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じー坊、逝く
12-0514

ご記憶の方がいらっしゃるかどうか不明だが、2006814日、私たちは1匹の猫を保護した。


私たちが住むマンションは4階建ての3階だが、2階の踊り場に突然現れたその猫はガリガリに痩せていたが人懐こく、見るに見かねて取り合えず保護して獣医に連れて行った。痩せているだけでなく、前身から異様な臭いを放っていたが、それはひどい歯肉炎を起していたからだとわかった。


あまり期待はしていなかったが、とりあえず迷い猫を保護している旨のチラシを作り近所の電信柱などに貼り様子を見た。案の定何の連絡もないまま時間は過ぎ、明らかに飼い猫であったであろうその猫をどうしようか私たちは迷った。


獣医で検査してもらったところ、歯の本数が普通より少なく生まれつき成長が悪かったのではないかということと、猫エイズのキャリアだということだった。飼い主の申し出がなかったらやむなくうちの猫にするほかないかと思っていたが、エイズが気になった。わが家にはすでに3匹の猫がおり、その猫たちを感染の危険性にさらすのはいかがなものか。


今でこそ猫エイズもひどいケンカなどでかみ合わなければ感染の危険性は少ないということを知ったが、それでも危険性がわずかでもあれば避けたいというのが私たちの心情であった。が、だからといって点滴で元気は出たものの以前のような野良生活に戻すのは心もとない・・・というか心配で仕方ない。様々な思いに悩んでいたところ、救いの手が差し伸べられた。


家人のお母さんが引き取ってくれるというのだ。都内の一戸建てにお住まいで庭に住み出入する猫はいるものの完全室内飼いの猫はおらず、猫をきらしたことがないこともあり「仕方ないねぇ」ということで受け入れてくれたのだと思う。よぼよぼの年寄り猫を押し付けたようで恐縮するばかりだったが、歯の治療をするため一日入院したら実はまだ去勢されておらず予想外に若いのではないかということがわかった。


歯肉炎の治療をし去勢手術をしてから新しい飼い主の元に向かったその猫は、じーさんのようだけど意外と若いということで「じー坊」という名前をいただき、箱入り息子のように大切に飼われた。うちにいたときは本当にガリガリで死にそうだったのに立派な体格になり、私たちは多いに安心したものだった。


平和な年月が流れ、私も一度は会いたいと思いつつそれが果たされずにいたころ、突然じー坊の顔が腫れ始めた。すぐに獣医に連れて行ったが原因がなかなか判明せず、精密検査専門の大きな病院に連れていって検査をした。


病名を正確に把握していないのだが、リンパ腫だったか骨肉腫だったか、なかなか難しい病気だとわかった。確たる治療法はなく様子を見るしかないということだったが、奇跡的にじー坊は持ち直し元気に過していたのだが・・・


今年に入ったころだっただろうか、また以前のような症状が出始めて今回はなかなかよくならなかった。携帯で撮った写真を見せてもらったが、目の上が晴れ上がりまるでお岩さんのような面相になっていた。それでも愛嬌のあるじー坊は若い医療スタッフに会うと歓び、おとなしく診察を受けていたという。何度も通っていることもあり獣医のところでも人気者であったらしい。


先月くらいから、病状は重くなる一方で一日おきに点滴を受けに通うようになった。体重も私たちがはじめて出会ったころくらいに軽くなってしまい、食べ物は受け付けずもう長くないと思われた。それでも、できるだけのことをしようということで家人は獣医に連れて行き続けていた。


今日は私はアルバイトの日で、8時前に家を出て不在だった。その間にお母さんから連絡があり、今朝じー坊が息を引き取ったとのこと。家人は代々の猫をそうしたように庭に埋葬しに行ってきたそうだ。


保護した当初しか私はじー坊を知らないから、ショックは家人と較べようもないと思う。それでも、ガリガリに痩せた身体で膝に乗りたがり、人に会えて嬉しいという気持ちを精一杯伝えようとしていた姿を思い出すと涙が出る。あのままでいたら、もっと早く召されたと思うが、それでも一度縁があった命が消えるのはとても悲しい。


猫も人も、いや命あるものすべてが寿命というものを持っている。皆が同じ時間を与えられているわけではない。不慮の事故で命を落とす者もあれば、どうしようもない宿痾に倒れる者もある。残された者たちは、それを静かに受け入れる他はない。


人間以外の動物はすごいなと思う。痛いとか苦しいとか辛いとか訴えることなく、精一杯与えられた命を生きている。死にたいとかもうだめだとか弱音も吐かずに。人間だって時には捨てたものじゃないと思うが。


私はじー坊にほとんど何もしてやれなかった。できることといえばずっと忘れずにいることしかないと思う。じー坊、よくがんばったね。辛かったのにずっと人間を信頼し、人間の心を癒してくれたね。苦しみから解放されて、虹の橋で誰かを待っているところかしら。それが誰だかわからないけれど、今は穏やかな気持ちでいられるよね。会いたかったけれど仕方ないね。私はあなたを忘れない。

| - | 23:47 | comments(2) | - |
まぼろしの歌
12-0513

ふと、ユーミンの「消灯飛行」を聴きたいと思った。私のiTunesには入っていないのでさっそくストアで検索してみたが見当たらない。では、借りるか!と思いこの曲が入っているアルバムを探したがこれまた入手困難のようで残念でならない。


調べてみるとこの曲はシングル「潮風にちぎれて」のB面になっていた曲で、ユーミンの楽曲の中ではあまり知られていない曲のようだ。私が以前くり返し聴いていたのは妹が持っていた「ALBUM」というLPレコードをカセットテープに録音したもので、このLP版はCD化されていないようでレコードもすでに廃盤になっている。


シングル版のB面になっているなどであまり知られていない曲を集めたもので、販売成績はあまりよくなかったらしい。が、けっこう好きな曲が入っているのでぜひ復刻してもらいたいものだと思う。


見知らぬ国の ビザを持ち

夜に消えてゆこう

見送りはここまででいい

風が強いから

ガラスのむこう あのひとは

くちびる動かし

パントマイムで離れてく

人に流されて


忘れ得ぬこと 忘れるために

努力はいるのね

二度と結べない糸なら

たぐりはしないわ


海岸線ふちどって

都会は輝く

あのひと乗せたTAXIは

今どこを走る

もうしばらく追いかけさせて

この胸の中で


夜の雲を見下ろすまで

ライトがつくまで

テイル・ランプをあのひとが

星と思うまで


| - | 20:38 | comments(0) | - |
三遊亭遊馬独演会
12-0512

一昨日に続き落語を楽しんできた。国立演芸場で行われた三遊亭遊馬の独演会である。


遊馬さんについては以前地元の焼鳥屋で開かれた落語の会のことを書いた。その時前売り券を買っておいたのだがまだまだ先だと思っていたのに月日の流れは速い・・・というか速すぎる。


演目は「転宅」「蒟蒻問答」そして中入後は「文七元結」。「待ってました!」「日本一!」の掛け声もかかり、なかなか充実した独演会だったと思う。マイクも設置されているが、落語会きっての大声の持ち主といわれているようで歯切れいい口調となめらかな物語運びはさすが真打といったところだろうか。先日見た真打に昇進したばかりの噺家とはやはり一線を画すると思った次第。


すべて面白かったが、とくに良かったと思ったのは「蒟蒻問答」。ご存知の方もいらっしゃると思うが、この噺ばかりは実際に演じているところを見ないとその面白さが分かりにくい。身振り手振りがモノを言う噺だからだ。今まではCDで聞くことが多かったが、これからはできるだけ目の前で演じる落語に触れたいとあらためて思った。


遊馬さん(師匠と呼ぶべきか?)は浅草演芸ホールで6月上席(1〜5日)の主任をつとめるとのこと。渾身の長講を一席申し上げるとのことなのでぜひ行ってみたいと思っているが予定が立つかどうかちょっと微妙。

| - | 23:58 | comments(0) | - |
寄席初体験
12-0511


昨日は以前チケットを入手していた公益社団法人・落語芸術協会の真打披露公演に行ってきた。場所は新宿・末廣亭。


午後5時半開演だったが早めに着いてしまい、時間を潰す場所もないので入場すると昼の部の

トリを務めていた桂歌丸の噺の最中。厩火事をやっていて噺の成り行きから察してまだ枕を終えたばかりと見えた。こりゃ得したなーなどと思いながら、椅子席は満員だったので両端に設けられた桟敷席へ。夜の部は椅子席が取れて、約4時間たっぷり楽しんできた。


真打に昇進したのは、春風亭柳太改メ春風亭柳城、昔昔亭笑海改メ柳亭芝楽、滝川鯉橋、昔昔亭健太郎改メ春風亭愛橋、そして笑福亭里光の5人。うち昨日の夜の部で披露されたのが芝楽、鯉橋、愛橋の3人だった。新しい真打は最後に登場したが、それまでの落語や漫才、漫謡(ギターや三味線で歌いながらの漫才)なども予想以上に面白く、やはりテレビで見るより実際に見た方がいいなぁと思った次第。


中入り後は新真打口上ということで、師匠に当たる昔昔亭桃太郎、滝川鯉昇が3人の脇に座って幕が開いた。それだけでなく、昨日は末廣亭での披露では楽日だということで協会会長の歌丸、副会長の小遊三、そして兄弟子に当たるのかと思われる春風亭昇太が登場。椅子に座っている老人に見覚えがあると思ったら、なんと永六輔であった。鯉橋の結婚相手が永六輔の姪とのことでその縁もあったのかもしれない。


口上が終わると師匠方の噺。そしていよいよ新真打登場となった。さすがに若い3人はかなり緊張していたようだが、個人的には鯉橋が一番おもしろかった。滝川鯉昇がなかなか味わい深く、機会があればこの人の落語をじっくり聞いてみたいと思いながら家路についた。


4時間というのはさすがに疲れるが、寄席の雰囲気を味わえたことだけで満足。落語はやはり、あれくらいの広さが一番いいと思える空間であった。人気がある噺家はどうしても広い場所で独演会などをやらざるをえないのであろうが、やはりそこそこ狭い空間の方が客席との一体感があっていいと思う。


明日は以前前売券を買っていた三遊亭遊馬さんの独演会。今週は落語ウイークである。

| - | 18:12 | comments(2) | - |
五月の光の中で
12-0510
・・・エルヴィン・ヴルムの作品「ファット・ハウス」。右には「ファット・カー」・・・

5月らしい陽気になってきた。晴れた日の陽射しは「眩い」という言葉がぴったりくるような明るさだ。


木々の葉も瑞々しく、様々な花は咲き誇っている。美しい季節とえいば、やはり5月だろうか。ふと、ビージーズの「First of May」を聴いたりしてみるのもこんな季節である。


しかし、この美しい季節も、誰にとっても美しく気持ちいい季節であるとは限らない。私はもともとテンションが高い人間ではないが、低めのテンションがさらに下がっている時は眩しい光が強すぎて負担感を感じる。


真夏の強烈な陽射しよりも、今ごろの眩しさが堪える。夏の陽射しはどこかつきぬけており、またその中に何か退廃のようなものを感じることがあるが、初夏の陽射しにそれはない。すべてがイキイキと命を謳歌しておりテンションが高くなっている。それが重いのである。


ほとんど健康な私でさえそうなのだから、治癒の見込みが経たない病気をかかえている人や、心の奥に重荷を背負っている人などにとって、この季節が果たして美しく気持ちいいかはわからないと思っている。


周囲に充ち満ちている生命力に慰められることもあるだろうが、さらに気持ちが沈むこともあるのかもしれない、と。

| - | 13:21 | comments(2) | - |
NOBUNAGA
12-0507

今年は久しぶりに某局の大河ドラマを見ているが、見なくなってからどれくらい経ったのか定かでないほどご無沙汰であった。


今年は現在放映されている大河と平行して去年(だっけ?)やっていた「江〜姫たちの戦国」のDVDを借りて観ていた。先日コンプリートしたが、「篤姫」に続いて女性が主人公のものにしか触手が伸びないのが最近の傾向。


「江・・・」は、まあ主人公の若手女優の演技はそれなりであったが、もし才能があるならこれからといったところだと思う。それを補うように脇役陣の顔ぶれが豪華でさすが大河だと思った次第。大竹しのぶもさすがだし北王子欣也もなかなかはまっていた。


が、やはり豊川悦司の信長がよかった。好きな俳優なので身贔屓だとは思いつつ、今まで見た信長の中で一番いいと思った。えへへ。


大河ドラマで見たことがある信長というと、高橋幸治(最近見ないな・・・)と高橋英樹しか思い浮かばなかったが、信長は大河に今まで15回登場しているらしい。どうも日本人は信長がとても好きらしいのだ。以下そのラインナップ。


・太閤記(1965年 演者:高橋幸治) 

・天と地と(1969年 演者:杉良太郎) 

・国盗り物語(1973年 演者:高橋英樹) 

・黄金の日日(1978年 演者:高橋幸治) 

・おんな太閤記(1981年 演者:藤岡弘) 

・徳川家康(1983年 演者:役所広司) 

・武田信玄(1988年 演者:石橋凌) 

・春日局 (1989年 演者:藤岡弘) 

・信長 KING OF ZIPANGU(1992年 演者:緒形直人) 

・秀吉(1996年 演者:渡哲也) 

・利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年 演者:反町隆史) 

・功名が辻(2006年 演者:舘ひろし) 

・風林火山(2007年 演者:佐久間二郎) 

・天地人(2009年 演者:吉川晃司) 

・江〜姫たちの戦国〜(2011年 演者:豊川悦司) 


こうして見ても、やはり私の中の信長イメージに最も違いのは豊川さんである。ああ、素敵だっった!


信長についてはもっと書きたいことがあるような気もするが、今日はお疲れなのでこれまで。少し前に買った「イノチガケ」をまだ再読していないので、読み終わった頃に書ければと思っている。

| - | 23:58 | comments(0) | - |
虫パワー!
12-0506

今日テレビを見ていたら、ヤママユの幼虫から抽出した成分が注目されているということを知った。


ヤママユの幼虫は約8ヶ月も眠るらしいのだが、その際働いているという睡眠成分の抽出に成功し、もしかしたらこれが副作用のない抗がん剤に発展する可能性があるらしい。


抽出にはかなりの年月が伴い、また認められるまでに困難を極めたらしい。が、それにもめげずに研究を続けた研究者はすごいなぁと思う一方、人間とは自分たちが長生きする(あるいは苦痛を少なくする)ためには本当に何でもやっちゃうんだなとも思った次第。


それはさておき、虫たちのパワーというのは人間には計り知れないものがあるなとつくづく思う。


小さくていとも容易くつぶされてしまう存在だからこそ、自然はそのようなパワーを虫たちに与えたのであろう。なんらかの理由で人類が滅びても、虫たちはきっと生き残るに違いない。


今年、というか今シーズンは薔薇の植え替えが極端に遅れてしまい、せめてつぼみが出る前にと最小限の植え替えをしたのだが、3鉢ほどがコガネムシの幼虫にやられてしまった。ほとんど根がないのにまだ葉をつけている薔薇の強さにも驚き、そこまで放置してしまった自分を責めつつ、虫の強さをかいま見たような気もした。


わが家の近くには木がたくさんあるので、コガネムシは当然ながら棲息している。夏になればごく当たり前のように見かける。だから、わが家の狭いベランダに来て産卵していても何の不思議もない。だから、薔薇を栽培しているなら注意を怠らず、被害が最小限になる前に鉢の中の幼虫を始末しなければならないのだが、タイミングを逸するとこういうハメになる。


虫が悪いのではなく、こちらの不手際なので虫そのものを嫌う気持ちにはならない。まあ、ちょっとくらいは薔薇の根をたべたり葉をボロボロにする姿を見れば「こいつー!」くらいの気持ちにはなるが、とことん憎んだり嫌ったりする気持ちにはならない。


世の中には虫嫌いがたくさんいて、マンション1階に住む奥さんも虫が嫌なので専用庭があるのに全く庭には出ないという。蜂が部屋に入ってきただけでキャーキャー騒ぎ、小さなゴキブリが出ただけでパニックになり、蜘蛛は気持ち悪いからといってたたきつぶす。


私とて苦手なものはあって、毛虫だとか大きい蛾だとかは見ていていい気分にはならない。が、その「いい気分にはならない」あるいは蛇を見た時に感じる「気持ち悪い、怖い」といった気持ちと毛嫌いすることととは違うと思う。


生理的な感覚はどうしようもないので虫嫌いを責める気持ちは毛頭ないが、何の感情もないような風をして機械的に虫を殺す姿を見ていると人間の傲慢さのようなものを感じてしまうのだ。まあ、そんなことで虫たちがいなくなることはないだろうけれど。

| - | 17:55 | comments(2) | - |
旅の時間
12-0505

都会の暮らしに慣れ親しんでいると、時間の感覚が忙しくなる。しかし、そんなことに気づくのもたまに旅に出た時で普段はさほど意識もせず電車が数分遅れただけで苛々しがちな毎日である。


私は待つのが基本的に嫌いだから、行列に並ぶこともないし何かとても欲しいものを買う時は安くなるのを待たずに買うことが多い。しかし、「待つ」という行為をもっと積極的に楽しんだ方がいいとふと思った。今回青森に行った時のことである。


彼の地の行楽シーズンはゴールデンウイークあたりからであり、私が行ったのはその直前。バスの本数はシーズン中より少ない。できるだけ待ち時間を少なくしようと思っても、新幹線を降りてからバスに乗るまで(またバスを降りてから新幹線に乗るまで)1時間以上待つことになった。帰りは十和田市現代美術館に寄ったので、ゆっくり美術館を見て慌てることなく新幹線に乗ろうとすると美術館前でバスを降りてから3時間半を潰さなければならなかった。


こじんまりした美術館なので1時間もあればじっくり見て回ることができる。しかし、まだ時間は2時間半もある。幸いチケットが1日券で出入り自由だったので街中をぶらぶら歩き、それでも時間があまったので美術館に併設されているカフェでバスの時間が来るのを待った。

ぼんやりカフェのの窓から外を見ていた時、こんな時間もいいなと思った。


普段の生活において、「待ち時間」だと思っている時間はたいした時間ではなく、あくせく動いている日常の延長線上にある。その時間に考えることなど高が知れていて、バタバタ過している生活の表層を出ない。


しかし、旅先の待ち時間では、普段は考えないようなことをじっくり考えることができた。考えているうちに普段は見えないことが見えたように思えたり、全く違う発想に気づいたりしている自分を見いだすことができた。


分刻みの時刻表に縛られて暮らすのはなんだか味気ないなぁ・・・遅れたら遅れたで、待ち時間を楽しむ余裕が欲しいなぁ・・・そんな風に考えられるようになったことを私は嬉しく思っている。


旅はいいなぁ。いろいろな出会いがあり、いろいろな発見がある。特に1人旅はそんな機会が多いように思う。私は今まで1人で旅をしたことはあまりないが、これからはどんどん機会を見つけて出かけてみたい。

| - | 18:42 | comments(2) | - |
イージー・ライダー&アメリカ
12-0503

懸案であった「イージー・ライダー」を観た。


有名な映画だしテーマが私好みなので以前に観たと思っていたが、部分的な映像に見覚えが

あるだけで観たというのは間違いだったと思う。たぶんテレビの映画特集かなにかで一部の

シーンを見ただけだったのだろう。


この映画が制作発表されたのは1969年。当時のアメリカはヒッピー、フラワーチルドレンなどという言葉が生まれ、若い世代を中心に新しい価値観が台頭してきた時期だ。新しい価値観に基づく「自由」を求めて若者がコミューンを作る一方、時代が大きく変わる時に起きる様々な混乱や理不尽な出来事が各地で見られたに違いない。


新しい試みはいろいろなところで語られているので今更言及しないが、衝撃的なラストシーンを含め、私にはやはりアメリカという国が抱える根深い病を思わずにはいられなかった映画であった。


最も印象に残ったのは、オートバイで旅する途中で知り合った不良(?)弁護士ハンセン(ジャック・ニコルソン)の台詞。「アメリカ人は自由を証明するためなら、平気で人を殺す。個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由な奴を見るのは怖いんだ」


フルカスタマイズしたハーレーに乗ったキャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)はアメリカ人が怖がる「自由な奴」の象徴として描かれている。映画冒頭でキャプテン・アメリカが腕時計を捨てるシーンがあるが、時計は「縛られた生活」を象徴するのだろう。その後の「ワイルドで行こう」が流れるシーンはとても好きだ。


彼等は暴力的であるわけではなく、盗みなどと犯罪を犯すわけでもない。しかし、行く先々で思わぬ拒絶に遭う。彼等にはその理由がわからない。何故なら自由である彼等には「自由な奴が怖い」という感覚がわからないから。州境でキャンプをしていた彼等を地元の男たちが襲い、ハンセンは命を落とす。気にくわない奴らだというだけで。


ピーター・フォンダという俳優はこんなにデリケートだったっけ?と思えるような風貌と演技も印象的だった。何かにつけてガサツで直情的なビリーに引き換え、キャプテン・アメリカは常に静かで穏やかだ。そして時々考えこむ。


麻薬を売って得た大金をタンクの中に隠して旅をしながら、もしかしたら彼は自分のアイデンティティを探すために走っているのかもしれないと思った。


すると思い出したのが、サイモンとガーファンクルの「アメリカ」だ。調べてみると、この曲は1968年に発売された「ブックエンド」というアルバムに収録されている曲で、まさに時代は「イージー・ライダー」と重なる。


男女2人の会話で構成された歌詞を読んでいると、この2人もまた自分探しの旅(自分たちのルーツであるアメリカという国を探しに)バスに乗っていることがわかる。


彼女が眠っているのを知っていながら彼はつぶやく。もうなんだかわからなくなってしまった。とても空しいのにそれが何故なんだかわからないんだ・・・


アメリカは広くて大きい。それだけにその病の深さも半端ではないとあらためて思う。

| - | 16:23 | comments(0) | - |
もののねだん
12-0501
・・・十和田湖・宇樽部湖岸の浮き桟橋・・・

少し前、紳士服のチェーン店で行われている「2着目1000円」という価格設定についての疑問に答える記事をネットニュースで読んだ。質問者いわく「それで採算が取れるのか?」。普通に考えてもっともだと思われる。いくら安いとはいえ1着3万円くらいはするものを1000円とは!と私だって驚く。


しかし、内実を知ればなるほどと思い、なんだかな・・・とも思う。


このシステムには条件がつく。たとえばA社では対象となるのは1着3万円以上5万円未満の商品で、2着買う場合価格が高い方を「1着目」とする。1000円で販売するのは2着目のみで、3着買う場合は対象外である。


それにしても、対象商品の中で安いと思われる32800円のスーツを買うとして、それより安い28800円のスーツを選ぶとなると、2着で合計33800円。やはり信じられないような価格である。


だが実際のところ、そのようなスーツの価格に占める様々な費用の内訳を見ると、人件費が圧倒的に高い比率を占めているのだとのこと。2着を別々に売れば2人分の人件費がかかるが一度に売れば1人分の人件費で済み、2着目を1000円にしても別々に売るより利益が高いそうだ。なんたること!


つまり少なくとも日本において、『もののねだん』は人件費次第だということになるのだろうか。それなりに高品質で高価格の素材を使えば、さらに値段が高くなるのは当たり前のことなのだ。


ゴールデンウイーク初日に起きたバスの事故も、このようなシステムを知れば別の見かたもできるのではないだろうか。何故「激安」を実現することができたのかを考えれば、ただ安いだけでとびつく危険性に思い至るはずだ。


大金持ちでない限り、『もののねだん』は安い方がいいに決まっている。しかし、目の前に掲げられた「ねだん」だけを見てその背景を知ろうとしないのは愚かなことではないだろうか。今回の事故に限らず、加害者の罪を軽く思うわけではないが、被害者に何の落ち度もなかったのかと問われると速やかに肯定はできない。


その一方で、私は日ごろから良心的かつ丁寧な仕事に対する対価が低すぎると思っている。とくに職人と言われる人たいが作り出すものに対する評価(ただ作品を認めるのではなく、彼等がそこそこメシを食えるだけの価格でそれを買おうとすること)が低すぎる。


ここは日本なのである。彼等だって日本の物価で毎日暮らしている。安い人件費の海外で作ったものがどんどん売れることにより彼等の生活はとことん脅かされている。それでいいのか、と情けなくもなる。


不況が長引く昨今、こんなことを言うのはキレイゴトだと思われる向きもあるかもしれない。だが、それでも私は思う。賢い消費者とは安いものを探し出す能力がある者のことではなく、まっとうな価格のものを選び、それを大切に長い間使いつづける者だと。

| - | 22:32 | comments(2) | - |
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