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日々の内側
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ダッフルコート

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久しぶりにダッフルコートを着た。10年前に買ったもので、1年に一度くらいしか着ないが愛着のあるコートだ。今までにも何度かこのコートについて書いているのでご存知の方もちらほらいると思う。

私はコートが好きで、若いころからいろいろなコートを着てきた。中でもダッフル、トレンチ、ピーコートなどもともとは男性のものだったコートが好きだった(今でも)。女性がそれらを着こなすにはテクニックやセンスが必要だと思うが、女性ならではの着方もできる。そのおもしろさは尽きないと思う。若いころは、たとえばジェーン・バーキンがバーバリーのトレンチコートの腕をたくしあげて着ていたのを見てカッコいいなぁと思ったり、映画の中で中年男性がグレーのダッフルコートを着ていたのを見て憧れたり・・・まあ、いろいろ憧れやらお手本やらはあった。が、この年齢になると自分らしく着るのが一番!ということでファッション雑誌もほとんど見なくなっている。

ダッフルコートはトレンチなどと同様もともとは軍服のひとつだと思っていた。しかし、調べてみると期限は北欧の漁師の仕事着とのこと(wiki)。なるほど、アラン模様のセーターの上に着るとしっくりきそうだ。第2次世界大戦ではイギリス海軍が防寒着として採用したらしいが、いずれにしろ海と縁があるコートということだろう。

イギリスの伝統的な洋服は作りがとにかく頑丈で、そこがいいところではあると思う。しかし、その分重たくて女性が着るには無理がある・・・とまでは言わないがもてあまし気味になると思う。ダッフルコートも然りで、だいぶ前にグローバーオール社のものを手に取ったことがあるが、かなり重たかったと記憶する。

が、本格的なものでなければ、ダッフルコートはさほど珍しいコートではない。紺のダッフルを着た学生は今でもいると思うし、私も息子に買ったことがある(あのコート、どこに行ったんでしょう・・・)。

中学生のころはいわゆる「アイビースタイル」を好んでいたので、ダッフルコートも持っていたような気もするのだが不思議と記憶にない。それよりも、タータンチェックのスカートやキャメル色のブレザーやボタンダウンのシャツなどのことの方を覚えている。

大人になってから最初に買ったダッフルコートはアイボリーホワイトの比較的ざっくり織られたものだった。ラルフ・ローレンのもので、軽くて着やすかったがなにせ色が色なので最後の方は裾の方がかなりくすんだ感じになってしまったのが悲しかったっけ・・・

それから十数年を経て手に入れたのが今持っているダッフル。写真はモノクロなので何色かわからないが、それはヒミツにしておく。ヒミツだが、どう考えても普通は選ばないかも?と思える色で、今でもよくこの色のコートを買ったなぁと思うことはある。

以前にも書いているが、これはオールドイングランドというフランスの会社のものだ。ここのコートは若いころからとても好きだったが、価格的になかなか買うのは難しかった。一度コットンのステンカラーのコートを買って長く愛用していたが、それもシミが出来たりして着なくなってしまった(が、たぶんまだ家にある。それほど愛用しており捨てられないのである)。

コットンのコートでさえ10万円くらいするので、ウールのダッフルとなると・・・高給取りではないのでなかなか手を出せなかった。そこで目をつけたのがオークションで、「試着のみ」という状態のこのコートに出会ったのだった。

このコートを買ったいきさつなどは以前も書いており、その記事の最後に「このコートが似合うばーさんになるぞ!」という意気込み(^^;)を記している。10年前、すでにもっと年齢を重ねた方が似合うと思っていたのだろう。そして年月は流れ・・・やはり私の考えは間違っていなかったように思う。

先日は同行者が写真を撮ってくれたので、はじめて客観的にこのコートを着た自分を見ることができた。鑑で見ることはできるが、写真はそれとは違う客観性があり、写真を見てはじめて気づくことも多い。ゆったりしたサイズ感で袖はやや長すぎるくらいだが、なかなかよいではないか(自画自賛!)

このブランドが使っている生地はパイル仕立てのヘリンボーンで、時間をじっくりかけてふっくら織り上げられているのが特徴。写真でもその柔らかさがよく出ていると思う。脱いで持ってみるとある程度重いのだが着るとさほど重さが気にならない。仕立て、素材ともに満足のいくもので、できるならもう1枚欲しいところ(ま、いつかはね)。

今より髪にもっと白髪が増えて、全体的にグレーになってきたらもっといい感じになるはず!と楽しみが持てるところもいい。そのためにはこのコートを着こなすぞ!という意気込みというか、緊張感というか、そんなものを楽しむ余裕を持ちつづけなければいけいない・・・と自分に言い聞かせているわけだが、いががなものでしょうか。

 

*ということで、今日の写真は自分で撮ったものにあらず。

*もちろん、撮影者の許可は得ています。上手に撮ってくれてありがとう(^.^)

| - | 09:27 | comments(0) | - |
メタセコイア

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たまには、思いきりハイキーにしてみたりして・・・

 

秋になるといろいろな木々の葉が色づき、その時々によって心惹かれるものが微妙に違うことに気づく。ここ数年、モミジの鮮やかな赤よりも黄色、褐色、紫色など少し地味なものがいいなぁと思っている。今年もまた然りだが、今まであまり注目していなかったメタセコイアの紅葉(といっても地味です)がやけに心に残った。

メタセコイア・・・「メタ(のちの、変わった)」という接頭語がついているこの木は、すでに絶滅したと思われていたものだったのだが、1945年中国四川省にあった「水杉(スイサン)」が同種とされ、今も生き残っていることが判明したというい(wikiより)。日本各地の新生代第三紀層(約2300万年前から?)に見られるというから、もうなんだか気が遠くなるほど前の時代からある植物ということになろう。

そう思って木を見上げても、まっすぐ伸びた主幹は揺るぎなく、並木道を通ればなんとなく気持ちが広がるような気がするのみだ。

メタセコイアの紅葉は「赤」というよりも「くすんだ橙色」だ。別名の「アケボノスギ」の「曙」はこの色から来ているのだろうか。

つい先頃まで病院通いが続いていたが、病院というところはいるだけで疲れるところだ。多少の憂鬱や疲れを感じながら歩く道筋にメタセコイアの木が何本か並んでいて、それを見上げると少し気持ちが晴れるような気がした。先々週あたりから小さな実が落ちはじめ、手に取るとスギやヒノキ特有の香りが微かにした。

暗くなると、駅前のメタセコイアにはイルミネーションがほどこされ、街の灯と溶け合う感じでなかなかよかった。ごてごてと飾り立てる灯よりも、樹形を活かした控えめなものの方が目にも心にもやさしいと感じた。

メタセコイアで思いだすのは、子供の頃遊び場にしていた大学構内にあった並木。並木といっても道の片側にそって並んで植えられているだけだったし、その道というのが山道のような細い道で、なぜあんなところに植えたのかよくわからない。構内の奥の方の弓道場のあたりで、部員でもなければあまり行かないような場所なのだ。

周辺の子供たちは、広い構内を遊び場として大学生でさえ知らない場所もよく知っていた。メタセコイアがあるあたりもそのうちのひとつだったと思う。ある日、友だちと遊んでいて一本の木にカラスウリがからまっており、鮮やかなオレンジ色の実がついているのを発見した。

欲しいと思ったが、背伸びして届くところではない。木の下から恨めしい気持ちで見上げていたが、ふと、枝が下の方にもあるので登ろうと思えば登れるような気がした。身軽な子が先ず先の登った。少し迷ってから私も登った。そして、無事カラスウリをゲット!・・・したところまではよかったのだが、いざ降りる段になって下を見下ろしてぞっとしてしまった。

登るより降りるほうが難しいということをいやというほど、身をもって、知った幼い思い出である。あー、恐かった!

あのメタセコイアの並木は今どうなっているんだろう。急に気になってきた。大学構内もあれからどんどん変わって新しい建物ができ、幼いころ遊んだ風景はもはやあまり残っていない。さほど遠くないので、近々探りに行ってみようか。そういえば最近、ご近所散歩をしていないなぁ・・・葉をすべて落とした冬木立を見てみたい。

18-1216-2.jpg雨の日のメタセコイア並木もしっとりしていい感じ

18-1216-3.jpg駅前のイルミネーションもいい感じ。

| - | 08:16 | comments(0) | - |
知恵熱!

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かなり珍しいことなのだが、熱が出た!たいした熱ではないが、滅多に発熱しないのでちょっとおもしろがっている。が、頭が少しぼーっとしているので、ブログの記事はお休みということで。熱が下がったら、少しはお利口さんになっているかな?また明日・・・

| - | 14:57 | comments(2) | - |
青いガラスのカケラ

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昔々の、それもどうでもいいようなささいなことがある日ふと思い出され、その鮮やかさに驚くということがないだろうか。大きなイベントやどう見ても忘れられないような出来事などではなく、ごく個人的で小さな物事が、突然蘇る。そして、何故それを思い出したのかわからないまま、その鮮やかな記憶にほんのひとときではあるがとらわれてしまう。

昨日の夜、青いガラスのカケラの記憶が鮮やかに立ち上った。なぜだかわからない。関連しそうな出来事があったわけでもなく、ガラスについて考えていたわけでもない。ただ、「宝物」というひとつの言葉を目にしただけなのだ。その連想だろうか、小学生のころ私が一番たいせつにしていた宝物、青いガラスのカケラを思いだしたのかもしれない。

そのガラスについては、2016年3月29日にも書いている。そして、宝物であるガラスを収めていたオルゴールについては2018年3月31日に。どちらかといういと、オルゴールについて書いたものであり、思いだしつつもあの青いガラスについてはさほどの感慨も持たずに書いていたと思う。

2016年の記事では「きれいな濃い青」「古いインク瓶のような深い青」と書いている。が、今日私の頭に浮かんだ青は、深いというより鮮やかな青で、青く美しい鳥の羽のような青だった。しかも透明感のある。その小さなガラスの破片が、思いだしてからちらほら頭に浮かんで離れない。

以前の記事でも触れているように、それは私自身が手に入れたものではなかった。仲が良かった友だちが見つけ、私がもっていた指輪と交換したのだった。その友だちの家は貧しく、指輪などアクセサリーめいたものは持っていないのを知っていて私は交換を申し出た。友だちはあっさり交換してくれたが、なんとなくずるいことをしたような後ろめたさがあったと記憶する。

そんな後ろめたさも、その青いガラスのカケラの魅力の前では色褪せた。子供というのは、大人から見たらどうでもいいもの、つまらないものに価値を感じることもある。あの青いガラスのカケラも、きっとそういったものだったのだと思う。磨かれて丸みを帯びたものではなく、ただ、きれいな青いガラスが割れて飛び散ったもの・・・そんな感じの他愛ないものだった。

しかし、幼い私の目には、その青と透明感がとても貴重で珍しく、かけがえのないものに思えたのだろう。別の友人に見せた時、その子は自分の宝物全部と交換したいと言ったが私はうなずかなかった。誰の手にも渡したくなかった。ネックレスや指輪やブローチや、そんなお金さえあれば手に入れられるどこにでもあるようなものとは別世界のもの・・・青いガラスのカケラは、私にとってそのようなものだった。

これも前に書いたが、オルゴールはなんとか手元に引き取ることができたが、中に入っていたものはきれいさっぱりなくなっていた。実家に置いたままになっていたもので管理は妹がやっていたが、妹は触っていないと言った。一方私はあれほど大切にしていた青いガラスのカケラを自分の手で処分することはしないと思っていた。しかし、もうかなり前の話である。今さら妹と言い合ったところで、私の元に青いガラスが戻ることはない。そう思って、それ以上追求することはしなかった。

あの青いガラスのかけらをもう一度見てみたい。そうは思ったが、もう後の祭りである。いくらバタバタと実家を離れたといっても、オルゴールひとつくらい持って行くことは可能だったはずだ。それなのに実家に置いたまま、いつしかその存在さえ忘れていたのは他ならぬこの私なのだった。ある日突然思いだし、妹の手を煩わして押し入れの奥から探しだしてもらい、いざ開けたらすべてなくなっていたとしても、たとえ妹がそれらを処分してしまったとしても、文句は言えない。そう思う時、記憶の中の青いガラスのカケラは、ことのほか美しく輝くのだった。

そして、また。あの青いガラスのカケラのようなものを、これからの私が見つけられるのだろうか、などいうことをつらつらと考える。60才を過ぎて、日々にまみれ生活にまみれいささか感性は鈍っているのかもしれない。しかし、もしかしたら、子供の時のように何を失ってもこれだけは手放したくないと思えるようなものに出会えないとは言いきれない。それが何なのか。それはわからない。が、もし出会えたらきっとそれは幸せなことだと思う。そして、今度こそそれを手放さないでいたいと思う。

*そのオルゴール、ごろ寝する時の枕に丁度いい大きさなんざんす。

*風邪引くのでごろ寝しません・・・とりあえずこの季節は(^^;)

| - | 06:23 | comments(0) | - |
ローズマリーの香り

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四国にお住まいのNさんからローズマリーの枝が送られてきたのは今月はじめのこと。家人の入院、手術などでバタバタしていたので、リースを作りたいと思いつつベランダに置いたバケツに水を張ってその中に入れたままになっていた。

寒さが厳しくなり、空気が一段と乾燥してきたのでもう限界!と思い、昨日懸案だったリースを作った。ネットで見た園芸用のワイヤーを使う作り方にトライしたのだが、不器用なせいかうまくいかない。途中まででやめて材料を準備しなおし、いつもながらの簡単リースを作った。

土台は数年前作ったもの。この辺りにある蔓性の植物の蔓を適当にまとめ、からげたもので、作った当初はアオツヅラフジの実がきれいだった。すでに数年経過しているのでちょっと触るとぽろぽろ落ちる。そろそろ作り替えの時期にもきていた。

簡単リースとは、短く切った枝を土台のすき間に差し込んでいくだけの、本当に簡単なもの。5〜6センチに切ったローズマリーの枝をバランスを見ながら差していけばおしまい!アクセントにナンキンハゼの白い実を。私は「クリスマスリース=グリーンと赤、金銀」という組み合せがあまり好きではないのだった。それにこれはクリスマスリースのつもりはないし。

カーテンレールから吊るしてみた。作っている時からローズマリーのいい香りはしていたが、エアコンを入れているせいか少し部屋を離れてから帰ってくると、部屋の中が香りでいっぱいになっている。強い花の香りと違って、ローズマリーの香りはどんなに満ちても邪魔にはならない。むしろ、心が落ち着き幸せな気分になれる。

ローズマリーはハーブとしてつとに有名だが、この香りゆえ精油も愛好されている。wikiによれば俗名である「Rosmarinus」は「海のしずく」を意味し、ヨーロッパでは教会、死者、生者を悪魔から守る神秘的な力があるとされたらしい。

記憶力を高めるといわれるハーブであり、抗菌作用・抗酸化作用も昔から注目されてきたようだ。炎症抑制効果、血行改善効果、消臭効果・・・効能は多様で幅広い分野で利用されている。花粉症にも効果があるとか・・・ふーん。

そんな効果効能は横に置いておこう。私はとにかくこの香りが好きで、家でも育てている。たまに剪定すると香りがふわっと立ってその度にいい気分になる。庭があったら迷わずローズマリーをたくさん植えるだろう。花は小さいが可憐で、花を見るとシソ科の植物であることを思いだす。

効果効能からなのか、花言葉は「追憶」「記憶」「貞節」「変わらぬ愛」「誠実」「私を思って」「静かな力強さ」「あなたは私を蘇らせる」等々。

記憶力を高めることや美容効果があることからか、「若返りのハーブ」とも言われているようだ。今さら無理やり若返りたいとも思わないが、ローズマリーの香りに包まれて何かを「蘇らせて」みようかな?何にするかなぁ・・・

それはさておき、大量のローズマリーを送っていただき、本当にありがとうございました>Nさん

18-1214-2.jpg器に活けていたものをプラスしてグレードアップ!

| - | 08:41 | comments(0) | - |
「出生地」と「出身地」

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中目黒のイルミネーション。抑え気味がいい感じ。

 

前々から気になっていたのだが調べずに放置していたこと。「出身地」とは何だ!?というのがそれ。「○○出身」という言葉はよく使われるが、生まれた地を「出身地」というのだと思っていた。が、ある時どこかで一番長く暮しているところが「出身地」だという話しを目にして、こいつは調べてみないと!と思っていたのだった。

生まれた土地については「出生地」という明快な言葉がある。文字通り生まれ出た地だ。それでは「出身地」とは?・・・いろいろ調べてみたが、どうやら法的な定義はないようなのだ。国土交通省関連のサイトでは「生まれてから15才までの間、一番長く過ごした場所」とされていることが多いらしいが、一般的には「生まれた土地」「育った土地」「長くいる土地」など様々に使われているのが現実、と考えてよさそうだ。

15才まで、というのは人間の人格が形成されるのがそれくらいの年齢だといわれているからのようだ。が、本当にそうだろうか?専門家ではないからわからないが、たとえば15才まで東京にいて、それ以降30年大坂にいるとすると、出身地は・・・どっちだ?一概に東京だとはいえないように思う。

私自身のことを考えてみると、生まれたのは両親が品川区内に住んでいた時なので、出生地は「東京都品川区」になる。長く住んでいるところは現在も住みつづけている「神奈川県横浜市」だ。東京に住んでいたのは出生からの6年、結婚していた時期の一部である9年で合計15年。一方横浜市民でいた時期(現在進行形)は細切れだが合算すると45年になる。東京都内にいた期間の3倍になり、長く住んでいた場所が出身地という定義に従えば、私は立派な?「横浜市出身」者ということになろう。

それにはさほど抵抗感も感じないのだが、今の自分の生活感や価値観などに影響を及ぼした場所となると、やはり「東京」だろうなぁと思う。横浜市内に引っ越してきてからも、東京生まれの母はなにかにつけて娘たちを都内に連れ出した。横浜についてはほとんど知らなかったから当然といえば当然だろう。高校までは横浜市内だったが、大学、勤務地もほとんどが都内だったから文化的な影響は東京から受けている。それは間違いないと思う。

また、「横浜市」と「横浜」の微妙な違いが気にならなくもない。誇り高き浜っ子には失礼を承知で言えば、私は彼らの自己主張の強さや誇大な自負心のようなものは苦手なのだ。さらっと流すという洗練さからはほど遠い・・・と、これまでの経験から感じている。私の単なる思い込みかもしれないが。

しかし、そうは言っても「横浜」は魅力的な街だとは思う。東京にはない雰囲気も捨て難いものだとも思う。他の街同様、「古き良きヨコハマ」はどんどん消えていくけれど。ああ、「ブルーライトヨコハマ」でも聴いてみようかな?

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| - | 13:56 | comments(0) | - |
フタに悩まされるお年ごろ

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フタに困らされている。フタって・・・あれですよ、どこにでもあるあのフタ。漢字で書くと蓋(実際に書けるかどうか心もとない)。瓶詰めのフタ。ペットボトルのフタ。缶詰めのフタ(プルトップ)。酒類のフタ。なんであんなに開けにくいの?ってね。

もちろん、簡単に開いてしまってはまずいからきっちりしまっているのだろう。それはわかるが、そこまで硬く閉めなくても、と思うことが多い。先日はスクリューボトルのワインがなかなか開けられず、腹立たしいのを通り越して泣きたくなってしまった。

器用な人(いや、それが普通)は、フタを開けようとするのではなく本体を回せばいいのだ!とのたまう。素直にやってみるが・・・うまくいかない。シリコンなどすべらないものなら簡単!と言う人もいる。手元にあったすべり止め(マットなどの下に敷くシート)を使ってみたがダメ。

なんとかかんとか開けることができても、手のひらが真っ赤になっていて痛い。うーん・・・これって、もしかしたら私自身が劣化したというか、弱体化したというか、ただそれだけのことなのでは?と気づいた。というのも、周りの同年代女性からあまりそんな話は聞かないからだ。

だとしても、私よりずっと年上の女性たちは困っているに違いない。いつだったか、ペットボトルのフタに取り付けるもうひとつのフタのようなものを見たことがある。それを使うと簡単に開けられるそうだ。私も欲しいぞ、あれ。

それにしても、高齢化がどんどん進み、平均寿命もどんどん長くなり、特に女性は長い期間老後の一人暮らしをしなければならない時代だ。身近なところに開かないフタを開けてくれる人がいるうちはいいけれど、一人だったらなんだか心細いなぁ・・・などとたかがフタのことなのに半分真面目に思ったりする。

バリアフリーという考え方が提唱されて久しい。少しずつ世の中はバリアフリー化してきているのだろうが、都心の新しい建物の中や公共施設などに限られている感は否めない。もっとごく普通の生活の場でのバリアフリーが進んでくれなくては困る。

それにしても・・・私はいつからこんなに非力になってしまったのやら。できないことがどんどん増えてしまって、情けないことこの上ない。うえーん。

| - | 13:45 | comments(2) | - |
寄り添って・・・

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仲良しだった故ゴン(左)とみかん(右)。兄弟ですか?とよく聞かれたっけ。

 

今日はかなり寒い一日だ。私が住んでいるところで現在7度。3時過ぎから雨が降り出してなおさら寒く感じる。12月だからこれで平年並なのだろうか。ここ数年暖冬続きなので平年以下のような気もする。いずれにせよ、季節はまぎれもなく冬。

寒くなってから、ごくたまにではあるが猫が寄り添って寝ていることがある。3才の「ふく」と「ダイスケ」だ。いつも強気でメリハリがきいた白黒の「ふく」と、気はやさしいが少し臆病な「ダイスケ」は年齢がほとんど同じなのに好対照である。「ダイスケ」は「ふく」と普通の猫同士のように仲良くしたいのだが、「ふく」は仲良くする方法がよくわからないか、あまりそういうことを考えないのかもしれない。お互いに毛繕いしあっていてほほ笑ましいな、と思っていると、いきなり揉めだす。たいていは、「ふく」の噛みつきが原因だ。「3なめ1噛みの法則」とわが家では言っているのだが、やさしくなめているかと思うといきなり噛みつくのには人間も困っている。

「ふく」と「ダイスケ」が寄り添って横になっているところを見ると、どうしても今は亡き「ゴン」と御歳16才でがんばっている「みかん」の姿を思い起こす(写真)。この2匹の寄り添い方は見ていて本当にほほ笑ましく、焼きもち焼きたいほどだった。頬と頬を寄せて2匹とも幸せそうな顔をして。

「みかん」は「ゴン」が3才の時にわが家にやってきた。友人が住む町にあった動物病院の貼り紙に子猫の里親募集の貼り紙があったということで、見に行ったのだった。「ゴン」の遊び相手が欲しいと思っていたのだが、まさか似た毛色の猫になるとは思わなかった。数匹保護された子猫は次々と里親に引き取られ、残った1匹が「みかん」だった。後から親子で保護された猫たちがいて、母猫のオッパイに吸い付いていた「みかん」は、まだ手のひらに乗るような大きさだった。

わが家に連れてきても物おじすることなく、かえって「ゴン」の方がタジタジだった。が、グルーミングしてやったり遊び相手になったりとよく面倒を見て、自分の皿のキャットフードを横取りされても文句ひとつ言わなかった。

子供の頃恐い物知らずでやんちゃだった「みかん」は、大人になると優しく落ち着いた性格になった。控えめで自己主張をあまりせず、「ゴン」の強引な態度にも“しかたないわねぇ”といった顔をして反撥することが全くなかった。

「ゴン」はそれに甘え邦題で、いつも「どうだ!」「どうよ!」という態度だったが、寄り添って眠っている時はとても幸せそうで、いいカップルだなぁ、と何度も思ったものだった。

「みかん」は数年前から痩せだし、腎臓病になってしまった。猫は高齢になるとどうしても腎臓が悪くなるから珍しいことではないのだが、やはり骨っぽくなった腰のあたりを見ると痛々しい感じがする。加えて生まれつきなのかどうははわからないが腸のかたちが変形していて、加齢とともにうまく排便できなくなってしまった。そのため2年ほど前から摘便と点滴(栄養と水分補給)、たまにせき止めの注射をしに1週間に1度ペットクリニックに通っている。

食欲も少しずつ落ちてきて、腎臓病用のドライフードは飽きたのかなかなか食べなくなってしまった。ここまで来たら腎臓のことよりも体重を減らさないようにしないといけない、とのことなので喜びそうなものをあれこれ選んで食べさせている。

高齢なので昼間はほとんど寝ているが、他の猫の食事に興味を示したり、膝に乗ろうと必死になったり、とまだまだ生きる気力は残っている。それが飼い主にとって救いでもあるのだが、あまり苦しまないうちに、とも思い「ゴン」の遺影を見る。甘え邦題甘えさせてもらったんだから、一番適切な時期にちゃんと迎えにきてやってよ!と心の中で語りかける。「ゴン」と私は“らいせをちかいあったなか”なのだが、相手が「みかん」なら、譲ってもいいと思う。

仲よき事は美しき哉・・・武者小路実篤のこの言葉は野菜の絵とともによく色紙などに書かれているのをみかける。あまりにありふれたもの陳腐さを感じてきたが、言葉そのものを先入観なしに読めば、その通りだと思う。夫婦であれ恋人同士であれ、友人同士であれ親子であれ、人間であれ、猫であれ、仲よき姿を見れば気持ちが和らぐ。寄り添う相手がいるのは幸せなこと。

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どこぞの公園には寄りそうヒマラヤスギがあるらしいぞ。今年はきれいに飾られているらしいぞ。

| - | 16:35 | comments(2) | - |
みたび、光る海

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今まで「光る海」というタイトルで記事を2回書いた。記事を書く時、同じタイトルにならないよう一応気を配っているつもりなのだが、どうしてもダブることはある。偶然ダブることもあれば、わかっていて「やっぱりこれしかないしなぁ」ということもある。「光る海」は後者で、今日も同じにしようと思ったが、ちょっと変えてみた(^^;)

前2回とは、2008年1月5日2016年1月29日だ。いずれも1月。一年で一番寒い季節である。記事の中でも触れているが、なにやら寒くなると私には「光る海」が見たくなる習性があるらしい。数日前から急に寒くなり、その途端「光る海」という言葉が頭に浮かんだのもそのせいだろう。

場所にもよると思うが、冬の海は静かだ。海遊びができるわけもなく、サーファーや地元の人たちだけで、時折ジョギングや犬の散歩をする人が行き交うだけ。よく晴れた、風が穏やかな日、砂に腰を下ろして「光る海」を見る。今まで何度そうしてきたことだろう。

一人で行けばもちろん黙って海を見ている。誰かと行っても、並んで海を見たまま2人とも言葉少なになる。言葉を失わせるような何かが、眩い海にはあるのだろう。

これも前に書いたが、「光る海」を想像すると私は「アドロ」という曲を思い出す。昔のドラマ「光る海」(たしか石坂洋次郎原作)のタイトルバックに流れていた曲で、フランク・プールセル・オーケストラの演奏だったと記憶する。

検索したらあった、あった。レコードのジャケットが「光る海」である。このイメージがどうしてもつきまとっているのだろう。しばらく、この曲を見ながらかつて見た「光る海」を思い出したいと思う。そして、来月になったらまた、のこのこと行ってみるかな?

*あらま。この曲ってとても情熱的でロマンチックな歌詞がついていたのね。

*音だけ聴いていたから、解説部分の画像を全く見ていなかった。

*急に気恥ずかしくなってきたぞ。何をいまさら?(^^;)

(追記)

グラシェラ・スサーナの「アドロ」を発見!

*日本語お上手。でも、スペイン語の方がいいな。

*それにしても・・・こりゃ、参ったね!(^.^)

| - | 09:15 | comments(0) | - |
KITAKAZE

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昨日あたりから、風がぐっと冷たくなった。わが家の裏に当る南側には市民の森の木々があるが、数日前の強風にあおられて一気に葉を落とし、もう少ししたら繊細な冬木立となる。風に舞い揚げられた葉は、反対側にまで吹き飛ばされ、私の部屋からも落葉の舞う様子が見られる。マンションの管理人は台風の時季と今ごろが最も大変なのではないだろうか。掃いても掃いても振り落ちる落ち葉との我慢くらべになるのだから。

落葉はそこここに降り積もり、吹き寄せられ、また吹かれて舞い上がり・・・を繰り返しながら、いつしか姿を見せなくなる。そして、北風が強く吹く日が多くなる。それでようやく本格的な冬だ。私が一番好きな季節だ。

冬が好きだと言うと、怪訝そうな顔をされることがよくある。「スキーが趣味なの?」と聞かれることもある。そういう人たちに、何故私が冬好きかを説明するのは、なかなか難しい。難しいし、いくら言葉を並べたところで理解してもらえそうにない。理解などしなくても、ああ、そういう人もいるんだと思ってくれればそれでいいのだが、中には猛反撥する人もいて人間関係もなかなか難しい。

前にも書いたことがあったかもしれないが、けっこう気が合っていたある人と気まずい別れ方をした。私より少し年下の女性で子供2人連れて離婚し、今も子供たちと暮している。どういう仕事をしているかはよく知らないが、離婚してからいろいろな仕事を経験し苦労も多かったようだ。直感力がある人だったが、ともすると自分の直感にこだわり、決めつけてしまうようなところがあって少し気になっていたのだが、その決めつけがまさか自分に向かうとは・・・(^^;)

その人は夏が好きだった。今でもそうだろう。そして、冬が大嫌いだった。それはそれでいい。好みなど人それぞれだからだ。私が冬好きだと言ったら一瞬疑い深い顔になった。しかし、その時はそれで終った。が、別の時に「孤独」についての話になった時、その人はいきなり爆発するように怒り出した。

たぶん、彼女の最もつらかった時季は冬だったのだろう。そのようなことは知らず(知っていても関係ないが)、私はどうしようもない絶望感や孤独感に襲われた時が冬だったら、なんとか耐えられるような気がする、と言った。嫌いな冬にそういった経験をしたことがあったのだろう。彼女はいきなり「それはあなたが幸せに過ごしてきたということでしょうね」と言った。心底つらい孤独感とはそんなに甘いものではない、とでもいいたいかのように。

そうだろうか。人の孤独感なんて比較できるはずもない。それに、何をどう耐えるかも一様ではない。もう生きていたくなくなるような絶望感も、もう誰も何も自分にはないという孤独感も、冷たい北風の中ならなんとか耐えられそう・・・と私は今でも思っている。ぬくぬくとした春、開放的な夏、爽やかな秋だったら、耐えきれないような。

肌を刺すような冷たさだけが自分を支えてくれるような、そんな感覚が私にはある。しかし、これは私の感覚であって、彼女が全く違う感覚を持っていても不思議ではない。しかし、人生における苦労や孤独を人と比べて決めつけることなど私には理解不能だった。

中学生のような捨て台詞を残して彼女は連絡を断ったが、私は少し残念だった。未練があったわけではない。優れたところもある人なのに、そのように何事も決めつけてかかってはかえって生きづらいのではないか、と。まあ、もう終ったことだからどうでもいいといばそれまでなのだが、冬が来ると彼女のことを時々思い出す。

孤独感や絶望は横に置いておいて、寒い季節は温かさをより敏感に感じ取れる季節でもある。凍えた身体や心をあたためてくれる存在に気づいたり、ぬくもりに触れて幸せだと思えることが多い季節でもあると思う。冷たい北風は冷たいだけではない・・・冬好きの私はそう思うのであーる。

| - | 17:30 | comments(0) | - |
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