついていないのだが、つらつらと・・・なんてアバウトな!(^.^;)

何で読んだか忘れてしまったのだが、恐怖という感覚は想像力に因る、というようなことが書いてあって、なるほど!と大きく頷いてしまった。つまり、想像力が豊かな人ほど恐怖を感じる対象の数も多く、恐怖の度合いも強いということだと解釈し、多いに納得したというわけだ。

何を怖いと思うかは十人十色である。大多数の人が怖いと思うもの(たとえば戦争、災害、殺人、等々)は別にして。ある人は閉ざされた空間が怖いと言い、ある人は人との接触が怖いと言う。理由を明確に言える、言えないはあるとしても、たぶん意識していようといまいとそこには想像力の働きがあるように思う。

狭い場所にいる・・・閉じこめられているのかもしれない・・・このままここから出られなくなるのかも・・・空気が足りなくなったらどうしよう・・・息苦しくなるに違いない・・・出してくれと叫んでも誰も答えてくれないかも・・・息ができないってどれほど苦しいことだろう・・・もがいてももがいても出られなかったらどうなるんだろう・・・とまあ、こんな感じかな。

潜在意識が関与している場合もあるだろう。意識していなくても過去に辛いことがあり、その辛さが恐怖感となって現れるということも。子供のころ親に叱られて家に入れてもらえなかった・・・真っ暗な外にひとりぽっちで淋しかった・・・闇の中から見知らぬ怪物が出てきそうで怖かった・・・だから暗いのは怖い・・・寝る時も明かりをつけていなければ眠れない・・・

想像力がたくましいということも、なかなか大変なことなんだなぁと(たぶん)平凡な想像力しか持たぬ私は思う。

恐怖心、というとあるCMが印象に残っている。例の某生命保険会社のCMだ。闘病しながら仕事をしているというジャーナリストT氏のナレーションで、“逃げたら何でも怖くなる”という例のアレだ。

T氏の病がどの程度のもので、どのような闘病生活をしていたのかはほとんど知らない。また、CMで言っていることもT氏本人の言葉なのかCM製作者側が用意した言葉なのかも知らぬ。が、“逃げたら何でも怖くなる”という言葉そのものは説得力がある言葉だと思う。

誰だって怖いのはイヤだ。しかし、もしかしたら何故怖いと思うのか、何を怖いと思っているのか、といったような恐怖の本質を知らない方がもっと怖いのかもしれない。怖いと思っているものから逃げるのは、ある意味簡単である。逃げる余地があればの話だが。しかし、あえて立ち向かっていく、あえて入り込んでいくのは相当な意志がないとなかなかできることではない。

しかし、その意志の力を私は欲しいと思う。怖いと思っているものすべてに立ち向かっていく必要は、もちろんない。が、立ち向かっていくべきだと思われるものに対してはやはり重い腰を上げたい。年齢を重ねるごとに、集中力も持久力も体力も感受性もアレもコレも衰えがちえある。せめて意志の力だけは若いころよりしっかり持っていたいと思うのだが・・・

*この時期に台風ですかー!
*明日出かけるのは無理みたいだな。掃除にいそしむかな。
*家の中のことをつい後回しにするので、やることがいっぱいだ(T_T)
*電車で座っていて寄り掛かられるとやっぱり腹が立つわ。
*さりげなく押し戻してもまた・・・
*私より若いやつだったりすると、特に。まだ夕方だよ?
*疲れているのかもしれぬが、もうちょっとちゃんと自立してよ。
*今どきの気候って着て行くものを選びにくいわね。
*拓郎さんは大丈夫かな?
*亀田長男の記者会見をチラリと見た。
*記者もネチネチとしつこいやね。好意的になる必要はないが。
*しばらく放置して様子を見ようっていう気になれないのかな。
*それとも、視聴者もそれを望んでいる?
*やっぱり、私はしつこいのが嫌いだわー
| - | 19:47 | comments(8) | - |
ああ、日本人
07-1025
・・・これほど堂々とした看板にはめったにお目にかかれない。秋葉原にて・・・

日本人の民族性について、ではなくて体形について。最近あらためて実感したことがあるので今日はそいつを。

先月、オークションでUSEDのブーツを買った。靴は基本的に通販では買わないのだが、前々から欲しいと思っていたし、価格も納得いくものだったので思い切った。

買ったのは乗馬ブーツである。乗馬ブーツ風のブーツは去年当たりからかなり出回っている。すとんとしたストレートシルエットがなかなかステキで存在感もある。昨今流行しているジーンズなどをブーツインするスタイルにもよく合うし、スカート+タイツというスタイルにも似合う(私はやらないが)。

私は乗馬ブーツ風のブーツではなく、乗馬ブーツが欲しいと思っていた。はっきりした目的をもって作られたものは、それ風に作られたものよりも実用に向けて作られたものの方がやはりデザイン的に優れているというのが持論であるからにして。だから、あきらかにこれは実際乗馬をする時に使うブーツだと思われるものを見つけた時には嬉しかった。

多少の傷はしかたないし、底の減りは修理すれば直る。よしよし!届いたら早速靴のクリーニング(丸洗い)に出し、ソールを新しいものに変えた。よしよし!昨日出かける時に履いてみたのだが、さすがにデザインはいい。ファスナーがついていないので履くときにちょっと時間がかかるが、それはまあよしとする。が・・・ひとつ問題が。ギリギリセーフなのだが、やはり問題が。

それは・・・ブーツが長いのである。今まであまり気にしていなかったのだが、普通のロングブーツの長さはヒールを除けば40センチ以下のものが多い。だが、私が入手した乗馬ブーツはヒールを除いても44.5センチある。歩いている分にはあまり気にならないのだが、自転車に乗っていると膝裏に当たるのだ。あちゃー!

そう。つまり、だ。私が買ったブーツはイングランド製のものなので、あちらの人の体形(脚の長さ)に合せて作られているということだ。日本人は膝下が短いもんね。今どきの若い人ならいいのかもしれないが、半世紀を生きたおばちゃんにはちょいと無理だったのかしら・・・と、少しへこんだ。

今のところ少し大きめだが中敷は入れていない。踵が厚めのインソールでも入れれば大丈夫かと思われる(楽観的)。せっかく買ったんだもの。諦めないわよ。マジックシューズのように中で少し持ち上げて履いちゃうからね!

*あの海苔屋、じゃなくて海草店の中には怖い顔のオバサンが・・・
*店の人かな。あんな怖い顔で睨まないでほしいな。
*思わずちょっと引いてしまったが、なんとか撮ったぞ!
*一日仕事のつもりだったが早めに終えた。
*だってさ・・・もごもご(以下省略)
*3時過ぎに自宅近くを散歩。またドングリなどを拾ってきちゃった。
*無患子の実はまだ落下していなかった。
*前(先月?)に落下したのが残っていたので拾ってきた。
*なんだか転がしておくのが惜しくて。
*久しぶりに自分ちの薔薇を撮った。
*てことで、薔薇記、更新。
| - | 19:18 | comments(2) | - |
電子狂の街
07-1024
・・・もう少し待ってて。あとしばらく壊さないで。私が行くまで・・・

君はいったい誰なの? 
いつも闇の帝都でヤンチャしてるけど
メガロポリスを網羅する 
幻影(かげ)はマルチメディアか?
電脳の悪魔か?

愛という名のバーチャルゲーム
ロールプレイの主役は夢の抜け殻なのさ

人間(ひと)の欲望が電子の
川を下り情報(データ)の海に堕ちる時
ひとり愚かなピエロが
波に呑まれマニュアル抱いて溺れてた

孤独の部屋にプライベート・アイズ
こんな時代は誰もが管理(ファイル)されてるものさ

愛なき世界 悲しき願い
欲望にかられた我らに栄光?
魅惑の世界 明日への誓い
人間(ひと)より進化(さば)けた悪魔に恋をしよう


(サザンオールスターズ「01MESSENGER〜電子狂の詩」より)

電気街秋葉原は、もはや電子狂の街になりつつあるのではないか・・・行くたびにそう思う。ラジオや無線、各種基盤類を扱う店は年々少なくなり、アニメやゲーム関係の店が続々進出していると聞くにつけても。

ラジオ会館など昔からある専門店街が好きで、行く度に雰囲気だけを味わいに立ち寄る。扱われているものが何という名称なのか、何に、どのように使われるかは全くわからない。しかし、細々とした部品類や店の奥で眠っているかのようなラジオ、それらを商う人やそこに集まる人の様子、などを見るのが好きなのだ。

私の世代からすると、秋葉原はコンピュータ関係のパーツが充実している街という印象が強い。が、もともとこの街はラジオとともに歴史を刻んできた街らしい。

昭和20年代、ラジオがまだ高級品だったころ、ラジオの自作を試みる人は秋葉原に集まった。戦後の混乱期以前から自作ラジオのパーツを供給してきた秋葉原は、自作ラジオファンの憧れでもあったのだろう。

ラジオストアー、ラジオセンター、電波会館。渾然一体となった3つのビル。ラジオセンターだけでも40以上の店が入っているという。狭い店がひしめきあっている様子も、あと何年見られるのだろう。

駅へ向かう途中ふと上を見ると、「アキハバラデパート」の古ぼけた看板が目に入った。1階はすでにシャッターが下り、かつての栄光に幕を下ろした姿が淋しげだ。このような風景が完全に消えてしまう前にまた行かなくては・・・と妙に強迫めいた気持ちになっている。

*桑田さん、当て字のセンスがいいね。さすが。
*今日は午後1時から都内で打ち合わせ。夕方からは家人の誕生日祝いで外食。
*8時から一仕事。ああ、もう10時か、支度しはじめなくちゃ。
*とまあ、慌ただしい1日になりそうである。
*こんな時に限って、原稿の直しが入ったりして!
*出しそびれている郵便物も出さねば〜
*サザンでも聞きながら元気よく行ってこよう。
*そういうワケで今日は早めの更新
| - | 09:48 | comments(2) | - |
謝る、ということ
07-1023
・・・注意力が散漫になりそうな場所でこそ、視点をしっかり定めたい・・・

亀田ファミリーの謝罪会見について、ある番組がアンケートをとったらしい。本当に反省しているように見えたか否かについて。

で、途中経過ではあるが断然「反省しているとは思えない」の割合が高かったようだ。さもありなん。私にも全然反省していない、というか謝っているつもりなのかどうかも疑わしく見えた。とりあえず成り行き上謝っておくか・・・くらいにしか思っていないと言われても仕方がないような態度だったように思う。

しかし、ある意味彼らのような態度はわかりやすいともいえる。心から謝っているように見せておいて陰でベロを出している輩に比べたら。本当のところ、態度だけで謝る気持ちがあるのか否かを判断するのはなかなか難しい。

数日前ドトールでコーヒーを飲んでいたら、隣で人待ち顔のオバサンのところに待ち人が現れた。まず深々とお辞儀をし、待たせて申し訳なかったことを何度も繰り返していた。

それからしばらく聞くつもりはなくても聞こえるので仕方なく聞いていたのだが、バスがなかなかこなかった、バスよりも自分の足の方が確かなので店まで走ってきた、荷物がたいへん重かった、等々誤りながらも自分を正当化する言葉ばかり。言い訳を全否定するつもりはないが、あれはちょっと・・・と思いかけたが、もしかしたら相手のおばさんも考えうる限りの言い訳を述べないと納得しない人なのかもしれないと思った。そういう人も確かに、いる。

謝るといえば、昔昔のことを思い出した。20代半ばのころ、当時付き合っていた年下の男と待ち合わせをした。場所は銀座はソニービルの前。いつも遅刻する人で、その日も案の定待ち合わせの時間になっても姿を見せない。

10分待った頃からだんだん腹が立ってきて、あと5分したら帰ろうとか、今度会ったらどのようにとっちめてやろうとか、この埋め合わせに何を要求しようかとか、そんなことを考えていた。今のように携帯電話もない当時、連絡のしようがなかった上、私は今よりも短気であった。

よし!次の歩行者用信号が赤になったら帰ろう。まっすぐ帰らずに、一人でどこかに遊びに行こう。そう思っていると・・・数寄屋橋の交番あたりから見覚えのある姿が近づいてきた。赤信号なのでおとなしく待った後、こちらに向かって走り始めた。

このヤローただじゃおかないぜ!と私も横断歩道を渡りはじめ、ちょうど交差点の真ん中辺りに差し掛かろうとしていた時。走ってきた彼がいきなり交差点のど真ん中で土下座した。ぎょっ!「ごめん!」と一言謝ったきり頭をあげない。信号が点滅しはじめた。

周囲の人がみなこちらを見ているし、恥ずかしくて恥ずかしくて・・・怒っていたことを忘れてしまった。私としたことが、上手くやられてしまったというわけだ。

そんな手口も二度目は通じないが、あの時はしてやられた。あまりそういった策略を立てない人だったが、本当のところはどうであったのか。今となってはわからない。わからないが、あの時の顔から火が出るような恥ずかしさだけは不思議とリアルに覚えている。

個人的には、あれこれ言い訳はあまり聞きたくない。予想もつかぬトラブルに見舞われるということもあるだろうから、それはそれとしてきちんと聞くが必要以上に長々と説明する必要はないと思う。それよりも、その後どのような態度を取るかで反省が本当のものだったのか否かがわかるというものだ。ねえ、亀さん。

*予想どおり長い打ち合わせでござんした。
*企画書を今週中に作らなくてはならないが、いつやるんだ?
*やっつけ仕事ってやりたくないんだけど・・・
*約一ヶ月ぶりで井の頭線に乗った。けっこう好きなの、井の頭線て。
*吉祥寺辺りにぶらっと行きたいな。
竹爐山房に行きたいな。
*温泉にも行きたいな(いきなりですが)!
ブツログ、更新。
| - | 21:25 | comments(2) | - |
BAD TIMING!
07-1022
・・・私にとってアキバのイメージは、たとえばこんな感じ・・・

間が悪い、というのがある。よりによってこんな時に!・・・という例のアレである。人間同士の付きあいの中で言われることも多いが、私の場合モノとの出会いであることが多い。

たとえば、買おうかどうしようかさんざん迷った揚げ句買わないことに決めた時に、誰かから「アレ、いいよー!とってもいいよー!」と勧められる。もうコレは買わないぞ、コレと付き合うのはやめるぞ!と決意した途端に、非常に魅力的なソレに出会ってしまう。

今日もまたそんなことがあった。薔薇好きな方ならよくご存知だと思うが、各ナーサリーの秋苗販売が10月くらいになると一斉に始まる。毎年もう買わない!と思っていても、この時季になるとついつい手が出てしまうのだが今年はいつになく強い決意をして購入していない。

今年は春から夏にかけて私の体調があまりよくなかったこともあり、薔薇の調子もよくなかった。水やりが精いっぱいで目配りも怠り、病気になるもに、虫に食われ放題になっているもの、等々が続出状態である。とにかく、今あるものを大切にしよう、それでなくても多すぎるのだから。身にしみてそう思い、今年の冬は植え替えをきちんとすることだけを考えようと思っていた。

ところが、である。今日美容院の帰りにある鉢植えの薔薇に出会ってしまった。特に理由はなかったのだが、いつもとは別の道から帰ろうと思い、その道沿いにある花屋の店先を自転車に乗りながら横目でチラリと見た時。目の端に何か映った。白っぽい薔薇だ。もしかして!

心当たりがある薔薇を思い描いた時にはすでに自転車を止め、鉢植えに近づいていた。やっぱり・・・

その薔薇は今年私がダメにしてしまった、Mme Bravy というティー系の薔薇だ。枝が華奢な品種が多いティー系にあって、さらに華奢であり、株も大きくならない。鉢植えにはもってこいの薔薇だと思うが、性質が丈夫とは言いがたいように思う。

どこか脆弱さというか、気難しさがあるような。好きな薔薇なので、調子が悪くなって以来なんとかもたせようとしていたが、結局今年の夏の暑さで力尽きた。なんとかしようとあれこれ対策を取り、気を使うのにもけっこうなエネルギーがいる。薔薇に対して今までほどエネルギーを費やすことができないような気がしていたので、この薔薇は縁がなかったものとしてすっぱり諦めたつもりでいた。

ナーサリーでも扱っていない所もあるし、園芸店などでは見かけたことがない。その薔薇が、なんと地元の店先にあるとは。しかも花が咲いた状態で。さらに1鉢だけで。人待ち顔で(^.^;) こりゃ、買うしかないでしょ!ということになってしまった。

これがもし都心の某百貨店屋上であれば2倍くらいの値段なのではないかと思う。この薔薇を選んできた花屋のスタッフに感謝したい・・・ような恨めしいような妙な気分である。

*こういうのって運がいいっていうのか悪いっていうのか・・・(^.^;)
*いい、ということにして大切に育てるしかないな!
*美容院に行ってすっきりさっぱり。
*ショートだと1ヶ月おきくらいに行かないといけないのよねぇ。
*髪形を変えたいと思うこともあるが、面倒さが先に立つ。
*こざっぱりしているのが一番かな? ちと味気ないけど。
*明日はちょっと面倒な打ち合わせ。
*24、25日は自宅仕事で26日は打ち合わせ。10月もあっという間に・・・
| - | 18:20 | comments(8) | - |
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