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日々の内側
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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<7>

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祭りの楽しみのひとつに印半纏を見ること、がある。この日もたくさん見たが、このお三方はかっこよかった。特に「す」の半纏は籠の柄がとても粋。

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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<6>

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おじさま方の花笠姿もなかなか。やっぱり着物は腹が出ていた方が様になるなぁ・・・などと思いつつ。

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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<5>

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色鮮やかな衣装をまとう手古舞の女性たち。片肌脱ぎにして襦袢を見せ、たっつけ袴を履くという男装で金棒を手に練り歩く。神輿だけでなく、見どころはたくさんあって困るほど。

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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<4>

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神輿の連合渡御を先導する木遣りの面々。由緒正しき祭りでは主役がたくさんいる・・・いや、1人1人が主役なのかもしれない。木遣りの方々はみなさん渋くてカッコいい!

*今年の祭りの様子を映した動画がいろいろ。たとえば、こちら 

*東京MXで来月17日に特集するみたい。

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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<3>

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皆の視線がひとつのものに集中している時ほど、意外なシャッターチャンスに出会うもの。神輿を上から見るのは本来なら無礼に当ると思うが、あまり硬い事はいうまい。ほほえましい二人だから。

*祭りの様子をfacebookにアップ。カラー版はそちらで。

*今日は敗戦の日。思うことはいろいろあるが後日に。

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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<2>

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出番を待つ綺麗所お三方。断りをいれて撮影している人がいたので私もちゃっかり便乗!そろいの浴衣と花笠がよくお似合い。

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PHOTO WEEK・・・祭りのひと〜富岡八幡宮例大祭<1>

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祭りは人々が輝く場であるが、やはり目に留まるのは祭りが神事であることを理解している人たちの晴れやかな姿。富岡八幡は今年3年に一度の本祭で50以上の神輿が渡御する。深川富岡八幡葵太鼓の面々の太鼓にも力が入る。

| - | 16:08 | comments(0) | - |
ニンジャ!

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先日本棚を整理していたら「カムイ伝」の19巻と21巻が出てきた。あらら〜!だいぶ前のことになるが、実家の妹から全21巻を借り、1年以上経ってから返したのだがこの2冊だけ返し忘れてしまったに違いない。返してからすでに5年以上経過して気づくとは・・・

「カムイ伝」はいわずとしれた白戸三平さんの代表作である。タイトルからして主人公はカムイという名の忍者だと思いがちだが、全巻を通して読めばわかるようにこれは江戸時代の武士ー農民(非人を含む)ー商人の間で繰り広げられた闘いの物語であり、とくに農民の存在感が大きい。きちんと読もうとすれば1巻でもある程度の時間がかかるほど密度のある作品で、江戸時代という時代を考証するに当ってひとつの資料となりうるものだと思う。江戸時代の研究家であり現在法政大学総長である田中優子さんも「カムイ伝講義」を著している。

「カムイ伝」は月刊ガロ誌上において1964年から71年にかけて74回に亘って連載されていたようだ。当時私はまだ小学生で読んではいない。読む機会があったとしてもきちんと理解できたどうか。まとめて読んだのは大人になってからだが、何年かに一度は読みたくなり妹から借りる。

原作は読んでいなかったものの、テレビでやっていたアニメーション「カムイ外伝」は好きでよく見ていた。美貌の天才忍者カムイが抜忍となり様々な追手と闘うといった内容で、子どもながらにカムイが漂わせる孤独感にうっとりしたものだった。テーマ曲を歌っていたのは水原弘でいい曲だったと思う。

同じ白戸三平原作の忍者物に「サスケ」があり、これもテレビで見ていた。サスケは真田忍者である父を持つ子ども忍者で赤字に白の大きな水玉模様のマフラー(?)とソバカスがトレードマーク。ちょっとおっちょこちょいのところはあるが親譲りの忍術とド根性の持ち主だ。このアニメも冒頭で流れるナレーション“光あるところに蔭がある。まこと栄光の蔭には数知れぬ忍者の姿があった・・・”がかっこよかったなぁ。忍術の解説があるところも「サスケ」の特長だった。

当時は忍者物が流行だったのか、思い出してみると「風のフジ丸」というアニメもあった。冒頭のテーマソングの最後にスポンサーである「藤沢薬品」の名前が入れられているところなど今みるととてもなつかしい。たぶん「鉄人28号」も提供していたグリコの名前が最後に連呼されていたような(^^;)

あ、そういえば「忍者ハットリくん」というのもあった。藤子不二雄の原作だが私が見ていたのは実写版。当時はあのハットリくんの顔がなんともインパクトがあって、表情のなさもあいまって独特のおもしろさがあったと思う。ハットリくんのライバルである眉毛の太いケムマキケンゾウ、杉良太郎さんだったのね、知らなかった。ハットリくんの師匠は左卜全さん。

今はテレビでも時代劇などほとんど見かけなくなってしまった。昔は毎日のようにやっていたのに。忍者が活躍できる場がほとんどなくなってしまったのはちょっと淋しいなぁ。

| - | 14:57 | comments(0) | - |
地獄絵ワンダーランド

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5日間続けて原爆に関する記事を書いた後で「地獄絵」とは!と顰蹙を買うかもしれないが、とりたてて特別な意図はないのであしからず。家の中でずっと原爆について読んだり見たりしていると、どうにもこうにも気持ちが鬱屈してくるので、気分転換もかねて行ってきた。

展覧会というのは企画によって様々な見せ方ができて、もちろん苦労はあるのだろうが企画立案はなかなかおもしろい仕事なのではないかと思う。一人の作家の作品を展示するにしても、ただ時の流れに従って並べればいいというわけでもあるまい。どのような切り口でどんな作品を展示するか・・・腕の見せ所である。

今回見に行った「地獄絵ワンダーランド」は、恵心僧都源信の「往生要集」以来様々なかたちで描かれ、伝えられてきた地獄絵(六道絵、十王図などなど)を一同に集めたもので、開催時期が子どもたちの夏休みと重なることもあって親しみやすいよう工夫されている。水木しげるが描いた「水木少年とのんのんばあの地獄めぐり」の原画も展示されていた。

私が特に気に入ったのは、図録の表紙にもなっている八曲一隻の「十王図」、「地蔵・十王図」と木喰作の「十王座像」である。「十王図」は江戸時代のもので最近“素朴絵”と呼んで見直されているヘタウマ系の絵だ。閻魔大王に代表される地獄の十王がちっとも怖くない。どこか剽軽で愛すべき存在に思えてくる。裁かれている人たちもあまり苦しそうではない。腕や足が切られて宙を飛んでいたりするのに悲惨な印象が全くといっていいほどない。おそらくこれらの絵は地獄の恐ろしさを伝えて宗教心を起こさせることが目的ではなく、「一口に地獄といってもこんなにいろいろあるんだよー」てなことを誰にでもわかりやすく見せようとしたものではないだろうか。天下泰平の江戸時代の作品ならではなのかもしれない。

木喰の「十王座像」も怖くない。一応怖い顔をしている王もいるのだが、怖さの奥に優しさが見える。木喰の作風そのままで実に愛すべき十王たちなのだ。こんな王たちに「こら!おまえ!いいかげんにせい!」と叱られたら素直に従いたくなる。

山東京伝の「一百三升芋地獄」(擬人化された芋たちが落ちた地獄を鎌倉時代の豪傑・朝日奈三郎義秀が巡る)は黄表紙らしい諧謔に富んだ作品でかなり面白そう。山東京伝や黄表紙については最近興味を持ちはじめたところでナイスタイミング!耳鳥斎(にちょうさい・江戸時代の大阪で活躍した絵師)の「地獄図巻」も自在な筆遣いとユーモラスな表現が愉快な作品だ。序文に「世間の人々が賢くなり地獄を怖がらなくなったことを憂い、悪行を滅するため本図を制作した」ことが記されているらしいのだが、はてさて制作意図は通じたのであろうか。少なくともとことん楽観的でおちゃらけ大好きな江戸っ子たちは単純におもしろがったのではないだろうか。

人間というのは因業なイキモノで様々な「業」に逆らえずに生きているといっても過言ではないと思う。そして、そんな人間たちには「天国はこんなにステキなところです。よいことを重ねて行えばあなたも天国に行けるかもしれません」と言うよりも、「地獄はこんなに怖いところなんだぞ。悪さをして悔いることもなければ、この地獄の中のどれかにおまえはきっと行くことになるぞ。覚悟はできているのか?」と言い方が数倍効果的であるような気がする。

等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄と地獄は8つの大地獄に分けられ、それぞれ16の小地獄があるんですのよ、奥様。怖いですわねぇ。

17-0811-2.jpg木喰が掘った閻魔様。怖くない。

17-0811-3.jpgミュージアムショップで買ってしまったいったんもめんの手ぬぐいと「いったんメモ」(^^;)

| - | 09:35 | comments(2) | - |
絵のチカラ

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原爆について表現した「作品」はどれくらいあるのだろうか。私が読み続けているいくつかの文学作品、手記やノンフィクション、写真、映画、ドキュメンタリー番組・・・数えきれないに違いない。これまでは主に文学作品と写真、動画として公開されている映像などについて書いてきたが、今日は絵について。

広島平和記念資料館(「原爆資料館」の方が私にはピンとくるのだが)には被爆者たちが描いた絵の一部が展示されていたと思う。たぶんそれらの多くは1974年、75年に広島市、NHK、中国新聞社が共同で募集した「市民が描いた原爆の絵」だと思う。

市民であり被爆者である作者たちはプロの絵描きではない。いわゆる上手な絵もあれば拙い絵もある。しかし上手下手などどうでもいいと思えるくらい、それらの絵には見る者の心を打つチカラがある。添えられた解説は心の叫びである。思い出したくない被爆時の様子をある者は自らを鞭打つが如く、ある者は償いをする如く描き、書いたのだろう。

残っている写真はすべて原爆が投下されてある程度の時間が経過した時のものだ。直後の写真などないだろう。しかし彼らの絵は被爆直後の様子をありありと伝えている。「きのこ雲」の写真は見慣れているが、当時はモノクロ写真なので色まではわからない。が、被爆者たちが見た「きのこ雲」は、白やグレーのモノトーンではなく、様々な色が混ざり合った、見方によっては“きれいな”ものだったことがわかる。

道端で死んでいる人々、河辺で折り重なるようにして死んでいる人々、防火用水に群がり息絶えている人々、川を流れていく死体、無残な姿になり助けを求める人々、娘の遺体を焼く父親・・・それらは、リアルな写真以上に心を揺すぶり、私はその前で呆然となる。一筆一筆に描いた人の様々な思いがこめられており、その思いに打ちのめされるような。

上の写真は、「広島・長崎ー原子爆弾の記録」(子どもたちに世界に被爆の記録を贈る会編)に掲載されている絵だ。私が持っているのは1979年発行の第三刷でソノシート(「明日への伝言」山川啓介、いずみたく)が付いている古いものだが、今は1984年の普及版が販売されているようだ。同じもの「HIROSHIMA SPEAKS OUT 被爆者の絵」でも紹介されている。また、先日「“原爆の絵”は語る〜ヒロシマ被爆直後の3日間」という動画を見つけたので紹介しておく。

プロの絵・・・つまり絵を描くことを生業としている人の絵となると、やはりまず思い浮かぶのが「原爆の図」であろう。丸木位里・俊夫妻の畢竟の大作で、原爆の図丸木美術館で見ることができる。広島は丸木位里の故郷で、東京に住んでいた位里は原爆投下3日後に広島に行き破壊された街に呆然と佇む。そして、一週間後に広島に入った妻・俊とともに救援活動を行い、5年後の1950年原爆の図の第1部「幽霊」を発表。第15部「長崎」が描かれた1982年まで32年間夫妻は原爆を描き続けた。

その「原爆の図」が現在様々な問題を抱えている。建物の老朽化、絵を保護するための展示室・収蔵庫の未整備、そして絵そのものの傷みなどである。美術館では「原爆の図保存基金」を設けて募金活動を行っているが、本来であれば国がなんとかしてほしいものだ。

「原爆の図」以外にも、丸木夫妻は様々な原爆の絵を描いている。有名なところでは「ひろしまのピカ」(丸木俊)がある。これは1960年代、北海道において「原爆の図」の展覧会を行った時に出会った一人の女性の話に基づいて作られた絵本だ。

展覧会場にひとりのおばさんが怒った顔をして急ぎ足で入ってきた。じっと絵を見た後出てきていきなり話始めた。おばさんは広島で被爆し北海道にやってきたのだが、広島から遠く離れた北海道の人たちはみな不親切だという。ピカの話をすると、「大げさに言うて、人の同情をひこうと思うとる」とかげ口を言われ、以来おばさんはピカのことを言わない、言ってやるもんか、と思いつつ過ごしてきたという。

だから、原爆の図の展覧会場を通りがかった時、人の苦しみを見せ物にしていると思い通り過ぎようとした。しかし気になってまた戻り、いや見てやるものかと通り過ぎ、を繰り返した後意を決して会場に入ってきたのだった。そしておばさんは、近くにおいてあったマイクをいきなりつかみ、「ここに来ている人なら信じてくれると思うんです。聞いてください。信じてください」と叫んだ。俊は驚きながらもおばさんを高い台の上に導いた。おばさんは涙を流しながら、しゃくりあげながら当時のことを話した。

その時のことが頭から離れず、俊はこのおばさんの話を基に、自ら見たり聞いたりした原爆体験を織り込みながら「ひろしまのピカ」をつくりあげた。絵も文章も丸木俊のものだ。

もう一冊、丸木位里・俊夫妻の小さな本が手元にある。「ピカドン」だ。私が持っているのは1979年刊の英訳付改訂版(ろばのみみ編集部)だが、初版は1950年に発行されている。しかし、この本はGHQのプレスコード規制により事後検閲という形で発禁処分となった。発行元だったポツダム書店も連絡先不明となっている。その後どういったいきさつで改訂版ができたのかはわからないが、シンプルな線描で被爆者たちのその後を奇を衒うことなく描かれている。表紙に描かれているおばあさんのモデルは丸木位里の母親である丸木スマ。絵本の最後におじいさんが亡くなった後絵を描きはじめたおばあさんの絵があり、以下のような文章が添えられている。

のこされたおばあさんは、毎日絵をかきはじめました。それはそれは明るい美しい絵です。おばあさんは今日も、「ピカは山崩れたぁちがう、人が落とさにゃ落ちでこん」といいながら、真っ赤な花や、かわいい鳩を書いています。

昨日触れたジョー・オダネルについて新しい情報を得た。オダネルの生涯について書かれた本「神様のファインダー」が先月発刊されたらしい。著者は妻である坂井貴美子さんという方らしいが、晩年日本をたびたび訪れていた時に知りあったのかもしれない。トランクの中に眠っていた写真を公開したことにより、オダネルはアメリカ国内でかなりのバッシングにあっており、自国を告発するような行為を当時の妻は理解できず離婚している。坂井さんとは再婚ということになろうが、晩年を支える人がいてよかったと思った次第だ。

本の出版を記念して教文館で写真のパネル展示があったようだ。知らなかったので見逃してしまった。残念!本の方はそのうち手に入れて読んでみたいと思っている。

長崎市長の平和宣言、去年にひきつづきとても立派だったと思う。静かで淡々とした口調の中に強い意思が秘められているのを感じた。選ばれた言葉も簡潔明瞭であり、核兵器禁止条約に対する政府の態度を「理解できない」と真っ向から批判した。テレビを見てたら、時々首相の顔が映されていたが神妙な顔をして全く別のことを考えていたのかもしれない・・・などと思ってしまった。記念式典の後、被爆者たちとの面談があったらしいが、その時被爆者の一人が首相に向かって「あなたは一体、どこの国の首相ですか?」といったと今朝のラジオが伝えていた。そう聞かれても答えられるはずはないだろう。

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| - | 07:36 | comments(2) | - |
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