・・・ビルの外階段の踊り場にアニメのポスターが。「脆弱な孤独」という言葉が浮かぶ・・・
まだ自分の中で整理がついていないのだが、つらつらと・・・なんてアバウトな!(^.^;)
何で読んだか忘れてしまったのだが、恐怖という感覚は想像力に因る、というようなことが書いてあって、なるほど!と大きく頷いてしまった。つまり、想像力が豊かな人ほど恐怖を感じる対象の数も多く、恐怖の度合いも強いということだと解釈し、多いに納得したというわけだ。
何を怖いと思うかは十人十色である。大多数の人が怖いと思うもの(たとえば戦争、災害、殺人、等々)は別にして。ある人は閉ざされた空間が怖いと言い、ある人は人との接触が怖いと言う。理由を明確に言える、言えないはあるとしても、たぶん意識していようといまいとそこには想像力の働きがあるように思う。
狭い場所にいる・・・閉じこめられているのかもしれない・・・このままここから出られなくなるのかも・・・空気が足りなくなったらどうしよう・・・息苦しくなるに違いない・・・出してくれと叫んでも誰も答えてくれないかも・・・息ができないってどれほど苦しいことだろう・・・もがいてももがいても出られなかったらどうなるんだろう・・・とまあ、こんな感じかな。
潜在意識が関与している場合もあるだろう。意識していなくても過去に辛いことがあり、その辛さが恐怖感となって現れるということも。子供のころ親に叱られて家に入れてもらえなかった・・・真っ暗な外にひとりぽっちで淋しかった・・・闇の中から見知らぬ怪物が出てきそうで怖かった・・・だから暗いのは怖い・・・寝る時も明かりをつけていなければ眠れない・・・
想像力がたくましいということも、なかなか大変なことなんだなぁと(たぶん)平凡な想像力しか持たぬ私は思う。
恐怖心、というとあるCMが印象に残っている。例の某生命保険会社のCMだ。闘病しながら仕事をしているというジャーナリストT氏のナレーションで、“逃げたら何でも怖くなる”という例のアレだ。
T氏の病がどの程度のもので、どのような闘病生活をしていたのかはほとんど知らない。また、CMで言っていることもT氏本人の言葉なのかCM製作者側が用意した言葉なのかも知らぬ。が、“逃げたら何でも怖くなる”という言葉そのものは説得力がある言葉だと思う。
誰だって怖いのはイヤだ。しかし、もしかしたら何故怖いと思うのか、何を怖いと思っているのか、といったような恐怖の本質を知らない方がもっと怖いのかもしれない。怖いと思っているものから逃げるのは、ある意味簡単である。逃げる余地があればの話だが。しかし、あえて立ち向かっていく、あえて入り込んでいくのは相当な意志がないとなかなかできることではない。
しかし、その意志の力を私は欲しいと思う。怖いと思っているものすべてに立ち向かっていく必要は、もちろんない。が、立ち向かっていくべきだと思われるものに対してはやはり重い腰を上げたい。年齢を重ねるごとに、集中力も持久力も体力も感受性もアレもコレも衰えがちえある。せめて意志の力だけは若いころよりしっかり持っていたいと思うのだが・・・
*この時期に台風ですかー!
*明日出かけるのは無理みたいだな。掃除にいそしむかな。
*家の中のことをつい後回しにするので、やることがいっぱいだ(T_T)
*電車で座っていて寄り掛かられるとやっぱり腹が立つわ。
*さりげなく押し戻してもまた・・・
*私より若いやつだったりすると、特に。まだ夕方だよ?
*疲れているのかもしれぬが、もうちょっとちゃんと自立してよ。
*今どきの気候って着て行くものを選びにくいわね。
*拓郎さんは大丈夫かな?
*亀田長男の記者会見をチラリと見た。
*記者もネチネチとしつこいやね。好意的になる必要はないが。
*しばらく放置して様子を見ようっていう気になれないのかな。
*それとも、視聴者もそれを望んでいる?
*やっぱり、私はしつこいのが嫌いだわー