CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2007 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Interior

日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
闘い済んで日が暮れて
07-0831

家人の手術が予定されていたので、午前10時過ぎに家を出た。手術は午後1時からの予定だが前後する可能性もあると聞いていたので少し早めに。こうなったらまな板の上の鯉としかいいようがないが、それでも緊張は避けられない。いつもの軽い冗談口にも心なしか不安の色が淡く漂う。

予定より15分早く手術室に入り、麻酔がほぼ覚めて病室に戻ってきたのが午後8時半をまわっていた。麻酔を入れた手術時間およそ8時間。大きな手術だった。

病室に帰ってきた本人は酸素マスクをしながらもはっきりと話をすることができたが、いくら麻酔が効いているとはいえその肉体は激しい闘いを終えた疲労とダメージにキリキリ舞いしているのではないだろうか。本人だけでなく、それだけの手術を終えた執刀医にとっても、また終わるまで待っていた私にとっても今回の手術はひとつの闘いであったと思う。

闘いはひとまず終わり、日はどっぷりと暮れた。が、これは闘いの第一ラウンドに過ぎない。手術はほぼ予定通りの内容で行われたが、予期せぬ事態も新たに発生しており、あとは回復するだけといった楽観はまだまだ先の話になりそうな気がする。

しばらくは気が抜けないが、一度始めた闘いは最後まで闘いぬかねばならぬ。近しいところにいる人間として、闘う人を支えつつ自分もまた闘いぬかなければと気持ちを新たにしているところである。

*詳しいことは本人のプライバシーに関わるので書かない。あしからず。
*夕方、息子が病院に到着。
*こんな息子でもいてくれると少しは気が休まる。
*待つのは苦手なのよ。本当に。
*さて、明日はちゃんと憎まれ口が言えるようになったか確認しにいくかな。
*とにかく今日は疲れました。
*最近猫たちをほとんどかまっていない。ごめんよー
| - | 23:18 | comments(6) | - |
“ぶちゃいく”の魅力
07-0830
・・・様々な人の営みを見つめた後の微かな倦怠。昼とは違う夜の駅の表情・・・

“ぶちゃいく”とは不細工のこと。今日話題にするのは、とくに動物などの外見の造作について。

不細工、というと決して褒め言葉ではない。というか、はっきり言って貶す言葉であり一歩間違えると名誉棄損になるやもしれぬ表現である。が、私がいう“ぶちゃいく”はどちらかというと愛着を込めて使う言葉で、“端正な”“美形な”よりも個人的には魅力を感じる対象に対して使う言葉である。

整っているものは誰が見ても整っていて、安心感を与える。あるべき姿の理想系として憧れの対象にもなりうる。が、そこまでだ。それ以下にもそれ以上にもなりえない、という点において限界がある。

が、“ぶちゃいく”はある人にとっては単なる“不細工”であるかもしれぬが、別の人にとっては限りない魅力になりうる。そういう対象の方が私は好きである。

先日紹介した猫ブログ、「まこという名の不思議顔の猫」の主人公であるまこちゃんなんかは、“ぶちゃいく”の代表選手。一般的な猫とはひと味もふた味も違う容貌と表情がなんともかわいい。同名の本も出ており昨日私のところにも届いたが、ここまで“ぶちゃいく”な猫は珍しく、個性的な猫として希有な存在であるとさえ思える。

私のような感覚を持っている人は案外多いらしく、まこちゃんは人気者だ。25日から今日まで行われていたまこちゃんが主役のイベントも盛況のようで、飼い主の方をはじめとする人間のセンスや能力もあるとは思うものの、“ぶちゃいく”の魅力がいかに大きいかが証明されているようで「さもあろう!」とひとりほくそ笑んでいる私である。

人間だって同じこと・・・だと思いたいのは自分が美人ではないからだろうか。が、「美人は三日で飽きる。ブスは三日で馴れる」というではないか。

一度飽きてしまったら、よほど特別なことがない限り飽きる一方である。そこへいくと馴れた後は愛着が出てきたり思わぬ魅力を発見するというサプライズもなくはない。とことん不細工で無愛想で偏屈で意地が悪い場合はいざしらず、多少“ぶちゃいく”の方が長くつきあっていけそうな気がするのだがいかが?

*「気がつけばデブ猫」も本になっている。
*朝8時に出てスタジオ。4時に急いで出て病院。帰宅9時。
*さすがに、お疲れー
*内憂の日々は続いているが、あえて軽い話題にしたい。
*明日もハード。仕事の忙しさなんてこれに比べたら・・・
*なんとか動けているのが救い。これで寝込んだら目も当てられないぞ。
*しかしモデルさんって手足が細長いなぁ。
*来月、少しまとまった仕事がひとつ入るかも。感謝、感謝。
*それにしても今日は涼しかった。
*それなのに電車の中の空調、効き過ぎ。手がかじかんでしまう。
*ノースリーブ、素足にサンダルの人も多いけど。信じられない!
| - | 22:15 | comments(9) | - |
みんなのうた
07-0829
・・・もっと、もっと、もっと、大きくなぁれ!・・・

今日仕事帰りに病院に寄ったら、明後日に手術を控えた病人にいきなり“おしりかじり虫、っていう歌知ってる?”と聞かれた。

“おしりかじり虫”・・・知らないけど愉快なタイトルだなぁ、と緊張しているはずの人の口から出た言葉に思わず笑ってしまったが、単純におかしなこと、楽しいことを考えていたいのかもしれないとも思えた。

ともかくどんな歌かしらと帰宅して検索してみたら、YouTubeで見ることができた。こりゃ、おもしろい。一度聞いたらなんだか耳につくくらい印象的な歌だ。だんだんトーン・ダウンしてくるところあたりもなかなか。

実は歌のタイトルを聞いた時から、これは某局の「みんなのうた」でやっている曲かなと思ったのだが、果たしてその通りだった。この超ご長寿番組、なかなか侮れないのだ。かの“だんご三兄弟”もこの番組出身だし、昔かなり好きだった“赤鬼と青鬼のタンゴ”も同様。“山口さんちのツトムくん”もたぶん。

外国の古い歌(たとえば「森へ行きましょう」「おおブレネリ」など)やちょっと教訓めいた歌も多いが、“おしりかじり虫”のような意味不明のおもしろい歌詞とそれによく合うアニメーションで作られた歌の方が私は好き。テレビそのものをあまり見ないので「みんなのうた」も久しくご無沙汰しているが、今度チャンネルを合わせてみようかな。

*北島三郎兄が歌った“北風小僧の寒太郎”もよかったぞ。
*“およげ!たいやきくん”はポンキッキ出身だったのね。
*それにしても、電車の窓に映る顔ってなんであんなに疲れた顔になるの?
*今日スタイリスト(32歳)とその話で盛り上がってしまった(^.^;)
*32歳に激しく同意されてしまったが、じゃ私なんぞ・・・(T_T)
*さて、明日もスタジオだ。今日より早起きしなくちゃだ。
*後回しにできることはそうすることにして、今日は早く寝ようっと。
| - | 22:28 | comments(9) | - |
出産の重さ
07-0828
・・・市民プールももうすぐ終わり。秋からはテニスコートに早変わり・・・

数日前の朝日新聞地方版に「飛び込み出産」の増加が基幹病院を悩ませている、という記事が掲載されていた。

「飛び込み出産」とは、妊娠してから一度も検診を受けず、陣痛がはじまって初めて救急車を呼んで出産するという事例のこと。出産そのものは基幹病院でなくてもできるが、断る病院も多いらしく結局地域の基幹病院に運ばれてくるという。

出産というのは、いくら医療技術が発達しても全くリスクがないわけではない。胎児や母親の状態を定期的に把握していない医師による出産・・・私には怖くて仕方ない行為だが、それを平気でやってのける人が増えているというのだから驚く。中には特別な
理由がある人もいるのかもしれない。が、それはあくまでもレアなケースだろう。出産そのものを軽く考えているとしか思えない。

基幹病院は問題を抱えている妊婦が入院していることが多い。それらの患者の診療だけでも負担は大きいのに、そこへ「飛び込み出産」である。これはたまらないだろう。

また、この「飛び込み出産」のタチが悪いのは、出産費用を払わずいなくなってしまう人が多いということだ。神奈川県立こども医療センターによると、1〜4月に来た「飛び込み出産」の妊婦8人のうち、払ったのはわずか2人。生まれた赤ん坊を置いていなくなってしまったヤツ(もう、こんなのヤツ呼ばわりでいい)もいたというのだ。

神奈川県の場合、出産費用を支払うのが経済的に困難な人のために「助産制度」を設けているとのことだ。提携している病院で出産すれば、出産費用は自治体が支払ってくれる。が、「飛び込み出産」の場合、支払いの対象にならない場合が多いらしい。事前の申告もない人の費用までは出せないということだろう。そうなると、費用は全額病院が負担することになる。医師法により費用未払いを理由に診療を断ることはできないからだ。

この「飛び込み出産」、以前は不法滞在の外国人や親に相談できない10代の女の子が多かったという。が、最近はほとんど成人した日本人だというのだから呆れてものもいえない。

トイレで出産、などという話を聞くと信じられない気持ちになったが、この「飛び込み出産」は信じられないだけでなく、許しがたい。

病院の負担を重くするだけでなく、生まれてくる子どもにとっても決していいことではない。なに考えているんだ!と言いたくなる。そういう女は出産する資格はないと思う。成人であるにもかかわらず自分の行動に責任を持てないようなヤツは子どもを産もうなんて考えるな!!と、私が息巻いてもなぁ。

*そうやって子どもを産んで、どう育てているのかしらね・・・
*これから本格的な実態調査をするらしい。結果に注目だな。
*自転車で平坦な道を走っているだけで息切れ。
*そんなに体力なくなっているのか、と不安になったが・・・
*後輪のタイヤの空気が抜け始めていた。どうりでペダルが重いと思った!
*早いとこ空気入れなくちゃ。空気入れどこだったかな。
*以前はよくいくスーパーの駐輪場に空気入れがあったんだけどなー
*「まこという名の不思議顔の猫」って知ってる?
*週刊誌に掲載されていた不思議顔がかわいくて探したらすぐ見つかった。
*はっちゃんの人気がすごいと思ったら、続々登場しますな。
*ブログの人気者が本になったりしているしね。
*出版業界もあれこれ大変だなぁ。
ブツログ、更新。
| - | 22:10 | comments(0) | - |
『喪服』という名の薔薇
07-0827

知らない人、気付かない人がけっこういそうな気がするが、薔薇は真夏でも咲く。四季咲き性が強い品種は、春の一番花から繰り返し繰り返し咲き、温暖な地域では真冬にも咲く。まるで咲くために生まれてきたように・・・否、咲かせるために作られてきたように。あまりに繰り返し咲いていると息切れしないかと見ている方がつらくなる。

薔薇の咲き方についての呼び方はいろいろあるようだが、大きく分けると(1)春だけ(あるいは夏だけ)咲く一季咲き、(2)初冬まで繰り返して咲く四季咲き(繰り返し咲き)、そして(3)春に一度咲いた後思い出したように二度目の花を咲かせる返り咲き、に分けられる。

この三番目の返り咲きの品種は、育てられている環境によって返り咲くタイミングが違うようだ。薔薇の開花シーズンはひとまず終わったと思っている時、ことに他の薔薇が沈黙しているような真夏などに思いがけず花に出会うことがある。その気まぐれさで人を喜ばせてくれる薔薇たちだ。

今朝仕事部屋に下りていったら、深いクリムゾン色の中輪の薔薇がベランダで咲いていた。つぼみがついているのは知っていたが、思っていたよりずっと咲くのが早い。トゲだらけの枝の先に咲いている花は、前回見た時よりも花びらが少なくかろやかだ。しかしその色はむしろ深みを増し、その薔薇につけらえた名前がたいへん似つかわしいことを感じさせる。

“Deuil de Paul Fontaine” これが、その薔薇の名前だ。1873年フランスで作出されたモス・ローズ。名前を和訳すると“ポール・フォンテーンの喪服”である。喪服・・・その名前に引かれてこの薔薇を身近に引き寄せた。

一般的に花の名前、ましてや女王級に扱われる薔薇の名前となると、それなりに華やかだったり可憐だったりロマンチックだったりするものが多い。人の名前がついている薔薇も多いが、中には「そんな名前をつけられちゃって」とかわいそうになるものもある。分けのわからない名前もある。しかし、この薔薇の名前ほど神秘的な名前はまれだと思うのだがいかがでしょう。

喪服、である。喪に服する時に着る衣服である。縁起がいいものでは決してないし、暗いイメージがつきまとう。まさに、その暗いイメージがこの薔薇の深みのある色合いに似合うのだが。

私が知っている範囲で言うと、暗い赤、紫系の色を象徴する言葉として使われているものには「黒」(日本で作出された薔薇)「black」「noir」など黒を意味する言葉、「night」「dark」などだろうか。喪服、という言葉が使われるとは思ってもみなかったので、驚くと同時にとても魅かれるものを感じたという次第。名付けた人のセンスにひたすら感服する。

それにしても、ポール・フォンテーンという人は実在の人物だったのだろうか。名前からして男性だと思われるが、実在していたのならいったいどんな人だったのだろう。美しい男だったのだろうか。怪しい雰囲気をたたえていたのだろうか。極めてダンディだったのだろうか。女性みたいな男だったのだろうか。想像は果てしなく広がる。

*8月ももうすぎ終わり。嬉しいような、嬉しいような。
*朝夕はけっこう涼しくなってきたみたい。でも日中は・・・
*いいことといえば洗濯物が早く乾くことくらいかな。
*“こんガらガっち”って知ってる?
*あのサイコロキャラメル。今とてもおもしろい仕掛けがしてあるのだ。
*こういうセンスって大好き。
*3種類、全部そろえてみました。大人買いだ!
| - | 21:39 | comments(2) | - |
『さくらん』を観る。
07-0826

上映期間に観たいと思いつつ果たせなかった映画『さくらん』のDVDを借りてきた。とびきりカラフルな、というより“総天然色の”という表現の方が似つかわしい、あでやかな娯楽映画。監督である蜷川実花の写真の世界がそのまま映画になったという印象を強く受けた。

原作がコミックであることと関係あるのかないのか・・・それは何とも言えないが、ストーリーそのものはシンプルである。物語を味わうというよりも、これでもかこれでもか、と画面に映し出される眩い映像を鑑賞する映画だと思う。また、蜷川実花+椎名林檎+土屋アンナの3人だからこそできた映画であるとも思う。

この映像を美しいと思うか思わないかは意見が分かれるところだろう。極端にコントラストをあげた色彩は艶やか、鮮やかであると同時にまがいものがもつ毒々しさ、わざとらしさを感じさせる。吉原という非日常空間の空気感にこのマヤカシの美しさはよく似合い、私はかなり好きである。が、もっと自然な情緒を求める向きにはひょっとしたら不愉快かもしれない。もっともそういう人はこの映画ははなから見ないだろうけれど。

土屋アンナもいい。美しくて強くて無邪気な花魁を好演しており、実にはまり役だと思う。女性の方が格段に目立つ映画で、遊廓「玉菊屋」の女将役の夏木マリもよかったし、先輩花魁である高尾を演じた木村佳乃の熱演も迫力ものだった。男優では市川左團次(吉原一の通人と言われたご隠居)が特によかった。

話は少し変わるが、蜷川実花というと私はまず最初に金魚をイメージする。金魚を撮った写真の印象が強いからだと思うが、『さくらん』にも金魚が象徴的な存在として何度も登場する。吉原の入り口に設けられた門の上部ではたくさんの金魚が泳ぎ、遊廓の中いたるところに、大きな金魚を入れたギヤマン(ガラスの金魚鉢)が置かれている。狭い容器の中でしか生きられない金魚は遊女を象徴しているようだ。

さて、昨日は祭の夜店、今日は『さくらん』と、どこか幻めいた世界を立て続けに見たことになる。今思えば、それは真夏の夜の夢のような時間であった。

*エアコンにやられたのか、今日は頭痛が抜けない。
*エアコンのリモコンをテーブルの上に置きっぱなしにしておくと・・・
*猫たちが知らない間につけたり消したりしてくれちゃって。
*タイマーにしておいたのに朝ついていましたよ。やれやれ。
*朝6時半にはもうお囃子の音が聞こえた。早すぎない?
*夜、伯母の一人が入院したとの電話あり。
*入退院を繰り返していたが、今回は出てこられないかも、と。
*できるだけ早く見舞いに行きたいところだが・・・
| - | 21:02 | comments(5) | - |
夏祭
07-0825

地元の夏祭は毎年8月最後の土日に開催されている。息子が小さいころは露店を冷やかしに出かけたものだったが、ここ数年は出かけることもなく神楽の音だけ遠く聞いていた。

今年もどうしようかと迷ったのだが、写真の対象としてはおもしろいかもしれないと思い暗くなってから出かけてみた。案の定これといって変わった様子もなく、子どものころ感じた不思議な魅力を感じなくなってしまったことに微かな淋しさを感じつつ写真だけ撮って帰ってきた。

子どものころの祭は、なぜあんなに魅惑的だったのだろう。闇の中に浮かぶ白熱灯の眩い光。色とりどりのヨーヨーや風船、ハッカパイプやお面。チラチラと光ながら泳ぐ金魚。ぐるぐるまわる綿菓子の機械。焼きそばやイカやトウモロコシのにおい。

真っ黒に日焼けしたいかつい顔の香具師たち。時折わきあがる嬌声。すべてが鮮やかな非日常世界であり、異次元に迷い込んだような一抹の不安と恐怖を抱えながらも魅了されざるをえない不思議な空間だった。

その魅力を感じなくなったのは、単に私が大人になったからだろうか。それとも、その異空間自体が性格を変えてしまったのだろうか。

今日改めて気付いたのは、かつて子どもだった私が感じた毒々しさや眩さが彩度を失ってしまったことだ。同じようなものを売る露店が増え、声をかけられただけで逃げたくなるような香具師はいなくなり、ドキドキワクワクするような雰囲気も薄れ、子どものような親たちが子どもを連れ・・・昼夜の境が曖昧になってきた時代の空気そのままに、どうしても夢中になれない、童心に帰ることが許されない空間となってしまったように思う。

ヨーヨーやすくったばかりの金魚を持ったまま、茫洋とした表情で漂うように歩いている子どもたち。彼らが大人になった時、今日の祭をなつかしく思い出すだろうか。それとも忘れてしまうのだろうか。

*見てからにして怪しげな人を見かけなくなったね。最近の祭。
*中途半端にグレているような、そんな輩ばっかり。
*それはそれで平和だからいいのか・・・
*早朝散歩したら疲れちゃって2時間くらい昼寝(午前中だけど)した。
*2時間歩いて消費したエネルギーの補填に2時間か。
*効率がいいのか悪いのか。
*そういえば、タコ風船って昔あったよね。
*欲しかったけどなかなか買ってもらえなくて。今日はなかったなぁ。
*射的は相変わらず人気あるのね。
*古びた温泉町の射的場なんかに行ってみたい。
Walkin'、更新。
| - | 23:25 | comments(6) | - |
ルドンの黒
07-0824

会期終了が26日に迫っている「ルドンの黒〜目をとじると見えてくる異形の友人たち」を見に行ってきた。

ルドンといえば、実のところ私はあの色彩豊かなパステル画のイメージしか持っていなかった。罌粟やアネモネなどが描かれた、ふわりとやさしく、幻想的なあのパステル画。そのルドンの黒とはいったいどんばものなのか・・・展覧会開催を知ってから興味津々だった。

黒という色は、私にとっては特別な色である。最も好きな色であり、最もわかりにくい色であり、ゆえに常に意識している色である。黒い衣服を着るとどこか緊張するが、どこか落ち着く。着るものだけでなく、長く使いたいと思うものについては、色を選べるのであればたいてい黒を選ぶ。黒は私にとって原点であると同時に最終の到達点であるような気がしている。

ルドンの黒は、繊細で深く、神秘的で少し怖く、見る者を異次元に誘うように幻想的だ。テーマは神話やキリスト教にまつわるもの、ボードレールの「悪の華」のような文学作品など多彩。テーマそのものについてよく知っている人は別の見方ができるのかもしれないが、あの幻想的な画面は「理解すること」を求めていないような気がする。見て、何かを感じて、その世界に心を泳がせてみるだけでいいような気がする。

意外なことに、ルドンはあの印象派の画家たちと同世代だそうである。溢れる外光の下の世界をそれぞれの感性で描いた印象派とは正反対の画風なので少し驚いた。印象派の絵が光であるなら、まぎれもなくルドンの黒は影である。その影はくっきりはっきりした明確な輪郭を持つ影ではなく、曖昧模糊としながら怪しい力で人を誘う変幻自在の影。催眠術にかけられたような気分になる影である。

中でも印象的だったのが、目玉だ。大きな目玉。小さな目玉。目玉が何かの象徴のように繰り返し描かれている。何の象徴であるか、私にはわからない。その目玉は何を見ているのか、どこへ視線を泳がそうとしているのか、何を訴えようとしているのか・・・私にはわからない。わからないのに、もしかしたら、わからないから気になって仕方ないのかもしれない。

先日は青山二郎の眼を見た。そして今日はルドンの目玉だ。どうやら今年の夏は目に縁があるらしい。

*会場に入る手前で見知らぬ女性に声をかけられた。
*招待券が余っているでくれる、と。
*ありがたく頂戴した。ラッキー!(^_^)
*こういうこと、これで二度目のような気がする。
*例の蜘蛛のリトグラフ、なかなかよかったですよ。
*ポストカードも蜘蛛のだけ品薄状態でお一人様2枚限りだって。
*帰りは百軒店のあたりを通って駅へ。猥雑さがなかなかいいね。
*数日前より過ごしやすくなったというものの人ごみは辛い。
今咲いている薔薇をすべてカットしてガラスの器に。
*まとめてみると、けっこう咲いていたのね・・・
*遠く離れていたけれど、手を振ってくれているように見えた。
*だから私も手を振った。もし勘違いだったらちと恥ずかしい(^.^;)
*「白いメリーさん」(中島らも)、なかなか面白いっす。らもワールドだね!
Walkin'、更新。駅までの20分間に撮った写真。
薔薇記、更新。
| - | 21:32 | comments(0) | - |
あのオットにして、このツマ
07-0823
・・・耳だけ不機嫌だが、しっかりリラックスしているおかしな猫さん・・・

故・中島らも夫人の中島美代子さんが書いた『らも〜中島らもとの三十五年』を読んだ。
夫人のことは全く知らず、わかぎえふさんがらも夫人だと思っていたこともあったが、実際、芝居をやっていたころのらもさんは自宅にはほとんど帰らず、えふさんと一緒に暮らしていたらしいので、そう思ったのもあながち見当外れではなかったと思う。

それはともかく、このツマによる亡きオットのお話を読み終えて思うのは、ただ一言“あのオットにして、このツマだなぁ”ということ。出会ってから三十五年の年月を共にした人にしか書けない“中島らもの実像”は確かに興味深いが、文章そのものはとりたてて魅力的ではない。プロの作家ではないから当然といえば当然かもしれないが。

美代子夫人は広大な土地を保有する裕福な家庭に生まれ、ド派手な母親によってお嬢様学校に入れられるもその自由奔放な生き方を変えることはなかった人。オートバイに乗り、ジャズ喫茶にいりびたり、ボーイフレンドと遊びまわり、といった生活の中でらもさんと出会う。短大を卒業後就職し、まだ学生だったらもさんと結婚。一男一女を設ける。が、家の収まらないオットに負けず劣らずツマだっておとなしく収まってはいない。

互いに干渉しない、というと聞こえはいいが、普通の常識からはるかに超えた夫婦生活だったようだ。だからといって、面白おかしく生きてきたのではないことは本書を読めばわかる。家に帰らなくなったオット、浮気相手のいうがままになっているオット、躁鬱病をはじめ急性肝炎、アルコール依存症、高血圧、と様々な病をかかえ、揚げ句の果てに大麻所持で逮捕されてしまったオット・・・

そんなオットとの生活はなかなか常人には勤まらないと思う。らもさんも最後は夫人のところに帰ってきたらしいし、この2人は出会うべくして出会った2人なんだなぁとつくづく思った。

が、先ほど書いたように、本として特別おもしろいという印象はない。急いで読もうとはしていないが、ともするとナナメ読みになりがちだった。

そして私は思い出す。作家夫人として亡き夫について書いた本はたくさんあるが、坂口三千代さんの著書はおもしろかったなぁ、と。坂口三千代さんというのは、もちろん坂口安吾夫人である。『追憶坂口安吾』もよかったが、『クラクラ日記』もとてもおもしろかった。荒唐無稽なオットをもったツマという点では美代子夫人と同じだが、やはりこの人は格が違うと思わざるを得ない。

時々リンクを貼る“松岡正剛の千夜千冊”でも紹介されているので、興味のある方はどうぞ。思い出したらまた安吾が読みたくなってきた。夫人の著作を含め、近々読んでみたいと思う。

*今日は比較的涼しかった。特に午前中。
*雨が降るとほっとする。木や草や畑の野菜も喜んでいることだろう。
*同居人が予定通り入院。
*しばらくは外猫の面倒も見なくちゃ。
*こうなったら、さっさと切って早く元気になってくれい!
*明日は午前中仕事。午後からは・・・絵でも見にいくかな。
*あまり暑くなかったらね。
*ようやく請求できることになった仕事。予想より少し金額多めでにっこり。
*でも何にも買えない。おニューmacの支払いに充てなくちゃ。
*ということで相変わらずビンボーなのだった(T_T)
| - | 21:41 | comments(6) | - |
駐輪場の法則
07-0822
・・・世田谷美術館の回廊。この美術館の中で一番好きな場所・・・

今住んでいるマンションの駐輪場を使い始めて約5年。たかが駐輪場なれど時々腹立たしい思いをしつつ、ある法則を日々確信している。

その法則とは・・・駐輪場の入り口から最も遠い場所ほど節度ある人の駐輪率が高く、逆に最も近い場所ほど節度のない、だらしない人の駐輪率が高い・・・というものだ。

一番遠い列は、いつも自転車が整然と並んでいる。中途半端に空いたスペースしかない場合は、面倒だが他の自転車を少しずつずらしていき、一台分のスペースを作ってからそこに自分の自転車を入れる。だから、その列の自転車はいつでも出しやすくなっている。

反対に、出入り口に近い場所はいつも列が乱れている。すでに駐輪している自転車をずらさなければ停められないのが目に見えていても、何もせずに自転車の前部分だけ列に突っ込ませている。あるいは、他の自転車と垂直に自転車を停めたままというオトボケもいる。自分が停めた自転車がいかに他人の迷惑になるかなど考えることすらしていないのだろう。

この法則は、なにも私が使っている駐輪場に限らず、スーパーや地域で用意された駐輪場でも通用すると思っているのだが、いかがなものだろうか。いやいや駐輪場だけではない。不特定多数が利用する公の場所においても、この駐輪場の法則が証明されるような気がしている。

つまり、自分の都合を最優先する人たちと、そうでない人たちの行動パターンは明らかに違うということだ。たとえば電車の中。多くの人が下りる駅についても、出入り口に立ったまま頑として動こうとしない人。混雑してきたのに荷物を自分の隣においたまま居眠りしている人。

エスカレーターの乗り口付近で立ち止まりおしゃべりしている人・・・ちょっとした気配りや手間を惜しむことをしない、それも意志的にしないのではなく、頭脳回路にそれがない人たち。そういう人たちは、駐輪場に自転車を入れる時必ず一番手近な場所を選び、はた迷惑な停め方かどうかなど気にもせずさっさとその場を立ち去る・・・たぶん。

暑いとイライラすることが多くなるが、今年の暑さはイライラを通り越して頭が呆けてしまい、怒る気力もなかなか出てこない。が、ぼんやりした頭の中に、ひどい停め方をしている自転車をみな引きずり出し、粗大ごみ置き場に積み上げ、「大迷惑!」の大きな張り紙をするという想像がちらりと浮かぶ。それだけでは物足りない。いっそのこと・・・とさらに想像しかけたが思考力もそこでストップ。やれやれ。

*午前中、美容院へ。少しさっぱりした。
*あまり短くすると束ねられないので、軽くしてもらった程度。
*美容院を出たら焼けつくような暑さだー 腕がひりひりする。
*あちこち買い物をして帰宅。もう熱中症寸前みたいな感じ。
*首筋から顔にかけてが何だかゾワゾワする。ひー
*「らも」「白いメリーさん」が到着。
*「ヨコハマメリー」(DVD)も探しにいかなくちゃ。
| - | 18:13 | comments(2) | - |
SPONSORED LINKS