縁あってお付合いするようになった明大前の小さな印刷会社「七月堂」。印刷の方には今のところ用事はないのだが、1年半ほど前に古書部ができてからたまにお邪魔して本の話だけでなく、動物のこと、体調のこと、手仕事のこと、などをあれこれ雑談して帰る。もちろん、本棚に並ぶ本も眺め、気に入ったものは買う。
昨年あたりから、自分の本を整理しがてら何度か本をまとめて送っている。古書の商いというのはなかなか難しく、印刷業という柱があってこそ成り立っていると担当のSさんは言っていたが、それは想像に難くない。チェーン店など一部を除けば、ほとんどが本が好きで本好きの人たちとのおしゃべりが好きで、薄利を覚悟の上で古書店を続けているように思われる。
七月堂古書部を応援したい気持ちがあるので、当初は「寄付」というかたちで送っていた。が、先方から値段は安いと思うが「買い取り」させていただきたい、というありがたいお申し出があり、途中から買い取っていただくことになった。値段はおまかせで、古書部の「図書券」(?)としていただき、それを使って欲しい本を買うことができる。
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昨日は久しぶりに渋谷の面倒な乗り換えをものともせず(やっぱり遠いよ。東急線ー井の頭線間)行ってきた。インスタでちょっと気になる本がいくつかあったし、月末には改装工事が佳境に入り休業する予定だと聞いていたから。
いつものように本についてあれこれ盛り上がり、気になっていた本とふと目に付いた本を買ってきた。今まで買い取っていただいた本の代金が思いの他多くてふとっぱらになってしまった(^^;)。
買ったのは「いちばん美しいクモの巣」(アーシュラ・K・グウィン作/ジェイムズ・ブランスマン絵/長田弘訳)と「きんぎょ」(ユ・テウン作/木坂涼訳)、「真珠母の匣」「悪夢の骨牌」(ともに中井英夫)、そして小さな詩集「耳の人」(西尾勝彦)の5冊。
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夜、さっそく「いちばん美しいクモの巣」を読んだ。この本は「詩人が送る絵本」というシリーズの中の1冊らしく、翻訳をしている長田弘さんも詩人だ。この本を選んだのは「この絵本を手にしたという記憶を、できるだけおおくの人と共有したかったから」だそうである。
この物語に出てくるのは、リーゼという「世界で一番美しいクモの巣」を作りたいと願う1匹のクモである。かつて王様が住んでいたという誰も住まなくなって久しい建物の中で、リーゼは食べることも忘れて美しい巣を作ることに熱中する。人が住まなくなった建物の中には、クモの餌となるハエも少なくなってリーゼも空腹を覚えることが多くなった。が、食べることより美しい巣を作ることがリーゼにとってはたいせつだったのだ。
リーゼは壁の絵を真似て狩人、猟犬、角笛のようなデザインの巣を作った。カーペットを参考にして葉や花をデザインした巣も作った。しかしどうにも自分が作った巣には満足できなかった。なぜなら、かつて見た王様の椅子にあしらわれていた宝石の輝きが自分の巣にはなかったからだ。宝石の中に宿っていた光が自分の巣にはない・・・
一晩中宝石のようなクモの巣をめざしてリーゼはがんばり続けた。ある日リーゼが疲れて眠っていた時、いきなり人間は入ってきた。建物内をきれいに掃除し、歴史記念物として美術館にするらしい。クモの巣はいともたやすく取り払われてしまいそうだ。ピンチ!(死語?)
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しかし、リーゼが作った巣の美しさに気づいた人がいた。見事なクモの巣の前で二人の女性は立ち尽くし、その美しさにみとれ、美術館の専門家を呼んできた。専門家たちはクモの巣に戸惑いながらも「このすばらしいタペストリーを美術館に来る人に見せるべきだ」ということでは意見が一致した。
かくして繊細なクモの巣を保護するためにガラスケースが作られ、リーゼの作品はその中に収められた。困ったのはリーゼだ。巣をガラスケースの中に入れられてしまってはハエを捕ることができない。リーゼにとっては死活問題なのだが、人々にとってたかがクモ1匹どうでもいいことなのである。
女の人たちは部屋を掃除しはじめた。そしてリーゼを見つけた。クモが怖い人はふりおとして踏んでくれと言った。が、もうひとりは「クモを殺すと、幸運が逃げちゃうのよ」と言って、そっとリーゼを外に出してやった。
大きな葉っぱの上に着地したリーゼは、しばらくの間自分は死んでしまったのだと思った。部屋の中だけで生きてきたから外の世界を全く知らなかったのだ。リーゼは8個の目のうちの1つを恐る恐る開けてみた。池の水面に映る宵の明星が見えた。「あれが宝石なんだわ」とリーゼは思い、残りの7つの目も開けてみた。落ちたのは椿の茂みだったことを漸くリーゼは理解した。そして安心したためかひどくおなかが空いていることに気づき、せっせと巣を作りはじめた。
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その巣は前に苦心して作った芸術作品のような巣ではなかった。ごく普通のクモの巣だ。しかしリーゼは夜の間ずっと懸命に巣を作り続けた。夜明けとともにリーゼの巣に露が降りた。リーゼは水を振り落とそうとして巣を揺すったが水滴は落ちない。その時朝日が昇り、リーゼが作った巣に降りた露が王様の宝石よりも美しく輝きだした。ハエもやってきて巣にかかった。空腹を充たしながらリーゼは自分の巣を見て思った。「これは、いままでにわたしのつくった、いちばん美しいクモの巣だわ」
美術館がオープンし、訪れた人はガラスケースの中の巣を見て感嘆の声をあげた。しかしリーゼは葉っぱから枝へ自由に行き来しながら自分の巣を作り、朝になると露で輝く巣を見ることに満足していた。屋敷の中の意匠的な巣には満足できなかったのに、ごく普通の巣に輝く光がリーゼを幸せにしたのだ。
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この物語をどう読むか、何を得るかは人それぞれだろう。私はクモという嫌われがちな生きものがとりあげられたことがまず嬉しいし、クモを無闇に殺さずクモが作ったものに美を認める人がいるということにも救われるような気がした。が、最も感じるのは、人間の真似をして作った巣よりも、糧を得るために、つまり生きるために作った巣と自然の恵みである露や光が一体となった時、リーゼが充たされた気持ちになるというラストが一番好きだ。
わが家のベランダ(いや、家の中にも)にも時々クモが巣を張る。邪魔にならない限りはらわないことにしているが、屋外に張られたクモの巣に雨粒が並んだ様子は本当にきれいだと思う。絵や彫刻や陶芸作品など芸術作品を見るのはかなり好きな方だが、やはり人間の創造物は自然の創造物に遠く及ばない。それを確認できた1冊でもあった。
真っ赤な表紙が印象的。これからじっくり読む。
1〜2年に一度くらい中井英夫の世界にはまりたくなる。
小さな本の中にはさらに小さな字。耳の人に会いたい。