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神も仏も・・・

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「しめかざり」繋がりで「東北の伝承切り紙〜神を宿し神を招く」という本を手に入れた。東北の各地で神を招くために今なお作られている白一色の見事な切り紙を紹介する本で、その美しさには目を見張るものがあった。

東日本大震災で大きな被害を受けた東北各地。そこで失われたのは人の命や住まい、生活に必要な設備などだけではなかった。脈々と受け継がれてきた文化もまた多くが失われたのだ。人々が心のより所としていた信仰の儀礼や民族芸能なども津波が根こそぎ奪い去ったところもあるだろう。生死の境を超えても、目の前にはすべてが失われた世界しかない・・・あらためてかの地の人たちの苦労を思う。

そんな中で徐々に復活していったものもある。津波の被害が甚だしかった宮城県南三陸町では、震災の年の5月には民族芸能「鹿踊り(ししおどり)」が復活していたという。人々は瓦礫の中から衣装や太鼓を探しだし、洗い清め、避難所で踊ったのだという。そして、それ以降次々と宮城県や岩手県で民族芸能が復活し、震災の年の夏は民族芸能復興の夏になった、と赤坂憲推さん(学習院大学教授)は本の冒頭に書いている。

赤坂さんはこのように早く復活した理由のひとつに、それらの民族芸能が死者たちの鎮魂、供養、厄除けなどをテーマとしていたことをあげている。昔から人々は先祖の供養、理由あって死なざるをえなかった者たちの鎮魂、そして自分たちの平穏な暮らしへの祈りを芸能に込めてたいせつにしてきたということだろう。

神への畏怖と感謝もまた様々な形で受け継がれてきた。そのひとつが本で紹介されている正月飾りや御幣などだ。「綱飾り」や「切り透かし」はその代表的なもので、いったいどのようにすればこんなに複雑な細工ができるのだろうかと思うほど見事な出来である。

神の領域であることを示す注連縄に下げられた白い和紙の紙垂れは聖なる場所であることを知らせる。「オカザリ」と呼ばれる御幣は「八将神」「雷神」「恵比寿」「大黒」などを和紙で作ったものだ。正月ともなれば、それらの飾りが総動員されて神棚は賑やかに飾られる。しかし、白一色なので清々しく、新しい年にこれほどふさわしい飾りはないように見えてくる。

仏像のたたずまいに感動したかと思えば、「しめかざり」や「御幣」に心を奪われる。いずれも見た目を愛でるだけでなく、それらに込められた祈りに感動しているわけだが、神も仏も同じように崇めようとするこの心持ちは日本人ならではなのかなぁ、とつくづく思う。

キリスト教をはじめとする一神教は、私にはどうにもしっくりこない。目に見えぬ神聖な存在があるのではないか、とは思う。それが何なのかはわからない。「神」という名で呼ぶことも、「仏」という名で呼ぶこともできるのだろうが、具体的なものであるとはどうにも思えない、感じられない。

昨年は鎌倉の仏像巡りをしようと思ったのに一度行ったきりだった。仏像を見るのもいいが、寺院や神社そのものに触れる機会を今年は少し増やしたいと思っている。神も仏もない・・・と言いたくなるようなことが次から次へと起こっているが、だからこそそのような存在を漠然とでもいいから感じてみたいのである。

*富岡八幡宮は例年よりぐっと人出が減ったみたいだ。

*そのうち行ってみよう。二笑亭主の墓がある寺も探したいし。

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