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日々の内側
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芍薬忌

今月に入ってから花屋の店先で芍薬の花を見かけることが多い。私は例外(蓮、牡丹)をのぞいて大きな花は苦手な方で、芍薬も嫌いではないものの特段好きな花というわけではない。が、芍薬には個人的な思い出があり、そういった意味で特別な花と言えなくもないと思う。

子どものころ、わが家には庭と言っては恥ずかしくなるような小さな庭があった。小さな一戸建てが立て込んでおり、日当たりもさほどよくはなかった。しかし、祖父母の影響か花好きだった母は、様々な植物の種を蒔いたり苗を植えたりしていた。勝手口の横のわずかなスペースに百日草を植えた。もともと丈夫な植物だったからだと思うが、夏になると無事花を咲かせ、その名の通り長い間咲き続けていた。私は今でも、その微かに褪せたような桃色の花の色を脳裏に浮かべることができる。

朝顔の種を直まきしていた。隣家との間にあった垣根の内側に、五月になると種を蒔いた。八十八夜が過ぎたら朝顔の種を蒔く・・・母の口癖だった。本葉が出始めると、父が細目の竹を買ってきて朝顔の蔓をからませられるようトレリスのようなものを作った。とりたてて世話をしなくても、毎年朝顔はその竹をよじのぼり、色とりどりの花を咲かせた。夏の朝、まず最初に朝顔の花を数えるのが私の日課になった。

狭いスペースの一番日当たりがいいと思われるところに、ある日母は芍薬の苗を植えた。誰かにもらったのかもしれない。大きな花が咲くと聞いたが、子ども心に果たして自分の家の庭で咲くのが疑問だった。他の植物より多めに肥料をやったのかどうかは知らないが、芍薬はつぼみを持ち、見事に桃色の花を咲かせた。数は少なかったが、学校で作った薄紙の花のように大きな花を咲かせた。その花の色もいまだに鮮やかに覚えている。

数年前の5月、先日亡くなった伯母のところに行くときに私は芍薬を買っていった。芍薬でなくてもよかったのだが、たまたま花屋の店先に数種類があり、華やかな花を持っていって伯母の目を楽しませてあげたいと思った。

少し濃いめの桃色の花だった。それを5本ほど買って持っていった。伯母に渡すと、「ああ、芍薬ね。きれいね、なつかしいわ」と言った。伯母にとって芍薬はなつかしい花だったのか、なにか特別な思い出がある花なのかもしれないと思い、芍薬を選んでよかったと思った。

伯母はその芍薬をすぐに花瓶に活けて、自分の部屋の棚の上に置いた。芍薬の周囲には伯母と縁があった人たち、すでにこの世の人ではない者たちの写真がきちんと写真立てに収まって並んでいた。かつて伯母の夫であった人の写真もあった。愛人を作って離婚にまで追いやられたというのに、伯母はその人の写真を飾っていた。自分より早く亡くなった妹の写真。母親と父親の写真。仏壇も位牌も持たぬ伯母は写真を飾ることしかできなかったのだろう。それでも、故人を偲ぶ気持ちは他の親類縁者に勝るとも劣らなかったと思う。

少し暗い部屋の、棚の上にしつらえられたささやかなスペース。そこで咲く大きく華やかな芍薬の花。その光景が忘れられず、今年の母の日には伯母に芍薬を贈ろうかと考えていたのだったが・・・

伯母が特別芍薬を愛していたとは思わない。が、今年になって訪れた時に小さなブーケを持って行ったら、「ああ、花を見るなんてずいぶん久しぶりだわ」と喜んでくれたことも忘れ難い。数年前のように芍薬は持っていけなかったが、伯母と芍薬は何故か切り離せない関係性を私の中で築いている。

今日出掛けた帰りに、白い芍薬を3本買ってきてデスクの上に飾ってみた。白い花は2種類あったが、どちらかというと花が小さく葉がきゃしゃな方を選んだ。ふんわりゆったりした存在感で今私の目の前にある。伯母の命日・・・5月6日を私の中では「芍薬忌」としよう。ふとそう思った。5月はバラのシーズンでもあるが、私はバラの切り花を買ったことがない(少なくともバラを育てるようになってからは)。これからは毎年5月が来る度に白い芍薬を飾って伯母を偲びたいと思う。

| - | 06:07 | comments(2) | - |
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