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大田洋子を読む(2)夕凪の街と人と

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大田洋子集第三巻に収録されている「夕凪の街と人と」は、原爆投下後の広島を知る上で貴重な書である。あれだけ破壊されつくした街がその後どうなったのか・・・すべてを失った人々はどのように暮していたのか・・・原爆の被害を伝える話題は多いが、かろうじて生き残った人々の暮らしについてはあまり知られていないのではないだろうか。力作だと思う。

作家である小田篤子(=大田洋子)が手伝いの女性を連れて広島にやってくる。篤子は東京に住んでいるが、妹たちと母親は広島にいる。妹の一人であるテイ子と母は「基町住宅」というハーモニカ住宅とも貧民街とも呼ばれるところに住んでおり、そこを足場にして「夕凪の街」の現状に触れることが旅の目的であった。

一応合法的に建てられている「基町住宅」ではあるが、住宅と住宅のすき間があればそこに違法のバラックが作られるという有り様だった。篤子が最も見て歩きたかったのは、「基町住宅」のすぐ近くに建てられた・・・というより発生したといった方が似つかわしい土手の住宅群だった。「原爆スラム」と呼ばれた不法住宅の群れである。

そこに住んでいたのは、被爆者の中でも最下層の人々で朝鮮人なども多かったようだ。家と呼べるのかどうかも疑わしいバラックに人々はひしめくように暮らし、ある男はのんだくれて火事を出して自分の住まいを丸焼けにし、娘盛りの少女は「失対」(失業対策事業)に出て行く。被爆したため健康とは言えない人たちがなりふり構わず生きている。そこには人間の逞しさもあるが、どうしようもないやり切れなさ、疲労困憊、無気力や諦めもある。自ら被爆者である篤子は憑かれたように土手を彷徨い、住人たちに会い、話を聞く。

大田洋子の評伝である「草饐(くさずえ)」には、自らの作品づくりのために貧民街に行ったとはいえ、必ず人を間に立てた洋子への批判があったことが書かれている。作家として、上から目線で人々を取材しているように見えたのだろう。しかし私はそれを感じることはなかった。間に誰も立てずに突撃取材する勇気がなかっただけなのではないかと思う。不遜な人間だと思われがちな大田洋子だが、実際は気の小さい、臆病な人だったのではないだろうか。また、器用に立ち回ることのできない人であったのではないだろうか。

相生土手を彷徨う合間に、篤子は新聞社の人とも接触している。被爆したとはいえ長く故郷を離れて東京暮らしをしている以上、現状を知るために様々な立場の人と会う必要があったのだろうし、新聞社としてもある程度知名度がある作家に何かやらせたかったという事情もあったと思われる。

印象的だったのは、「基町住宅」や「相生土手」の貧しさと、新しく作られた児童図書館などの建物の対照だった。当時の広島市はまるで原爆投下などなかったことにしたいかのように新しい町づくりを急速に進めていたと思われる。

「この街の五十パーセントを道路にする方針だっていうんですものね。道路ばかりじゃないのよ。緑地帯だの公園だの、どこということもなく街中にできるんですからね。せっかく住むところをもっている人たちが、あっちを追われ、こっちを追われして、居るにいられないのが、こんなところまではいってくるらしいのね」

篤子の妹の一人である光代の言葉である。とにかく復興しなければ、一刻も早く復興しなければという施政側の思惑とそれに振り回される人々。これは戦後の広島のみにあった状況ではなく、全国様々なところで起きていたことなのではないか、とふと思った。施政者と生活者の大きな意識のズレはどこにでもあるのだろうが、結果的に追いつめられるのは常に生活者の方だ。

篤子が見るのさえ厭う気持ちを持ったのがABCC(原爆障害調査委員会)の建物と新しく建てられた広島児童図書館である。ABCCは、原爆による障害の実体を詳しく調べるためにアメリカが原爆直後から設置したもので、被爆した人々のその後を詳細に調査している。診察し記録はするが治療は一切しなかった。

児童図書館は現在「ひろしまこどもとしょかん」という名前に変わり建物も建て替えられているが、当時の建物は丹下健三設計による斬新な建物だった。円形のガラス張りで中央に大きな柱がある。その柱が天井に向かって広がっており、原爆の「きのこ雲」を連想する人たちも多かったようだ。設計者は全く別のことを考えていたのかもしれないが、そう言われてみればそう見える。無神経な話である。

篤子は何人かの医師にも会っている。外科医・佐原とのやりとりを読んでいると、作家として客観的な視点で原爆症についての正確な情報を得ようとする態度をとろうとしつつ、不調つづきの自分の体調について、もっとはっきり言ってしまえば自分も白血病になるのではないかという不安をどうすることもできない様子が感じられて痛々しい。

「白血病は助からないんですか、絶対に」

「助かりません。再生不良性貧血も助かりません。

「ですけれど、あれからもう丸々八年をすぎています。現在、血液に破壊がなければ、もう大丈夫なのでしょうね?たいていの人はもう、白血病や再生不良性貧血は出ないでしょうね」

「原爆後遺症は、いつ誰に出るかあるいは出ないか誰にもわかりません」

「私なんか、三日間は河原で野宿しましたけど、爆心地などには近よらないで、まっすぐ田舎に逃げたのですから、白血病ほどのものはしないのではないでしょうか」

「絶対に大丈夫だという断言はできません。誰に対しても、一キロ以内はみんな死んだけれど、半径二キロから外はもう大丈夫だろうという。だろうというだけで、三キロのところに住んでいた者も現在発病しています」

医師としての客観的な判断だが、それを冷静に受け止めることができない篤子。ABCCの有り様(治療はしないという)について篤子は周囲の人ほど憤慨はしていなかった。仕方ないと諦めていたところがあったようだ。しかし、「業権が違う」(国際医師法によって日本の国家試験に合格していない外国の医師は治療ができない)と言いきり、どんな手術にも全身麻酔を使うというアメリカの医師たちの話になると篤子の鬱屈は内へ内へとこもっていく。

「どんな手術も、全身麻酔なんですか?」

「患者に、痛いと思わせることは、罪悪だという考え方なんですね」

奇妙な、にがい笑いがこみあげそうになるのを、篤子は覚える。(笑っちゃあいけない)と彼女は思うのだ。9三十万乃至四十万の人間を虐殺しておいて、その生のこりに、痛い思いをさせるのは罪悪だと考え、全身麻酔をかけなくては、小さな手術もできかねる)篤子は笑い出すことさえできなかった。

もうひとり、東京からきた郡山博士の診察の様子を篤子は見に行く。博士は整形外科の医師で、被爆者数人を診察することになっており新聞社も取材に来ていた。

篤子にとって正視できない無残な様子をした人々が次から次へと入ってくる。博士はひとりひとりにやさしく声をかけ、被爆した時の様子を聞き、傷の具合を淡々と判断して治療方針を伝えていく。博士の態度は客観的でありながら無神経ではない。その場の雰囲気を和ませようとしているのもわかる。

博士と患者たちのやりとりを聞きながら篤子は涙を流し、吐き気を催して席を立ち、また戻り、を繰り返す。何度もいたたまれない気持ちになるが、それでも篤子は博士と患者たちのところに戻っていく。

印象的な部分はまだまだあるが、キリがないのでこれくらいにしておく。ただ、この作品は「屍の街」とともにもっと読まれてしかるべきものだと思う。文庫化されればいいのだが、なかなか難しいのだろう。

「失対」を調べていて、偶然「ヒロシマの嘘」という本があることを知った。あれ?と思った。似たようなタイトルの映画があったはず・・・著者を見て納得した。見ようと思っていたのに見逃してしまった映画「ニッポンの嘘」に出てくる福島菊次郎さんだった。この本は「平和都市広島」が実はそのような都市ではなく、欺瞞に満ちたところであることが明らかにされているらしい。

反骨の写真家である福島さんの著作はぜひ読んでみたい、読まなければと思っている。とりあえず今は林京子作品を読みつつ、原爆をテーマとした写真集や動画を見続けている。水曜日は長崎の原爆忌だ。今週は原爆まみれになる一週間になりそうだ。

 

*「“原爆スラム”と呼ばれた街で

| - | 08:10 | comments(4) | - |
すみごんさん、おはようございます。
九州から広島へ旅行に行って、つい昨日帰京致しました。
広島へは昨年も行きましたが、昨年は厳島神社参拝とか名物の牡蠣を食べに行っただけで、今回は原爆ドームの6日の集会へ足を運びました。
友人の英国人、米国人らも同行。
わたしが行くのを促したワケではなく、彼ら自ら行ってみたいという流れから現地へ。
毎年行っているワケではないので、詳しくはわかりませんが、オバマ来訪以来急速に諸外国の訪問者が増えているような気が致します。
友人らは訪問までは賑やかに会話などしておりましたが、記念館を出た時は各表情がこわばり、心痛な顔つきで無言でした。
彼らが受けた教育とは違うものがそこにあり、なにか答えがあったのかもしれません。

今回、再び広島を訪れたあと
>>「平和都市広島が実はそのような都市ではなく、欺瞞に満ちたところである…」

という記事の中の文をみて、わたくしも真実の裏に隠された嘘がどのようなものか知りたくなりました。

| Godspeed | 2017/08/07 8:57 AM |
*Godspeedさん

おかえりなさい。九州はお天気いかがでしたか?
豪雨で被害を受けている地域が多いようですが、今度の台風も
心配です。

広島の集会に行かれたんですね。いいなぁ。
私はもうかなり前から1度は行きたいと思っているんですが・・・(T.T)
外国の方々が自発的に行かれるというのはいいですね。
資料館にも行かれました?
ちょっとショッキングな場所ですが、あれは見ておいていただきたいかもしれません。
今日の記事にも関連ありますが、欧米での原爆についての知識を見直す意味でもいい経験になるのではと思います。
| すみごん | 2017/08/08 9:54 AM |
わたくしが今回行ってきたのは唐津(佐賀)や福岡市内のみでしたので、この前の豪雨の影響もなく、今回の長寿台風(台風5号の名前、ちょっと違和感が…)の影響前に帰京致しましたので、幸運でした。
ただし、暑かった!東京のような暑さとは違い、例えるならば上から下からグリルされているサバかサンマのような気分でした。
広島訪問は昨年は原爆ドームの外観と資料館のロビーだけは行きました(資料館内部は数十年前に訪問したことがあります)が、今回は知人の是非もあり、資料館を久々観て回ることとなり、改めてその悲惨さを目の当たりにした次第です。
英国人、米国人の友人らも中を観てどんどん会話がなくなり、真剣な表情で展示品を眺めておりました。
また、灯篭流しにも参加致しました。こちらも数十年前に経験がございますが、外国人を連れては初めて。どのように彼らの目に映ったかわかりませんけれども一連の体験を通し、またかつては喉の渇きや火照る身体を癒すために飛び込み死んでいったあの川に浮かぶ幻想的な灯篭の光景を観て、戦争の悲惨さや無意味さを感じ取ったハズです。
| Godspeed | 2017/08/08 1:39 PM |
*Godspeedさん

台風前のことだったんですね。それはなによりでした。
唐津、いいですね。唐津焼はけっこう好きです。

同じ「暑い」といっても地域によって違いますね。
もうだいぶ前のことになりますが、真夏の北陸に行ったことがあります。
まあまあ暑かったこと。こちらの暑さよりずっと強烈でした。

資料館は一回りしただけでかなり疲れたのではないでしょうか。
重いんですよね、やっぱり。
私は資料館を出て見た明るい風景が夢の中のように見えました。
それほど訴えてくるものが大きいところでした。

灯籠流しなどのイベントも、今ではその起源さえ学ぼうとしないで
ただ楽しけりゃいいという理由で見に行く人も多いのではないかと思います。残念なことです。
外国の方々の方がもしかしたら調べたり聞いたりされているのかもしれませんね。その上で灯籠流しに参加すれば、それぞれいろいろなことを考えられたに違いないと思います。
| すみごん | 2017/08/09 12:08 PM |









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