・・・「ふくなんか、このじょうとうなけがわいちまいでじゅうぶんだもんね!」・・・
昨年末、なじみの美容院のスタッフにあげると約束していた洋服を袋に入れていて、そういえば最近とんと洋服というものを買わなくなったな、とくに今年は・・・と思った。一年間で買った洋服は何かと思いだしてみたが、下着や靴下などをのぞき長袖のTシャツ2枚だけだったのには我ながら驚いてしまった。
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着るものに関する興味は子どものころからあって、小学生のころから自分が着るものについては親まかせにするのがいやだった。買う時は必ず付いていって、値段さえ折り合えば自分が欲しいものを買ってもらっていた。母が知人で機械編みをする人に私と妹のカーディガンを編んでもらうことにした時も、毛糸を買いに行くのに同行してグレーの糸を選んだ。でき上がってきたカーディガンに母が刺繍をするというので、そのための糸の色まで選んだ。臙脂色とサーモンピンクの細い毛糸で小さな薔薇がたくさん鏤められたカーディガンは長い間お気に入りだった。
そういうわけで、今までに洋服に費やした金はかなりのものになると思う。若いころはそれなりに流行を追いかけたし、デザイナーブランドのものもけっこう買った。失敗やら無駄やらも多かったが、それはひとつの授業料だと考え(半分は言い訳ですな)、懲りもせず洋服を買ってきた。
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しかし、年を重ね、仕事もどんどん減ってきて気を張って人に会う機会も昔に比べたら格段に少なくなった。スーツを着なくてもあまり顰蹙を買わない職種だったが、それなりに「きちんと感」は必要だったが、そういった洋服も増やす必然性がなくなった。
それでも、子どものころから身に付け続けてきたデニムについてはそれなりにこだわりがあって毎年1本や2本は買っていたと思う。オーバーサイズの服が似合わなくなったので、冬の定番であるタートルネックのセーターもリブ編みのフィット感があるものにした。
買う枚数は少なくなったものの、かくのごとく毎年洋服を何枚か買ってきており、改めて見まわしてみれば1年か2年着ていない服が何枚もあるという有り様。これじゃいけない!と気まぐれに処分したり誰かに送ったりしたがその分増えるので全体数はあまり変わらないような・・・
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しかし!ついに洋服を買いたいと思わなくなる時が来たのだった。長い間「増やしたくない」と思ってきた気持ちが飽和点に達しつつあったことに加えて、決定的なものが現れたのだ。そう、きものだ。
きもの地獄にはまって以来、洋服に対する興味が薄れた。全くなくなったわけではない。しかし、今持っているもので十分、増やす必要はないとごく自然に思うようになり、その結果買わなくなったのだ。
なにせ、きものは金がかかる。一枚数千円のTシャツのようなわけにはいかぬ。そして私は納得できるものでなくては嫌なので、妥協にも限度がある。洋服なんぞに金をかけている場合ではない!ということになったのである。
また、和箪笥を持たない私はきものや帯の収納場所を作らねばならない。そのためには洋服が占めている場所を空けなければならない。増やす事は絶対にあってはならないと相成る。欲しいと思っているのに買わない、買えないというのはつらいが、欲しいと思わなくなったので買わないことも、どんどん減らすこともあまり苦にならなくなってきた。
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と、ここまで書いてきてまた新たな危険(!)を感じてきた。洋服に関する興味がきものに移っただけじゃないの?と。そして、きものは洋服に比べて「地獄度」が高いのでは?と。洋服を増やすのときものを増やすのでは経済的な負担がかなり違う。それがネックとなって思うように増やすことはできないだろうが、増えに増えた洋服の二の舞いにならないよう気をつけなければ、と思っている。
まあ、私の人生も三分の二はもう消化していることだし、あとどれくらい残っているかは神のみぞ知るわけだから洋服のように増やすことはないだろう・・・と言いつつ、今年欲しいものが頭の中でいくつもぐるぐる回っているのはどうしたわけか。まったくもう!
*最近ふくが我が物顔で部屋に入ってくる。
*トイレに入っている間に忍び込み、部屋に戻るとデスクの上に。
*悪びれる様子は全くなし。そこがいいところなんだけど。