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頽廃

18-0902.jpg

もう9月になったというのに、相変わらずエアコン暮らし。最高気温30°以上の日はいったいいつまで続くことやら・・・と思っているうちに、秋の気配はそこまで来ているのかもしれない。毎年、朝起きて窓を開けた時に「あ、秋が来た」と思う日がある。きっと、近々そんな日が来るような気がする。

もともと暑さには弱いということもあり、今年の暑さが異様だということもあり、何かに動かされるようによく出かけていたということもあり、最近なんだか妙に身体がだるい。知らず知らずにうちに消耗しているのだろう。油断しているとすぐに身体を横にしたくなり、横にして本でも読んでいると眠たくなり・・・昼間寝てしまうと夜眠れなくなり・・・あれこれ考える必要のないことまで考えて「下手な考え・・・」などと苦笑する。

下手に考えないために、手持ちのDVDを眺めて見たいと感じるものを観る。映画であれば2時間は余計なことを考えずに済むし、何度観たものであってもその時の気分に合ったものを観るのは楽しい。一昨日だったか「またか」と自分でも感じつつ「ベニスに死す」をまた観た。もう何度目であることか。何度観ても飽きない作品だし、いつ観ても微妙に感想が違ってくる。名作とはそんなものなのかもしれない。

今回は、観ながら「頽廃」ということを考えた。考えたというか、つらつらと思いを馳せた。この映画だけではないが、ビスコンティ作品には「美」を大きなテーマとするものがいくつかあると思う。「ベニスに死す」はその典型で、主人公の作曲家アッシェンバッハは理屈では説明できない究極の「美」である少年・タジオに出会い身を滅ぼす。安定を、バランスを求めて仕事をしてきたが、彼には限界があった。友人が指摘したように彼には理屈を越えた何かにインスパイアされて創作するという才能がなかったのだ。友人は、彼の仕事の根底にあるものを「平凡」だと断言する。アッシェンバッハが最も認めたたくないことだったのかもしれないが、たぶん彼はそれを自覚していたのではないか。

何事も、特に「美」を追求する分野ではその行き着く先は「頽廃」なのかもしれない、と思う。この映画の舞台はベニスだが、ベニスという都市もまた「美」の限りを尽した歴史を経て「頽廃」を迎えた存在として描かれているように思える。

先月、これまた夏になると一度は観る「廃市」(福永武彦原作・大林宣彦監督)を観た。柳川お思わせる水路の町が舞台だ。そこに昔から住む人々は芸能に凝り、道楽を尽し、滅びるまでの時間をゆるゆると過ごしている。その町の旧家で起きたひとつの悲劇は物語は町全体の運命のようでもある。

奇しくも、「ベニス」も柳川に似た「廃市」も水の都である。感情的になることを怖れているかのように品よく淡々と生きているように見えて、そこに住む人々はある種の諦めを抱え、滅びの予感を忘れようとしているかのようだ。

大林監督自らが作曲したテーマ曲が美しい。それは物語全体を流れる基調だ。「ベニスに死す」の場合のそれは映画で一大マーラーブームが起きたと言われている交響曲第五番のアダージェットだ。どちらもとても美しい曲で映画を観た後はしばらく耳について離れない。

人生の黄昏時をむかえているせいかのか、それとも季節のせいなのか、はたまた老化(劣化)のせいなのか。退廃的な物事に心惹かれる昨今である。それは、センチメンタリズムとは無縁な、心の中を冷たい水が静かに流れるような感覚を覚えさせ、それがけっこうここちよかったりする。

*ダーク・ボガードといえば、この映画と「愛の嵐」かな。

| - | 08:29 | comments(2) | - |
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