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「快楽の園」

18-0227.jpg

一昨年あたりから画家をテーマにした映画が多く上映されている・・・ような気がする。いちいち記録していないので数まではわからないが、「あ、まただ」と思ったことは覚えている。見たいと思っていたものの見逃してしまったものもある(たとえば、「ゴッホ最後の手紙」など)。

昨日は数あまた存在する画家の中でもかなり不思議な絵を書いた画家を取上げた映画を観てきた。このところ展覧会ばかり行っていて映画をチェックしわすれていたのだが、危ういところで気づいた。セーフ!

観たのは「謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス」である。以前、「バベル」展について書いた時(昨年4月23日)にも触れたが、かの「快楽の園」を描いたと言われている画家だ。この絵の不思議さについては今までもあちこちで取上げられているが、今回の映画もまたその謎の奥深さに観る者を誘う内容になっている。

そもそも、ヒエロニムス・ボス本人についての記録がほとんどない。どういう人だったのか全くといっていいほどわからないのだ。没後500年、現存する作品は25点のみ。肖像も自画像もないのだ。

「快楽の園」(この題名も後から付けられたもののようだ)はボスの代表作にして美術史上最も異才を放つ傑作として知られている。所蔵しているプラド美術館の全面協力を得て作られたのが今回の映画で、各界の知識人たちが思い思いに絵について語るという構成だ。

歌手、音楽家、作家、歴史家、哲学者、漫画家、美術史家、神経科学者、修復家、学芸員・・・「快楽の園」を詳細に観ながら、ある人は分析し、ある人はひたすら驚き、ある人はさらなる謎を発見する。多彩な反応を見ているうちに、この絵ははじめから鑑賞者にゆだねるつもりで書いたのではないか、あるいは系統的な謎ではなく断片的な謎をいくつも象徴化してボスだけにしか作りえぬ世界を描いたのではないか、などと思えてくる。

それにしても見れば見るほど興味深い絵である。色やフォルムは美しいが、ひとたび「これは何だろう?」と解釈しようとすると奇妙なこと限りない。いつまでも見ていたくなる、見ているうちに別の世界に入り込んでしまいそうな絵・・・「悪魔のクリエイター」と呼ばれたこともあったという話にも頷けるものがある。

また、この絵が祭壇画として描かれたということにも興味を覚える。とてもじゃないが、おごそかな祭壇に掲げられるような絵ではないように思うのだが、たとえば日本にも「地獄絵」のようなものがあるわけだから不思議ではないのかもしれない。しかし、おぞましさもまたすべて寓意的に表現されているものだから、意図がわからず見るものはそこでずっと立ち止らざるをえなくなる。

悪魔的といえば悪魔的なのかもしれないが、私はそういうものに滅法弱い。実際にじっくり見てみたくなる。また、三連の祭壇画なので普段は閉じられているこの絵の扉がゆっくりと開かれていくところも見てみたい(映画ではそんなシーンがある)。かなりワクワクしそうだ。

先日横浜美術館に行った時、ミュージアムショップに展示されている(もちろん販売もしている)ボスの絵に出てくるキャラクター(?)のフィギュアを見てきた。まだあってよかった。いつか一つか二つは欲しいものである。

映画とは全く関係ないのだが、今回も利用した映画館にはスタンプカードがあり、1年間で8個スタンプがたまると1作品無料で見られる。昨日で8個になったのだが、期限が明日まで(^^;) さて、どうするか。見たいものもあるので、また行こうかな。

18-0227-2.jpg“tree man”と呼ばれている奇妙な登場人物(?)

| - | 09:12 | comments(2) | - |
ヒエロニムス・ボスの世界観は本当に魅了されますよね。
彼の独特な美しい色彩とは裏腹に、描かれている細部のキャラクターたちは、すみごんさんがおっしゃるように我が国の地獄絵や、珍妙でどこか滑稽な妖怪図のような印象を受けます。
しかしながら、西洋にも地獄絵がございますし、我が国のそれと等しく当時文字も書けない・読めない民衆のために人間の業や罪、欲、愚かさ、死後の世界観をヴィジュアルで表現し、教会や神社で説くために用意されたものの中でも一際異彩を放っています。
どうして、そういう発想が湧いたのか、よくよく観察してみると、例えば当時は珍しかった異国の動植物らや、身近にある用具や調理器具などと人間がミックスされている姿がちらほら・・・。
それでいて、あたかも実際にこの世にそういう魑魅魍魎みたいな輩が存在しているかのようなリアリティ。
数百年後の我々現代人に、北斎や国芳など江戸の浮世絵師が描いた様々な想像上のキャラクターたちが訴えかけるものが、単純に聖書の中の血も涙もない暗黒の悪魔像とは違い、どこか人間らしい部分を残しているからなんでしょうね。
おそらく、ヒエロニムス・ボスという人は人間や身の回りの物に対して鋭い観察眼を持っていて、想像上の観たこともない遠くにある地獄を描くよりも、身近の親しみ易いモチーフをディフォルメして描くことで、より誰も観たことのない異風な世界観を表現していることに成功しているのではないかと思います。
そういう意味では妖怪大国ニッポンの我々の感性を刺激する要素が多分に含まれている気が致します。
ボスの時代に人々の心のベースとなった聖書には描かれていない部分で、ひとつの宗教観を通し全く他に追随を許さぬ人間の業や恐れなどを実に不思議な形で表現している気が致します。

ところでヒエロニムス・ボスの自画像はございませんが、ボスと推察されている肖像はウィキなどに出ていますね。
画家一族のひとりなので実際は習作のためにも自画像や家族が描いた肖像画が存在したのでしょうが、作品の多くが16世紀の宗教改革運動での偶像破壊のあおりを受けて紛失したようで(wiki調べ)、その事実を知るにつけもっと彼の他の作品が現存していたらと思うと勿体ない気持ちになります。
| Godspeed | 2018/02/27 10:12 AM |
*Godspeedさん

本当にボスには魅了されるというか、魔力がありますね。
日本の地獄絵などとの違いのひとつに「寓意」があるように思います。
ボスの絵は寓意で満ちているように見えるのですが、そう見えることをあらかじめ承知で遊んでいるのかもしれないとか・・・いろいろ考えるとやはりつかみ所がなく、またそれが魅力になっているような気がします。

こういった絵を当時の貴族たちがこぞって依頼したというところも興味深いです。
時代背景や世相などもけっこう関係あるんでしょうね。

ボスの自画像とされる絵はあるみたいですね。
映画の中で、tree manがボス自身の顔なのではないかと指摘している人がいました。ああいった顔だったのかなぁ。

本当にもっとたくさんの作品を見たかったです。 日本でも廃仏毀釈がなされて多くの仏像を失っていますね。宗教はおそろしい!(^^;)
| すみごん | 2018/02/28 9:49 AM |









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