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日々の内側
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平凡な休日
07-0430

夏のようだという天気予報の通り、汗ばむほどの陽気だった。昼前に買物に行き、午後は散歩でもしようかと思っていたのに昼食代わりにビールを飲んでしまったら出かけるのが億劫になり、本を読んだり寝ころんだりテレビを見たりとぐうたらを決めこんでしまった。

が、夕方になって急に出かけたくなり、GR-Dをポケットに突っ込んで家を出た。久し振りに川が見たいと思ったので、市民の森を抜けて川に向かった。西日に輝く川面を見ながら、できるだけ川に近い、低いところをゆっくり歩いてみた。

前に行った時は草の丈もさほど高くはなかったのに、もう私の膝上までのびている。芽吹いたころの柔らかい緑は濃さを増し、つやつやと輝き、風に揺れていた。カラスノエンドウ、タンポポ、ヒメジョン、名前を特定できないイネ科の植物数種類、シロツメクサ・・・ユウゲショウがピンクのかわいい花をひっそりと咲かせ、茅萱の穂が仲良くなびいていた。

栄養分が流出する山とは反対に、それらが集まってくる川辺は肥沃なのだと改めて思う。柳もクコもノイバラも思う存分茂っていた。

植物から目を離し、人に目を向けてみる。犬を遊ばせている家族、本を読んでいる若い女性、肩を寄せ合っているカップル、ラジオを聴きながら目を閉じている中年男性、高校生と思しきグループはふざけ合ったりタバコを吸ったり。黙々と走る人、自転車の主婦グループ、フリスビーで遊ぶ親子。みなゴールデンウィークをごく自然に、思い思いに楽しんでいるようだ。

都心ではいろいろなイベントが開催されているようだが、わざわざ出かけるまでもない。渋滞をくぐり抜けて観光地に行くまでもない。自分が住んでいる場所にある、ささやかな自然の中が一番くつろげると思う。平凡な休日もなかなかいいものだ。

*仕事のデータはすべて送り終った。何もないといいけど・・・
*小さい子どもがいると、やはりどこかに連れていかないとダメなのかしら。
*たいへんね。お父さん、お母さん。
*川原のノイバラが咲きはじめていた。可憐な花。
*花は可憐だが、性質はなかなかどうして。たくましいのなんの。
*今月は休みなしで更新できた。やったー!(^_^)
こうして、ズラリと並ぶと嬉しいわ。やっぱり。
| - | 19:56 | comments(4) | - |
黄色い薔薇
07-0429
・・・黄色いシャワーのように咲き誇る黄モッコウ一重・・・

めでたく今日はオフになったので、千葉は八千代緑ケ丘にある京成バラ園に行ってきた。草ぶえの丘に行きたいのは山々だが、あそこに行くのは平日にしたいのだ。じっくり落ち着いて思う存分見て回りたいので後回し。

京成バラ園は一昨年秋と去年6月1日に行っており、原種の薔薇が意外と多いことを知った。去年より1カ月ほど早いがさてどうだろう・・・と少々期待しながら行ったが、原種のいくつかを除きまだ花時には早過ぎたようだ。

中央のモダンローズ、イングリッシュローズはまだ咲いていない。人出も日曜日にしては少なく、当てがはずれたような顔をして所在なげに歩いている人も幾人か。たいていの人は華やかなモダンローズや流行のイングリッシュローズを見たくて来ているのだろう。

私としては少し残念ではあったものの、昨年見ることができなかった花をいくつか見ることができたので、まあよしとする。モッコウバラは今や満開で、黄色一重の大木も見事だった。

薔薇に限らず、春の花には黄色い花が多い。とくに早春の花には。季節の訪れをまっさきに知らせる花として、黄色い花ほどふさわしい存在はないだろう。明るい光、希望、イキイキとした生命力・・・それらを色にたとえたら、やはり黄色。薔薇の世界もまた、シーズンの一番手は黄色い薔薇だ。

一番よく見かける黄色い八重のモッコウバラ。黄色といってもやさしく柔らかい黄色で春にはなくてはならぬ花だ。今日はその他にも、Rosa PrimlaRosa HugonisCanary Birdなど一重の黄色い薔薇を見ることができた。

これらの薔薇は原種や原種のハイブリッドで、花だけでなく葉や枝、棘さえも鑑賞価値があると思う。薔薇の先輩方が原種に夢中になるのもよくわかるというものだ。

実は、私は単純に「色」としての好みを言うなら、黄色はそれほど好きな色ではない。むしろ苦手かもしれない。花の色でも鮮やかな黄色は敬遠する。が、薔薇シーズンの先駆けとして咲きはじめる黄色い薔薇たちの色は、どれもやさしくおおらかで気持ちを和やかにしてくれる。ひとつくらい、わが家に欲しくなってきた。

*ということで売店でプリムラの小さい苗をお買い上げー(^_^)
*まだ小さいから、花を見るのは来年?再来年?
*じっくりじっくり育てることにしましょう。
*暑さに弱いようなので、夏は北側に避難だな・・・
*売店の方が園内よりも混んでいたような(^_^;
*陽射しが強くて撮影向きの日ではなかったです。はい。
*思わず園内の売店でビールを買って飲んじゃった。
*さて、明日は近場の散歩でもするかな。それとも・・・
薔薇記、更新。
Walkin'、更新。
| - | 20:38 | comments(2) | - |
雨に負けぬ花
07-0428
・・・雨上がりの水たまりは、揺らめく大きな鏡・・・

午後2時過ぎだったろうか、仕事を終えてタバコを買いに出ようとしたら雨がパラパラと降ってきた。しばらく前から急に暗くなってきたので慌てて出かけたのだが、間に合わなかったようだ。

雨足は次第に強くなり、普段は子供たちで賑わう公園もひっそり静まり返っていた。雨の日の公園を歩くと、ブランコやすべり台がしばしの休息を楽しんでいるように見える。子供たちの活気の余韻を黙って愉しんでいるようにも見える。桃も桜も終わり、
下草は思うがままにのびて雨に濡れている。

今の時季、ちょうど牡丹の花が満開を迎え、大切に育てている花に傘を差しかけている庭をよく見かける。主の愛情を見るようでほほ笑ましいが、雨に濡れた牡丹もまたいいのではないかと思う。

仕事部屋でパソコンに向かいながら、俯きながら雨に濡れる薔薇の花を見るのが私は好きだ。植物にとって、雨は太陽の光同様歓迎すべきものなのだ。花びらが傷んで気にするのは人間だけ。滴をまといながら俯く花は美しい。

今日歩いている時、カクテルという赤い薔薇を見かけた。中心に黄色が入る一重の花で、どちらかというと苦手な色あいの花。しかし、雨に濡れて俯く花はいつになく風情があってよかった。Flowers Never Bend With The Rainfall・・・サイモンとガーファンクルの歌を思いだした。

そう、花たちは決して雨に負けたりなどしないのだ。雨に散ることはあろうが、それは花たちが雨を静かに受けいれ、雨と一緒に土に帰っただけなのだ。

*予定通り宅配便が午前中に到着。
*電話打合せの後、さっそく取りかかった。
*予想より分量が少なかったこともあり、午後2時ごろに無事終了。
*2日までにやっておかねばならないことは一応やったかな?
*週明けに何かあるかもしれないが・・・電話よ鳴るな!(^_^;
*あややや。持っている本をまた頼んでしまった。
*持っているような気はしたのよ。一応調べたのよ。でもその時はなかったのよ。
*いい本なので、まあいいか。
*ロッテがこんなチョコを出しましたね。
*ラズベリー好き。ベリーベリー大好き(^_^)
*期待していますよ、お口の恋人さん!
| - | 19:50 | comments(3) | - |
「皮肉」と「イヤミ」
07-0427
・・・トコトコ、トコトコ。あっという間に目の前に・・・

どうやら鴨長明は皮肉屋だったようである。平安時代から鎌倉時代という激動の時代、思うに任せぬ人生を送らねばならなかったことも関係しているのかもしれない。しかし、方丈記に見る鋭い考察を読むとき、これは生来の素質だったのではないかと思えてくる。そして、長明が皮肉屋だったらしいと知り、ある種の親近感を覚えた。

この日記をある程度読んでくださっている方なら、「なるほどね」と思われるかもしれない。「やっぱりね」と少し身を引きながら微笑むかもしれない。そう、私は皮肉が嫌いではないのだ。

物事を批判する時の方法として、真っ正面から物申すという手もあるが、常にそんなことをやっていては身がもたない。身が持たないばかりでなく、明らかにそんなことをし
ても無駄なことだってある。そんな時はやや斜めに構え、皮肉のひとつでも言いたくなるではないか。意地悪だとか性格が悪いとか言われようと、「いい人」だと思われたいとは思っていないのでいいのだ。

ところで、「皮肉」と「イヤミ」の違いとは何だろう。同じだと思っている人もいるかもしれないが、私は違うと思っている。「皮肉」は物事の本質を突くが、「イヤミ」は単なる負け惜しみや意地悪から出るもので、本質と関わりないことが多いというの
が私の感覚だったが、国語辞典で調べてみるとどうやらそうでもないことがわかった。

●皮肉
【1】(相手を非難・批評する気持ちで)事実の反対のことを言ったりして、意地悪く、遠回しに相手の弱点を突くこと。
【2】意地悪な様子。
【3】(物事がすべて思い通りにならず)ぐあいの悪いことばかり起こる様子。あいにくな様子。

●イヤミ(厭味)
【1】相手に訴える刺激が強過ぎて、不快な感じを与える様子。
【2】客観的にはそれなりに筋が通ってはいるが、その際そう言わなくても(しなくても)いいのにと思われることを言ったりしたりして、相手の癇に障ること。また、その言動。

以上は新明解国語辞典(第四版)の解説だが、「そう言わなくてもいいのにと」なんていう辺りはさすが新解さんである。

が、皮肉ってそういうことだったんですか?と少々意外だった。国語辞典の説明がすべて正しいとは限らないかもしれないが、とりあえず私の間違い、勘違いということにしておく。

しかし、それではちょっと気が済まないので、今度は英語の辞書を持ちだしてきた(研究社のNEW COLLEGE JAPANESE-ENGLISH&ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY)。

●ひにく
sarcasm satire irony (反語的) ; cynicism(冷笑)

●sarcasm
皮肉、あてこすり、いやみ、風刺(cf.irony)

●satire
【1】風刺 【2】皮肉、いやみ


●irony
反語;(穏やかな)皮肉、あてこすり、いやみ



うーん。まだなにかぴんとこないが、考えてみたら辞書の定義はある意味表層的なので仕方ないのかもしれない。私の「皮肉」観は、どちらかというと「風刺」に近いような気がする、ということにしておこう(^_^;

で、突然鴨長明の話に戻るが、長明はジャーナリストの如く現場主義者であり、あの時代の悲惨さを実際自分の目で見て歩いたらしい。盗賊に脅えつつ邸内にこもっていた貴族たちとは違うのである。だからこそ、長明の簡潔な文章は説得力がある。加えて長明には時代を見つめる鋭い視線があり、それが(私が考える)皮肉となって出現する。それが小気味いいのだ。

長明はエッセイストであり、音楽家であり(琵琶の腕前は相当だったらしい)、また歌人でもあった。歌論書を著しているくらいだから知識も相当あったのだろう。しかし、歌人としては、たとえば藤原定家と比較して無名に違い存在である。そんな長明が「歌」について鋭い皮肉を言っている・・・というか言いきっているのがおもしろい。

「中古の体は、学びやすくして、しかも秀歌はかたかるべし・・・今の体は習ひがたくして、よく心得つれば、詠みやすし」

「中古の体」というのは昔の歌、とくに新古今集以前の歌のことらしい。「今の体」は定家などを中心にして当時流行っていた、いかに本歌取りを上手にするかを重要視するスタイル。

つまり長明は、「昔のスタイルはわかりやすいがいい歌を作るのは難しい。今のスタイルは難しいが習得してしまえばいい歌をつくるのはカンタンである」と「地下人」の身分でありながら有名歌人(貴族や僧侶が主メンバー)を堂々と批判したことになる。

話があちこち飛んで恐縮だが、私はこのような皮肉が好きだということを言いたかったのだ。「皮肉」でも「イヤミ」でもどちらでもいい。本質を鋭く突く物言いは気持ちいいものだ。たとえその矛先が自分に向かっていて、少なからず自分が傷ついたとしても、痛みの中にどこか気持ちよさがあるように思う。

*昨日あんなこと(メリハリ云々。リズム感云々)を書いたばかりだというのに。
*だらだらと長く書いてしまって・・・
*やっぱり考えながら書くとこうなっちゃうのよね。いかんね。
*それはさておき、今日は何故かぽっかり時間が空いてしまった。
*来るべき仕事が来ない!一番やっかいなヤツが!
*もしかして連休明けにずれ込むとか?うひひ。
*と思っていたら、そうは問屋がっ!
*来ましたよ、電話が。夕方に。しかも資料は明日着で。
*結局予定どおり2日までは仕事だな。はい、ぶつぶつ言わずにやります。
*todayの「photo」>「eyes」にモノクロの桜をアップ。
薔薇記、更新。

| - | 19:49 | comments(2) | - |
リズミカルな文章
07-0426
・・・プロの道具はやはり面白い。しくみや機能を知らなくても・・・

「方丈記私記」をやっと読み終えた。さほど長編ではないのだが、なにせ読むのが電車の中だけなので時間がかかった。

巻末に著者である堀田善衛氏と五木寛之氏の対談が掲載されており、なかなか鋭い考察などもあって興味深い内容だった。

たとえば、方丈記の文体にはリズムがある、という五木氏の指摘もその一つ。なるほど冒頭部分だけとはいえ古典を暗記するのは難しいが、方丈記はさほど苦労せず覚えることができた。文体にリズムがあるので覚えやすかったのだろう。

そして五木氏はさらに進めて、ブラジルの秘密宗教の儀式に触れ、太鼓と掛け声だけではあるがリズムのある儀式を行ってい部族とただ説教だけする部族の話を比較。宗教の方がそうでないものより大衆的な傾斜を持っていることから、リズムのある文章は他者に対する働きかけがあるからではないかと推測している。

また、「広告代理店の優れた人が書く、いいコピーみたいな部分」がところどころにある、という指摘にも、まさにその通り!と言いたい。方丈記は随筆としてもかなり短いもので丹念に読んでも1〜2時間で読めるものだということだが、その短さははじめから短いのではなく、そぎ落とすという試みを何度もした結果の結晶のようなものに似ていて、広告の世界のコピーライティングと相通じるものがあると思う。

広告のコピーの最終目的は、対象(消費者など)を納得させる、説得することにある。だから、読みやすく、インパクトがあり、気持ちの中にぐいっと入っていく鋭い切り口が必要となってくる。そういった意味で、方丈記はまさに誰かに読ませる、もっといえば誰かの共感を獲得することを目的に書かれたものであるといえるのではないだろうか。

リズム感のある文章は読んでいて気持ちいい。気持ちよさを感じているうちに、共感が生まれ、その文章が忘れがたいものになる。ごく私的なものとはいえ、この日記もそうあることを目指さなくては・・・だらだらと長く書いていないで、メリハリのある軽快なリズムを刻みたいものである。

*昨日までとはうって変わったいい天気でしたね。
*郵便局に行っただけで、後はほとんど家にいたけれど・・・(T_T)
*もしヒマだったら、そそくさと出かけていただろうなぁ。
*まあ、こんなこともあるさ。
*夜は久々に地元のこぎれいな居酒屋へ。
*イサキの刺し身がおいしかった。最後の梅茶漬けも。
*さ、明日はまたがんばろうではないか。
| - | 22:33 | comments(0) | - |
ちょうちょ結び
07-0425
・・・どこにでもある花が、ふっと官能的に見える時がある・・・

この春はトレンチブームらしく、寒暖の差が大きい今ごろの時季はどこへ行ってもトレンチ(風)のコートを着ている女性が多い。買った店も値段もそれぞれ違うのだろうが、ざっと見ただけではみな同じに見え、同じコートを着た女性がゾロゾロ歩いている光景は少し異様な感じさえ与える。

トレンチ(風)コート姿のお嬢さん方を見ていて、以前から疑問・・・というよりもケッタイなことだと思っていることが自然と頭に浮かぶ。何故、みなさんベルトを後ろにまわし、ご丁寧にリボン結びしているのか。ひょっとしてこれが流行で、私がそれを知らないだけなのか。流行だとしても、あまり趣味のいい流行ではないなぁ、とひそかに思っていたが、昨日スタイリストの人と仕事をしたので聞いてみた。彼女の考察は、以下の通りである。

(1)前ボタンをはずした時、ベルトのやり場に困るので後ろで結んでいる。
(2)商品を売る場(=店)が、そのようなスタイルで展示しているのでそれに倣っている。
(3)「リボン」がトレンドなので、コートのベルトも後ろでちょうちょ結びしている。

私が推測するに、(2)をきっかけとして誰かがやりはじめ、それを見た誰かが真似をし・・・次第にトレンチのちょうちょ結びが蔓延したのではないか。

しかし、前ボタンを外して着ている時はいざしらず、前ボタンをきっちりかけているのにベルトは後ろでちょうちょ結び、というのはやはりいただけないような。一昔前、サラリーマンのオヤジさんたちがトレンチコートのベルトを後ろで締めていたのがやけに気になったのだが、ついそれを思いだしてしまうのだ。

ベルトのある服は基本的にベルトを締めた方が格好がつくと思う。締めないのであれば、それなりにセンスよく着崩してほしいものだ。スタイリストが好きなトレンチの着かたは、ボタンを締めずに前を合わせてベルトをキュッと結ぶというスタイル。ローブをはおるような感覚だが、私もそれはなかなかいいと思う。

言わずもがなのことだが、トレンチコートはもともとイギリス軍の軍用コートだ。「トレンチ」とは「塹壕」のことで様々なデザイン的工夫により泥濘地の塹壕における耐水性を保持した衣類で、それぞれのディティールにはきちんと役割がある。

軍用ということは男性用であり、戦争とは無縁になった今でも男性向きのデザインだといえるだろう。それを女性が着るには、やはりそれなりの意気込みとセンスが必要だと思う。片意地張っているわけではないのだが、トレンチコートについてはとくにそんな思い入れがある私であった。

*今朝はなんか具合悪かったなぁ。だるいし目が疲れている感じ。喉も痛いし。
*風邪のひきはじめにはビタミンCと亜鉛がいいと聞いたので、まずそれを飲む。
*目の疲れにいいというビタミンB類のサプリメントを飲む。
*少し頭も痛いのでバファリンを飲む。
*そして、えいや!と気合いを入れて出かけた。なんとか凌げてよかった。
*今日の撮影は長引いたなぁ。帰宅したら11時半回っていた。ひ〜
*夕食を食べていなかったが、作る気力なし。
*かといって弁当を売っているところもなし。
*息子も腹を空かせているし・・・やむなく駅前のマクドナルドに。
*玄関を開けて入った途端、目の前に猫のゲ○が!
*わびしい味がさらにわびしくなってしまったじゃないかー
*Walkin'のBBS、またスパムが蔓延(T_T)
*むきー!またサポートに相談しなくちゃいかんのか・・・
*明日はめいっぱい仕事なので、今日はもう余計なことは考えず寝る!
| - | 23:57 | comments(6) | - |
MOLESKINのノート
07-0424

ペーパーレス社会と言われて久しいが、私にとってそれは仕事上のことでしかない。もともと私は紙そのものが好きなので、プライベートでは紙の存在を嬉しく思っている。

スケジュールは結局PDAよりも手帳がよかったし、小説はやはり本で読みたい。請求書は多少妥協はしているものの気に入った封筒で送っている。目的もなく昔の包装紙の復刻版などを買い求め、そのいかにも安っぽい色や柄を楽しんでいる。

最近使っているMOLESKINのメモ帳はここ数年出会ったノート類の中で一番気に入っているものだ。手のひらサイズの薄いノートで、表紙はいわゆるクラフト用紙。無印良品野ノートにもあるような表紙だが、これが似て非なるものなのだ。

どこが非なるものかというと、手触りが違う。取扱をしているところの説明によると、この表紙は厚めのカードボード、ということになっている。何の変哲もないクラフト用紙のように見えて、妙な艶がなくざらざらした手触り。これがいい。バッグの中に何気なく入れて持ち歩いているとだんだん表紙が擦れてくるのだが、その擦れ具合もいい。ボサボサになりかけても、どこか味わいがある。この手触りというのが、私の紙に対する好みを左右する大きな条件のひとつで、見た目がよくても手触りがよくないと今ひとつ愛着がわかないのだ。

中面は無地のタイプと横罫のタイプがある。私のは横罫タイプだが、中とじの後半部分のページにはミシン目が入れられており必要とあれば切り取ることができる。そんな工夫もいいし、第一インクが乗りやすいというか、書いていて気持ちいい。

ペーパーレス社会といっても、まだまだ世の中には紙が溢れている。しかし、このメモ帳のように愛着が持てる紙製品には滅多にお目にかかれない。もっと厚みがあり黒く立派な表紙のものもあるが、当面はこのカードボードの表紙のものを使おうと思う。無造作に扱うことができて、紙の質感がいい・・・当分MOLESKINのお世話になりそうだ。

*MOLESKINについては、こちらをどうぞ。
*ネットでも手軽に買えるようになった。私はABCで。
*今日もなんだか寒い・・・おおい!春はどこに行った?
*スタジオにいると足がだるくなる。立っていることが多いから。
*明日1日、なんとか乗りきろう。
*雰囲気は和やかでいいのよ。もう少し他の仕事が差し迫っていなけりゃねぇ。
*頭の中では処理できなくなってきたので書き出しておくことにした。
*とりあえず5月2日までは仕事。
*天気がすごーく良くても。土曜日でも日曜日でも。とほほ。
*タバコをブリーフケースに入れていたら、大好評!(^_^)
*私のはマト柄だよん。
| - | 22:27 | comments(0) | - |
世中にある人と栖と、またかくのごとし
07-0423
・・・朽ちて、朽ちて、朽ち果てそうなものが私を呼ぶ・・・

鴨長明といえば「方丈記」がまず頭に浮かぶが、長明はエッセイストであるだけでなく歌人でもあり、「発心集」(説話集)、「無名抄」(歌論書)も著している。

「方丈記」はぜひとも原文で読みたいと思っていたが、「発心集」もなかなかおもしろそうだ。たとえば、「方丈記私記」(堀田善衛)で紹介されている「発心集巻五」にある「貧男好差図事(貧男差図ヲ好ム事)」。

「差図」とは「設計」のことで、家の設計をすることが好きな貧しい男の説話である。住所不定で破れ寺で雨露を凌いでいるような貧しい男がいる。その男が朝夕好んですることは、紙や反故を集めて家の設計図を書くことだ。門はこれこれ、寝殿はこれこれ、というように次から次へと家の設計をして日々を送っていたので、周囲の人びとからは変人扱いされていた。そんな話の後で長明はこう書いている。

彼の男があらましの家は、走りもとめ作りみがく煩もなし。雨風に破れず、火災の恐れもなし。なす所はわづかに一紙なれど、心を宿すに不足なし。

つまり、実際広大な敷地に趣向を凝らした家を建てたとしても、自分が日頃寝起きする場所はごく限られた空間であり、そのほとんどは自分以外の人間のため、あるいは牛や馬のためであったりもする。百年千年も長持ちする家にしたいと材料を厳選しても、自分の命はそこまでもたない。主がいなくなった家は人手に渡るかもしれないし、風雨にさらされ朽ち果ててしまうかもしれない。ましてや火事にでも遭ったらあっという間に消えうせてしまう。その点、その男の家は様々な煩いもなく、朽ち果てたり焼け落ちたりもしない。設計図は単なる1枚の紙切れだが、心を宿すに不足はない。

ここで私は、モノの豊かさより心の豊かさ、などと陳腐なことをいおうとしているわけではない。モノによって心が豊かになることもあるだろう。が、私はこの説話と長明の物言いが、人間の欲望の限りなさと自分が死んだ後のことまで欲望の範囲に入れてしまう行為に対するアイロニーであるように思われる。そしてこのアイロニーは実に気持ちいい。

生きている間にできるだけ多くの金を稼ぎ、立派な家を建て家族に残しておきたいと思うのは「家族愛」かもしれない。が、もし愛が無償のものであるなら、何かを残す残さないはあまり関係ないのではないか。

個人的には、自分で得たものは自分が死ぬまでに使い果たした方がいいと思っている。結果的に何かが残るかもしれないが、できるなら何も残したくない。以前山のような本やら実用に適さないあれこれを残してPPK(ピンピンコロリ)して、息子を困らせてやるんだ!と言ったことがあるが、それはもちろん冗談である。自分の死期がもしわかるなら、それまでに少しずつ身の回りを整理して最後は身ひとつになっていたいものである。

*ふひ。第一日目は予想外に早く仕事が終った。
*明日、明後日はこうはいくまい。
*不穏な動きをしそうな仕事も2つ。うーん。
*でも、なんとかなるだろう!なんとかしなくちゃ!
*夜、ほぼ1年ぶりに広島の友人から電話あり。久しぶりー(^_^)
*なんとか元気そうでよかった。
*コピーライターという仕事があるのを教えてくれたのは貴女ですよ>Mさん
*ここも読んでくれているようで、写真を褒めてもらった(^_^)
*絵や写真や映画や芝居や、いろいろなものを見ている人だけに嬉しさひとしお。
*これからも、どんどんモノクロ道に精進しますよー
*いつとはまだ決められないが、京都を案内してもらう約束をした。
*すごーく楽しみ(^_^)
*さぁて、さっさと寝るかな!
| - | 23:29 | comments(3) | - |
桜への旅
07-0422

4月もあと10日あまりで終わり。私にとって桜の季節もほぼ終ったに近い。が、写真を撮るのは終わりでも、桜についての本はもうしばらく読もうと思っている。

毎年桜のことが気にかかりはじめると、以前日記にも書いた「桜の樹の下には」(梶井基次郎)と「桜の森の満開の下」(坂口安吾)を読む。

もはやこれは年中行事に近いもので、この2冊の文庫本はかなりヨレヨレになっている。「桜守」(水上勉)もやはり数回読んだ。今年はそれらに加えて「桜のいのち庭のこころ」(佐野籐右衛門)を読み、だいぶ前に読んだ「桜と日本人」(小川和祐)も再読。読みたい本はもっとあるのだが、絶版になっているものが多く図書館に行かないと読むことはできなそうだ。

「桜と日本人」を最初に読んだのは10年近く前だったと思う。しかし、今回再読してみて、新たな発見をすると同時に現在私がもっている桜観と相通じるものが多いことに気付いた。

私はソメイヨシノが嫌いなわけではないが、この辺りではどこへ行ってもソメイヨシノばかりであることを不満に思っている。もっといろいろな桜を植えてもよさそうなものだと思っているのだが、この本にも似たようなことが書かれている。もっとも、著者の小川氏と違い私は佐野籐右衛門さんに感化されているのかもしれないが。

梶井の桜も坂口の桜もソメイヨシノでなければならぬ、という観点は私も多いに共感できる。何度か書いているが、ソメイヨシノは人口美の極地というか、花として異様であるように思われるのだ。あの咲きかたは尋常ではない。その異様さが梶井に「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書かせたのだと思うし、坂口に「花の下は涯がない」と書かせたのだと思う。いずれも「死」や「狂気」が漂う作品だが、おおらかな山桜ではこうはいかない。

などと思っていたら、そういえば井上陽水の「桜三月散歩道」もソメイヨシノだな、と気付いた。調べてみると作詞は長谷邦夫さんという人で私は知らないが、改めて歌詞をなぞってみるとここで歌われている桜とはソメイヨシノ以外にはありえないと思える。とくに3番に当たる歌詞からそれを感じるので、以下に引用する(こちらから引用)。

ねえ君 二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば人が死ぬ
町へ行けば人が死ぬ
今は君だけ想って生きよう
だって人が狂いはじめるのは
だって狂った桜が散るのは三月


「桜守」のモデルと言われる笹部新太郎氏の著書「桜男行状」が読みたいのだが、絶版状態。今ネットの古書店を当たっているところだ。本棚のどこかに眠っている古今集や新古今集も出してきて読みたい。いつまで続くかわからないが、私の「桜への旅」は始まったばかりである。

*お天気、なんとか持ちこたえてくれてよかった。
*今日は大田区某所をぶらぶら。
*あの辺りは小さい町工場も多くておもしろい。
*でも、やっぱり3時間以上歩くとさすがに疲れるなぁ。
*明日から3日間はスタジオに缶詰め。
*もし少しでも抜けられるようだったら別件の打合せに。
*撮影はけっこう緊張が続くので体力維持に努めなければー
薔薇記、更新
Walkin'、更新。人を多く撮っているので場所は明記しない。
| - | 21:05 | comments(0) | - |
気力信仰?
07-0421
・・・たわわに実をつける無患子の木。いつまでもそこにいてほしい・・・

体力には全く自信がないし、年齢ゆえの衰えを実感することが多い私ではあるが、妙に「気力」を信仰しているところがある、と自分でも思う。

私の「気力」とは「根性」とは似て全く非なるもので、スポーツ会系の精神力には全く自信がない。なんとかかんとか自分の中のバランスを取りながら、ちょっと具合が悪くてものらりくらりと乗りきる力、とでもいおうか。

自慢にもならないが、ここ数年風邪で寝込んだということがない。風邪気味だなと思ったことは数回あったが、知らないうちに直っていた。寝込むのは情けなくも酒を飲み過ぎた時くらいで、やれ座骨神経痛だ、やれ頭痛だといっても寝込むという状態にまではならない。生来丈夫な体質なのかとも思うが、若いころのほうがもっと軟弱だったように思う。

生まれつき体が弱い人もいるだろうし、深刻な持病を持っている人もいるだろう。そのような場合は自分の体と相談しつつ、無理をしない生活態度をとらなければ命取りになるわけだから、それはそれで大変なことだと思う。が、そうでない場合は、気力さえなんとか保てばなんとかなるのではないかと・・・思っている(思いたい)私がいる。

だいぶ前になるが、ある人が私の日記を読んで「どこか具合が悪い時、とりあえず治療して無理せず過すのではなく、とことん具合が悪くなるまでそのままにして反動で立ち直るタイプ」と評したが、あながちはずれてはいない。どんどん具合が悪くなるのを無為に手招きしているわけではないが、下手な小細工をしても仕方ない、なるようにしかならぬ、といった居直りはあるかもしれない。

が、こんな状態がいつまで続くのかという心配がないことはないのだ。気力にも限界があり、気力で押さえることができなくなった時、ポキリと命取りのヒビが入ってしまうのではないかと思うこともある。が、一方で、今気を緩めたら際限なく落ちていくような気がする。その方が怖いのだ。

寝不足でも風邪気味でも神経痛でも、まだまだ元気に動きまっせ!と、強がりを言っている方がなんぼか精神的にラクなのである。

*ふと、もう先が短いからだったりして・・・と思ったりすることも。
*いやいや、先のことは誰にもわからんて。
*体脂肪率13%なので雪山で遭難したら真っ先に死にますね。
*タバコも吸うので、たぶん癌になりますね。
*それでも今元気ならいいやって・・・一種の快楽主義でしょうか。
*今日は遊ぶどころではなかった(T_T) 一日中、仕事だよぉ。
*GWってなんですか? ってな感じになりそう。
*去年も今ごろはそこそこ仕事が入っていた。
*夏になるとぐっとヒマになるから、今のうちに稼いでおかなくちゃね。
*今日はこれから、地元で美味しい焼き鳥を食べる。うひひ。
| - | 19:05 | comments(7) | - |
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