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3月の気配が・・・

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月もいよいよ下旬に入ろうとしている。今年は例年にない暖冬とのことだが、年々寒さに弱くなってきている私にはあまりその実感がない。が、おそらくデータから見ても暖冬なのだろう。もうだいぶ前から言われていることだが、冬は冬らしくなくなり、知らない間に春になり、あっという間に夏になり、待たれる秋はなかなか来ず・・・私に根付いている季節感がどんどん崩れていくようでどうしたものかと思う。気候のことゆえどうしようもないのだが。

 

それでも、2月も後半になるとどことなく春の気配、近いところでいえば3月の気配を感じる。朝窓を開けた時の風に、霧のような雨に、日だまりのぬくもりに。気分的にも、もうそろそろ軽くなりたくなる。身に付けるものも、少しは軽やかにしたくなる。

 

毎年この時期になると思うこと、感じること。

 

黄色い花が見たくなること。今は梅が見頃だが、菜の花も場所によっては咲いている。ミモザも花屋ではすでに出回っており植えられたものもそろそろ咲きそうだ。光を集め、さらに大きく拡散していくような黄色の花。私にとって黄色い花は春の象徴のようなものだ。夏のヒマワリよりも、初春の菜の花を恋しく思う気持ちは強い。

 

光る海が見たくなる。晴れて穏やかな日にキラキラ輝く海がたまらなく見たくなる。砂浜に座ってずっと見ていたくなる。風はまだ冷たさを残しているが、その風を受けながら静かに海と対話したい。今日は完璧ではないにしても、そういう海と会ってきた。次は春らんまんの材木座あたりがいいかな。

 

スニーカーを履きたくなる。寒い間も履いている人はザラにいるが私にはちょっと無理だ。だいたい12〜2月くらいまでは足首が完全に覆われるブーツしか履かない。ショートブーツであれロングブーツであれ、出かける時はブーツ。日常的な買物をする時も都心に出る時も。

が、そろそろスニーカーを履いて軽やかに歩きたくなる。最初に履くのは何がいいかな?真っ赤なPatrick?

それともスミレ色のNewbalance?はたまた真っ白の・・・などと夢見るようにうっとり想像したりする。

 

しかし。その前に、ああその前に。確定申告という苦行が待っているのであった。早くやらなくちゃ(^^;)来月はお楽しみもあるしね。てへ!

| - | 20:47 | comments(0) | - |
全裸監督

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今年に入ってからNetflixを使うようになった。いろいろなところで聞くし、話題のドラマや映画も作っているので。Amazonプライムも利用しているが、作品の傾向がどこか違うので使い分けしようと思っている。

 

以前からネットの一部で話題になっていた(ような気がする)「全裸監督」を、Netflixに入ったのをきっかけに見てみた。タイトルのインパクトは十分で、それだけで避けるお上品な向きもあろうが私はむしろ食いつくタイプ。といっても内容次第で、山田孝之演じる村西とおる(以下敬称略)という人に以前から興味を持っていたから、というのが主な理由だ。

 

妙齢の男性方ならご存知の方も多いと思うが、バブル景気で日本中が沸いていたあの頃、「アダルトビデオの帝王」と呼ばれた男である。わき毛を見せる黒木香を採用したのも村西監督である。その撮影手法たるや・・・自分が監督と主演男優と時にはカメラまで担当し、撮影中ずっとしゃべりまくるのだ。

さすがに私は実物のビデオを見たことはないが、エッチというよりも滑稽さが漂う作品になっていたのだと思う。それでも作品が売れに売れたということは、世の中がそういったものを見て大笑いすることができた時代だったのだろう。

 

内容は調べていただければ(あるいは実際に見ていただければ)わかると思うので割愛する。私としては、むしろこのドラマ(Netflix配信の8回連続ドラマ)を見て、即といっていいほど「フォーカスな人たち」(井田真木子)を思いだした。そこで描かれている村西とおるとドラマの村西とおる。ノンフィクションとドラマという違いをはっきり感じたが、イメージはそれほどはずれていないと思った。そして、なにをおいてもすごいエネルギーを持った人だということに感嘆すら覚える。

 

ドラマは最盛期に至るまでの苦労と頂点に立ったかのような村西とおるの姿で終る。が、ご存知のようにバブルははじけ、アダルトビデオ業界もみるみるうちに衰え、今やネットという巨人が立っている。それでもなお、自分のやりたいことを貫こうとするエネルギー。「フォーカスな人たち」では、栄光のあと地獄につきおとされた村西とおるも追いかけており、井田真木子の透徹した文章が淡々とそうした村西を描いている。

 

井田真木子については以前も何度か書いているが、今更ではあるが惜しい人だったと思う。今調べてみたら、6回は書いていた。かなり心酔しているといっていいと思う。初出は2007年10月17日2010年9月12日には「井田真木子という才能」というタイトルで書いていた。そしてまた、井田の作品を読み返したりしている。私は同じ本を何度も繰り返して読むことがけっこう多いが、再読のきっかけはいろいろだ。今回は全裸!(^.^)

| - | 17:37 | comments(0) | - |
「永遠のソール・ライター」

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今回は是が非でも行こうと思っていた「永遠のソール・ライター」展に行ってきた。というのも、前回(2017年)うっかり見逃してしまい後悔していたからだ。またやると知ってだいぶ前から今回は逃すまいと思っていた。

 

ソール・ライターは1960〜80年ファッション写真家としてかなり成功した人である。が、突然第一線を退いた後姿をくらませていたらしい。ファッション写真の仕事を捨て、以後は時々モノクロやカラーの写真展を開き2013年に亡くなっている。そして彼の死後、膨大なアーカイブの発掘が行われ(現在も進行中)、“カラー写真のパイオニア”としてつとに有名になった。2017年の展覧会も好評だったようで、今回も同じ場所であるザ・ミュージアムとなっている。

 

予備知識などなにもなくても写真は十分楽しめる。とくに、どこか自分と似ている視線を持っていた人の写真であれば。私がまず感じたのは、ありふれたもの、ごく日常的な風景の中にある何かを発見する視線の鋭さだ。そして、その視線の先にあるものをどうとらえ、何をどう活かすか・・・そのあたりのセンスとテクニックには感嘆するものがあった。図録には彼のこんな言葉が掲載されている。

 

私が好きな写真は何も写っていないように見えて 片隅で謎が起きている写真だ。

私は単純なものの美を信じている。もっともつまらないと思われているものに、興味深いものが潜んでいると信じているのだ。

 

モノクロームに見える雪の街の中の赤い傘。フェンスごしに見えるきれいな青いスカート。画面の1/4にも満たないところにある“興味深いもの”に彼は気付き、あえて中央からはずしてさりげなく撮る。普通だったら目の端にさえ映らないかもしれないものを見つけ、注目し、絶妙の構図で画面の一部に取入れる。彼の写真を見てはじめて、人々はこんな光景があったのだ、と気付く。

 

私はソール・ライターの視点と視線が好きだ。ガラスの向こう側とこちら側を融合させるような写真は、以前私もトライしたことがある(比べるのもおこがましいが)。有名になりたい、いい作品を発表したい、といった衒いをほとんど感じさせない写真は見ていて気持ちいい。そして、なんだかまた写真を撮るという目的をもってあちこち行ってみたいなという気になってくる。

 

でも、道具は手持ちのなにかでいいとして、鈍ってきた目と感覚を鍛え直さないとだめかなぁ・・・とも思うわけですよ。とほほ。

 

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Each day is Valentine's Day

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このところ毎年買っているジムネットの募金チョコ。缶がかわいいのよー(^.^)

 

さて、バレンタインデーである。一時より世の中も騒がなくなったような気もするが、街中にあまり行かないので定かではない。が、事務員の女の子が男性社員1人1人に小さなチョコレートの包みを配ってあるくようなことはだいぶ少なくなったのではないだろうか。ニュースなどを見ていても「義理チョコ離れ」が言われているし。男性方はやさしいのでなかなか本音は言わないが、あれにはけっこう迷惑していたようにも思う。中には「倍返し」を期待している強者もいるかもしれないしね!

 

昨今はチョコレートを贈るのも本命の彼氏だけになってきたようだ。それだけでなく、親しい友人や家族で贈り合ったり、自分のためにいつもは買わないような高級チョコを選んだりする女性が増えているそうだ。「義理チョコは平成で終った」などと毎日新聞も書いている。

この傾向、百貨店各社もそれはご存知。稀少性、本物志向をねらったりイートインコーナーを設けたり、と様々な戦略を展開しているようだ。松屋銀座では100ブランドが出店し、“女性自身が楽しめるよう”イタリアで開催される祭典「ユーロチョコレート」を参考にした売場を作っているとか。中国からの観光客が激減し、大きな呷りを受けてる百貨店も必死である。

 

一方、前からその傾向はあったが、チョコレート以外のものを贈りましょうといった提案も多い。もしくはチョコレートとそれ以外のものの組み合せ。先日立ち寄った青山フラワーマーケットでは「2.14Flower Valentine」と銘打って2月14日を「世界でいちばん花を贈る日」としている。なるほど、もしかしたら本当に「世界」ではそうなっているのかもしれないと思った。

 

というのも、バレンタインデーに「女性から男性へ」「チョコレート」を贈るというのは日本だけらしいということは知っていたし、そもそもバレンタインデーが聖バレンタインの死を悼んだものだというこも知っていたから。

ご存知の方も多いと思うが、ローマ帝国皇帝クラウディウス2世が戦争に行きたがらない若者たちを戦争に駆り立てるため、枷となりうる結婚を禁止した。が、司祭であったウァレンティヌスは若者たちに同情し隠れて結婚式を執り行った。それが明るみ出て皇帝からやめるよう命令を受けたがやめず、2月14日に処刑された。それを悲しんで人々はこの日に祈りを捧げるようになった。というのがバレンタインデーの起源。

悲しい出来事ではあったが、ある面「愛する者たちの日」というイメージを持たれ、日本以外の世界各国では男女にかかわらずたいせつな人同士でプレゼントを贈り合う日になったとのことだ。

 

 

以前にも書いたが、バレンタインデーというとまず思い浮かべるのが「My Funny Valentine」だ。スタンダード曲なので多くの人が歌い、演奏しているが私は今でもなおチェット・ベイカー。若いころのものもいいが、衰えが目立ってきた後年になってからの独特味わいも捨て難い。最近では、スティングとクリス・ボッティのコラボもなかなかよい感じ。

曲調が少し淋しげだが、内容はとても心あたたまる、愛らしいものだ。そういった意味でもバレンタインデーにふさわしい曲だと思う。

 

My funny Valentine, sweet comic Valentine

You make me smile with my heart

 

You looks are laughable

Unphotographable

Yet you're my favorite work of art

 

Is your figure less than Greek?

Is your mouth a little weak?

 

When you open it to speak

Are you smart?

 

But don't change a  hair for me

Not if you care for me

 

Stay little Valentine,stay

Each day is Valentine's Day

 

歌詞からして女性の目線で書かれた歌詞だろう。決してイケメンとは言えない彼に彼女はいう。「あなたって写真向きとはいえないわよね」とか「口元もちょっとゆるんでいるわよ」とか。ちょっとひどい!と思いきや彼女は続けて言う。「私のために髪の毛1本だって変えないで」「ずっと今のままのあなたでいて」と。「そうすれば、私にとって毎日がバレンタインデーなのだから」と。いかに愛しているかがわかって最後の歌詞にはぐっとっくるなぁ。

 

20-0214-3.jpgご褒美というわけではないが、ミモザを自分に。

20-0214-4.jpg花を買う男性が多くなったのは確か。

| - | 15:47 | comments(0) | - |
ミモザ

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今日は午後2時時点で気温が16℃。窓を開けても「寒い!」と感じない。今週いっぱいはこの気温が続き、来週からまた冬らくなるようだ。もういいかげんにして欲しいと思っているのは私だけではないだろう。気温の急激な上下は応えるのよ、老体には!

 

しかし、2月も中旬となれば春を待つ気持ちが強くなる。先日花屋の店先でギンヨウアカシアの枝物がまだ新聞にくるまれた状態でいるのを見つけ、状態がよさそうなので買ってきた。黄色いふわふわの花はいかにも春!という感じだが、まだ寒い時期からつぼみをつける。が、花が満開になるのは来月あたりで、だから3月8日がミモザの日なのだろうと思う。

 

ミモザではなくギンヨウアカシアと書いたのには理由がある。まあ一般的にそう言われているのだからいいじゃないかとも思うのだが、アカシアにはいろいろな種類があり、「ミモザ」とは正確にはフサアカシアのことだからだ(実は私はフサアカシアが一番好き)。一番よく見かけるギンヨウアカシアは葉が白みがかっているが、フサアカシアは葉裏は白っぽいが表側は緑色で葉のかたちも少し違う。合歓やオジギソウのように細い葉が羽状になっているのだ。花の色も若干ではあるがギンヨウより淡い。枝物として出回っているのも断然ギンヨウが多く残念だがいたしかたない。

 

そんな細かいことをブツブツ言わずとも、ガラスの器にざっくり行けた黄色い花はとてもきれいだ。そこだけぱっと明るくなったように思えるほど。つぼみが多い枝を買った方が長く楽しめると思いがちだが、アカシアの類いに限っては切り花として売られているもののつぼみはほとんど開かないと思う。先日花屋のスタッフに聞いたがやはり同じようなことを言っていたし。で、できるだけ花がたくさん咲いている枝を数本買ったので、明るいことこの上ないのであった。

 

切られてしまったとはいえまだかろうじて生きているから、花も徐々の衰えていく。花びらが薄い繊細な花ほど衰えが早く感じられる。ミモザのふわふわした花も同様で、買ってきてから2日ほどたつと鮮やかな黄色が徐々にくすんでくる。その時点ではまだ我慢するが、もう2〜3日ほどするとあきらかにくすんでしまうので、思いきってドライにしてしまうことが多い。机の上の生花としての寿命は1週間もない。儚いものである。

 

ドライになったものを自作のリースの土台にさっさと差していけばミモザリースの出来上がり。もっとたくさん使えば豪華なリースになるのだが、リースはあくまでも副産物なのでこれでよしとしている。ドライも悪くないが・・・やはり生の花がいいなぁ。あと一度くらい買ってみるかなぁ。この時期ならではの花だしなぁ。

| - | 15:05 | comments(0) | - |
タータン

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先日久しぶりにタータンチェックのストールを使った。巻物(首に巻くもの、ね)は一年中使うからけっこうな数を持っているが、このストールは久しぶり。大きいので使うシーンがなかなかなかったのと、最近やたらと見かけるのでちょっと・・・という感じだった。

が、やはりなんとなく落ち着く。伝統的なものだから、というよりもたぶん中学・高校時代から馴染んでいるからだろう。こんな私でも少女時代というものはあり、あのころはMc Sisterなどを毎月買うようなアイビー少女だった。タータンはキルトスカートやマフラーなどを持っていたと思う。

 

そんな馴染みの深いタータンではあるが、詳しいことはほとんど知らないでいた。イギリスの貴族の紋章のようなもの、くらいにしかとらえていなかったのだがこれがとんでもない!あらためて調べてみて奥の深さがよくわかった次第だ。

 

起源から言い出すとかなり長くなりそうなので省略するとして、タータンとは正式に登録し管理されている柄で、伝統的な綾織りの毛織物でなくてはいけないのであった。現在では数千種類ものタータンが登録されているというが、それ以外のものは「タータン」ではなくて「タータン風」というのが正確なところだろう。

種類はというと、「クラン(Clan)」「ディストリクト(District)」「コーポレート(Corparate)」「ミリタリー(Military)」「ロイヤル(Royal)」などいくつかに分けることができる。「クラン」というのはスコットランドで由緒ある氏族が着用していたもの。「ミリタリー」は軍用に使われていたもの。「ロイヤル」は王家のためのもの。タータンチェックといえばまず思いだす赤がベースの柄はロイヤルスチュワートという柄でエリザベス女王が愛用していることで有名だ。グリーンとネイビーのすっきりした柄であるブラックウォッチはミリタリータータンで例外的に登録はされていないらしい。バーバリーのチェックもタータンで分類上は「ファッション」に入るようだ。

 

私のストールはブラックスチュワートという柄でロイヤルスチュワートの黒版といったところ。ロイヤルスチュワートだけでも8種類あるというから(未確認)なかなか複雑なのである。女性の正装用には白を基調としたドレススチュワートがあり、これはよく見かける。

なにせ種類が多いのでいざ選ぼうとするとかなり迷う。自分の持ち物を思いだして何が一番いいのか考えるだけで時間がかかりそうだ(^^;) 好き嫌いもあるがそれを基準にしても選ぶのが難しい。ストールの柄を選んだのはやはりブラックスチュワートが好きだからということもあるが、同じ柄の傘を持っているので自分の中でのおそろいにしてみたら?なぁんて思って。

 

鮮やかな色のタータン。渋い色目のタータン。エッジがきいたタータン。いろいろあるが何才になっても使っていきたい柄である。日本の高齢者の方々も、もっとタータンを身に付ければいいのにと思う。地味な無地や細かいチェックのマフラーより、ぱっとしたタータンの方が気分が明るくなりそうだし。余計なお世話だが時々そう思う。

 

20-0212-2.jpgお気に入りの傘。留め具?がかわいい(^.^)

| - | 15:26 | comments(0) | - |
マッターホーン

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先日出かけていた家人が珍しくお土産を買ってきてくれた。何のことはない、駐車場にちょっと車を置かせてもらったので義理を通しただけなのだが、一応お土産と言っておく。小さな袋の中にはこれまた小さなケーキの箱が入っていた。生ケーキなら1つしか入らないだろう大きさ。その中に数種類のサブレが入っていた。

 

学芸大学のマッターホーン。姉妹店(経営者が兄弟)のモンブラン(自由が丘)はつとに有名だが、マッターホーンの方は知名度としては姉ほどではないだろう。モンブランの創業が1933年、マッターホーンが1952年だからモンブランの方が先輩。自由が丘は子どものころから行っていたのでその頃からモンブランの名前は知っていたし、何度も買物をしたし、ティールームにも何度か行っている。かつての自由が丘といえば今ほどあれこれ店がなくて駅前の一誠堂(時計・宝飾)、その並びにあるモンブランはとても目立つ存在でもあった。

 

一方マッターホーンはというと、知ったのは割と最近。15年くらい前になるだろうか。あのあたりを縄張りとする家人(碑文谷生まれ)に教えてもらった。店名を聞いた時に冗談かと思った。すぐ近くの自由が丘にモンブランがあって、学芸大学にマッターホーン。世界でも名だたる名峰の名前を付けるなんて、と思ったが経営者が兄弟ということで納得した。モンブランの初代は登山好きでヨーロッパを旅した時に見たモンブランをとても愛していたという。ちなみにモンブランという名前のケーキがあるが、あれは自由が丘のモンブランが日本では始めて作られ販売されたらしい。で、栗のクリームはモンブランの山肌を、一番上に乗っている白いメレンゲは万年雪を表現しているのだとか。ふーん。

 

それはそれとして。自由が丘の方がわが家からは近いが、最近利用するのはマッターホーンの方が多い。お世話になった方へのお礼や手土産としての利用が多いが、たまには自分用にも買う。なぜマッターホーンを選ぶか・・・というと、なんとなくアットホームな感じが好きだから。

モンブランの店構え、有名な東郷青児の絵がほどこされた包装紙などは確かに店としての格を伝えている。ケーキのお値段も自由が丘値段といおうか、まあそれなりにあれである。マッターホーンも洋画家の絵を使っているが、冷たい感じがする東郷の絵と対照的にあたたかみのあるカラフルな絵だ。色のマジシャンと言われた鈴木信太郎画伯の絵だそうである。

 

包装紙hサーモンピンクにヨーロッパの民族衣装を着た女性とバラが描かれている。以前昨年他界された野村和子さんにさしあげたことがあったが、さすがにすかさず包装紙のバラに目を止められ、「あら、バラ!ステキな包装紙ですね」とおっしゃったことを今でも覚えている。

箱を開けると商品だけでなく小さなカードが入っている。こちらも鈴木画伯のきれいな絵入りで、お店からお客様へのメッセージカードとでもいおうか、心あたたまる文章が記されている。

そういった気遣いやセンスが私は好きで、マッターホーンを選んでしまうのであった。

 

2013年9月15日にこの店の包装紙について書いている。最後にケーキをまだ食していないのでそのうちに、と書いたが2020年現在においてまだ食べていない。ケーキというものを買わなくなって何年になるのだろうか。別に嫌いなわけではないのだが(あ、去年の10月に一度買った!)。焼き菓子類は素朴な味で、店の雰囲気が味にも出ていると思う。うーん、今年こそケーキを買うぞ!

 

*「シュクメルリ」って知ってました?

*ジョージアを代表する料理ですって。

*それに松屋が目をつけて「シュクメルリ鍋定食」なるものを開発したんですって。

*かなり評判いいみたいですよ、奥様。

*ジョージア大使館の方々もよく食べるとか。なつかしいって褒めていました。

 

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梅が香

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梅の季節になってきた。隣駅下車の梅林には様々な品種の梅が植えられているから、早咲きのものはもう咲きそろっているかもしれない。近いのになかなか行くまでいかないのは、寒いのと(^^;)坂を延々上っていくその立地にある。今まで2〜3回は行っているが、ここ10年ほどはご無沙汰している。今年は行けるかなぁ。

 

昨日園芸番組をつらつらと見ていたら、テーはは季節柄もあってか「梅」だった。梅といえば水戸の偕楽園が有名だが、9代藩主・徳川斉昭がこよなく梅を愛しただけあって百種三千本の梅が植えられているそうだ。満開になればさぞかしよい香りが園内に満ちるのでは、と想像する。

 

梅は桜よりも以前から日本人に愛されてきた花だ。うろおぼえだが、万葉集などでは桜より梅の歌の方が断然多かったと記憶する。それが古今、新古今となるに従って桜の歌が増えてくる。梅は桜に比べて素朴であり華やかさという点では桜に負けてしまうかもしれないが、香りとなると断然梅の方が優れている。

昔の人は現代人より五感が鋭かったから、梅についての和歌には香りとセットのものが多いように思う。梅を見るとまず思いだすのは、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌

 

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそみえね 香やはかくるる

 

梅といえば、菅原道真も梅好きで有名だ。全国各地にある天満宮には梅が植えられているが、これは道真がこよなく愛したから。太宰府に左遷され不遇のうちに世を去った道真は死後怨霊となり数々の災いを巻き起こしたと考えられ、その霊を鎮めるため神として祀られるようになった。その神が天神様で、それを祀るのが天満宮。道真は学問の神でもあるので、受験シーズンともなれば天満宮はとても賑わう(私の湯島天満宮に行った!息子の受験の時)。

 

東風吹かば におひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

 

太宰府に流される時の作とされる歌で、都を去り向かう太宰府までその香りを届けてほしい、自分がいないからといって春を忘れてはいけないぞ、というのだから、梅への愛着はかなり強かったようだ。

 

一方女性陣はというと・・・

 

梅の香を 君によそへてみるからに 花のをり知る 身ともなるかな  和泉式部

君とこそ 春来ることも待たれしか 梅も桜も だれとかは見む  赤染衛門

 

この時代の梅の香は、花の香りであるとともに衣に映したお香の香りでもあり、梅の香り=恋しい人というロマンチックというかエロティックというか、そんな歌もけっこう多い。

 

さて、昨日の番組でお勉強したこと。まず「探梅」という言葉があるということを知った。まだぽつりぽつりとしか咲いていない梅の花を観賞する時に使う言葉で、まだつぼみばかりの枝に視線を走らせ花を探しながら見つけた花を楽しむ、といったところか。満開の梅を見るのは「賞梅」、散る梅を見るのを「送梅」というそうな。いとをかし。

 

もうひとつ。紅梅について。花が赤い梅を紅梅といっているが、枝の中(断面)が赤みを帯びているのを紅梅というのが本当のところらしい。花の色ではなく枝(幹もか)の中の色というのだからまったく面倒というか奥ゆかしいというか。白っぽい花でも紅梅、赤みを帯びた花でも白梅、というのもあるということだろう。うーん、奥が深い!

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「空飛び猫」

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先日の本屋博で「空飛び猫」という本を買ってきた。1993年第一刷発行だから、27年前に世に出た本である。内容は全く知らなかったが、表紙の絵が気になったし子ども向きの本のようなので気楽に読めるかな、と思ったので。

 

絵を見れば一目瞭然だが、翼がある猫のお話である。ジェーン・タビーお母さんが生んだ4匹の猫たちの背にはみな翼が生えていた。子育てに忙しいお母さんは不思議だなとは思ったがあまり気にしていなかった。が、ある日子どものうちの1匹が大きな犬に追いつめられた時、翼を使って飛び上がったのを見てわかったのだ。翼は子猫たちが生きていくためのもので、上手に飛べるようになった時が自立の時なのだ、と。

 

元気のいい4匹は飛ぶ練習をし、上手下手の差はあるもののみなうまく飛べるようになった。タビーお母さんは子どもたちに言う。ここはおまえたちが暮すにはあまりよい環境ではない。おまえたちはもう用意ができている。だからおいしい夕飯を食べたら、飛んでいきなさい。ずっと遠くまで。

 

子猫たちはまだまだお母さんと一緒にいたいから泣いて行くのはいやだという。が、お母さんはもう次の相手がいるからおまえたちは邪魔なのだ、とはっきり言う。子どもたちも内心、それが猫の親子にとって当たり前のことなのだと知っていたし、お母さんが言うのだから自分たちには自立する能力が備わったのだと誇りにも思う。そして4匹は多少危なっかしくはあるけれど、お母さんに見送られて飛び立っていく。

 

その後いろいろな動物に会ったり、追いかけられてケガをしたりするが、最後は心やさしい人間の兄妹に出会う。彼らは無理に近づいてこようとせず、遠くからじっと見守ってくれる。おいしいものを置いたら、また離れてじっとしている。子猫たちは少しずつ兄妹を信用するようになり、仲良くなっていく。兄妹は誰も使っていない小屋を子猫たちの住まいにしようと思い立つ。子猫たちはやっと安住の地を見出した。

 

と、けっこうあっけないといえばあっけないお話なのだが、純真な心と心の出会いが読む者を穏やかな気持ちにさせてくれる。また、猫たちの子離れ・親離れの見事さもさらりと描いていて、押しつけがましいところのない良書だと思った。

 

買った後で気づいたのだが(またこれだ)、翻訳は村上春樹さん。作者のアーシュラ・K・ル=グウィンはSF界の女王とも言われるアメリカの大作家らしい。SFというジャンルの本は全くといっていいほど読まないので知らなくてもしかたないか・・・と言い訳してみる。

今回の本屋博や古本市などに行くと、時々いい出会いがあって楽しい。もはやネットで本を探したり買ったりする時代だが、店先に並ぶ本の中から何かピンとくる本を見つけて読むというのも楽しいものなのだ。大きな本屋だとその量に圧倒されてしまって眩暈がしそうになることもあるが、本屋博に出店していたような店ならゆっくりじっくり本を見たり探したりできる。楽しきかな、本屋めぐり。

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購読紙を変えてみて・・・

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前にも書いたが、今年から東京新聞を購読している。先月末集金に来た人が「どうですか?」と尋ねたので、「なかなか面白いですね」と答えると「それはよかった」と言って帰っていった。一昔前まで新聞の販売店といえばそれぞれ分かれていたように思うが、今は東京も毎日も朝日も同じ販売店。それだけ需要が少なくなったのだろう。いかにネット社会になったとはいえ、社会で起きていることの情報源として新聞は欠かせない・・・と思うのはこの年齢だからだろうか。

 

新聞を選ぶ上で参考にしていることは、同じニュースをどう扱うか、である。毎朝聞いているTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ!」には朝刊読み比べのコーナーがあり、ひとつのテーマを各新聞がどのような見出しでどのように扱っているかを紹介していてありがたい。森本さんはしがらみがあまりないのか、自分の意見をきっぱり発言するので聞いていて気持ちいい。忖度を含む意見は聞いているとなんとなくわかるし、事情があるのだろうと思いつつあまり愉快なものではない。

 

去年まで購読していた毎日新聞も悪くはなかった。朝日から毎日に変える時、東京にしようか毎日にしようかかなり迷った。私の中ではこの2紙がけっこうまともだと思っている(今のところ)。毎日新聞も東京新聞も庶民的で親しみやすい紙面づくりをしているが、社説やコラムなどを読んでいると東京新聞の方にガンと譲らない「骨」のようなものを感じる。

そういえば、映画「新聞記者」の原作者であり、前川喜平氏、伊藤詩織さんへの取材2取り組み、官房長官から厭われたことで有名になった望月衣塑子さんは中日新聞東京本社(つまり東京新聞?)の社会部記者である。

 

今朝の朝刊一面に掲載された「日本に永住権 でも帰国便乗れず」には驚いた。日本国籍を持っている女性が子ども連れで中国に里帰りしていたのだが、「日本人でないと難しい」という理由で武漢に留め置かれているというのだ。彼女には未熟児で生まれて薬が必要な子どもがいるのだが、その薬も底をつきかけているらしい。完全閉鎖された武漢にそんな子どもをかかえたまま閉じこめられてしまったとは・・・

この事実は、彼女の友人から東京新聞にメールが来たことから発覚し、取材されたものだ。友人がメールを送ったのは東京新聞だけだったのか、それとも他社にも送ったのか。それはわからないが、取上げて一面に掲載されたのだから本当によかった。

 

東京新聞にしてから新聞と向き合う時間が長くなった。夕刊もなかなか面白い。しばらくは、このままでいようと思っている。

 

*ダイヤモンドプリンセス、新たに10人感染が判明・・・

*あのまま隔離するしか方法はないと思うがお気の毒。

*新型コロナ、なんて自動車みたい(^^;)

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