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絵のチカラ

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原爆について表現した「作品」はどれくらいあるのだろうか。私が読み続けているいくつかの文学作品、手記やノンフィクション、写真、映画、ドキュメンタリー番組・・・数えきれないに違いない。これまでは主に文学作品と写真、動画として公開されている映像などについて書いてきたが、今日は絵について。

広島平和記念資料館(「原爆資料館」の方が私にはピンとくるのだが)には被爆者たちが描いた絵の一部が展示されていたと思う。たぶんそれらの多くは1974年、75年に広島市、NHK、中国新聞社が共同で募集した「市民が描いた原爆の絵」だと思う。

市民であり被爆者である作者たちはプロの絵描きではない。いわゆる上手な絵もあれば拙い絵もある。しかし上手下手などどうでもいいと思えるくらい、それらの絵には見る者の心を打つチカラがある。添えられた解説は心の叫びである。思い出したくない被爆時の様子をある者は自らを鞭打つが如く、ある者は償いをする如く描き、書いたのだろう。

残っている写真はすべて原爆が投下されてある程度の時間が経過した時のものだ。直後の写真などないだろう。しかし彼らの絵は被爆直後の様子をありありと伝えている。「きのこ雲」の写真は見慣れているが、当時はモノクロ写真なので色まではわからない。が、被爆者たちが見た「きのこ雲」は、白やグレーのモノトーンではなく、様々な色が混ざり合った、見方によっては“きれいな”ものだったことがわかる。

道端で死んでいる人々、河辺で折り重なるようにして死んでいる人々、防火用水に群がり息絶えている人々、川を流れていく死体、無残な姿になり助けを求める人々、娘の遺体を焼く父親・・・それらは、リアルな写真以上に心を揺すぶり、私はその前で呆然となる。一筆一筆に描いた人の様々な思いがこめられており、その思いに打ちのめされるような。

上の写真は、「広島・長崎ー原子爆弾の記録」(子どもたちに世界に被爆の記録を贈る会編)に掲載されている絵だ。私が持っているのは1979年発行の第三刷でソノシート(「明日への伝言」山川啓介、いずみたく)が付いている古いものだが、今は1984年の普及版が販売されているようだ。同じもの「HIROSHIMA SPEAKS OUT 被爆者の絵」でも紹介されている。また、先日「“原爆の絵”は語る〜ヒロシマ被爆直後の3日間」という動画を見つけたので紹介しておく。

プロの絵・・・つまり絵を描くことを生業としている人の絵となると、やはりまず思い浮かぶのが「原爆の図」であろう。丸木位里・俊夫妻の畢竟の大作で、原爆の図丸木美術館で見ることができる。広島は丸木位里の故郷で、東京に住んでいた位里は原爆投下3日後に広島に行き破壊された街に呆然と佇む。そして、一週間後に広島に入った妻・俊とともに救援活動を行い、5年後の1950年原爆の図の第1部「幽霊」を発表。第15部「長崎」が描かれた1982年まで32年間夫妻は原爆を描き続けた。

その「原爆の図」が現在様々な問題を抱えている。建物の老朽化、絵を保護するための展示室・収蔵庫の未整備、そして絵そのものの傷みなどである。美術館では「原爆の図保存基金」を設けて募金活動を行っているが、本来であれば国がなんとかしてほしいものだ。

「原爆の図」以外にも、丸木夫妻は様々な原爆の絵を描いている。有名なところでは「ひろしまのピカ」(丸木俊)がある。これは1960年代、北海道において「原爆の図」の展覧会を行った時に出会った一人の女性の話に基づいて作られた絵本だ。

展覧会場にひとりのおばさんが怒った顔をして急ぎ足で入ってきた。じっと絵を見た後出てきていきなり話始めた。おばさんは広島で被爆し北海道にやってきたのだが、広島から遠く離れた北海道の人たちはみな不親切だという。ピカの話をすると、「大げさに言うて、人の同情をひこうと思うとる」とかげ口を言われ、以来おばさんはピカのことを言わない、言ってやるもんか、と思いつつ過ごしてきたという。

だから、原爆の図の展覧会場を通りがかった時、人の苦しみを見せ物にしていると思い通り過ぎようとした。しかし気になってまた戻り、いや見てやるものかと通り過ぎ、を繰り返した後意を決して会場に入ってきたのだった。そしておばさんは、近くにおいてあったマイクをいきなりつかみ、「ここに来ている人なら信じてくれると思うんです。聞いてください。信じてください」と叫んだ。俊は驚きながらもおばさんを高い台の上に導いた。おばさんは涙を流しながら、しゃくりあげながら当時のことを話した。

その時のことが頭から離れず、俊はこのおばさんの話を基に、自ら見たり聞いたりした原爆体験を織り込みながら「ひろしまのピカ」をつくりあげた。絵も文章も丸木俊のものだ。

もう一冊、丸木位里・俊夫妻の小さな本が手元にある。「ピカドン」だ。私が持っているのは1979年刊の英訳付改訂版(ろばのみみ編集部)だが、初版は1950年に発行されている。しかし、この本はGHQのプレスコード規制により事後検閲という形で発禁処分となった。発行元だったポツダム書店も連絡先不明となっている。その後どういったいきさつで改訂版ができたのかはわからないが、シンプルな線描で被爆者たちのその後を奇を衒うことなく描かれている。表紙に描かれているおばあさんのモデルは丸木位里の母親である丸木スマ。絵本の最後におじいさんが亡くなった後絵を描きはじめたおばあさんの絵があり、以下のような文章が添えられている。

のこされたおばあさんは、毎日絵をかきはじめました。それはそれは明るい美しい絵です。おばあさんは今日も、「ピカは山崩れたぁちがう、人が落とさにゃ落ちでこん」といいながら、真っ赤な花や、かわいい鳩を書いています。

昨日触れたジョー・オダネルについて新しい情報を得た。オダネルの生涯について書かれた本「神様のファインダー」が先月発刊されたらしい。著者は妻である坂井貴美子さんという方らしいが、晩年日本をたびたび訪れていた時に知りあったのかもしれない。トランクの中に眠っていた写真を公開したことにより、オダネルはアメリカ国内でかなりのバッシングにあっており、自国を告発するような行為を当時の妻は理解できず離婚している。坂井さんとは再婚ということになろうが、晩年を支える人がいてよかったと思った次第だ。

本の出版を記念して教文館で写真のパネル展示があったようだ。知らなかったので見逃してしまった。残念!本の方はそのうち手に入れて読んでみたいと思っている。

長崎市長の平和宣言、去年にひきつづきとても立派だったと思う。静かで淡々とした口調の中に強い意思が秘められているのを感じた。選ばれた言葉も簡潔明瞭であり、核兵器禁止条約に対する政府の態度を「理解できない」と真っ向から批判した。テレビを見てたら、時々首相の顔が映されていたが神妙な顔をして全く別のことを考えていたのかもしれない・・・などと思ってしまった。記念式典の後、被爆者たちとの面談があったらしいが、その時被爆者の一人が首相に向かって「あなたは一体、どこの国の首相ですか?」といったと今朝のラジオが伝えていた。そう聞かれても答えられるはずはないだろう。

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| - | 07:36 | comments(2) | - |
どの場面を切り取っても、おびただしい悲惨な場面が続く原爆の図…。
いわゆる地獄絵図と言われるものが人間の想像の範疇から抜け出せぬ世界観の一部だとすれば、原爆の図はまさに想像をはるかに超えた現実を描いているワケですから、観る者に迫ってくる身の毛もよだつようなおぞましさがあります。
原爆の場面や体験を絵がいた作品は沢山あり、幼少時から興味を持って観てきました。
また、テレビでこの時期必ず被爆者などが絵がいたスケッチや水彩画が紹介されることが多いので、その絵の中の情景や想いなどを感じ取ったりします。
中沢啓治の「はだしのゲン」が原爆資料館のロビーにある売店に展示されていたので思い出しましたが、この作品は幼少時から何度読んだかわかりません。
わたくしには弟がおり、物語の中の弟と兄弟像を重ね合わせ、繰り広げられる残酷で悲惨な日々を少年の目線で描いていることで、国家や時代性や家族像などを思い浮かべ幾度か目頭が熱くなりました。
わたくしは職業柄、物づくりの立場で物を観ます。くだらないテレビ番組から短いCM、絵画、音楽、映画、プロダクト商品…に至るまで全て物づくりの目線で観るのですが、原爆に関する作品だけはダメですね。
それはわたくしが作ろうとも体験がないためです。
体験してないので観ることで作者の体験を知ること感じ取ることしか出来ない。
体験がないから自ら作ろう生み出そうという立場になれない。

体験した人々は年々減少するばかり。
伝え得る人々が残した絵に我々がどれだけ臨場感や虚しさを感じ取ってゆくか。
絵は後世残されてゆく…。
体験した者だけが作り得た絵が残されて、現代人に、そして未来人にいつまでも語りかけ続けて欲しいものです。
| Godspeed | 2017/08/10 8:53 AM |
*Godspeedさん

原爆の図の迫力は大きさによるものもありますよね。
私は実際に美術館に行って見ましたが、写真で見るよりはるかに大きい
という印象を受けました。
誰もいない展示室であれらの絵に囲まれていると本当に怖いです。
怖いけれど目が離せず、立ち去りがたい気持ちでした。

「はだしのゲン」、私は原作を読んだことがないんですが、息子が小学生のころに読んでいろいろ心に残ったようでした。
アニメーションの方は見ました。あの方も相当な経験をされており、今の日本に対しては言いたいことが山ほどあるのではないかと思います。
「黒い雨に打たれて」という作品もありますよね。

体験した人でなければわからない・・・悲惨な経験をした人だけでなく、誰しも心の中で自らの苦労をふり返る時そう思うのかもしれません。
が、被爆体験は特別のような気がします。
戦後70年以上が経過して、ようやく口を開く勇気を出した被爆者もいるようです。何故そんなに時間がかかったのか、私たちはもっと考えなければならないと思っています。
また、それぞれができるかたちで伝えて行く必要がありますね。
| すみごん | 2017/08/11 9:44 AM |









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