CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2007 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Interior

日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
工房まる
07-0930
・・・以前にも登場したことがある傘がバカに多い家。今日使われたのはどれ?・・・

いつも楽しみに訪れているPING MAG-東京発「デザイン&ものづくり」マガジンで、福岡県にある福祉作業所『工房まる』を知った。

9月13日付の記事によると、工房の施設長である吉田修一さんは大学で写真を学んでいた方。卒業制作のテーマとして養護学校を選び撮影を続けていくうちに障害のある人たちを取り巻く環境に大きな疑問を持つようになったそうだ。

差別してはいけない、といいながら一線を引かれている所謂健常者と障害者の間にある溝。障害者を理解したいと頭では思っていても感情的な戸惑いを感じてしまう現状。それらを解決するためにはどうしたらいいか・・・その答えが障害のあるなしに関係なく自由に交流を図ることを目的とした『工房まる』だ。

この話を読んだ時、私はあることを思い出した。

息子が4年生まで通った小学校は養護学校と隣接しており、日常的な授業だけでなく
運動会などでも養護学校の生徒たちとの交流を図っている。はじめて養護学校の生徒と面と向かった時、息子はかなりショックだったようだ。気分が悪くなり保健室に行ったという。

その話を聞いた時、私はもっともだと思った。感受性が強い子供であれば、カルチャーショックのようなものだっただろう。差別してはいけません、というのは簡単だがそれは大人のきれい事に過ぎないような気がしたので話を興味深く聞くだけにしておいた。息子は息子なりに保健室に行くことになってしまった自分を責めているようだったので、だまって見守ることにした。

そういった交流を何度か繰り返していくうちに、その時の話をする息子の表情が明るくなってきた。○○ちゃんと友だちになった、などと言うようになり、身体が不自由なその子の動作や口癖を真似してみせたりするようになった。それは決して揶揄ではなく、ユニークな友だちの楽しいところを私に伝えようとしているだけで、そこに差別する気持ちは全くなかったと思う。

実際にふれあい、始めは戸惑っていた気持ちが自然に変化していくことが大切なのだ、とその時痛切に思ったことを、『工房まる』の記事で思い出したというわけだ。

工房まる』のサイトでこの工房について以下のように説明されている。

工房まるは心身に障害のあるメンバーが通う、福岡市南区野間にある無認可の福祉作業所です。メンバー全員が安定した生活を送ることができるように。
『まる』ではかれらの個性とふれあい、日常的な生活をケアすると同時に、社会の中でそのチカラを活かせる仕事や役割を見出すことを目標にしています。絵画や陶芸といったメンバーの創作活動、作品の販売、ライブや食をテーマにしたイベントなどなど。
工房まるでは障害のある人もそうでない人も、年齢や仕事のジャンルさえも関係なく、いろいろな人々が集まり、思い思いの疑問やその解決策について話し合う時間も増えてきました。
こうした集いの中からすくい上げた何気ない日常の会話を軸に、工房まるは内外のみなさんと意見やアイデアを交換し合い、社会のちょっとした価値観を心地よく変えるアイデアを楽しみながらカタチにして、新しい選択肢をつくっていこうと考えています。

社会のちょっとした価値観を心地よく変えるアイデアを楽しみながらカタチに・・・いい言葉だと思う。この工房に託した思いがやさしく伝わってくるではないか。福岡ということでそう簡単に行けるところではないのが残念である。もう少し近ければぜひ行ってみたいのだが。

この工房ではメンバー(工房に通う障害者をここではメンバーと呼んでいるそうだ)が作ったものを販売している。動物のオブジェあり、ポストカードあり、で見ているだけで楽しい。私もいくつか注文した。届くのを楽しみに待っているところである。

*PING MAGを知ったのは亡きTさんのブログだった。
*価値ある情報をさらりと紹介してくださっていたな、とあらためて思う。
*今日も雨。そして肌寒い。一日中家で過ごした。
*昨日の夜は快気祝いをかねて地元の『へちま』へ。
*相変わらず美味しかったです。ちょっと飲み過ぎたけど(^.^;)
*さて、明日はスタジオだ。気合いをほどほどに入れよう!
| - | 17:39 | comments(2) | - |
GAPなひと
07-0929
・・・一瞬、夢の中にトリップしたかのような世界がファインダーの中に広がる・・・

自分の本質は“アンビバレント”にある、と思えるほど私の好みは様々な面で対照的である。たとえば、写真を撮ることを前提とした好みと、そこから離れた時の好み。これはかなり対照的でその間のギャップは大きい。

快適に暮らす環境として譲れないのは木々の緑と静かさだ。多少不便な場所でも木々の緑が多く、いや窓からいつも見えるくらい身近であって欲しいと思う。できることなら公園の緑ではなく山の緑。人工的なものが出す音からもできるだけ遠くにいたいので
駅前のマンションなんてまず最初に除外する。

が、写真を撮るということになると、どちらかというと自然豊かな場所よりも街中を選ぶ。いわゆるネイチャー・フォトにはあまり興味がない。カメラなしなら絶対に近寄らない街も、カメラを持った目には魅力的に映る。時には猥雑なほど人とモノが溢れて
いるようなところも面白い。

昨日駅に向かう途中で、曼珠沙華がきれいに咲いているのを見かけた。近所の寺の敷地内に植えられている孟宗竹の手前に、一群の朱が目を引いた。翌日(今日)早起きして撮りに行くぞ!と決意し、その通り今日は4時過ぎに起きたのだがなんと外は雨。この
花は見ごろが短く雨にでもあったらすぐに色あせてしまう。鮮やかな朱が身上の花なので、今年は縁がなかったのだと諦めてもう一度寝た。

10時近くに起きだして仕事部屋でMacに向かっているうちに、雨が止んだ気配。しばし迷ったが近くなのでカメラを持って出てみた。案の定花の色は褪せ、今にもまた降り出しそうな空の下終焉を迎えようとしていた。

が、鮮やかな色と引き換えであるかのように、小さな雨滴がたくさんついていた。この花のもうひとつの特徴である伸びやかな蕊に透明な玉が美しく並んでいる。私の執着に天が味方してくれたのだろうか。ピントを合わせにくく苦労しながらではあったが、何枚か撮って帰ってきた。

私はこの花が好きなのだろうか。好きな花であり、そうではない花でもある。写真の対象としてはかなり好きだが、自分が育てたいとは思わないし身近なところで咲かせたいとも思わない。ましてやこの花の花束をもし誰かがくれたら、嬉しさよりも困惑の方が
大きいだろう。

川瀬敏郎ならベネチアン・グラスにたっぷり活けるだろうか。中川幸夫なら圧縮してこの花の命を閉じこめるだろうか。ふとそんな思いがよぎる。が、凡人の私にとってこの花は距離を置いて楽しむ花のようだ。近づくのは写真を撮る時だけ。

昨日に比べて気温は10度以上低いだろう。肌寒ささえ感じる。血行不良気味なので手先足先が冷たくなり辛いこともあるが、やはり私は寒いのが好きだ。これからどんどんいい季節になってくると思うと嬉しい。かじかんだ指の痛みと冷たい空気を吸い込んだ時の気持ちよさ、このギャップを楽しむ季節がやってくる。

*お手軽カジュアルなGAPもよく利用する。
*いやぁ、涼しいです。足元なんて寒いもんね。窓を全開にしているせいもあるけど。
*半袖のTシャツをしまい、薄手のセーターを出した。
*猫たちも居場所を少しずつ変えている。
*「ハンニバル」もうすぐ読み終わる。惜しいので故意にゆっくり読んでいる。
*映画も面白かったが、やっぱりスターリングはジュディ・フォスターじゃないと。
*明日もこんな天気かなぁ。曇りでもいいから雨は降らないでほしいもの。
| - | 17:00 | comments(2) | - |
気合いを入れる方法
07-0928
・・・鼻まわりの三角形が見事な猫さん。ちょっと遠慮がちな性格らしい・・・

あまり気乗りがしないがやらなくてはならないこと。できるなら避けたいが避けて通れないこと。そんなことは日常にいくらでもある。

私的な生活の中でなら、サボったり無視してそのままにしたりもできるが、仕事となるとそうはいかない。そこで何らかの方法で自分に気合いを入れてそちらに自らを歩ませる必要がある。

できることを一つずつやっていかなければ前に進めない・・・そんな当たり前のことを何度も自分の中で繰り返し確認する。それだけでなんとか凌げることもある。が、仕事となると相手がこちらに望むのは知識や技術など基本的なことを除けばまず“や気”や“積極性”だろう。喜んでやらせていただきます・・・という意欲が感じられなければ頼りないし気分もよろしくないに決まっている。

嘘でも“やる気”を見せなければならない場合、「できることを一つずつ」と思って粛々と事に臨むだけではモチベーションとして弱い。無理やりにでも自分を鼓舞していかなければ“やる気”は相手に伝わらない。そんな時どうするか。

私の場合、「自分への餌」と「気持ちを高揚させる服装」と「音楽」を使う。

「自分への餌」というのは、何のことはない近い将来可能であると思われる楽しいこと、嬉しいことを想像することである。“これが終わればゆっくり休める”“これを上手くこなせばアレが買える”“コレを済ませたらアソコに遊びにいける”などなど。誰でもやっていることだろう。

「服装」は、いつも使う方法ではないが、とくに気の張る相手と会い多少のハッタリをかまさなければならない場合によく使う。会う相手にもよるが、いつもとはちょっと違うカチッとしたスーツを着たり、いつもはあまり着ない色を身に付けたり。相手をだます前に自分をだます方法といえようか。若いころはいつも履かないハイヒールを履いて故意に肉体を緊張させていたのだが、今その方法はかえって逆効果だ。疲れてしまって相手も自分もだませなくなっている。

“音楽”の場合は、その時自分が元気になれそうな音楽を選んでiPodで聞きながらでかける方法。とくに歩いている時が有効で、リズムに身体を合せていくことにより内面のエネルギーを蓄えていく手法だ。当然そんな時は静かな曲は聴かない。テンポが早めのリズミカルな曲が多い。

今日はスタジオでの撮影立ち会いで緊張する仕事ではなかった。が、なんとなく疲れていたし、撮影立ち会いという退屈になりがちながら気が抜けない仕事に向かうに当たり、“服装”と“音楽”を使った。“服装”は長い間じっとしているのでとにかく楽なスタイル。かつ少しは流行を取り入れた感じ。気が張らない好きな色主体。

ということで、カーキのカーゴパンツを黒いブーツにつっこんで、黒いTシャツ。首回りには淡いカーキのストールをぐるぐる。ちょっとハードめな黒い太ベルト。長年愛用しているPORTERの大きめデイパックをうんとこしょ!と背負い、iPodが入るケースにカラビナをつけてベルト通しに装着して出来上がり。

“音楽”はサザンを。今流れている缶コーヒーのCMに植木等さんが出ているが、あの元気さが欲しかったのかも?あまり最近の曲は入れていないが十分役目を果たしてくれた。

さて、これを読んでくださっている方々は、どのような方法で自分に気合いを入れているのだろうか。ユニークな方法があったら、ぜひ教えていただきたい。

*撮影は予想より早く終わった。めでたし、めでたし(^_^)
*月曜日はクライアントも来るので今日よりハードかな?
*同じスタッフで何度かやっていると馴れ合いにも気をつけないとね。
*お昼に食べた(ごちそうになった)トマト&チキンカレーが美味しかったぞ。
*スタイリストやカメラの人と話すのは楽しいね。
*朝8時台の電車、もう少し空いているといいのにな。
*今度の土日は基本的にオフ。うひひ。
| - | 20:52 | comments(8) | - |
タートルネック
07-0927
・・・車と車の間でお昼寝。しばらく目をあけていたが、睡魔には勝てない様子・・・

まだ冬には間があるが、秋の気配がしはじめると私はタートルネックのニットを準備しはじめる。とにかく、私が持っているニットはほとんどタートルネックで、使用頻度が高いから毎年買い増さないといけない。

ウールのものだったら長い間着られるのだが、カシミアなど一部の素材を除いてウールは首がチクチクしていけない。それでなくても静電気を起こしやすいので、化繊はできるだけ避けたい。ということで毎年酷使するのはコットンの薄手のタートル。

家にいる時や近くに買い物に行くときはガンガン洗えるコットンのタートルT、仕事などで出かける時はコットンのリブ編みニットだ。コットンはチクチクしなくていいのだが、リブ編みになっていても着ているうちに首の辺りが伸びてきてしまう。だから2年くらいで新しいものと入れ替える。

なにゆえ私がこのようにタートルネックばかり着るかというと、それは偏に私の首ゆえ。

まず、肉体的な理由としては首が私の弱点であるという点だ。頭痛や肩凝りの原因が首からきていると言われること数回、レントゲンでも首の関節がやや傷んでいることを指摘されている。

首を構成する骨(頚椎)は7本あるが、それぞれが一般の人よりも長いそうだ。それゆえ重い頭(一応)を支える時、骨と骨が繋がる部分に負担をかけやすくなるらしい。レントゲンの結果でも繋がっている部分(何という名称か忘れた)が少しすり減っているそうだ。

弱点を保護したくなるのは当然の成り行きで、首を冷やさないようにした方がいいと思い、真夏以外は首をできるだけ外気に触れさせないようにしている。タートルネックを着ていない時はスカーフやマフラーをぐるぐる巻いていることが多い。

もう一つの理由として、前記のような状態であるから見た目も首が長い。肩もあまりいかっていないので、首の辺りに何かないとなんだかおマヌケなのである。ラウンドネックもボートネックもVネックも私は好きだが、なにか首にアクセントがないとおマヌケ。

スカーフやネックレスを使うという手もあるが、無精なのでタートルネックを着てしまった方が早いのだ。

ということで、これからはタートルネックばかりを着るようになる。そこでひとつまた困ることがある。これは自分勝手にほかならないが、私だけでなく首が長い人なら一度は思ったことがあるのではないかと予想されること。それは、タートルネックの首部分が短い商品が多いということ。

折り返して着ると首の半分しか隠れないものも多く、仕方ないので少しダブらせるように伸ばして着ている。デザインは当然平均的な体形に基づくのだろうから、致し方ないといえばそれまでなのだがちょっと不満である。

タートル部分の長さで満足したのは、今まで数えるほどしかない。30代の時スコットランドのカシミア専門店から個人輸入したセーターはよかった。押し返しても顎のすぐ下までくる長さで。イギリス人は首が長い人が多いのかしら? それとも日本人の首が短いのかな?

話は変るが、黒いタートルネックセーターは実存主義者のイメージ、という話をぴぴんさんのブログで教えていただいた。複数の人(於アメリカ)がそう言っていたらしいので、ある程度共通のイメージなのかもしれない。私は黒のタートルネックセーターを着ることがとても多いんだけど・・・

実存主義者すみごん!・・・うーん、似合わんなぁ。

*涼しくなるならもっときっぱりと涼しくなってほしいんだけど。
*明日もまだ暑いらしいし。
*打ち合わせの帰り銀座のGAPに寄ってみたがタートルなかった(T_T)
*毎年買うのに。リーズナブルでいいのに。今年は作らないとか!?
*忘れずに木村屋のあんぱん(小倉)も買った。
*それにしても、やっぱり小さいわぁ。
*伊東屋にも用があったんだけど行く気力が・・・(^.^;)
*少しヒマになったら、写真を撮りに行きたいな。銀座。
| - | 20:57 | comments(8) | - |
古着がおもしろい
07-0926
・・・リラックスモードのままフリーズしてしまった猫さん。あと2回猫が続きます・・・

昨日の勢いでファッションの話。今日は古着の話。

古着というと誰かが飽きて手放したものが廉価で販売されているもの、というイメージを持っている人がいる。そういう人は、とくに中年以降の年代だと想像以上に多いような気がする。若い人は見知らぬ誰かがかつて着ていたものを着る、ということに抵抗を感じない人が多いように思うが、年齢が高くなるに従って何も古着を買わなくも・・・という意識が強いような。

古着=安物というイメージは根強く、新品を買う経済力があるのに何もわざわざ、と思っている人もいるだろう。が、私はそうは思わない。古着には古着にしかない独特のテイストがあり、それがなかなかいいと思う。不思議なことに若いころはあまり興味がなかったのだが、40代ころから古着もいいなぁと思い始めた。

もちろん古着にもいろいろあって、フリーマーケットなどで売られているような“おさがり”的なものもある。とにかく安く売ることを第一に選ばれたものもあれば、レトロなデザインの新鮮さに注目して選ばれたものもある。ブランド品なら何でもいいというような店もあるし、店主のこだわりを徹底させた品選びをしている店もある。

トレンドに関してはほとんど無知な私ではあるが、自分なりの好みやらこだわりやらはやはりある。理想をいえば素材も仕立てもいいもの。デザインはシンプル。無地が基本だが、柄物もたまにはいいなぁと思い、ほどほどに派手なものではなく派手だったら
うーんと派手な柄が好き。そして年を経るごとに着ていて気持ちがいいものがいいと思うようになった。どこか窮屈なもの、何か無理を感じるものに対する負担感が大きくなってきたのだろう。

もうひとつ、私は新品のピカピカ感が苦手で、新しいものを初めて着るときはどうも気恥ずかしく、落ち着かない。やはり何度か着たもの、服が体に寄りそうように柔らかくこなれてきたものの方が着ていて気持ちがいい。とくにジーンズやトレンチコート、
コットンやウールのシャツ、レザージャケットなどは新品よりも古びてきた方が断然好きだ。

そういったテイストのものを合理的に手に入れる方法としても、古着はいいアイテムだと思っている。ひとつひとつ自分で大切に着て、味わいを楽しむのももちろんいいが、時には気軽に古着を利用してもいいのではないかと。着るものにかけられる金に限り
があるのであれば、誰が着たかわからないものなんてイヤ!なぁんて言わず、自分の価値観に合うものであればちゃっかり古着を利用するのも手だと思うのだがどうだろう。

アクセサリーもアンティークやビンテージのものがけっこう好きで、手ごろな価格のものをいくつか持っている。古着ばかりのコーディネートというのはちょっと抵抗があるが、自分の持ち物に古着を1つプラスする、というのもなかなかいいものだ。

今日は銀行と郵便局に行った帰りに地元の古着屋に寄ってみた。以前ちょっと感じのいい水玉のシャツとジーンズを買ったことがある店で、ブランドにはこだわっていないところがいい。見るだけ〜と思っていたが、ちょうどサイズがぴったりのジーンズを発見したのでゲット。

ややローライズのUSED加工がしてあるジーンズでさほど履きこまれてはいない感じ。知らないブランドだったので帰宅して調べたら新品で買うと15000円くらいもののようだ。三分の一以下の値段でほどほどにこなれてきたものが買えたということは、私にとってそれがいい買い物だったということだ。

前にも書いたが、服を買うためにわざわざ出かけていく、ということが億劫になって久しい。何かの用事のついでにぶらぶら歩き、たまたま目に留まったものを買うことがほとんどだ。以前気に入っていた店も、このご時世まだあるとは限らないので余計に出かけるのが面倒。

古着屋にしても、いまのところ地元の店くらいしかのぞいていない。都心に行けばもっとおもしろい店がたくさんあるだろう。少し調べて、機会があったらいろいろ見てみたいと思っている。“見るだけ〜”で済むといいのだけれど(^.^;)

*涼しいような、まだ暑いような。
*長袖2枚重ねじゃ、ちょっと暑かった。
*8時前から仕事を始めたので、予想より早く終わった。
*やっぱり朝型ライフスタイルの方が仕事がはかどるわ。
*しかし・・・いいのかいな。一夜漬け的なトレンド情報に基づく企画なんて。
*テストケースだと思ってもらえばいいか。うん、いいやいいや。
*夜はもう・・・ビール飲んで本読んで寝る!
*「ハンニバル」面白いねぇ。レクター博士もクラリスもステキだわ。
*さて、明日は撮影の前打ち合わせ&準備。
*早く終わったら銀座でもぶらつくかなー
*木村屋のアンパン、買いたいし。
ブツログ、更新。
| - | 20:36 | comments(0) | - |
トレンドって・・・
07-0925
・・・こういうものって偶然が作用してくれないとなかなか出会えない・・・

夕方からの打ち合わせは案の定長引き、どういうスタンスで臨んだらいいか今ひとつはっきりしないまま、明日1日で12月の販促物企画の概要を作るハメになってしまった。他の仕事との関係上ぴったり張り付くわけにはいかないのだが、はてさてどうしたものか。

「やっぱりトレンドはある程度出したいんですよね」と言うクライアント担当者に、「そうですよね。基本は価格訴求だとしても、やっぱり目を引くにはある程度トレンドを打ち出していかないと・・・」なぁんて対応してみたものの、トレンドねぇ。

帰りの電車の中で、仕事上ある程度仕方ないとはいえ“トレンド”という言葉を安易に使いすぎているような気がしてきた。普段から流行に目を配っている人が言うならいい。私のような、ファッション雑誌も滅多に見ないような人間がやたらに使う言葉ではない・・・うん、やっぱり、ない。

思えば、女性ファッション雑誌を買わなくなって10年以上経つ。本屋で立ち読みすることさえしない。それでも毎年こんな服が欲しいなぁなどとは思うが、私が欲しいと思うものは流行にはほとんど関係のなさそうなものばかりだ。会社勤めを辞めて街中に出なくなったらなおのこと、今なにがトレンドかなんて気にしなくなっていた。

そんな人間がSCや衣料品の通販や衣料スーパーの仕事を平気でしていていいのか!!とも思う。なんとかなっていることに甘えているのかもしれない。たまには雑誌にも目を通さないと・・・と思うが、とくに若い女性向けの月刊誌はパラパラめくっただけで
賑やかなレイアウトにうんざりしてしまう(^.^;)

とはいえそうも言っていられなくなった。今日は帰りに本屋に寄り、ファッション誌数冊を買ってきた。今のファッション誌ってなんどこんないぶあつくて重たいの!と内心怒りつつ、青息吐息でご帰宅したとさ!

*久しぶりにヒール7センチのブーツを履いたら足が疲れたみたい。
*帰宅してしばらくしたら足の指が攣る!
*履きやすいローヒールばかり履いているからなぁ。
*今日は本を持たずに出かけてしまい大失敗。
*玄関先に置いておいたのに・・・ち。
*おまけに西永福で待ち合せなのに永福町で待っていたし。
*ちょっとボケ過ぎかも。
*さて、明日は気合いを入れて仕事するぞー
*今夜って満月? 月がまぁるかった。
| - | 22:11 | comments(2) | - |
ふたりの名演出家の短すぎた生涯
07-0924
・・・近所のS建設独身寮が取り壊しになっている。今日は工事がお休みだ・・・

先日の日記でもちょっと触れたが、テレビでチラリと、もう本当にチラリとだが昔々のレナウンのCMを見て驚いた。例の“ワンサカワンサ・・・”という小林亜星の手になる曲は知っているのだが、映像の記憶はほとんどない。当時子どもだった私にその映像のすばらしさはわかるはずもないが、今見てもなんら古くささを感じない卓越したCMだと思う。

当時のTV-CMはやっと市民権を得たばかりのころのはず。そんな時代に、いやもしかしたらそんな時代だからこそ生まれ得たCMなのかもしれないが。

ディレクターは電通映画社(現電通プロップス)の松尾真吾。日天(日本天然色映画)の杉山登志と並んで伝説的なCMディレクターと言われているらしい。杉山登志については今まで何度もこの日記に書いたし、今でも「CMにチャンネルを合せた日〜杉山登志の時代」は年に一度はページを繰る。しかし松尾真吾については全く知らなかったので、この機会に少し知りたいと思った。

ネットで検索するとさすがに名前は出てくるが、ほしい情報になかなか出会わない。そこで「テレビCMの青春時代」(今井和也著・中公新書)を入手して読んでみた。

この本は、杉山登志と松尾真吾というふたりの名ディレクターを軸に、本のタイトル通りテレビCMが市民権を得、どんどん水準があがってきた時代・・・つまり最もテレビCMが楽しく、面白かった時代について書かれている本である。

著者はレナウンの宣伝部に籍を置き、松尾真吾とはCMづくりを通して親しくしていた人。杉山、松尾どちらかに比重が傾くということなしに書かれているが、杉山登志に比べて知名度が低い松尾真吾のことをもっと知って欲しいという気持ちがあったのかもしれないと思う。

本にも書かれているが、杉山登志と松尾真吾は対照的なふたりだったようだ。外見的にも内面的にも。外見でいえば、小柄で色黒、精悍な印象の杉山登志に対して、松尾真吾は色白で大柄、柔和な印象の人だったらしい。無口でとっつきにくくエキセントリックな感じのする杉山、大らかで大人で安心感のある松尾、といったところだろうか。

ただし、共通する点もある。今井氏によれば、

日大芸術科に通うアルバイト学生。1958年CMプロダクション入社。内外のCM賞を多く受賞。会社を代表するクリエーターであると同時に日本屈指のCMディレクターとして知られる。ある夜、衝撃的な死によって人生の幕を閉じる

がふたりに共通の経歴である。ふたりとも過激なほど仕事に打ち込んだことも共通点だろうし、たぶんそれがふたりの死を早めた要因のひとつだと私は思う。

「衝撃的な死」を今井氏は共通点にあげているが、私はその衝撃の質が違うと思っている。杉山登志はあの有名な“リッチでないのにリッチな世界などわかりません”という書き置きを残して縊死した。これはもう杉山に近い人にとってはもちろん、よく知らない人にとっても衝撃以外の何者でもない。

一方松尾真吾は宿泊していた旅館での突然死である。診断は虚血性心不全。過労死に当たるのかもしれないが、衝撃的とまでいえるかどうか。杉山の自殺には謎が多いが、松尾の死はそうではない。そんな点からもふたりの死を共通点としてあげることについてのみ、私はあまり納得できない。

ともあれ、松尾真吾という人は誰からも信頼されるような器の大きな人だったらしいことは確かだ。作品を見てもイエイエからはじまってアラン・ドロンを起用したダーバン、ストッキングの“カンカン”、ライオンの“ホワイト・アンド・ホワイト”(中原ファミリーのあれ)、マックスファクターなどファッション路線だけでなく親近感あるすぐれたCMの数々を残した点からもずば抜けて優れた演出家だったと思う。

ただし、個人的な感覚からいうと、私はやはり杉山登志に惹かれる。晩年、恩師であった永田力氏に日天を辞めて絵本をつくりたいと言っていたらしいが、もしそうなっていたらと思うとその死はさらに悔やまれる。

子供のころから絵が好きで自画像も多く残しているが、あのデッサン力でつくる絵本はどのような絵本になったのだろう。望むべくもないことながら、やはりその絵本を見てみたかった。

*今日も涼しかった。ちょっと雨がぱらついたけど。
*で、今日もご近所散歩。雨が降ってきたので途中で帰ろうと思ったけれど・・・
*カメラをシャツでくるみながら歩いていたらやんだので散歩続行!
*おなかが空いてきたので途中パン屋で小さいドーナツを買って公園で食べた(^_^)
*猫ともけっこう出会うことができたし
*酒屋のおじさんと長話しちゃったし
*ついでに米の配達まで頼んじゃったし
*帰ったら3時間以上が経過していた。はぁ〜よく歩いたわ。
*明日は夕方から気が進まない会議が・・・
*2時間はかかるらしい。やだなー 営業だと思って我慢しなくちゃ。
| - | 21:08 | comments(0) | - |
蛇の呪縛
07-0923
・・・何の変哲もない栓なのだが、ピンクとはね。かわいいですね・・・

久しぶりに涼しくなったので、1週間ぶりにカメラを持って散歩に出た。近所をうろうろ迂回しながら隣町まで。コースはいろいろあるが、今日は古い石造りの急階段を上るコースを選んだ。階段を上り終えると今住んでいるマンションが見えるはず・・・そう
思いながら途中で立ち止まり見えそうな位置に行こうとした時・・・あ!そこに蛇がいた。

ほっそりした体形の青みがかった蛇。たぶんアオダイショウだろう。蛇の方でも驚いたらしく、一瞬動きを止めて逡巡しているように見えた。もしかしたら階段に隣接する人家の庭から出てきたばかりだったのかもしれない。が、人家と反対側には私がいる。蛇はゆっくりと人家の庭の方に頭を向け、ゆるりゆるりと草むらに入り、消えていった。

蛇という生き物は苦手である。どうにも苦手で見かけると一瞬凍りつく。が、なんでこんなに苦手なのかはよくわからない。理由がはっきりしている恐怖よりも理由がわからない恐怖の方が深いように、蛇に対する苦手意識は本能的ともいえるほど深い。

が、果たしてそれでは蛇が嫌いなのかと自らに問うと、はてさて嫌いかどうか明確な答えが出ない。苦手だが嫌いではないのかしら。

蛇に対する一種の畏怖は何故なのだろう。蛇もいろいろで攻撃的なものや猛毒をもつものもいるが、アオダイショウなどはこちらが攻撃しなければ何の害もない。農家にとってはネズミよけにもなるというから役に立つこともあるのだ。カエルや鳥のヒナを食べたりするらしいが、それとて他の動物だって生きるためにやっていること。

要するにあの体形なのだ!といつも自分に言い聞かせる。足がなくてにょろにょろした、あの不気味な体形。それにあのくねくねした動き方。どうにも気味悪い・・・といつものように思うのだが、今日蛇が草むらに消えるまでずっと見ていた時その動きに別の印象を持った。

気味悪いといえばいえるのだが、別の味方をするとあれはけっこう優雅である、と。バタバタ走り回って逃げるでもなく、するりするりと音もなく流れるように動く。鈍い光を放つあの肌も美しいといえば美しい。蛇フェチの気持ちがわかるような気がする。

どうも蛇には人を呪縛して話さない力があるようだ。その力が蛇を神の使いにもすれば悪の象徴にもするのだろう。あまりたびたび出会いたくはないが、同じ地球上の生き物として無闇に忌み嫌いたくはないなと思う。

*しっかり写真も撮りました。アップしないけど(^.^;)
*舌をチロチロやっていた顔は、けっこうかわいかったような(^.^;)
*蛇を見たのはずいぶん久しぶりだったような気がする。
*子供のころは夏になるとよく見たのに。
*今日は昨日までに比べたら過ごしやすかったですね。
*もう暑さもここまでかな。ここまでであってほしい。
*まだドングリやらなにやら、いっぱい拾ってきちゃった。
Walkin',更新。
| - | 18:49 | comments(10) | - |
ツクツクボウシ
07-0922
・・・蝉時雨と西日が似合いそうな古い階段・・・

9月も後半になったというのに毎日暑い。蝉の声はさすがに盛夏に比べればまばらになったような気がするが、木々が多いこの辺りではまだまだ日常的に聞こえる。今の時期鳴いているのは主にツクツクボウシ。おもしろい鳴き方をするが、その鳴き方を言葉で表現するのは難しい。

子どものころから私は「オーシーツクツク」だと思っているが、いろいろ調べてみると地域によって、人によって様々な表記をしているようだ。『セミの図鑑』というサイトでは以下のように解説している。

基本的には、ジ〜〜という序奏/前奏に続いて、オーシンツクツク、オーシンツクツクを14、5回ほど繰り返しながらアッチェランド (テンポを早める)し、最後だけオーシンと尻上がりに発音してから今度はオシヨーーシ を2、3回繰り返し、ジ〜〜〜〜〜という後奏で終わる。しかし、細かく見ると序奏 も入りの部分から中間部、そして終わりは微妙にトーンが変わり驚くほど音楽的。

この解説からもわかるように、ツクツクボウシの鳴き方は「前奏〜パート1〜パート2〜後奏」というパターンで、このような複雑な鳴き方をする虫は私の知る限りいない。しかも、どのツクツクボウシも同じ鳴き方をするかというとそうではなく、パート1を早々と切り上げるものもいれば、後奏なしのものもいる。個性的で何度聞いてもおもしろい。

同サイトではこの蝉は非常に敏感・敏捷で近づいただけでもすぐに飛び去る、と記されているが私も同感。他の蝉よりも敏感で人の気配を感じとるのが早い。アブラゼミだったら“まあいいか”と鳴き続けていることもあるし、ミンミンゼミだったら“とりあえず鳴くのはやめて様子を見てみよう”とでも思っているようなこともある。が、ツクツクボウシはさっさと飛び去る。

が、中にはおもしろいヤツがいて、“とにかく鳴き始めてしまったんだから最後まで鳴かないと!”と思っているかのように、人の気配を感じた途端にやたら早口になるのがいる。すごく早口になりながら後奏まで強引に鳴いてから飛び去る。そんなに急がなくても、と思いつつ私はいつも噴き出しそうになってしまう。なかなか剽軽なヤツらだ。

今年はツクツクボウシが出てくるが早かったと思う。いつもなら夏の終わりごろなのに、7月にはもう鳴いていた。当然代替わりはしているだろうが、それにしても2ヶ月鳴き続けているとは・・・

空蝉を手に取りその軽さに微かな驚きを感じつつ、彼らの鳴き声を聴きながら小さくても自分の生を懸命に全うしていくものたちへの尊敬にも似た気持ちがぽっと生まれる。もうすぐお別れだが、また来年会えるよね、あわてん坊で剽軽なキミたち!

*昨日は昼前に出かけて外食し、帰宅したらへろへろに〜
*そのまま寝込んでしまい、今日の10時過ぎにむくむくと起き出した。
*疲れがどっと出たところにもってきて炎天下を歩いたからかなぁ。
*とりあえず復活できてよかった。2日も寝込んじゃバラも枯れるし。
*珍しく読書が進んでいる。
*「羊たちの沈黙」は連休中に読み終わりそう。
*「ハンニバル」に進む前に別の本を読もうかな。
*読むべき本が机の上に山積み状態(^.^;)
ブツログ、更新。
| - | 18:43 | comments(0) | - |
KYちゃん
070920
・・・病院のエレベーター天井。機能的な理由はあるのだろうが、不思議なデザイン・・・

山田清子さんのことではない。吉田和代さんのことでもない。もちろんケンタッキー州のことでもない。そう、なんのことはな例の「空気が読めない」人のこと。今はそんな人のことをKYと呼ぶ(ギャル語?)らしいですね。

空気が読めない。その場の雰囲気を的確に感じ取りそれなりの態度でのぞめない。そんな人は昔からたくさんいる。もう何人そんな人に出会ったか数えていないがかなりの数になるだろう。今も昔も変らず存在する鈍感な人々のことをギャルたちがなぜ今になって取りざたするのか・・・どちらかというとそちらの方に興味がある。

それはさておき、KYちゃん。私にとっては、かなり苦手な種の人である。実害がないのであれば別に目くじらを立てなくても、というオトナな考え方がなかなかできない。なんせ私は「鈍い人」が苦手なのだ。「いじわるな人」や「ずるい人」よりもたぶん苦手。目の前にそんな人がいると平常心ではいられなくなるというのが私の大きな欠点だと思う。

それほど不愉快ならズバリと指摘すればいいのではないかと言う向きもあろうが、KYちゃんは指摘されても何で自分がそのように言われるか理解できない場合が多いのでたいていは徒労に終わりそうだ。ましてややんわり婉曲的に指摘したところでそれに気付くわけがない。そういうことにエネルギーを使いたくないという気持ちが年々強くなってきているので、できるなら近づきたくないというのが現在の心境だろうか。

とはいえ、KYちゃんはある日突然傍若無人に現れる。私のようにあまり人の中に入っていかない生活態度をとっていても。実際面と向かって出会う時もあるが、その方がかえって諦めもつく。電話やネットなど顔が見えない場でのKYちゃんの方が私としてはより始末に悪い。

こんな経験はないだろうか。あまり話をしたくない相手から電話がかかってくる。一応こちらもオトナなので一通り話は聞く。こちらの意見なり感想なりも手短に伝える。そろそろ電話を切りたいなぁと思う。が、相手はなかなか話を終わらせようとしない。同じようなことを繰り返し話している。もう電話を切りたいんだけど・・・とあからさまに言うのははばかられるので婉曲的な態度をとってみる。

しかし相手は全くそれに気付かず(気付いていても無視しているのか)延々と話しつづけるかのような雰囲気が漂う。電話というのは相手から一方的にかかってきて出たくなくても出ざるを得ない。なんとなく暴力的だなと思うことがあるのに、KYちゃんからの電話だとその暴力性がさらに強まる。困ったものである。

ネットの世界でもいたるところにKYちゃんは出没する。主に掲示板などコミュニティ性があるところでそのKYぶりが発揮される。私は過去にML(メーリングリスト)に参加したこともあるし自分で運営したこともあるが、その中でも何度かKYちゃんに出会った。掲示板もいくつか運営しているし、いくつかの掲示板に出入りしたり傍観したりしているが、やはり時折見かける。

もはや腹立たしくなるということもないが、こちらの気分がよろしくない時には心の中で暴言のひとつくらいは言ってみたりする。具体的な例をあげようと思ったが、こちらが全く意図していないのに自分のことだと思い込んで騒ぎ立てる人が過去にいたのでやめておく。

ちょっとでもギクリとした人は、たぶんKYちゃんではないからご安心を(^.^;)

*もう20日か・・・早いのぅ。
*午前中みっちり仕事。午後から読書&昼寝!
*「ジーキル博士とハイド氏」読了。こんなにおもしろかったっけ?
*で、「羊たちの沈黙」に突入。こちらもおもしろい。
*朝起きると新しいケータイがテーブルの下に落ちている!
*犯人は・・・たぶんゴン。
*ふと見ると待ち受け画面の色が変っている。故障!?
*でも他の画面にすると異常なし。
*この待ち受け、どんどん色が変るタイプなのかしら。はて〜
*いずれにしろケータイをテーブルに置いたまま寝てはいけないな。
| - | 18:09 | comments(10) | - |
SPONSORED LINKS