2007.06.30 Saturday
バタバタ バテバテ
このところ公私ともどもバタバタ。猛暑つづきでバテバテ(^_^; なもんで、しばらく更新が滞るかもしれません。長文の日記は無理でも、写真と短いコメントの日記はできるだけアップしていくつもりですが・・・
みなさんのコメントへのレスも遅れがちになるかもしれませんが、しばらくの間お許しください。
| - | 14:11 | comments(2) | - |
CALENDAR
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
LINKS
PROFILE
OTHERS
|
Interior日々の内側
copyright sumigon all rights reserved 2007.06.30 Saturday
バタバタ バテバテ
このところ公私ともどもバタバタ。猛暑つづきでバテバテ(^_^; なもんで、しばらく更新が滞るかもしれません。長文の日記は無理でも、写真と短いコメントの日記はできるだけアップしていくつもりですが・・・ みなさんのコメントへのレスも遅れがちになるかもしれませんが、しばらくの間お許しください。
| - | 14:11 | comments(2) | - |
2007.06.27 Wednesday
カッコいいフクロウ
・・・カッコいいので、黒いフレームに入れてみた。やっぱりカッコいい・・・ こちらにも時々来てくださっているmimozaさんが息子さん(私は“画伯”と呼ばせていただいている)の絵を送ってくださった。 mimozaさんのサイト「ever green」は、私の散歩サイトWalkin'と同じPetit Homepage Serviceを利用したサイトで、それが縁で知り合うことができたのだった。 トップページのさりげない日常のひとこまも好きだが、何といっても私は時々アップされる息子さんの絵が大好きで大ファンを自称している。 今回送っていただいた絵も、私が画伯にお願いして描いてもらったもので、絵の下に「すみごんさんへ」とちゃーんと書いてくださっている。嬉しい(^_^) フクロウの絵をお願いしたのには理由がある。以前mimozaさんのサイトで、息子さんがおかあさんに「カッコいいフクロウとかわいいフクロウ、どっちがいい?」と尋ねたという話を読んだ。おかあさんは、かわりいフクロウを描いてもらったそうで、なるほどかわいいフクロウの絵が添えてあった。 そこで私は、カッコいいフクロウってどんなフクロウだろうと思い、機会があれば描いていただきたいと思っていた、というわけだ。 勢いある鉛筆の線で描かれているのは、夜の街を悠々と飛ぶフクロウ。目を大きく見開き、翼を広げ、真闇の中を飛ぶ。なるほど、これはカッコいい。画伯が考えるカッコいいとはフクロウそのものの姿というよりも、こういったシチュエーションの中のフクロウのことだったのかと妙に納得した。 それにしても、子供の絵はいいなぁと思う。我が息子も小学校低学年くらいまでは、なかなかいい絵を描いた(親ばかです。はい)。1、2年生の時の担任の先生が、息子の絵を認めてくれ横浜市の巡回展などに選んでくれた。 選ばれた絵が学校に巡回してきた時、私も見に行ったのだが、「海の王者にであったよ」というタイトルの絵はなかなか楽しい絵だった。船に乗った人間(自分自身)が船よりも大きな魚と海上で出くわしている絵なのだが、人の表情が楽しそうだし魚も虹色のきれいな魚で笑っているのだ。 また、「カマキリとぼく」という絵は、腹ばいになって向きあったカマキリと男の子(自分)を描いた絵で、体の大きさが同じくらいであるところがおかしい。おかしいのだが、全く不気味な感じがせず、仲良く向きあってひそひそ話をしている姿がほほ笑ましくなる絵だった。 そんな息子も絵を描かなくなって久しい。淋しい思いをしていたところに画伯の絵に出会ったものだから、私はもう夢中なのである。画伯には、ずっと絵を描いてほしい・・・と勝手に思っている。画伯、これからもいろいろ見せてくださいよ! *フレームに入れた写真は、Walkin'のBBSに。 *そのうち息子の絵も引っ張り出して、フレームに入れてみようかな。 *午後から所用を足しに横浜へ。 *平日なのに相変わらず人が多い。人疲れしてしまった・・・ *ずいぶん前から気になっていたクロックスのサンダルを先日購入。 *まずは基本的なカタチから。品切れも多いみたいね。 *で今日、あの穴に入れる飾り?(名前忘れた)を6コゲット。 *そのうち紹介しますわね。
| - | 20:04 | comments(3) | - |
2007.06.26 Tuesday
百合みだら五つひらいてみなみだら(時実新子)
時実さんの川柳からの連想を書き始めて5日目。最低5回は続けたいなと思っていたので、とりあず今日でお終いにすることにする。好きな川柳はまだまだあるのだが、ちょっと飽きてきた(飽きっぽいのである)。 今まで紹介した4つの川柳は、それほど生々しい女性を感じさせないが、時実さんの句にはギョッ!とするほど生々しいものがけっこうある。そして、そのような作風が私は好きなので、最終回はちょっと官能的な句を選んだ。 ご存知のように百合のつぼみはすらりと細い。そのつぼみが開き満開を迎えると、花はそれまで秘していた自らの内部を一目に晒す。強い香りを放ちながら。 向日葵などのように花全体をあっけらかんとさらけ出すのではない。見せてはいけないものを、“ほらね、どうかしら”とでもいうように見せつける。それがなんとも官能的なのだ。ロマンチックな花好きには申しわけないが、たいていの場合花はその植物の生殖器なのである。それの内奥をそっと見せる。しかも五つも。 もちろん、花そのものがみだらなのではない。それを見てみだらだと思う人間がみだらなのである。“五つひらいてみなみだら”な百合の花をじっと見つめているのは、女性に違いない。香りに眩みながらも、まるで自分の内奥をのぞき込むように百合の花から目が離せないでいる・・・そんな濃密な時間を連想させる。 時実さんの川柳には花を詠んだものがいくつかあり、どれもいいと思う。「有夫恋」からざっと拾ってみた。 百合の香に包まれていて叛逆心 コスモスの前背信の歩を早め 曼珠沙華視野いっぱいの悔いである 菜の花菜の花子供でも産もうかな 去年の私ではないハイビスカス咲いた 考えているコスモスは薙ぎ倒せ 間違いは間違いとおせ桐の花 さくら咲く一人ころして一人産む 木犀の匂う近道 父に遇う わたしから散る散る紅の山茶花 愛咬やはるかはるかにさくら散る ただそこに在りてゆうぐれの月見草 秋薔 薇黄 昏別れられそうな 八重桜まぶた重たき共暮らし れんげ菜の花この世の旅もあとすこし 除籍入籍 椿ぽたぽた落ちる中 (「有夫恋」朝日新聞社より引用) *やれやれ。仕事にあけくれた一日であったよ。 *それでも夕方には店じまい。TSUTAYAでDVDを3枚借りてきた。 *映画館で見たかった「王の男」など。 *昨日打合せ帰りに買った人形町・凡味の「梅雨衣」を食べてみた。 *ずっと気になる店だったのよね。次は胡麻豆腐だな。 *けっこうお高いけれど、一度は試してみたいのだった。 *以前買っておいた「クルミッ子」も食べた。うまかった(^_^) *こちらは鎌倉の紅屋さんのもの。 *某所の画伯の作品が届いた(^_^) *大ファンなのでとても嬉しい。ありがとうございます>画伯の母上 *「かっこいいフクロウ」の絵、実物もやっぱりいいわ。 *ブツログ、更新。今日は食べもの2点。 *薔薇記、更新。
| - | 20:44 | comments(2) | - |
2007.06.25 Monday
麦ばたけ健気に朽ちる猫の骨(時実新子)
黄金色に実る麦の穂が風に吹かれてさやさやと音を立てている。強い風が吹くと、畑全体が金色の海のように大きく波打つ。その波の合間で、朽ちていく猫の屍。 この風景は、不吉な風景だろうか。悲しい風景だろうか。否、である。私には、その死は非常に穏やかに思える。麦畑にたどりつくまで、その猫はとても苦しんだかもしれない。辛い痛みに耐えてきたのかもしれない。しかし、薄れゆく意識の中で猫は猫なりに満足して死んでいったように思えるのだ。 そして、自らの死に場所をきちんと選びたった1匹で死んでいった猫を「健気」だと思い、「健気に朽ちる」と詠んだ時実新子に大きな共感を持つ。 一般的に、健気な動物といったら猫よりも犬を連想するひとが多いような気がする。従順であり、飼い主を信頼しきったような犬の目は、時には悲し過ぎるほど健気に見える。しかしその犬の健気さは、私のよなひねくれ者にとってはちょっと重い。犬の方で期待しているというわけでもないのに、何か負いきれない荷物を預けられてしまったように思える。 しかし、猫の健気さは違う。特に、野良猫の健気さは重さを感じさせない。自らのみを恃む生き物の凛々しさと誇りを感じ、老いさらばえた姿にも威厳のようなものを見る。 この句を読むと、かつて出会った野良猫たちを思い出す。ある日突然いなくなってしまった家の猫を思い出す。彼らはどこで死んだのか。願わくば、明るい麦の畑の片隅であってほしいものである。 *ふわぁ・・・眠い・・・ *なんとなく寝不足。寝不足には強いはずだが何故か眠い。 *さっき、ちょっとだけうたたねしちゃった(^_^; *午後から雨が上がって、打合せがあったので助かった。 *今日は涼しいのに、電車の冷房が強過ぎる。加減してくれい! *帰りに用事があったので銀座へ。 *まずは月光荘でお買い物。 *弾みがついて・・・あそことあそこと・・・ *ストレス溜まっているんだよな、きっと。 *明日、明後日は家でみっちり仕事。 *金曜日はまたスタジオ。 *土日のどっちかはお出かけしたいものだが・・・ *先日紹介した「脳内メーカー」、けっこう当たるかも!? *うちの猫たちの脳内は・・・
| - | 23:09 | comments(6) | - |
2007.06.24 Sunday
明日逢える人の如くに別れたし(時実新子)
芸能人、とくに中高年の俳優などの訃報が突然テレビで伝えられることがある。一瞬の驚きの後、そういえばこのところ見かけなかったなぁ、と思ったりする。あるいは、大変失礼ながら、この人まだ健在だったんだと思うこともある。 亡くなるまでどのようなことがあったのかは実際のところわからない。しかし、存在感を徐々に消しながら、ある日ふっと消えてなくなるという消えかたを連想し、いいなぁと思う。 また、その葬儀の際などに、「ついこの間会ったばかりで元気そうだったのに」「お互いにがんばろうと電話で話したばかりだったのに」などというコメントを聞くこともある。脳溢血や交通事故など突発的なことがあったわけではないのなら、たぶん、迫り来る死を本人は感じていたに違いない。が、そんなことを全く感じさせないまま旅立っていく。それもいいなぁと思う。 今日とりあげた川柳を読むと、私はまず以上のような人間の「死」という別れを連想する。が、たぶんこの句は「死」ではなく、男女間の別れを詠んだものだろう。「逢う」という字を使っていることからそれは想像できる。しかし、句全体からこの別れは永遠の別れであるだろうことが想像され、それが「死」へと結びついていくのかもしれない。 かつて烈しく愛した、今でも愛している男と、明日会える人のように別れる。それはほとんど不可能に近いことのように思われる。しかし、だからこそ夢見るようにそんな別れを想う。 それまで何度も苦しんだこと、傷ついたこと、悲しかったこと、すべての情念をさらりと忘れて別れる。さぞかし気持ちがさっぱりすることだろう・・・そんな気持ちがこの句の裏側にあるような気がする。情念が深ければ深いほど、潔くさらりと淡泊な別れを切望するのかもしれない、などと。 時実新子という作家は、一昔前流行った小説のタイトルを借りて言えば、冷静と情熱の間を自由に行き来できた人なのではないかと思うことがある。そして、本物の作家の常として、そんな自分を客観的に見ることができた人。でなければ、こういう川柳は創り得ないだろう。 *今日は雨。一日おき? 涼しくてけっこう、けっこう。 *一歩も外へ出ず、家でのんびり(だらだら、とも言う)。 *こういう日はベランダのヤマアジサイがきれいに見えていいわー *昨日届いた仕事の資料、まだ封を開けていないや(^_^; *いいや。明日で。後回しにできることは後回し!? *薔薇記、更新。 *ブツログ、更新。
| - | 18:18 | comments(0) | - |
2007.06.23 Saturday
或る決意動物園の檻の前(時実新子)
・・・動物園ならぬペットショップの檻の中。アヒルちゃん窮屈そう・・・ 動物園、というと一般的には家族連れかカップルで行くところといったイメージだろうか。映像でしか見たことがない動物たちを実際に見ながら、あれこれ楽しいおしゃべりをしながら過す・・・そんな場所。 私も子どもを産んでから何度か連れていったし、動物を見る子どもの表情や意外性のある言葉楽しかったと記憶している。 が、こんな私も何度か、一人だけで動物園に行ったことがある。結婚するだいぶ前、20代前半だったと思うが何才であったかは覚えていない。ただ、平日の静かな動物園をゆっくり歩き、動物や時折見かける親子連れの姿を見ながら、自分との対話をしていたように思う。確かに、その時私の中にはどうしようもない孤独感があった。そして、それをどうしていいかわからず、どこかへ行きたかった。そして何故か、その「どこか」が動物園だったのだ。 そんなことがあったので、この句を読んだとき妙な親近感というのだろうか、共感というのだろうか、そんな感覚を覚えた。「或る決意」がどのような決意なのかはわからない。が、そんなことってあるよな、きっとある・・・即座にそう思った。ましてや檻の前であれば。 その決意は他愛ない決意だったかもしれない。が、檻の前に立った人(たぶん女性)にとっては、大きな決意であったはずだ。長い間逡巡し、結論を出せずにいたことの本質が見えた時、緊張感に満ちた決意が生まれた。何故、檻の前だったのか。檻の中にはどんな動物がいたのか。 私の想像では、檻の中にいたのは肉食獣か大きな動物だ。檻というものとのギャップが大きい動物であるはずだ。家畜に近い動物、牛や羊ではあるまい。小さい動物でもあるまい。猛禽類かもしれない。大空へ飛び立つこともできぬまま、鋭い眼光で瞑想しているかのような。いや、違う。きっとそれは・・・象かもしれない。 だいぶ前のことになるが、動物園で撮った象の写真に「諦めか、妥協か、順応か」というタイトルをつけたことがある。今でも本家todayの写真ページにあるが、私は動物園の象に他の動物に対しては持たない感情を持っているようだ。 他の動物よりも広いスペースを与えられているとはいえ、もともとの大きさが違う。体の大きさに比していかにも狭い場所に閉じこめられ、象はただ立ち尽くしている。時折体をゆっくり揺らしたり、落ちている何かを鼻でつまんでみたりしているが、ほとんど動いていないに等しい。 そんな姿を見ていて思い浮かんだタイトルであったが、彼らの穏やかではあるが悲しそうな目を見ていると、頭の中に、諦めもせず、妥協もせず、順応もせずにいて欲しいという願いが湧き上がってくる。それはほとんど無理な話だ。が、だからこそ私は象たちが檻を破って走る姿を妄想する。 或る決意をした女が立っていたのは、象の檻の前に違いない。そして、その女は象が檻を破って園内をつき抜け、どこへともなく去っていくのを妄想したに違いない。そして、その妄想に励まされて、自分の中に眠っていた本能のようなものを再認識し、自分の現実を打ち破ろうと決意したのだ。 *またお天気でした。雨、続かないね。 *せめて曇りがいいかな。梅雨だし。暑いんだもん。 *午後から上野グリーンクラブへ。 *ヤマアジサイ、あまり多くはなかったが品種確認はできた。 *小さい苗を2つゲット。小さくても花付き。各630円。 *奥にある常設売り場で「小町バラ」という小さなバラを。 *ヤクシマテリハノイバラだと思うが。 *昨夜、久し振りに「タンゴレッスン」(DVD)を見た。 *サリー・ポッターってあの時何才だったんだろう。 *好みは分かれると思うが、私はけっこういいなと思う。 *タンゴは脚ですよ、脚! *「脳内メーカー」っていうのがあるのね。 *私の脳内は「友」と「休」でいっぱいだー!(^_^;
| - | 18:54 | comments(5) | - |
2007.06.22 Friday
放心へ正確に舞う扇風機(時実新子)
昨日、時実さんの川柳を引用するに当たり「有夫恋」をざっと再読した。そして、やはりこの人の作品はすごいなぁと再確認した。 そこで、しばらくの間、時実さんの川柳を読んで思ったこと、感じたこと、連想したことなどを書いてみようかと思う。しばらく、というのはどれくらいか・・・は、かなりいい加減。3日で終るかもしれない(^_^; さて、今日の川柳。これを読んだ時、誰しもが(とくに女性が)経験したことがあるような、ごく日常的な一瞬を見事にとらえた句(川柳って「句」でいいのかな)として強く印象に残った。 表面的にさほど大事件があったわけではない時でも、人間はその内心に大きな何かを抱えていることがある。ただ、四六時中そのことを考えているわけにはいかない。男性であれば仕事があるだろうし、専業主婦とてあれこれ細かいことに心を煩らわせることが多い。だから、蟠っていることはとりあえず心の奥底にそっと置いて、日々の雑事に追われている。 が、ふっと気を抜いた一瞬、蟠りの存在は放心となって表出する。真夏のけだるい午後、子どもたちは昼寝しているか、遊びに出かけている。これから買物に行く予定だが、まだその時間には少し早い。 ぼんやりと縁側ごしに炎天の庭の長めながら、扇風機の風をを受けている時・・・奥底に蟠っていたものが顔を出し、倦怠感の中を漂う。目に見えぬ何かを見つめて動かない目。畳の上に無造作に投げ出された足。 暑いという感覚も消え、蝉の声も消え・・・現実からほんの少し離れかけたその時。機械的に回旋していた扇風機の風が、ふと頬に当たって吾に返り、自分自身の放心に微かな驚きを感じる・・・この川柳を読むと、そんな情景を思い浮かべる。 そこに「風」の文字はないが、確かに扇風機が生みだす風がある。「正確に」という言葉に、意外なもの揺り起こされたことに対する驚きがある。放ったはずの心は、正確に舞う扇風機によって一体どこへ行ったのか。 そこは外の明るさと対照的な翳った畳の上でなければならぬ。軒端の風鈴は音を立ててはならぬ。部屋の中は適度に散らかっていた方がいい。そして、そこにいる女は深い情念を持て余しているに違いない。 想像はどんどん膨らみ、まるで自分がそこに、数十年前の、どこにでもあるような家屋の暗がりに、足を投げ出して放心しているように思えてくる。 *やっと梅雨らしい天気になった。これはこれで、ちと鬱陶しいけど。 *でも、雨に濡れる草木を見ると嬉しくなる。 *アジサイもまだまだ美しいぞー *医者に行ってきた。ちょっと気が重かったが・・・ *うふふ。なんだか病気というほどでもないみたいで安心しちゃった。 *糖尿と肝機能障害の気配がややあるくらいで、腎臓はOK。 *甲状腺も、どちらかというと機能低下傾向(バセドウとは逆) *要観察ってことで。定期的に検査した方がいいらしいけど。 *毎日酒を飲んだらダメ!だって。 *だって、ビールは酒じゃな・・・っていうのはダメか。 *騒いだつもりはないが、みなさまに御心配をおかけしてゴメンちゃい。 *もう元気モリモリなので大丈夫です〜 *お気に入り猫サイト「でぶねこ☆めんまさん」のめんま手ぬぐいも届いたし! *もうヤマアジサイは打ち止め!と思っていたら・・・ *上野から「山あじさい展のご案内」がきちゃったよ。 *さてさて、どうするかなぁ。
| - | 18:32 | comments(8) | - |
2007.06.21 Thursday
足を洗う
・・・たかが、泥濘みだが侮ることなかれ。一度泥濘むとまたすぐに泥濘む・・・ もうこんなヤクザな商売からは足を洗いたいっ!と、思ったことがないとは言わない。が、結局書くことが好きなので、この商売は自分に合っていると思っているし、今日の話題はそんな意味の「足を洗う」ではない。単純に、足を洗うこと。ゴシゴシと。 思えば、私たちの身体の部位の中で、足、特に先端部分(足指とか足の裏とか)はかなり酷使されているにもかかわらず、軽視されがちなのではないか。二足歩行しているのだから、立っている時や歩いている時は、全身の重さを支えているといっても過言ではないのに。 足裏健康法、フットケア、などが流行っているといっても所詮一部の人たちの間のことのように思う。多くは、身体を洗う時に“ついでに”洗う程度、硬くなっている部分がれば時折軽石などでゴシゴシする程度、そんなものではないだろうか(違なぁ・・・)。 かくいう私も常日ごろお手入れを入念にしている、というわけではない。いろいろ問題がある足ではあるが、その問題を託ちつつけっこういい加減なものである。 時々、自分の足を見て、かわいそうだなぁと思う。合わない靴を履かされて、あちこち赤くなっていたり、いつまで経っても底まめが取れなかったり。酷使しているのに省みられることが少ない、かわいそうな私の足。もっと大切にしてあげなくちゃ、と思う今日このごろである。 そんな気分だったからか、今日はふと思い立って足をゴシゴシ洗ってみた。朝から仕事をしていたのだが、暑いしだるいし、仕事が捗らない。その時足を洗おう!と思い立った。まず、ボディブラシでゴシゴシ洗い、次にぬるま湯をかけながらマッサージ。軽石で踵や足裏、指の上を軽くこすったあと、またマッサージ。 指の間を強くこすると痛いのは、どこか内臓が悪いからかしら。ああ、親指の側面の角質化したところはなかなか柔らかくならないなぁ。爪の色が悪いぞ!もしかして、これは巻爪か!?などと心の中であれこれ呟きつつ、15分くらい自分の足を洗っていた。 洗い終わったら、なぜか気分はすっきり。いい気分転換になったようだ。そう思うとともに、身体の中で一番清潔を心がけなくてはいけないのは足かもしれないなぁと実感した次第である。「足を洗う」とは、良からぬ環境から抜け出すという意味だと思うが、これは言いえて妙である。良からぬ体内環境を改善するためにも、足は清潔にしなくては。 足を洗う、というと思いだすのは、高橋たか子の小説と時実新子の川柳。小説の方は、タイトルさえ思いだせないのだが、主人公が女学生だったころ仲がよかった友が、校内の水道で足を洗うシーンが出てくるのだ。時は真冬。靴を脱ぎ、靴下を脱いで黙々と 冷たい水で足を洗う若い女性。その姿が脳裏に鮮やかに刻みこまれている。 川柳のほうは以下のものである。足を洗うことで、何かから逃れよう、救われようとする思いがこれもまた鮮やかに表現されていると思う。 足指をぎしぎし洗うさびしい日 時実新子「有夫恋」より *また暑い。今日は風がないので蒸し暑い。 *まだまだエアコンは使わないぞ。今年は扇風機を買おうかなぁ。 *すでに2台あるけれど(リビング用と息子部屋用) *夕方まで、みっちり仕事。明日は医者だし少しラクしたいので。 *こうしてやりくりできるのがフリーのいいところ。数少ないメリット。 *さて、今日は息子がバイトで遅いし・・・夕食は外でするかな?
| - | 17:41 | comments(4) | - |
2007.06.20 Wednesday
夏の匂い
・・・スグリの実。草木の実とは思えない色と透明感・・・ 午前中出かけて、マンション内の階段をゼイゼイ上っていた時のこと。ふっと夏の匂いがしたような気がした。夏の匂い・・・ 人によってそれぞれ違うだろうが、私にとっての「夏の匂い」は、草のにおいである。 夏、草、におい、とくると「草いきれ」を連想するが、私の「夏の匂い」は草いきれとは違う。草いきれのような、湿気を帯びた熱っぽさ、生々しさからくる匂いではなく、もっと乾いた、微かな、郷愁的な匂いだ。 顔を上げて辺りを見回すと、斜面の芝生で、ネジバナがそよいでいた。そう、私の「夏の匂い」は芝生の匂いなのだ。 子どものころ遊び場にしていたK大学構内は、雑木林に覆われた小さな山を開いて建設されている。今ではかなり手が入ってしまったが、当時はまだまだ手付かずの自然が残っており、子どもたちにとって神秘的な場所がいくらでもあった。 暗い林の中。突然現れる大きな倒木。湿った土の上に広がる青々としたコケ。そんなものの中に、いきなり投げ捨てられている空き缶。あるいは、眠っているかのような鳥の屍。 そんなところは、怖くて一人ではいけなかった。男の子たちに交ざって勢いで付いて行ったことはあったけれど。ある時、そんな林の中で木彫りの人形の頭だけが転がっていたのを見たことがある。今思えばただの稚拙なオモチャが壊れたものだったのかもしれないが、私は怖くて怖くて仕方なかった。以来同じ場所には行かなかったほどに。 そんな怖い場所よりもむしろ、私は開けた芝生エリアでよく遊んだように思う。記念館前の4つに区切られた芝生。すり鉢状になったテニスコートを囲む斜面の芝生。夏草の花を探しながら、バッタやカマキリやイトトンボを探しながら、私は芝生の上をよく歩いた。 時にはサンダルを脱いで素足で歩きながら。足裏に伝わるこそばゆい感覚に、思わず顔がほころぶ。時には芝生の上に寝ころんで、ボールの音や下手なトランペットの 音を聞きながら空を見上げたりして。そんなとき、ふっと感じた芝生の匂い。それが私の「夏の匂い」だ。 息子が幼いころは、よく虫網をもって芝生を歩いた。バッタの類いはどういうわけか芝生に多い。見慣れたショウリョウバッタがキチキチキチと音を立てて飛ぶ。ちょっと違う飛びかたをするのはトノサマバッタだ。トノサマバッタは緑色のものと茶色いものがいて、それは生息場所のにおける同類の密度によると何かで読んだ記憶がある。比較的ゆったりした草地で育ったものは緑色、密度が高いところで育ったものは茶色になる、と。 いずれにしても、ショウリョウバッタの方が俄然数は多く、かくして息子の虫かごの中はほとんどがスラリとしたショウリョウバッタとなった。それでもたくさん獲れればゴキゲンだったあどけなさが、今ではたまらなく懐かしい。 夏の匂い。それは、白昼夢に一歩踏み込んだかのような茫洋とした恍惚の中で感じる微かな気配。それは、痛いほど郷愁を誘う愛しき者の思い出。 *今日も暑かったっすね〜 *陽射しが強いわ。帽子買わなくちゃいけないかなぁ。UV対応の。 *今年もあの、溶接仮面のようなサンバイザーが流行っているの? *えーん。真正面から見ると怖いよぅ。 *遠目ではどこを見ているかわからない。でも、近付くとまっすぐ前を見ている。 *当たり前のことだが、そんなところが怖いよぅ。 *検査の結果はさんざんざんした。 *まだ甲状腺の検査結果が出ていないので一時的なものかもしれないが。 *疑われるのは、慢性肝炎、慢性腎炎、そして糖尿病だと! *今後いろいろな検査をしてみたいとわからないみたい。でも、なんだか病気みたい。 *えへへ。病気自慢しちゃった。誰かさんの真似じゃないよ!? *薔薇記、更新。
| - | 19:26 | comments(3) | - |
2007.06.19 Tuesday
難し楽し靴選び
・・・買ってもらっちゃった(^_^) 名前もかわいい「CUTE BAR」・・・ 今日は睡眠不足なので家でゆっくりしようかと思っていたが、誕生日プレゼントを買ってくれるという話を聞いて俄然目が覚め!昼少し前に出かけた。目指すは新横浜。プリンスペペにクラークスが入っていて、そこでローヒールの靴を買ってもらおうと算段 したからだ。 ローヒールのストラップシューズを欲しいと思って久しいが、ネットで探してもなかなか気に入るものがない。仕事で出かけた帰りにでも小まめに見て歩けばいいのだが、それも面倒なお年ごろ(^_^; というわけで、ネットで見た中で候補にあげたうちの1つ、 クラークスに白羽の矢を立てたわけだ。 クラークスのワラビーはかれこれ10年近く履いていると思う。前にも書いたが、とにかく私の足は甲のところできっちり固定できる靴でないとダメなので、ワラビーはとりあえず合格なのだ。 とにかく紐をぎりぎりまでギューっと絞りきつく締めれば、足が前に動くことはほとんどないので疲れないし痛むこともない。加えて年々着るものがカジュアルになってきているので一年中ワラビーは離せない存在。 そこで、履き心地が気に入っているクラークスから選ぼうと思ったわけだが、ネットで見て選んだ靴を試着してみるとストラップがゆるい。そのため足が少し前に出るので、親指と人差し指が軽く当たる感じがする。店の人と相談して、ベルトにもうひとつ穴を 開けてもらい、指が当たりがちな部分の革を少し伸ばしてもらった。履いていてまた当たるようになったら、中敷等で調整してくれるそうなのでまず大丈夫だろう。 それにしても、やはり私の場合選べる靴の範囲が狭く、気に入ったデザインと足に合う靴の折り合いをつけるのが難しい。以前日記でも紹介したカルツェリアホソノの5cmヒールのローファーは履きやすくて出番が多いが、これとてカンペキとはいいがたい。長く歩いていると少し足が窮屈になってくる。紐で押さえているわけではないので、徐々に足が前にずれ込んでいるためだと思う。 しかし、ヒールのある紐靴はあまり好みではないので、今度ヒールがある靴を買う時は、自由が丘のコンフォートクリニックにしようかと思っている。以前試着だけさせてもらったのだが、とても履きやすかった。また、足の計測や履いて歩いた時の歩き方、姿勢なども細かく見てくれる。微妙な調整もしてくれるようだし、購入後のアフターケアもしっかりしていそうだ。いずれにしても、ごく普通のパンプスはダメなので、ワンストラップになるだろう。 あと欲しいのがブーツ。ヒールが5cmくらいのショートブーツが欲しい。今日クラークスで秋冬入荷するブーツをカタログで見せてもらったが、けっこういいのがあるようでちょっと楽しみだ。贅沢をいえば、本当はタニノ・クリスティのショートブーツが欲しいのだがケタが違うので・・・・いつになったら買えるのやら。まあ、買えるくらいの懐具合になってもいざ試着したら合うかどうかわからないが。 ただ、今迄の経験として、ヨーロッパの木型で作られた靴の方が合うケースが断然多かったので、夢としてとっておきたい。昔からタニノ・クリスティのブーツはアコガレだったのだー なにはともあれ、靴選びは難しいが、洋服を選ぶよりも楽しいかもしれない。たいていはジーンズ姿なので、決め手は靴とバッグ辺りになりそうだしね。 *お昼もペペ内の中華。美味しかった(^_^) *成城石井で美味しそうなお菓子をあれこれ買って・・・と。 *市営地下鉄に乗って園芸店へ。 *枯らしてしまったヤマアジサイを再度ゲット〜! *ついでにもひとつオマケにゲット〜(^_^; *結局2時間睡眠のまま今に至る。少し眠い・・・かな。 *明日は午前中医者と銀行と郵便局に行かなくちゃ。 *元ジモティ(ふ、ふ、古い!?)のTさんが具合悪いとか。 *大丈夫だろうか。心配。大学の先輩だし、広告業界の大先輩だし。いい人だし。 *薔薇記、更新。 *猫ブログ、更新。 *久々にブツログまで更新。 *今日はがんばったぞー(^_^)
| - | 20:29 | comments(2) | - |
SPONSORED LINKS
|