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日々の内側
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私たちは妙な野菜を食べている。

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・・・こんなサラダもシャキシャキした食感だけだもんなぁ。味しないもんなぁ・・・

先日、TBSラジオの「伊集院光とらじおと」に「野口のタネ・野口種苗研究所」の野口勲さんがゲストで出演されていた。これは聞き逃すまいと思っていたのに・・・例によって聞きそびれてしまったが、すぐに気づいたのでradicoのタイムフリーで聞くことができた。タイムフリーは過去1週間以内の放送に限り聞けるので、危うくセーフ!

野口さんのお名前は以前から存じ上げていた。が、固定種のタネを販売している方、くらいの知識で知っていたとは言えないと思う。番組を聞いてはじめて知ったことが多かったのはもちろんだが、野菜好きといいながら現在流通している野菜についてほとんど知らずにいたことを思い知ったことはいい経験だと思っている。

ご存知の方もいらっしゃると思うが、現在私たちがスーパーや八百屋で買っている野菜はF1(雑種第一代)と呼ばれるものだ。これは、違う形質を持つ親をかけあわせると、両親の形質のうち優性(後で書くが、“優れている”という意味ではない)だけが現れ劣性は陰に隠れるという遺伝的な法則を利用して生まれた「みんな同じ顔をした」野菜たちである。第二代、第三代となると徐々に劣性形質が現れはじめるが、第一代は優性形質のみを受け継ぐということになろう(メンデルの法則・・忘れているなぁ)。

F1が受け継いだ優性形質とは、野菜でいえば生育が早く収穫量が増えるということだ。早く育ってたくさん収穫でき、見た目もみな同じように揃っている・・・消費者の立場から見ると、安定した価格できれいなカタチの野菜ということになると思うが、よくよく考えてみるとこれはかなり不自然である。

昨今、「生命の多様性」という言葉を時々耳にする。「みんなちがって、みんないい」などと誰かの詩を引きあいにして個性を大切にしようと訴える声も聞く。が、野菜に関してはどうだろうか。スーパーの野菜売場で、カタチがいいものを選んではいないだろうか。不ぞろいの野菜に対してマイナスイメージを持っていないだろうか。不ぞろいであるのが自然なのだが、私たちは画一的な野菜を選んで何も疑問を持たずにいる。

そういう状況に警鐘を鳴らしているのが野口勲さんだ。世界中がみな同じような野菜ばかりになる不自然さを伝え、多様性を大切にしていこうという活動を長年やっておられる。著書や講演を通して野菜がおかれている現況を伝えながら、種苗会社の三代目として固定種のタネを販売。口に入るものの安全性などについて意識が高い一部の人たちから強く支持されているようだ。

固定種とは、育てた野菜から種を収穫し、その種を蒔いてまた育てるという昔ながらの手法で生まれた種である。昔の農家はほとんどこのようにして野菜を育てており、種は農家にとって貴重な財産でもあっただろうと思われる。しかし、固定種の種から生まれた野菜は不ぞろいであり、生育はゆっくりで収穫量はF1に比べて少ない。

市場性といった面から見れば不採算以外の何ものでもなくなるから、農家はF1を選ぶ。F1の野菜は母親株のめしべに異なる品種の花粉がついて受精した時だけ、「優性の法則」と「雑種強勢効果」が現れる。「雑種強勢」とは、両親の遺伝形質が遠くかけ離れていれはいるほど、両親より大きく、強い子どもが生まれるというもので、「ヘテロシス」あるいは「ハイブリッド・ビガー」と呼ばれているという。

生産農家にとって都合がいい性質は第一代にしか現れないから、種苗会社は異なる親それぞれを維持して毎年同じ組み合せで交配し、販売用の種を生産しつづける。生産農家は毎年その種を買う。そういったシステムの中で生まれた野菜を私たちは食べている。

種苗会社は、毎年販売する交配種の種を効率良く生産するため様々な工夫をしてきた。その工夫とは「自分の花粉では種をつけないようにする工夫」である、と野口さんは説明している。雄蕊や雄花を取り除く技術や、自分の花粉では実らなくする「自家不和性の発現」技術などいろいろあるようだ。野口さんは“むりやり人間の話に置き換えると”と前置きしながら、この状態を「日本人の家庭から父親や男兄弟を取り除き、代わりに、人種の異なる外国の男性を送り込んで、日本人野津まや娘との間に、子を持つことを許されない、一代限りの逞しい戦士を、毎年生ませ続けようとする技術」と解説している。わかりやすい・・・わかりやすいが、それゆえ怖い。

ここまで知ると、固定種の種から生まれた野菜を食べたいと思うのはごく当然のことだろう。しかし、もはやそれを実現させるためには、固定種の種を自分で買って蒔き、育てるしか道はない。市場性のあるF1種はそれはそれで認めながら、固定種が絶滅しないようにしていかねばならない、ということだろう。

きものの師匠であるSさんは以前からこの問題に詳しく、彼女が畑で育てている野菜も固定種だと思う。以前、畑で収穫した春菊をいただいたことがあるが、これがびっくりするほどおいしかった。春菊というと鍋に入れるくらいしかしてこなかったが、ゆでて醤油をさっとかけただけなのに本当においしくて驚いた。香りも甘味もごく自然で優しい味といおうか、春菊がこんなにおいしいとは思わなかった。

ラジオ番組で、野口さんが固定種の特長として第一にあげておられたのがこの「おいしさ」だった。子どもにF1種のホウレンソウと固定種のホウレンソウを与えると、常に固定種の方を選ぶという。身体にいいから等々の理屈抜きで判断できる子どもは味に正直だ。

昔の野菜はもっと味が濃かったよね、と家人と時々話をする。家人は都内で農家を営む家系に生まれているので、子どものころは野菜を育て種を収穫しそれをまた蒔いて育てるという昔の生産方法を自分の目で見ているから、今の野菜に対する不満は私より大きいと思う。子どものころ、私はあまり野菜が好きではなかった。味が濃くてそれがいやだったのだと思う。しかし、大人になってはじめてそのおいしさに気づくということは十分あり得ると思うにつけ、大人になった時にそれらが目の前からなくなっているのがいかにも惜しい。

今どきの野菜(味が薄くて個性が感じられない)に慣れた子どもたちの味覚は、昔の子どもたちよりもかなり鈍感になってきているのではないかと懸念される。家庭菜園などでは、ぜひ固定種の野菜を育ててほしい。私も畑を借りられるようなことがあったら、ぜひ育ててみたいものだと思っている。

***

「優性」「劣性」という言葉は誤解を招きやすい。交配した時に、表面に出る性質が「優性」、隠れる方が「劣性」で、性質の優劣を指す呼称ではないのだが、そのように受け取られがちだ。これも野口さんのわかりやすい例を引用させていただけば、黒髪の日本人男性と金髪の北欧の女性の間に生まれる子どもはすべて黒髪、なのだそうである。金髪よりも黒髪が優れているというわけではなく、黒髪が表面に出るというだけのことだ。

差別について敏感(時に過敏)になっている昨今、日本遺伝学会は「優性」「劣性」という言葉をやめて「顕性」「潜性」という言葉に置き換えることをこの9月に発表した。この方が格段に誤解されにくい。

*今日の記事は主に「野口のタネ・野口種苗研究所」の解説を参考に書かせていただいた。

*より詳しく、より正確に知りたい方は、ぜひリンク先を訪問していただきたい。

*たとえば、「交配種(F1)野菜とは何だ」など。

*野口さんは、かつて虫プロで「火の鳥」の編集をやっていたとか!

*「火の鳥」は読んでいないが、生命の多様性につながっているんだろうな、きっと。

*読みたい本がまた増えていく・・・(^^;)

| - | 07:49 | comments(2) | - |
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