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芍薬忌

今月に入ってから花屋の店先で芍薬の花を見かけることが多い。私は例外(蓮、牡丹)をのぞいて大きな花は苦手な方で、芍薬も嫌いではないものの特段好きな花というわけではない。が、芍薬には個人的な思い出があり、そういった意味で特別な花と言えなくもないと思う。

子どものころ、わが家には庭と言っては恥ずかしくなるような小さな庭があった。小さな一戸建てが立て込んでおり、日当たりもさほどよくはなかった。しかし、祖父母の影響か花好きだった母は、様々な植物の種を蒔いたり苗を植えたりしていた。勝手口の横のわずかなスペースに百日草を植えた。もともと丈夫な植物だったからだと思うが、夏になると無事花を咲かせ、その名の通り長い間咲き続けていた。私は今でも、その微かに褪せたような桃色の花の色を脳裏に浮かべることができる。

朝顔の種を直まきしていた。隣家との間にあった垣根の内側に、五月になると種を蒔いた。八十八夜が過ぎたら朝顔の種を蒔く・・・母の口癖だった。本葉が出始めると、父が細目の竹を買ってきて朝顔の蔓をからませられるようトレリスのようなものを作った。とりたてて世話をしなくても、毎年朝顔はその竹をよじのぼり、色とりどりの花を咲かせた。夏の朝、まず最初に朝顔の花を数えるのが私の日課になった。

狭いスペースの一番日当たりがいいと思われるところに、ある日母は芍薬の苗を植えた。誰かにもらったのかもしれない。大きな花が咲くと聞いたが、子ども心に果たして自分の家の庭で咲くのが疑問だった。他の植物より多めに肥料をやったのかどうかは知らないが、芍薬はつぼみを持ち、見事に桃色の花を咲かせた。数は少なかったが、学校で作った薄紙の花のように大きな花を咲かせた。その花の色もいまだに鮮やかに覚えている。

数年前の5月、先日亡くなった伯母のところに行くときに私は芍薬を買っていった。芍薬でなくてもよかったのだが、たまたま花屋の店先に数種類があり、華やかな花を持っていって伯母の目を楽しませてあげたいと思った。

少し濃いめの桃色の花だった。それを5本ほど買って持っていった。伯母に渡すと、「ああ、芍薬ね。きれいね、なつかしいわ」と言った。伯母にとって芍薬はなつかしい花だったのか、なにか特別な思い出がある花なのかもしれないと思い、芍薬を選んでよかったと思った。

伯母はその芍薬をすぐに花瓶に活けて、自分の部屋の棚の上に置いた。芍薬の周囲には伯母と縁があった人たち、すでにこの世の人ではない者たちの写真がきちんと写真立てに収まって並んでいた。かつて伯母の夫であった人の写真もあった。愛人を作って離婚にまで追いやられたというのに、伯母はその人の写真を飾っていた。自分より早く亡くなった妹の写真。母親と父親の写真。仏壇も位牌も持たぬ伯母は写真を飾ることしかできなかったのだろう。それでも、故人を偲ぶ気持ちは他の親類縁者に勝るとも劣らなかったと思う。

少し暗い部屋の、棚の上にしつらえられたささやかなスペース。そこで咲く大きく華やかな芍薬の花。その光景が忘れられず、今年の母の日には伯母に芍薬を贈ろうかと考えていたのだったが・・・

伯母が特別芍薬を愛していたとは思わない。が、今年になって訪れた時に小さなブーケを持って行ったら、「ああ、花を見るなんてずいぶん久しぶりだわ」と喜んでくれたことも忘れ難い。数年前のように芍薬は持っていけなかったが、伯母と芍薬は何故か切り離せない関係性を私の中で築いている。

今日出掛けた帰りに、白い芍薬を3本買ってきてデスクの上に飾ってみた。白い花は2種類あったが、どちらかというと花が小さく葉がきゃしゃな方を選んだ。ふんわりゆったりした存在感で今私の目の前にある。伯母の命日・・・5月6日を私の中では「芍薬忌」としよう。ふとそう思った。5月はバラのシーズンでもあるが、私はバラの切り花を買ったことがない(少なくともバラを育てるようになってからは)。これからは毎年5月が来る度に白い芍薬を飾って伯母を偲びたいと思う。

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奢㶚都舘

昨年あたりから少しずつ本の整理をし、少しずつ手放している。雑誌などは新聞と一緒にゴミとして出すことが多いが、それ以外はほとんど明大前にある七月堂古書部に送っている。もうかれこれ3回か4回送ったと思うので、少しは本が減ったか・・・と見回してみたが、数としては確かに減っているはずなのに見た目は全く変わっていないように思える。なぜだ!?

整理をしながら、送ろうかどうか迷う本もある。私は比較的処分すると決めたら思いきって処分できる方なのだが、それでも中には数冊迷う本が出てくる。今後読み直す可能性があるかどうか、が処分非処分の基準なのだが、なにせ気分で本を読む私のこと、ある日突然処分してしまった本が読みたくなることだってありうるからだ。

けっこう迷ったが古書店に持っていこうと決めた本が2冊ある。ちょっとマイナーな分野の本だが、本としてなかなか美しい本でもあるので、内容を含めて興味を持っていそうな古書店に。一軒思い当たる店があるので、そのうち持っていって買い取りできるかどうか聞いてみようと思う。

その2冊とは、「ダンディズムー栄光と悲惨ー」(生田耕作)と「閉ざされた城の中で語る英吉利人」(ピエール・モリオン/生田耕作訳)。発行は奢㶚都舘という読み方がわからない出版社だ。社名からして凝りに凝っているが、フランス文学者・生田耕作のプライベートプレスだと知れば不思議さは感じないだろう。どうやら「サバト舘」と読むらしいことがわかった。

生田耕作についてはさほど知らないが、私の中ではまず「異端」という言葉がイメージされる。wikiでも、「フランス異端文学の紹介に努め・・・」とあるし、図書目録に掲載されているマンティアリング、ワイルド、バタイユ、などの名前を見ればなるほどと思ってもらえるのではないだろうか。

この2冊(実はもう少し奢㶚都舘の本は持っていたかも)を入手したのは20代中ごろか。最近は絵画の分野で「奇想」流行りだが、若いころから「異端」にも心惹かれていたことを今さらながら確認した次第。売る前に読んでみるか、とページを繰ると図書目録(写真)がはさまれていて、目録さえもどこか神秘的な印象を与える。表紙には、以下の文章が印刷されている。

低俗と量産の時代に、敢えて問う誇り高き少数者の声。瓦礫文化の底から、埋もれた結晶群の美を探る、<反時代的>コレクション。細心の編集と瀟洒な造本で贈る。

そうなのだ。奢㶚都舘の本の魅力はその内容だけでなく、「本」としての美しさを追求しているところにあるのだ。私が魅かれて入手したのも、内容を読んでみたいと思っただけでなく、本を手に取り装幀や紙質などを確かめてみたかったからなのだ。先に挙げた「閉ざされた・・・」など箱も本体表紙もほとんど真っ黒で背表紙の題名は金色で押してある。うーん、オシャレというにはあまりに洗練されているし、読まずとも持っていたいところは山々なれど・・・(また迷う(^^;))

奢㶚都舘は今でもあるのだろうか。そう思って調べてみたが確かなことはわからなかった。ただ、生田耕作氏亡き後仕事を引き継いだ夫人もなくなり、今は出版社としての営業はしていないようだ。ただ、「サバト本」を扱う古書店はいくつかあることがわかった。ごく少数かもしれないが、熱心なファンはいるのだろう。

さて手元にある2冊の本。読んでから売るか。読まずに売るか。とりあえず読まないまま持ち続けるか。読んでから決めるか。うーん、また迷いはじめてしまった(^^;)

*今日も暑くなりそう。今って何月?

*暑さに慣れるまで、けっこうつらい日々が続くのだー(T.T)

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22日は猫に語らせる日・・・5月担当:まめこ

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おはよう。まめこなの。あいかわらずの、まめこなの。あいかわらず「びじん」だってゆわれているし、あいかわらず「ごきげんななめ」なまめこなの。

まめこはさいきん、たんすのうえの、くらーいところ(「やねうらべや」ってよばれてる)にひそんでいることがおおいの。いままでは、いすのうえにおかれた「ねこべっど」のなかにいて、うえから「もうふ」をかけてもらっていたけど、あるひとつぜん、そのばしょがいやになったの。でも、どこにいってもほかのねこがいるです。まめこは、ひとりでゆっくりできて、ひとりでゆっくりかわいがってもらいたいの。

だから、しかたなく、くらいところにいったです。でも、ここは、まえからおきにいりのばしょで、ときどきひそんでいたからだいじょうぶなの。ごはんのじかんになってもでていかないと、ごはんをそこまで「はいたつ」してくれるし。「いたれりつくせり」だって、すみごんがゆってたの。

でもね、ときどき、ダイスケがこっちをみあげてねらっているの。あいつはからだがおおきいから、のぼるのにちょっとてまどるけど、たまーにのぼってくるです。なんだってあいつは、まめこをおそうのかな。すみごんは、「あのね、まーちゃんのことがすきなんだよ、ほんとは」ってゆうけどさ、まめこはちがうとおもうです。

そんなこんなで「ごきげんななめ」なまいにちだけど、たべるものはしっかりたべているの。だから、けづやはピカピカだよ。たまになでてもらいたくてすみごんのところにいくと、「まーちゃん、あいかわらずびじんでつやつやだね」ってゆうもん。でも、まめこがなでてもらっていると、きまってダイスケがやってきて、すぐちかくでまめこをみはるんだよ。ちかづくとすみごんにしかられるから、すこしはなれたところで、まめこのことをじーーーってみているの。こっちくるな!しっ!しっ!

みかんもまめことおなじで、いままでくつろいでいたばしょがきゅうにいやになったらしいの。それで、すみごんのいすでねていることがおおくて、「みーくん、わるいけどどいて」なんてゆわれているの。それでも、すみごんのひざのうえにのったりしているよ。まめこよりおばーちゃんなのに、あまえんぼうになったみたいなの。

ふく・・・あいつはあいかわらずでかくて、あいかわらずよくたべているの。ごはんのじかんになると、すみごんのへやのどあをあけてさいそくするから、そのてんはえらいっておもっているの。これまでは、「けーじ」のうえでひるねしていることがおおかったけど、あつくなってきたら「かいだん」かすみごんのへやのまえでねていることがおおいんだって。へやのまえにいると、どあからかぜがはいってきてすずしいらしいの。かいだんもすずしいらしいけど、ふくがねているとすごくじゃまなんだって。そういわれても、へいきでどどーんとねているよ。

ねこは「あつさ」につよいってゆわれているみたいだけど、よわいこもいるみたいなの。まめこがきらいなダイスケはもともと「のらねこ」だったから、さむさにはつよくてあついのにはよわいみたいなの。これからはつらいきせつだよ。ざまーみろ、ってまめこはないしんおもっているです。でも、すみごんもあついのがにがてみたいで、2、3にちまえからぐったりしているの。まめこは「えあこん」がきらいなので、もっとあつくなったらますます「やねうらべや」にいることがおおくなりそうなの。

こないだ、ひさしぶりに「まぐろ」をたべたの。ほかのこたちは、「ささみ」と「まぐろ」のみっくすだったけど、まめこは「ささみ」がきらいなので「まぐろ」だけ。でも、いっぱいもらったから「だいまんぞく」だったの。これからは、1しゅうかんに1どは「まぐろまつり」をかいさいしてほしいとおもうです。

らいげつは、きのうひさびさに「うしろあしびろーん」をやって、すみごんをよろこばせた、ふくのばんなの。「びろーん」はゴンのとくいわざだったけど、ふくはでぶだから、ゴンみたいにかっこよくきまらないの。でも、すみごんがよろこぶから、もっと「びろーん」したほうがいいと、やさしいまめこはおもっているです。おしまい。

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かわいいマッチ

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少し前、友人が「たばこと塩の博物館」に行くというのでミュージアムショップで販売されているマッチの購入をお願いした。本当は私も行きたかったのだが都合がつかず残念。博物館が渋谷にあった時もいつか行こうとは思っていたのだが、地味な企画展が多かったこともあり行かずじまいになってしまった。

先日友人から頼んでいたマッチを受け取った。どうです?なかなかかわいいでしょう?「たばこと塩の博物館」オリジナル商品の「たばしおマッチ」である。女の子は「たばこ」、男の子は「としお」という名前で、裏表になっている。赤い♡に灯がついて、「たばこ」の絵には“としおに燃え”、「としお」には“たばこに燃え”と書かれている。中のマッチにも顔が描かれており、ちょっと使う気になれないかわいらしさだ。

マッチはかつて家庭になくてはならないものだった。台所のコンロに火をつけるにも、ストーブをつけるにもマッチが必要だった。たばこを吸う時だって、今のような使い捨てライターがなかった時代はマッチはぜひとも必要なものだった。しかし、今は何でも自動化されおり、マッチの出番は極端に少なくなってしまった。

子どものころ、私はマッチを擦るのが怖かった。母が近くの会社にパートに出ていたので、自分でやかんの湯を沸かしたりストーブをつけたりしなければならなかったのだが、あの細い軸を擦ると一瞬にしてあがるほのおが怖かった。やけどをしそうに思えたのだ。

しかし、火をつけられるようにならなければ自分が困る。そこで最初はフォークのすき間に軸をはさんで擦るという無謀な試みをした。フォークにはさんだマッチは不安定で力が入らない。火が出るどころではなく、すぐに落ちてしまった。そこで勇気を奮い起こして(!)、流しの上でこわごわマッチを擦る練習をした。何度かやっているうちにコツがわかり、めでたくマッチを擦ることができるようになりましたとさ!

そういった時期を過ぎて、何を思ったのか中学校3年生の時にマッチを収集しはじめた。一番仲がよかった友だちが集めはじめていたので私も!ということだったのかもしれない。中学生だから喫茶店に入ることもほとんどなく、ましてやたばこを吸うこともなかったのに、マッチはけっこう集まっていた。レストランや食堂などにはたいていマッチが置いてあったし、飲食店でなくてもマッチを見かけることが珍しくない時代だったからかもしれない。

集めたマッチを大きめの箱(たしか、ウールのコートを買った時の百貨店の箱)に入れて保存しており、時々友だちと集めたマッチを見せ合い、複数あるものは交換したりしていた。当時はまだ箱型のマッチが多く、店によっては凝ったデザインのものもあって見ているだけで楽しかったと記憶する。

それらのマッチも今はない。いつ処分したかとんと覚えていないのだが、実家を出た時だったかもしれない。もう二度と実家に帰ってくることはないだろうと覚悟していたので、できるだけ残すものは少なくする必要があったから。大きいとはいえ箱ひとつ、残しておけばよかったと今後悔しても遅すぎる。

今あらためてマッチを擦ってみると、いいものだなぁと思う。マッチを擦る動作も、はかなく消える火も、なんだかとても味わい深い。今ではかなり数は少なくなってしまったが、オリジナルのマッチを作り店においているところもあるかと思う。そういうところのマッチを少しずつ集めてみようか、と思っているところだ。

*このマッチ以外にも、「こけしマッチ」「ひよこマッチ」もいただいた。

*どれもこれもかわいいぞー

今やっている企画展に興味あり。来月あたり行こうかな。

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ネックがネック?

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先日きものを着た時に、「首が長いから似合うわね」と褒めてもらった。まあ、短いより長い方がいいのだろうが、私の場合無駄に長いというか長いがゆえの問題がいろいろあるように思われる。

まず見た目。きものの場合はいざ知らず、普段は洋服である。これからの季節はTシャツなど衿がないものを着ることが多くなるが、首が長いと間抜けて見える。ヘアスタイルをショートカットにしようものなら、さらに間抜ける。そこでストールを首にぐるぐる巻くことになるが、日焼け止め効果はあるものの外を歩いている時はいささか暑い。

また、長いとおのずから目立つ。きれいな首ならいいが、寄る年波で私の首は悲惨なことになっている。だいぶ昔、テレビで女優が首の手入れに一番神経を使っていると言っていた。首には年齢が出ますから、と。それを見てなるほどと思い、手入れしなくちゃなぁと思ったものの何もせずここまで来てしまった。自業自得。

着るものについてもうひとつ言えば、タートルネックのセーターの首部分の長さが足りなくて寒い。だからその上からまたストールをぐるぐる巻くことになる。夏も冬もストールは私にとってたいせつなお助けアイテムなのだ。

見た目以外にも不具合が生じがちだ。筋肉がしっかりついていないからかもしれないが、首の負担が大きくなりがちで、首のあたりが年がら年中緊張しているような気がする。頭の重さは人並みだと思うが、それを支える首が長いと頚椎にかかる負担は大きくなる、と以前整形外科医から聞いた。

私の頚椎もそうで、7つある骨が平均的な人より少し長く、そのため頚椎板が傷みやすいようだ。以前アルバイト仕事で首にけっこうな力をかける作業をしたら、翌日から手はしびれるわめまいはするわで困ったことがある。レントゲンを撮ってもらい、頚椎症といえるほどひどくはなかったのでまず安心したが、首に負担がかかるような動作はできるだけ避けるように言われている。

とはいえ、日常生活ではそうもいかない。たとえば洗濯物を干すという作業が私は少々苦手なのだ。ほんの数十秒にすぎないのだが、ぐっと首を上にあげている体勢がけっこうつらい。蛍光灯の交換にも手間取る。

書店でも図書館でも高いところにある本を取るのにかなり苦労する。私にとって長いネックは生活する上でのネックになることもある、ということだろう。

物事の障害になるものを「ネック」というが、それは人間の首ではなくボトルネックのことだ。急に細くなっているので中に入っているものがそこで滞ることから出た表現だろう。ワインの瓶や鶴首の青磁などは見ていて美しいが、私はイキモノだ。今後さらに身体の衰えが進めばまた不具合が出るかも知れない。そう思うといささかユウウツではあるが、自分の身体なのでなんとか付き合っていくしかない。とほほ。

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“ゆずりは”の仕事、手仕事

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昨日は表参道の蔦サロンで開催されている「手仕事の原点“東北とラオス”」を見に行ってきた。古いビルの中に入り、靴を脱いで階段をのぼっていくと様々な手仕事作品が展示された畳敷きの空間に、美しく着物をきこなした女性が凛と座っていた。十和田湖畔休屋にある「暮らしのクラフト ゆずりは」(以下「ゆずりは」)のオーナー、田中陽子さんだ。

十和田湖畔の店に連れていってくれたのは、花鳥渓谷の木村暢子さんだった。それだけでも思い出深い、いつまでも心に残る店なのだが、それをのぞいても店が扱う物の確かさ、見る目の深さを最初から感じていた。その後何度か十和田を訪れる機会があり、都合がつく限り店に立ち寄ったが田中さんにお会いするのは今度がはじめてだ。なぜなら、田中さんは東北の手仕事の素晴らしさを伝えていくため、日本はもとより海外にも出かけていくことが多く店には不在がちだから。

リンク先を読んでいただければわかるが、田中さんは旅館の後継者の元に嫁ぎ、地元に貢献する事業を担当。十和田湖を囲む青森、秋田、岩手の職人さんたちを3年間訊ね歩いた。そんな中で培った人脈を生かし、1989年わずか6坪の「ゆずりは」をオープンさせた。

仕事が軌道に乗りかけた時、田中さんを病魔が襲った。「中耳結核」という難病だ。それでも仕事を続けていると、今度は癌が見つかり手術。精神的に追いつめられて鬱病にまでなってしまったという。そんな時に目にしたひとつの記事が「高い精神性と篤い信仰心に育まれた手仕事の残る国、ラオス」。医師に止められたがそれもものともせず、病身をラオスに向けた。

ラオスは田中さんにとって特別な国、場所なのだろう。そしてその時出会ったラオスの人々、肌で触れた文化や暮らしが田中さんを救い、勇気づけたのかもしれないと想像する。また、東北の素朴で忍耐強い人々によって受け継がれてきた手仕事に触れてきた田中さんだからこそ、深い共感を感じたのかもしれない。

昨日の展示はそんなラオスの布と東北の布(白鷹紬、紅染、からむし織などなど)を集めたもので、さすがにいいものがたくさんあった。雨模様で客が少なかったこともあり、いろいろな話をお聞きすることができてとても充実した時間を過ごすことができた。

少し前から、私はfacebookで「ゆずりは」の活動をフォローしており、田中さんが精力的に東北の手仕事を伝える活動をされていることを知っていた。しかし、実際にお会いしてお話を聞くと1人の女性としてのきめ細やかな感性、経験が培ってきた度量の広さ、柔軟さを実感した。ステキな人に会えることはステキな物と会えることより一層幸せな気持ちにさせてくれると思った。

前にも何度か書いたかもしれないが、私自身のルーツのようなものは「北」にあると感じている。日本でいえば北海道か東北(とくに青森)。まだまだ手が出るものはないが、これからは東北の手仕事から生まれた織物で仕立てたきもの、帯を身に付けていきたいと思う。たぶん、それが私にとって一番自然であり、ということは一番しっくりすることであるように思える。

田中さんからはきものについてもいろいろお聞きした。曰く、いいものをできるだけ多く見ること。可能であるなら見るだけでなく触って感触を確かめることが大切。曰く着付けは人それぞれ合うやり方があるので、教室で習ったことにこだわりすぎるのはよくない。等々。

着付け教室に通いはじめ、私自身いろいろ考えているところだった。着付けの順番や手法(手の使い方や使う道具など)が決められているわけだが、家に帰ってもう一度やってみると自分なりにやっても結果がよければいいのではないかと思いはじめていたのだ。さらに1ヶ月通おうかと迷っていたが、あと2回通ったらその後は自分であれこれ試してみたいと思うようになった。必要性を感じたらまた通えばいいだけのこと。

昨日の雨は雷まで鳴り響いてかなり激しい雨だった。が、一時の雨で夕方にはあがり、初夏の緑が瑞々しかった。ああ、いい出会いだったと思いつつ、通勤ラッシュの電車に揺られて帰宅した。

| - | 05:42 | comments(0) | - |
紅い爪

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久しぶりに真っ赤なネイルエナメルをつけてみた。どれくらい久しぶりかというと・・・20年くらい?その間、年に数回思い出したようにエナメルを出して塗ったりしてはいたが、たいていはベージュ系というか肌の色と似ている色ばかり。足の爪は毎年青く塗るが、手はちょっとでも剥がれてくると気になるので。

先日の同窓会前日、これまた久しぶりにネイルサロンに行った。1年ほど前まで1ヶ月に一度、ハンドケアコース(手の手入れ、爪まわりの甘皮除去、爪と整えてベースコートまで)をしてもらっていたのだが、右手薬指の爪に大きな穴があいたり!(全く痛くはない)、しもやけになったり、でご無沙汰していたのだった。

迷ったのだが、翌日同窓会なのでたまにはカラーまで頼んでもいいかなと思ったのが大間違い。当日は雨で肌寒く、完全に乾ききらない爪に雨粒がついて台無しに。無駄なことをしたと大いに後悔したが後の祭り。思いきって塗ってもらったばかりのエナメルを落とし、手持ちのものを塗った次第。サロンでは時間が限られているので、完全に乾くまでそこにいるというわけにはいかない。それはある程度わかってはいたのだが・・・

その時のストレス解消でもないが、先日銀座に出た時にふと真っ赤なネイルエナメルを買う気になった。鮮やかな色を塗って気分転換!たかが指先だが、そこに色がつくことによってなんとなく気分が変わるから不思議である。昨日の夜慎重に塗って(不器用なので)、今日外出から帰ってきたら落とす予定だ。

ネイルエナメルをつけたり、香水をつけたり、髪形を少し変えたり・・・ちょっとしたことで気分転換できる点は男性より女性の方がトクかもしれない。まあ、私にとって一番の気分転換は外に出て歩くことなのだが。

さて、今日は友人と待ち合わせて青山方面〜自由が丘に行く予定。青山あたりはけっこう好きなところだが、最近とんと縁がない。先日根津美術館に行ったので今年は二回目だが、天気もいいし楽しみだ。

| - | 07:29 | comments(0) | - |
SNSの使い方

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・・・先日車窓から見た町工場。トタンといいドラム缶といい私の大好物が!・・・

SNSについては今までも何度か書いてきたと思う。mixiが現れたのは2004年ということなので、すでに13年が経過した。その間様々なSNSが登場し、今はInstagramやLINEが元気(だと思う。あまり詳しくないので)。メリットやデメリットが様々な人によって語られてきたが、私の意見を言うとすれば使い方次第でメリットにもなるしデメリットにもなる、ということだろうか。

2013年11月28日の記事でSNSとのつき合い方を書いているが、今でもほとんど同じようなスタンスだ。当時はまだmixiを使っていた。しかしなんとなく性に合わなくて数年前にやめ、今はfacebook、twitter、Instagram、LINEを登録している。twitterはほとんど使っておらず、facebookとInstagramはほぼ閲覧のみの状態でたまにこのブログをリンクさせたり出掛けた時の写真をアップしたりする程度。LINEは友人や妹、息子との連絡用だ。

だいぶ前にも耳にしたことがあるが、最近「facebook鬱」という言葉を目にした。ともだち登録している人たちの近況を知り、自分と比較して気持ちが落ち込む、というものらしい。わかるような気はする。たとえば、自分に何がしかの不幸、不運な出来事があった時、友人知人たちが楽しそうにしていることを知れば“なんて自分と違うんだろう。”と気分が落ち込む。仕事が上手くいっていなかったり、仕事がなくて金に困っていたりする時、知り合いが豪勢に遊んでいることを知れば落ち込む。見ず知らずの他人のことなら気にならなくても、知っている人についてはどうしても気になり、自らと比較して鬱状態になってしまう・・・そんなところだと思う。

私はもともと「人とつながる」ことを目的としてSNSを利用しているわけではない。「ともだち」として登録している人も25人くらい。中学校の同級生あり元同僚あり、昔のメーリングリスト仲間あり、バラが縁で知り合った人あり、でたいてい私より社会的にもプライベートでも幸せそうな生活をしているが、今のところ鬱にはなっていない(^^;)

時々、楽しそうでいいなぁと思うことはある。仕事が順調そうで羨ましいと思うこともある。が、自分の現状は自分の責任でやってきたことの結果なので、人を羨むというのは筋違いだとも思うし、facebookは所詮「よそゆき顔」の、多かれ少なかれ演出が入り込むSNSなので、楽しそうなトピックをアップしている人も幸せいっぱい夢いっぱいの暮らしをしているとは限らないと考えている。

私はむしろ、facebookは情報入手のツールとして有効だと思い、ニュースサイトや美術館、博物館、手仕事関連の仕事をしている人たち、動物愛護関係の団体や個人などをフォローし、最新の情報を入手するようにしている。twitterも情報入手手段としては非常に有効だとは思うが、私はあのスピードについていけないのだ。情けないことに。

LINEはなかなかおもしろいと思っている。ごく単純な使い方しかしていないからなのかもしれないが、メールより手軽だし面白いスタンプがたくさんあって、ともすると険悪な雰囲気になりがちな妹とのやりとりも楽しくスムースにできている。先日は90才になった伯父とLINEで会話した。自分の息子と同じiPhoneを買ってLINEを使うなんて伯父もなかなかやるものだと思う。

いずれにしろ、人との「つながり」をネットに求めるのはいいが、それが過度になってしまうと自分を追いつめてしまうことになりかねない。人は人、自分は自分。そう腹を括って使うならけっこう便利で楽しいと私は思うのだがいかに。

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淋しい死

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先日の同窓会で、小学校、中学校と一緒だったSさんに久しぶりに再会した。彼女とは小学校6年間同じクラスだったが、1、2を争う秀才で正義感が強く努力家でもあり信頼のおける人だという印象を持ち続けている。その彼女が会った途端「いつぞやはごめんなさいね」と言った。最初は何のことかわからなかったが、3年ほど前に私が連絡した時のことを言っていることがわかった。

その少し前、小学校5、6年の時の担任を囲む会に来ないかという連絡を受け、なつかしくなって出掛けていった。指定された店に行ってみると集まったのは先生を入れて6人か7人。急な話だったので来られる人が少なかったのだろう。メンバーを見るとクラスでも成績優秀だった人がほとんどで、親同士が今でも親しくしている人もいるようだった。

その中にA君がいた。A君は小学生のころからどこかすっとぼけたところがあって、頭はいいのに飄々としていて愛嬌があった。発想の仕方がユニークで、彼の発言に驚いたり笑ったりしたのは私だけではなかったと思う。

中学校から私立に進み、理系の大学を出て超電導関係の会社の主任研究員をしているようだった。名刺をもらい、仕事の説明をしてもらったが私にはちんぷんかんぷん。髪がだいぶ薄くなっていたが、例のとぼけた雰囲気は相変わらずでなつかしかったが、酒を飲むにしたがって酔い方が尋常ではないような気がした。

結婚はしているが、自分の親が入退院を繰り返しているのでその時は実家に帰って一人暮らしをしている、と言っていたので淋しいのかもしれないと思った。女子の参加は私とSさんの2人だけだったが、Sさんは潔癖症気味で何でもはっきりぴしゃりと言う人。のほほんとしている私の方が与しやすいと思ったのか、妙にからんできたのだ。

私自身酒飲みだし、酔っ払いの相手は会社員時代を通して慣れているといえば慣れている。またA君の酔い方も陰湿な感じではなかったので、適当に相手をしながら3次会まで付き合った。最後は小学校の時に一番仲がよかったN君が彼をタクシーに乗せ、私は地元だったので家に帰ってすぐに寝た。もう空が明るくなる時間だったと記憶している。

翌日A君からメールが来て前日の非礼を謝られた。酔っ払いぶりをN君から聞き反省したのかもしれない。酒の上のことなので、と私は気にしていないことを伝え、その後何度かメールの遣り取りをしたと思う。電話も何度かかかってきたが、そのうちまたみんなで集まろうという話に終始し、それ以降連絡はなかった。

Sさんとはゆっくり話せなかったので、その後私の方から連絡して会えないかと伝えたのだった。が、当時彼女は精神的に緊張が続く日が多かったらしく、私の誘いに対して冷淡な対応をしてしまった、と言うのだ。私自身は都合が悪いのだろうとしか思わず、それ以降忘れていたのだったが責任感の強いSさんは覚えていたのだった。

数年前のことを謝られた後、思いがけないことを聞いた。A君が亡くなったというのだ。ここ1、2年ことだと思うが、還暦を迎えるか迎えないかのことだし、会った時は元気そうだったので驚いた。事故にでも遭ってしまったのかと思ったが、どうやら一人暮らしをしていた実家で倒れていたのを発見され、その時はすでに亡くなっていたらしい。心筋梗塞か脳溢血か。それとも・・・

Sさんによると、A君はアルコール中毒だったという。以前からまれた時の様子を思い出し、なるほどと思ったが、妻と別居していたのは親のためではなく夫婦間がうまくいっていなかったかららしいと聞き、彼には失礼だがなんだか憐れになってしまった。

とぼけた個性でまわりを和ませる人だったのに。明るく楽しい人だったのに。仕事も順調そうで子どももいたはずなのに。まだまだ人生を楽しめる年齢だったのに。メールで「永遠のおこちゃま」だと占い師に言われたとあったが、典型的な理系の彼が占いをしてもらうなんて意外だと思っていた。占いを頼りたくなるようなことがあったのだろうか。私たちが知らない闇をかかえていたのだろうか。

同窓会は楽しかったが、楽しかったからこそA君の訃報が妙に際立って印象に残った。遅ればせながらご冥福を祈りたいが、ひとこと言ってやりたいような気もしている。「アキちゃん(彼のニックネーム)、あなたバカね!」と。そんなに淋しい死に方をしてしまうなんて、まったくA君はおバカなおこちゃまだ。

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初きもの

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ジャジャジャジャーン!きもの地獄に落ちてからはや5ヶ月。ようやく実際にきものを着ることができた。といっても、着せてもらっただけだけれど。昨日は中学校時代の同窓会。まず第一段階としてこの日を目標にしていろいろ揃え、コーディネートを考えてきたので感慨深いものがあった。

きものに関心を持つようになったきかっけは、以前の記事にも書いたオオカミの帯留。同窓会でデビューさせたいと思っていたのだが、帯を別のものにすることにしたのでもう少し待ってもらうことにした。昨日は、大島のきものに源氏香の文様を染めた黒い帯。帯揚げ、帯〆は象牙色。柄の着物に柄の帯だが、これくらいならうるさくないと思う。帯の締め方は、角出しというスタイル。自分にはこちらが合うかなぁと思ってお願いしてみた。

同窓会は13時からだったので、余裕をもって12時までに仕上がるように伝えたがさすがプロ。予定より30分も早く終わってしまった。ヘアスタイルはあまりきっちりしたものでない方がいいと思ったのだが、美容師さんが夜会巻きが合うのではというのでお任せ。仕上がりを見たら・・・うーん、ちょっと違うかなぁ。もう少しさりげない方がいいかなぁ。そう思ったが、一応人が集まる会に行くのでよしとした。

先週から着付教室に通いはじめたのだが、着付けの仕方は人それぞれで使うものも微妙に違う。補正用にタオルを数本使う人もいれば、そうでない人もいるようだ。昨日はタオルを4本ほど用意していったのだが(教室の先生が私にはタオルが3本くらい必要だと言ったので)、2センチくらいの厚みの綿を腰あたりに当てただけでタオルは1本も使わなかった。

しかしまあ、何本もの紐をしっかり結ぶので苦しい!普段いかにラクチンな格好をしているかよく分かった。姿勢が悪いとさらに苦しいので背筋を伸ばしお腹をひっこめる姿勢をとらざるを得ない。姿勢を正す訓練にはなるなぁ、昔の人はだから姿勢がよかったのかなぁ、などと妙なことを考えたりした。

同窓会は16時までだったので、着てから家に帰るまで約5時間。歩き方は少しずつ慣れてきて、当初よちよち歩きのようだったのが少しはスムースに歩けるようになった。いつもパンツ姿の私は大股で歩くので、小股でスタスタ歩くのは苦手。が、やはり慣れというのだろうか、帰るころにはあまり抵抗感なくスタスタ歩き、階段の上り下りも苦でなくなった。

残り1時間くらいから腰が痛くなってきた。たぶん、姿勢をよくするためにいつも使わない筋肉(私にも筋肉はある。一応)を使ったからだと思う。きものを着ることによって、自分の身体についても分かることがあると思った。要するにだいぶ衰えているということだ。

さて、同窓会には生徒87人が集まったので、私以外にもきものを着てくる人が何人かいるだろうと思っていたが、いなかった。地味な色のきものなのに妙に目立ってしまい、いろいろな人に声をかけてもらった。ヘアスタイルのせいだと思うが、「どこの店のママかと思った」とか「どちらの老舗旅館の女将?」などと言われてしまい苦笑するしかなかった。似合うと褒めてもらったので、着慣れているように見えたのだろうと勝手に思い込むことにした(^^;)

さてさて、昨日は第一段階。これからは、自分の努力で進んでいくことになる。着付教室は初心者クラスとして4回、1回につき90分なのであっという間だ。覚えきるということはできないので、自分で何度も着てみることによってしか進歩しないように思う。狭い部屋、猫たちをよけながら着付けの練習をするのはかなり難しいのだが、はじめた以上なんとか形になるまでがんばるしかないと思う。

最後に、ここまで来られたのは物心両面でサポートしてくれた家人といろいろなアドバイスをくれたり襦袢を縫ってくれたりした師匠のおかげだと思っている。大いに感謝!

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