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日々の内側
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セレブな生活

今年は寒暖差がかなり大きい。今日は半袖になる人もいたかと思うが、明日からはまた元通り。寒いといっても真冬ほどではないだろうが、ひどく寒く感じるようになりそうだ。


花粉症歴はそこそこ長く、毎年1月末から耳鼻科に処方してもらった薬を飲んでしのいできた。今年は引っ越してきたこともあって違う耳鼻科にしたところ処方薬も変わった。なんとなく前の薬の方が効きがいいように思うが薬のせいではなく今年の花粉の飛散量のためかとも思えて悩ましい。花粉症については様々な治療法があるらしく、舌下免疫療法を検討するよう言われているが、面倒臭がりの私には不向きのような・・・薬で押さえるという典型的な対処療法でいいのかと思うこともあるが、数年にわたり頻繁に通院しなくてはいけないのは億劫。はてさて。


ということで、今年はずいぶんと保湿ティッシュのお世話になっている。丸一日くしゃみ鼻水が止まらないことが数回あって、そんな時は強い味方になっている。普通のティッシュだったら鼻の下が荒れ痛くてしかたないだろう。


保湿ティッシュにも数種類あるが、私は写真のものが好き。使い心地はどれも似たりよったりだと思うが、パッケージがかわいいし、モノトーンなのがいい。うっとうしいことこのうえない花粉症、せめてティッシュの箱デザインは楽しみたいのだ。これくらいのセレブな生活くらいしてもいいでしょう?

| - | 18:57 | comments(0) | - |
「水中花」考

習慣とは恐ろしいもので、そろそろ更新をと思いつつ3月も半ばになろうとしている。ブログの話題にしようと思っていたこともいくつかあったが、あったということだけを覚えていてそれが何だったかもはや思い出せないテイタラクだ。「老化」という言葉で済ませてしまえばそれまでだが、あまりに安易で少し悔しいのでせめて「堕落」ということにしておこうか。

 

話題にしようと思っていたテーマに今日の「水中花」がある。たぶん・・・今までにも書いたことがあったかと思うがその記憶さえおぼろげであるから、気にせず書くことにする。

 

きっかけは友人が私の誕生日の花が何かを教えてくれたことだ。なにをもってその日の花となったか根拠らしきものはほとんどないとは思うが、だいたいその日あたりに開花している花だろう。友人が教えてくれたサイトはフラワーギフトを扱う店のもののようだが、私の誕生日である6月18日の花はギフトになりそうにないものばかりである。

 

以前から知っていたのはタチアオイ。それ以外にもタイム、スイセンノウ、フランネルフラワーが私の誕生花であるそうな。ふーん、で終わってしまいそうだ。お決まりの花言葉も併せて紹介されているが花言葉そのものの根拠もはっきりしないのであまり興味はない。

 

ただ・・・タチアオイと聞くと私は父のことと伊東静雄の詩「水中花」をすぐに思い浮かべてしまう。北海道(だけではないようだが)「コケコッコー」と呼んでいたと父が言っていて、妹もそれを覚えていて今でもその話が出る。たぶん赤いタチアオイの花の様子がニワトリのとさかに似ていると思われたからなのではないかと思う。

 

詩の方は、「遂ひ逢はざりし人の面影 一茎の葵の花の前に立て」による。「葵」というとタチアオイだけではないのだが、たぶん詩にうたわれているのはタチアオイであると思う。それはこの詩が「今年水無月のなどかくは美しき」で始まるからだ。タチアオイはすらっとのびた丈の高い草(高さからいえば木のようでもある)で、下から上へつぼみが並び順番に咲いていく。Wikipediaによれば梅雨入りくらいから咲きはじめ、一番上の花が終わるころ梅雨が明けることから「ツユアオイ(梅雨葵)」という別名もある、とのことだ。とすればやはり詩の「葵」はタチアオイなのではないかと思う次第。

 

詩本編(?)だけ読んで私が思いうかべるイメージは、梅雨晴れの暑い日盛りに咲く白いタチアオイの前に女性の幻が立つといったものなのだが、詩の中の「葵」はそうではないようだ。詩の前に和歌でいう詞書のような説明があるのだが、その中で詩人は以下のように書いている。

 

水中花と言って夏の夜店に子供達のために売る品がある。木のうすいうすい削片を細く圧縮してつくつたものだ。そのままでは何の変哲もないのだが、一度水中に投ずればそえrは赤青紫、色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀れに華やいでコップの水のなかなどに凝としづまつてゐる。

 

詩人はその「哀れに華やいだ」水中花をじっと見つめ、「遂逢はざりし人」(これはもう女性でしょう!)を思い浮かべ、そして「堪へがたければわれ空に投げうつ」のだ。逢いたくても逢えない運命のようなものが堪え難かったのだろうか。

 

それは想像するしかないのだが、私が幼いころに見た「水中花」はまさに詩人の説明どおりのものだった。細長いコップの中に入れて水を注ぐと葉や花がふわりと開く。花の色も赤や紫が多かったと思う。菊の花のようなかたちのものだったと思うが、もしかしたら牡丹のような・・・そしてタチアオイのようなものもあったかもしれない。

 

なつかしくなって今でも手に入るかと探してみたがこれがなかなか見当たらない。布でできているような今風のものはあっても、昔見たあの安っぽい色合いの、紙だか薄い木片だかで作られているものはなかなか見つからないのだ。あの安っぽさが今となっては独特の味わいとしてひどくなつかしい。

 

一ヶ所だけ扱っているオンラインショップを見つけたが、値段がびっくりするほど高い。夜店で売っているものの値段ではなくなっている。もはや需要はほとんどないのだろう。しばし迷いつつまだ購入するに至っていない。手に入れれば入れたで一度だけコップに入れて後はどうしていいかわからなくなるに違いないから買わずじまいだろう。

 

「レトロ」とか「ノスタルジック」という言葉ではぴんとこないあの「水中花」。どこかで見る機会はあるのだろうか。

| - | 19:06 | comments(0) | - |
19歳

今日で2月も終わり。引っ越してきてから、あっという間に2ヶ月。


人間(飼い主)の方はようやく落ち着いた感がある。心配していた猫たちも予想外に落ち着くのが早く、それぞれの個性を発揮している。以前とは勝手が違うこともいくつかあるが、猫は猫なりになんとなく慣れてきているようだ。


寒暖の差が例年より大きいような気がする今年の冬。飼い主はそれに惑わされ、振り回される一方だ。猫は寒さに弱いと思いきや意外と元気で行動範囲を広げるべく階下まで足を伸ばすようになった。さすがに19歳の長老・まめこだけは寝ていることが多くなってきたが、年齢のせいか若いころより鷹揚になってはいるが(腹を立てたりおびえたりするのが億劫になった感じ?)、小さな身体できちんと自己主張している。


丸くなって眠っていても、その横に寝そべって寄り添えば、目を開けて嬉しそうな素振りをする。人間だって高齢になれば理由なく不安になることがあると思うが、猫もそうなのかもしれないと思うこともある。時々大きな声を出して鳴き続けると、「ついに惚けたか!」とも思うことも。一説によると、年をとって我慢ができなくなり、感じたことを即表現するようになり、それが突然鳴き出すように見える時もある、とのこと。


わが家の長老はどうだかわからないが、今でも食事時になれば催促し、若いもん(といっても8歳)と同じドライフードを食べているところを見ると具合はそこそこいいようだ。


以前にも書いたが、1歳になるかならないかの時に避妊手術をして以来獣医にかかったことがないという健康ぶりを誇る最長老。もともと丈夫なタチに生まれついたのだろうが、飼い主にとってはラッキーそのものだ。ありがたいことだと思っている。


時々、痩せた背中をなでていると、あとどれくらい一緒にいられるだろうと淋しくなる。いつかは来る別れの日・・・もう少し先になればいいというしかない。ほかの猫たちより少しだけわがままを大目に見ることにして、できるだけストレスのない暮らしを心がけたいと思う。今夜も「早く寝床の支度を整えよ!」との指令がでたら素直に従い、もう少し使っていたい椅子を明け渡すことにしよう。

| - | 18:02 | comments(0) | - |
古い戸建てに住むということ

現在私が住んでいる実家は築43年。ずいぶん古くなったものだ。人間でいうと何歳くらいになるのだろうか。あちこち不具合が出ても不思議ではない年齢に間違いはないだろうが。


結婚することになり家を出たのが29歳の時。建て替えた家には4年間しか住んでいなかったことになる。そして今かなり年を重ねた元の家に戻り、当時は全く考えられなかった家の衰えを日々実感している。こうして書いている当人が相当ガタピシきているのだから当然といえば当然だろうが、引っ越してきたばかりなのに立て続けにあれこれ物入りなことが発生している。


実家から離れたことがない妹からは、この家の老朽化について何度も聞いてきた。私が家を出てから何度かリフォームや部分的な修繕をしてきたようだが、それでも家は少しずつ老いていく。今月初旬に床下の修繕と白アリ防止処理をしたばかりだというのに、今度は屋根である。


昨今、屋根や外壁などの修繕に関するタチの悪い詐欺があちこちで見受けられるようで、何かと慎重にならざるをえない。妹は私よりずっと慎重派でありこれまでの経緯も知っているので基本的に任せることにし、相談しながら事を進めているところ。今回の屋根は以前にも頼んだところである程度名が通っているのでまずは大丈夫だと思うが、立て続けなので費用的に負担感が大きいことこの上ない。


分譲マンションの場合も月々の管理費や積み立てだけでは済まないこともあろうが、メンテナンスに関しては戸建ての方が大変だとつくづく思う。たしか2年前だったか下水に問題が発生してトイレが使えなくなり、妹が頭をかかえていた。水周りの修理は急を要するので、大幅に直していない風呂場も安心していられない状態。やれやれと思うが、いろいろな経緯を経て引っ越してきた以上仕方ない。


そんなこんな悩ましいことが次々と起きるが、いいこともある。子供のころから知っている土地の気安さもあるし、自分の空間を確保できる快適さもある。本に囲まれ猫にまみれている。2人暮らしなので気も使うが、それぞれのプライバシーはたいせつにしながら住まうことはできている。猫たちもくつろげている。生活音についても集合住宅より気を使わなくていい。


この年齢になってピカピカの新しい住まいを無理までして手に入れる必要もあるまい。ガタピシ同士なんとか折り合ってともに年齢を重ねていくしかないだろうと思うことにした。やれやれ。

| - | 16:23 | comments(0) | - |
いとしい仏たち

12日に終わってしまったが、ギリギリのタイミングで「みちのくのいとしい仏たち」展を観に行ってきた。


この展覧会は北東北3県(青森、秋田、岩手)で今もたいせつにされている民間仏を集めたもので、昨年4月に岩手県立美術館で開催されたころから知っていた。とても観たかったのだが気軽に行ける地ではなかった。そこでせめてもという気持ちで図録を取り寄せ思いを馳せていた。


最初から計画されていたのかもしれないが、秋ころだったか東京へも巡回してくることを知り楽しみにしていたのだった。昨年12月から今年1月まではとにかく慌ただしかったのでハラハラしたのだが、めでたく行けてよかったと心から思っている。


たとえば円空、木喰などの素朴な仏は観たことがあったが、誰が作ったかもわからない「民間仏」を実際に目にしたのははじめてだった。そして、一目で気に入った・・・というか魅了されてしまった。


著名な仏像のいくつかは今まで観ている。中学校の修学旅行で百済観音と出会って動けなくなってから、仏像には興味を持ち続けてきた。といっても詳しく調べたり仏像めぐりをしたわけではないが、目だけでなく心を動かす仏像はそうそうあるものではないと思っている。写真では何度も観たことがある聖林寺の十一面観音の実物を観た時、はじめてあの仏像が有名であり傑作だと言われていることがわかった。頭でわかったのではなく、心というか魂というかそこで感じたのである。


その感じ方とは全く違うが、みちのくの仏たちが漂わせるやさしさは、厳しい自然とともに生きてきた人々の切実な祈りから生まれたものだけに、稚拙であっても雑ではなく、思わず掌で包んでしまいたくなるようなめんこくていとしい。


腕が一対しかない千手観音、化仏のない十一面観音、螺髪らしきものがある山の神・・・かの地では神も仏もみな同じようなもので、それは自然から感じる神聖な何かをひとつのかたちにしたものに過ぎないのではないか。だから、耳にしたことがある仏の名前をつけてみただけーといったほほえましいものだったような気がする。


展覧会に合わせてテレビ番組も放映されていて、今もなお地元の人たちにたいせつに祭られている様子がいくつか紹介されていた。地獄の裁判官であるゆえ恐ろしげなのが普通の十王たちも、ちっとも怖くない。たれ目をしていたり、そこいらのじっさまのようであったり、と地元の人たちに言わせると「田舎者」の顔をしている。それがまた、いとしい。


これら民間仏の魅力に注目し、展覧会を監修してくださった弘前大学名誉教授の須藤弘敏氏に感謝!

| - | 17:58 | comments(0) | - |
青空、ひとりきり〜突き抜けた孤独

いつのころからだかもう忘れてしまったが、“好きな言葉は?”と聞かれると“青空、ひとりきり”と答えてきた。
ご存知井上陽水氏の曲のタイトルである。デビューアルバムに入っているものだと思うので、かなり若い頃に作られた曲だと思うが、70歳近くなった今聴いても腑に落ちた感があっていいなぁと思う。


楽しいことなら 何でもやりたい
笑える場所なら 何処へでもゆく


冒頭だけ聴けば享楽的、刹那的な若者のひとりごとにも思えるが、そうでないことはその後に続く歌詞からも歴然としている。世の中には楽しいこと、笑える場所がはいて捨てるほどあるわけではない。むしろ、少ない。そしてそれを身をもって知り、結局人間はひとりきりなのであると実感し、いや違うかもしれないと迷い、傷ついたり傷つけたりしながら生きていくうちにふっと悟ったように「ひとり」を受け入れる。そんな感じ?


「孤独」という言葉あるいは概念は、一般的にはマイナスイメージでとらえられていることが多いように思う。「孤独死」がいい例だ。が、個人的には「孤独」=「淋しい」「侘びしい」ものではないと思っている。もともと「ひとり」であるならば、「孤独」もあたりまえであり、それなら楽しく過ごしたいと願う。


「青空ひとりきり」から私はそんな突き抜けた「孤独」を感じる。(双子でない限り)生まれた時はひとりであるように、死ぬ時もまた人間ひとりである。それがあたりまえ。あたりまえのゴールに着々と近づきつつある今、できるだけ楽しく明るくゴールテープを切りたいと思う。私はこれからも、「青空、ひとりきり」が好きだと言い続けるだろう。

 

*写真はいかにも楽しそうなダンスをしている女の子柄のハンカチ。最近入荷。

| - | 18:38 | comments(2) | - |
本の極楽・本の地獄

タイトルとは逆になってしまうが、まず地獄から。


昨年12月20日、6回目の引っ越しをした。引っ越さねばならないのはだいぶ前からわかっていたが、諸々の事情により慌ただしい引っ越しとなってしまった。年明けでもよかったのだが気分的に年内に、と。


今までの引っ越しで本はある程度処分してきた。泣く泣く処分したものもあれば「これがいい機会になった」というものもあった。が、今回が一番多く手放したように思う。何度かに分けたので正確にはわからないが、たぶんダンボール箱10箱以上。


それでも、依然として本が多い。今までは人がいうほど多いとは思っていなかったが、今回は自分でそう思った。とくに引っ越してきてから本を出して整理していた時。ダンボールを空けても空けてもまだ本が入ったダンボールがあって、夜中に一人苦笑してしまった。


今回の引っ越し先は今までとは違い古い木造家屋の2階である。もっと詳しく書けば私が25歳の時に立てた実家の元自分の部屋だ。当時は6畳・6畳の2間に広いベランダという間取りだったが、私が家を出て妹が婿をとって結婚してからリフォームして私の部屋に続き部屋のようなものができており、それぞれは狭いものの3間ある。それを私と猫4匹で使ってよいとのこと。が、さぞかしゆったり・・・と思ったら大間違いなのである。


昨年1年間、なにかにつけて前の住まいに来てくれた妹からは何度も「ものが多い!」と指摘されていた。断捨離を趣味のように繰り返してきた妹からすれば当然だろうと思ったが、自分でも少しは多すぎることを認めていた。その代表が本と身に付けるもので、今私が常駐している隣の部屋(元妹の部屋)は「衣装部屋」と呼ばれている。もちろん物入れにはそれ以外のものも(妹のものも含まれる)は入っているが、ざっと見回したところその表現ははずれてはいない。


常駐している元私の部屋には立て替えた時私が望んで作ってもらった大きな本棚がある。床から天井までの作り付けで、地元の大工が立派なものを作ってくれた。家具はベッドと机だけ。まず最初に本の居場所を作るあたりは当時から変わっていないようだ。


引っ越しから1ヶ月が経過しやっと落ち着いてきた。結局本は本棚だけでは入りきらず、物入れの中にもびっしり。加えてダンボールに入れてレンタルしている倉庫に入れるハメになってしまったが。



引っ越し前から妹には「床が抜ける」「床が落ちて私が死んだらお姉ちゃんのせい」等々と時には冗談まじりに、時には切羽詰まった表情でプレッシャーをかけられ続けてきた。それでも今これだけの本がここにあり、妹もどうやらあきらめたようだ。


ベッドに寝転がって本棚を眺める。一度しか読んでいない本の方が多い。しかし、私には手放せない本たちなのだ。今ここにあることが私を幸せにする本たちなのだ。それらを身近に置き、眺め、ふと何かを思い出したり新しい何かを思いついたりすることが私のひそやかない喜びであり、私の極楽なのである。


文句をいいながらもこの極楽を許してくれた妹に感謝し、床が抜けないことを祈り、毎日なにかにつけて本棚を眺め、時には1冊取り出してパラパラとページを繰り、寝る前に少しだけ読み・・・を繰り返している。この極楽を手放す時がどうぞ来ませんように。

| - | 14:23 | comments(0) | - |
冬が好き

若い頃から冬が好きだった。好きな季節は?と問われれば、必ず「冬!」と即答した。問うた相手は七割方意外な顔をした。春とか秋とかいう答えが多いのだろうか、と思いもしたが好きなものは好きなのでそれ以上は考えなかった。


北国の厳しい冬とは段違いに緩い気候の首都圏エリアでも、冬は冬。落葉樹の葉は落ちて北風も吹く。草は枯れてカサカサしたベージュの葉を寒そうに揺らしている。見様によっては干からびた淋しい風景に見えなくもない。しかし、その枯淡としたものにある種潔さを感じ、肌に痛い寒風に心地よさを感じる一瞬がある。それが私にとっては捨てがたい魅力となっているようだ。


私は自他共に認める植物好きである。木も草も花も大好きなのは子供のころからだ。とくにみずみずしい葉は大好きで、常に身近にありたいと願ってきた。引っ越しをするにもそれが実現しそうな土地を選んできたし、与えられた環境であっても工夫してそうあるよう努めてもきた。冬の枯れ草、裸になった木々にはみずみずしい緑はない。しかし、その生命力を静かに内に秘めて寒風に身をさらし、凛とたたずむ様はと尊い。憧れさえ感じていつまでも冬が好きなままである。


しかし、困ったことに年を重ねるについれて単純にそう言い放つことができなくなってきた。気持ち的には(感覚的、精神的、といってもいいと思うが)相変わらず冬が好きなのだが、肉体的につらくなってきたのである。多くの人がそうであるようだが、寒さがこたえる。ただ寒いと感じる度合いが強くなってきたというだけでなく、具体的に不具合がもろもろ出てきてしまっているのが情けない。各所の神経痛だけならまだいいのだが、虚血性大腸炎を2回やり入院までした。真冬に小一時間でも屋外を歩き続けると感覚が鈍くなるとともに眠くなってきて、半分冗談ながら低体温症になりかけているのではと思うこともある。好きなのに、つらい。この二律背反する感覚は悩ましい。


60歳を過ぎたあたりから、そんな悩ましさを感じてきたがそれも仕方ないこととやり過ごしてきた。が、昨年から今年にかけて、あらためて自分は本当に冬好きかと問うことが多かった。そして、出た答えはやはり「冬が好き」だった。


一昨年の押し迫ったある日から、寒風吹きすさぶ中を必死で歩いてきた感がある。が、最もつらかったその時が冬でよかったと心底感じたのだ。それが春であれ夏であれ秋であれ、冬以外の季節であったなら、へこたれて自分の足で立っていられなかったかも・・・などと気弱なことさえ思う。実際そうであったならそれなりに動いたのであろうが、やはり冬でよかった。冷たい大気の中でしか自分の身を支えて立たせていられないような感覚を感じてきた今となっては。


2月初旬。今は一年で一番寒い季節だ。週明けには雪が降るかもしれないといわれている。それでも天気がいい日はできるだけ外に出て、寒さの中を歩きたい。時折空を見上げて大きく息を吸い、生きていることを実感したい。冬は私に生きていることを最も実感させてくれる季節。だから、やはり冬が好き。

| - | 18:47 | comments(0) | - |
たゆたえども沈まず

昨年1月2日以来の更新。1年以上のブランクということになるが、「いつかもどってくる」と書いたとおり戻ってきた。

 

ブランク期間のことは具体的に書くつもりはない。ただ、私にとってかなり大きな出来事があり、ほぼそれに伴う困難なあれこれと格闘するような日々だとだけいっておこう。自分の中で大きく変わったものもあり、意外なほど変わらないものもあり・・・

 

荒れ狂う風の中を歩いているような気分の日々が多かったが、その中にも穏やかな日があり、悲しんだり苦しんだり喜んだりを繰り返しながら、今ここにこうしている。

 

向かい風の中を歩きつづけてきたように思っていたが、ふと以前のブログ(2021.7,12)で書いた「たゆたえども沈まず」という言葉を思い出し、こころに響いたので今日のタイトルとした。当分は不定期更新になると思うが、沈まなかった船はゆるりと残りの航海を続けることにする。

 

| - | 18:52 | comments(2) | - |
冬木立

昨年末から年初まで、もしかしたらこれまで経験したことがない・・・もしかしたら一生に一度かもしれない出来事にかかわっている。こんな時こそ、冬木立のように凛とありたいと思う。

 

いつだったか、神はその試練に耐えうる者にしか試練を与えない、ということを耳にしたことがある。人知の及ばない存在がもしあるなら、そして仮にそれを神と呼ぶなら、神に与えられたものを受け入れながら生きていかなくてはならないだろう。

 

このところ月に数回の更新しかしていないが、諸事情によりしばらくこのブログを休むことにする。あくまでも「休み」ということにしたい。いつとは約束できないが、必ず戻ってくるつもりでいる。

| - | 07:40 | comments(1) | - |
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