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大田洋子を読む(1)人間襤褸

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先日図書館から借りてきた大田洋子集(1982年刊・三一書房)の第二巻と第三巻はすでに読み終えている。第四巻を読もうと思ったが収録されている作品(「流離の岸」など)が戦前あるいは被爆以前のものであることもあってあまり読む気持ちになれず、このまま返却しようと思っている。どこかで触れられていたが、大田洋子の作品は原爆以前・以後に大きく分けられるようで今は後期の作品だけを読みたい気分なのであった。

第二巻に収録されているのは「人間襤褸」といくつかの短編(エッセイなど)。短いものにもそれなりに思うことはあったがとりあえず長編「人間襤褸」について広島の原爆忌ということもあり少し書いておきたいと思う。

大田洋子の代表作といえば文庫になっている「屍の街」と「半人間」だろう。「屍の街」は被爆してからすぐに書かれたもので生々しい記憶に基づいた小説というよりも体験記に近いものだ。「半人間」は、被爆体験に基づく作品を書くことによって心身ともに消耗し、神経科に入院して治療した経験に基づく作品である。そして、「屍の街」と「半人間」の間に書かれたのが「人間襤褸」で、入院するほど消耗しながら書いたのはこの作品であることがわかる。

「屍の街」の「序」で作家は以下のように書いている。

いま改めて出版するにあたって、熟読して見ると、私の体験は、1945年8月6日に広島全市に展開された、異常な悲惨事の現実の規模の大きさと深刻さに比べ、狭少で浅いことを、今更つよく感じないではいられない。

(中略)

私はこの五年間、「屍の街」を客観的に整理し、健全な心身を取り返した上で、一つの文学作品に書くことのみを考えて暮した。

しかし、なんと広島の、原子爆弾投下に依る死の街こそは、小説に書きにくい素材であろう。それを書くために必要な、新しい描写や表現法は、容易に一人の既成作家の中に見つからない。私は地獄というものを見たこともないし、仏教のいうそれを認めない。人々は誇張の言葉を見失って、しきりに地獄といったし地獄図と云った。地獄という出来合いの、存在を認められないものの名で、そのものの凄さが表お現され得るものならば、簡単であろう。先ず新しい描写の言葉を創らなくては、到底真実は描き出せなかった。

(中略)

私は作家が客観的にものを書かなくてはならぬということに、ある疑問を抱く日もあった。私は屍の街にひっからまって、身うごきが出来なかった。

私にはもっと長い時間をかけるよりほか、道がない。このことは当然のことでもあろう。

このような思いに悩まされている私にとって、この度のこの書の出版は、せめてもの救いである。世紀の、否日本人の味わった最大の悲劇、原子爆弾に難を受けて斃れた人々と、生き残った傷心の広島の人々を想う、耐えがたいその思いへの救いである。

いずれの日か私は、不完全な私の手記を償うべく、かならず小説作品を書きたいと思っている。

この「序」には1950年5月6日の日付が付けられている。「屍の街」は“個人的でない不幸な事情”によって戦後もなかなか出版されなかった。敗戦国の、戦勝国に対する『忖度』(!)からの事情と思われる。1948年になって漸く出版の運びになったが、作家が大切だと思っている部分がかなり多く削除されたものになってしまった。不本意な思いはいかばかりだったろう。そして、1950年、作家が望むかたちでの出版が決まり、戦後5年を経過してやっと救いを感じえたのだろう。

「人間襤褸」は、作家が「屍の街」の「序」で書いていたように『小説』のかたちをとった作品である。瀬戸内海に浮かぶ銀輪島という島に学徒兵として派遣されていた21才の山川杉太を中心に、杉太がひそかに憧れていた女学生・加治多保子、その友だちである田村菊江、被爆後杉太が偶然であった医師・梅原、杉太の父母、父の妾である八重、母の姉である敏子・・・それらの人々が、「襤褸」のような街でそれぞれの傷をかかえながら生きていく物語だ。

読んでほしいということもあるし、あらすじを書きにくい作品でもあるので内容は書かない。作家自身が「客観的に」「不完全な手記を償うべく」と書いているように、「屍の街」と比較すると外見上の無残さは薄れているかもしれない。が、「屍の街」が作家本人とごく限られた人々(母や妹など)のみが体験したことに終始しているのに比べて、「人間襤褸」ではなるほど登場人物それぞれの視点や考え方が客観的に描かれている・・・いや、描こうと努力されていると言った方がいいかもしれない。

というのは、どこか散漫な感じを受けるからだ。もちろんそれは私の読解力の不足からの感想かもしれないし、もう一度読めばまた違う印象を受けるかもしれないのだが。作者が身を削るようにして完成させた作品であることには間違いがないと思うものの、産みの苦しみの中で整理されきれていないものが残っているような・・・

あと、登場人物の一人である敏子という女性の存在が他の人たちから少し浮いているのが気になった。敏子は杉太の母である澄枝の姉だが、本当は杉太の生母である。杉太もそれをうすうす感じており、敏子もまた杉太の気持ちを察している。しかし2人はそれ以上に心を通わせることはなく、敏子は最後まで過去に生き続け杉太たちから遠ざかろうとしている。

こういった人物がこの小説に必要であったのかどうか。私には少し疑問が残った。医師・梅原から慕われているものの倒壊する建物の中から救い出せなかった夫が忘れられない。その夫は以前結婚していた時の義理の兄に当る人で、2人は手に手をとって駆け落ちし逃避行を続けた。そしてたどりついた広島で被爆した、という設定である。被爆者たちの生活を描いている中に突然敏子の過去が長々と語られているのだが、その意図もいまひとつ理解できないでいる。

今朝の平和記念式典で広島の松井市長は「核兵器の使用は人類として決して許されない行為」であるとし、核なき世界へ全身すべきだという平和宣言をした。それに対して唯一の被爆国である日本政府は核兵器禁止条約の交渉を核保有国とともにボイコットし、条約に署名もしなかった。安倍首相も今日のあいさつで核兵器禁止条約には触れなかった。日本がこういった国でありつづける限り、大田洋子の無念は宙に浮いたままだ。そう感じることは私にとっても無念骨髄。

| - | 13:17 | comments(0) | - |









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