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「ドルチェ〜優しく」

17-0414.jpg

・・・スクリーンショットで失礼。ミホは敏雄の死後ずっと喪服を着続けたという・・・

いつ買ったかも忘れてしまった「ドルチェ〜優しく」を見た。1999年、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が「作家・島尾ミホ」を撮った映画で、2000年のヴェネチア国際映画祭招待作品だったらしい。買ってしばらくして見始めた記憶が微かにある。が、なんとなくピンとこなくて見るのをやめ、そのままになっていた。今回、「狂うひと」を読み、ようやく見るべき時が来たように思った次第。

映画といっても63分という比較的短い作品である。出てくるのはほとんど島尾ミホ1人。途中でちらりと娘のマヤが出てくるが、ほぼ全編ミホのモノローグとナレーション(監督の声か?)からなる映画で独特の雰囲気がある。ドキュメンタリーかというとそうでもないように思うし、シナリオに基づく劇映画かというとそうでもない。ミホの独白は実際にあったことだと思うが、そこに「演技」の要素が全くないかというとそうでもないように感じられる。

どこからか帰ってきたミホ。ゆっくりと靴を脱ぎ、ゆっくりゆっくり部屋に入っていく。暗い部屋。壁にもたれてミホは母(奄美の言葉でアンマ)に語りかける。何故死んでしまったのか、と。アンマの死がいかに自分にとって打撃だったか、いかに自分がアンマを愛していたか・・・アンマが死んだ時の父(同ジュウ)の様子を呟く。そしてジュウがいかに立派な人間であったか、皆に尊敬される人物であったか、威厳に満ちた人だったのに家では限りなく優しかったか・・・(戦争が終わり島尾が神戸に引き上げた時)ジュウが何と言ったか・・・

ジュウはミホに島尾のところに行かなくてはいけない、と言った。父を置いて出て行くことに大きな抵抗を感じていたミホに、ジュウは親が子に最も望むのはその子が幸せになることだ、子どもの幸せのためなら親はなんでもできる、もし自分がいるために子であるミホがここに留まり続けるならこの刀で父は命を絶つ・・・ジュウはミホにそう言い聞かせた・・・とミホは語る。

場面は変わりきもの姿のミホ。白っぽい付け下げに着替え姿見で自分を見るミホ。突然大きな声で「マヤ!」と娘を呼ぶ。しばらくして、ギギギっとフローリングを歩く音がして、階段にか細い足が現れる。ソックスを履いた、スカート姿の小学生のようなマヤ。おかっぱ頭のようだが、画面が暗いので表情がわからない。着物姿をマヤに見せ、これから仕事をしなくてはいけない、と言うミホ。マヤの手を取り、肩を抱き、いかにマヤがいい子で自分の生き甲斐かを語りかけるミホ。顔に触れながら何度も何度も語りかけるミホ。言葉は出ないが素直に受け入れているかのようなマヤの様子。

きもの姿で和室にいるミホ。表情は暗く悲しげだ。神に問うミホ(ミホは子どものころからクリスチャン)。何故マヤがあのようになってしまったか。なにかいけないことを自分はしたのか。神よ、何故マヤがあのような苦しみを背負わなくてはいけないのか・・・ガタンと音がする。暗い部屋の戸が少し開く。おかっぱ頭のマヤが部屋をのぞいている。ミホをしばらく見つめ、また戸を閉めて戻っていく。

ソクーロフ監督はどのような意図をもってこの映画を撮ったのか。「死の棘」の妻として有名になり、自ら作家になって賞をもらうほど評価されるようになった1人の女性の何を撮りたかったのだろうか。島尾ミホというある意味稀有な女性が背負っている人生の重さを撮りたかったのか。私にはよくわからない。

しかし、暗い部屋と同じくらいミホの表情は暗い。暗いというより疲れ切っているようにも見える。ミホは1919年生まれだから撮影時は80才ということになり、老女らしい顔になっていることはちっとも不自然ではない。が、眉間の深い皺は年齢のせいだけではないだろう。自らが経験した苦しみと、自らの「業」が刻んだ皺。彼女は被害者だったのか、加害者だったのか・・・そんなことを考えさせられた映画でもあった。

それにしても、マヤの状態は悲しいほど異様である。1950年生まれのマヤは映画撮影時49才だったはずなのだが、全くそうは見えない。失語症になった小学生のころから成長を止めてしまったような様子なのだ。彼女が経験したつらさを思えばたいへん失礼だと思うし、よくよく見たわけではないので断言はできないが、どこか不気味な感じがするのを否めない私である。

あのような夫婦の子として生まれた伸三氏とマヤさんのことが知りたくなった。伸三氏の著作を読まなくては、と思っている。

 

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