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淋しい死

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先日の同窓会で、小学校、中学校と一緒だったSさんに久しぶりに再会した。彼女とは小学校6年間同じクラスだったが、1、2を争う秀才で正義感が強く努力家でもあり信頼のおける人だという印象を持ち続けている。その彼女が会った途端「いつぞやはごめんなさいね」と言った。最初は何のことかわからなかったが、3年ほど前に私が連絡した時のことを言っていることがわかった。

その少し前、小学校5、6年の時の担任を囲む会に来ないかという連絡を受け、なつかしくなって出掛けていった。指定された店に行ってみると集まったのは先生を入れて6人か7人。急な話だったので来られる人が少なかったのだろう。メンバーを見るとクラスでも成績優秀だった人がほとんどで、親同士が今でも親しくしている人もいるようだった。

その中にA君がいた。A君は小学生のころからどこかすっとぼけたところがあって、頭はいいのに飄々としていて愛嬌があった。発想の仕方がユニークで、彼の発言に驚いたり笑ったりしたのは私だけではなかったと思う。

中学校から私立に進み、理系の大学を出て超電導関係の会社の主任研究員をしているようだった。名刺をもらい、仕事の説明をしてもらったが私にはちんぷんかんぷん。髪がだいぶ薄くなっていたが、例のとぼけた雰囲気は相変わらずでなつかしかったが、酒を飲むにしたがって酔い方が尋常ではないような気がした。

結婚はしているが、自分の親が入退院を繰り返しているのでその時は実家に帰って一人暮らしをしている、と言っていたので淋しいのかもしれないと思った。女子の参加は私とSさんの2人だけだったが、Sさんは潔癖症気味で何でもはっきりぴしゃりと言う人。のほほんとしている私の方が与しやすいと思ったのか、妙にからんできたのだ。

私自身酒飲みだし、酔っ払いの相手は会社員時代を通して慣れているといえば慣れている。またA君の酔い方も陰湿な感じではなかったので、適当に相手をしながら3次会まで付き合った。最後は小学校の時に一番仲がよかったN君が彼をタクシーに乗せ、私は地元だったので家に帰ってすぐに寝た。もう空が明るくなる時間だったと記憶している。

翌日A君からメールが来て前日の非礼を謝られた。酔っ払いぶりをN君から聞き反省したのかもしれない。酒の上のことなので、と私は気にしていないことを伝え、その後何度かメールの遣り取りをしたと思う。電話も何度かかかってきたが、そのうちまたみんなで集まろうという話に終始し、それ以降連絡はなかった。

Sさんとはゆっくり話せなかったので、その後私の方から連絡して会えないかと伝えたのだった。が、当時彼女は精神的に緊張が続く日が多かったらしく、私の誘いに対して冷淡な対応をしてしまった、と言うのだ。私自身は都合が悪いのだろうとしか思わず、それ以降忘れていたのだったが責任感の強いSさんは覚えていたのだった。

数年前のことを謝られた後、思いがけないことを聞いた。A君が亡くなったというのだ。ここ1、2年ことだと思うが、還暦を迎えるか迎えないかのことだし、会った時は元気そうだったので驚いた。事故にでも遭ってしまったのかと思ったが、どうやら一人暮らしをしていた実家で倒れていたのを発見され、その時はすでに亡くなっていたらしい。心筋梗塞か脳溢血か。それとも・・・

Sさんによると、A君はアルコール中毒だったという。以前からまれた時の様子を思い出し、なるほどと思ったが、妻と別居していたのは親のためではなく夫婦間がうまくいっていなかったかららしいと聞き、彼には失礼だがなんだか憐れになってしまった。

とぼけた個性でまわりを和ませる人だったのに。明るく楽しい人だったのに。仕事も順調そうで子どももいたはずなのに。まだまだ人生を楽しめる年齢だったのに。メールで「永遠のおこちゃま」だと占い師に言われたとあったが、典型的な理系の彼が占いをしてもらうなんて意外だと思っていた。占いを頼りたくなるようなことがあったのだろうか。私たちが知らない闇をかかえていたのだろうか。

同窓会は楽しかったが、楽しかったからこそA君の訃報が妙に際立って印象に残った。遅ればせながらご冥福を祈りたいが、ひとこと言ってやりたいような気もしている。「アキちゃん(彼のニックネーム)、あなたバカね!」と。そんなに淋しい死に方をしてしまうなんて、まったくA君はおバカなおこちゃまだ。

| - | 07:09 | comments(2) | - |
まだそんなご年齢ならば、これからもっと楽しい生活が待っているかもしれないのに、Aさん残念ですね。
自分自身で誰かの死を知った時よりも、誰か知人にその人の死を聞いた時の方がショックというか、動揺しちゃいます。
きっとそれはタイムラグがあるからで、亡くなった時間から時がある程度経過している事実に、知らなかった自分の頭の中で様々な思い出や故人の顔や声、悔い、寂しさなどがドッと押し寄せるからでしょうね。死因がハッキリとしない場合は特に…。

身近の人間(家族親族以外で)の死はわたくしもいくつかありますが、最初は高校生時代の後輩が就職先も決まって卒業を待つのみという三月の登校の朝ダンプにハネられ、脳みそが飛び出した状態で亡くなった話を聞いた日のこと。その日以来、若かったわたしは定期的な嗚咽に苦しみ、結局今も車の運転免許を所得出来ずにいます。車=高速で走る鉄製の箱の凶器という図式が頭から離れずにいます。
もうひとつは大学の同級生のフランス人女性が結婚したという話を聞いて、その後妊娠→出産の過程で子を産み落としたのと同時に母体の役目を終え、体力尽きて亡くなったことを国際電話で聞いた時。大学の同じスタジオで一緒に画業に励んでいた記憶とともに今も心に深く傷を負ったままです。
このように不慮の事故による死ならば、ある意味運命だったのかもしれませんが、いい人間に限って神様は早くその魂を傍に置こうとするのかな?…なんて。
わたしなぞ罪多き人間で、なかなかお迎えしてくれない。向こう側の風紀が乱れるのを懸念してのことか。
| Godspeed | 2017/05/16 8:09 AM |
*Godspeedさん

そうなんです。残念なことでした。素面の時に会って話がしたかったのに・・・

身近な人の死は、多かれ少なかれ自分の人生にも影を落とすというか、忘れられない出来事ですよね。
後輩の事故死のショック、さぞ大きかったことと思います。なにかにつけて思い出されるのではないでしょうか。

私の場合は、高校生の時にクラスメートが自殺したことがかなりトラウマのようになっています。「なぜ?」という問いは今でも自分の中にあると思います。
また、一昨年他界した元同僚は戦友のような人でしたので、かなり落ち込みましたねー
人はいずれ死ぬということはわかっていても、普段はそんなこと全く考えずに暮しているということでしょう。人を失うというのは、モノを失うのとはわけが違い、私のような忘れっぽい人間でも深いところにいつまでもその衝撃の余韻が残っているような気がします。
| すみごん | 2017/05/17 8:29 AM |









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